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第8章「異変の始まり」




2.

 シュシュの町の結界が張りなおされたというお触れが出たのは、崩壊騒動の翌日、昼を過ぎてからの事だった。規模の小さい町とはいえ、これはかなり早い回復と評価されるものだ。おそらく、腕の良い魔道士が結界の張りなおしに尽力したのだろう。
 結界が突然消えてしまった原因については未だに調査中らしいが、警戒が解かれた事によって、町は本来の賑わいを取り戻しつつあった。丁度休日という事も重なり、シュシュの商店街はいつになく人でごった返して居る。
 「ゲイル! 少なくともノルマは達成しなきゃ駄目よ!」
 「分かってるよラナ。まずは根菜」
 ぶんぶんと腕を振って、やる気満々なのはゲイル少年。その隣で、ラナも瞳を野生動物顔負けな勢いでギラギラと輝かせている。二人の視線が向かう先はただ一点のみ、妙に殺気立っている人ごみだった。見るからに主婦層と分かる方々。彼女たちがひしめく場所の上には、でかでかとした看板が掲げられ、『特売日』と、笑えるくらいに庶民的な単語が綴られていた。
 なにやら大声で「開始!」と誰かが言った途端、人ごみは一気に動き出す。戦場さながらの迫力で、主婦の方々は市場へと走りこんでいった。ラナとゲイルも負けじと、それに続いて走り去っていった。
 「半月に一度の安売り市……か」
 少し呆れた様子でリースが零したのを見て、シズクも苦笑いした。目当てのものを少しでも安く買うために、血も涙も無い戦いを繰り広げている人々を、彼はどこか冷めた目で傍観している。王族であるリースには、安売りだとか特売だとか、そういう響きは一生縁のないものだろう。身分でいうと一般人であるシズクも遊びに出かけていたオリアの町で時々見たくらいで、参加したことは一回も無い。魔法学校でずっと暮らしていた身としては、庶民の生活は実のところ遠いのだ。
 「昼まで警戒がしかれていたから、本当は朝に行うものを昼にしたみたい。余計に凄い人ね」
 同じく傍観しつつ言ったのはアリス。彼女に限っては、少し楽しそうにこの光景を見守っていた。
 アリスの言うように、市場は入りきれないくらいの人ごみだった。実際、戦いに敗れ、流れ出てきてしまう人もいるという有様。ラナとゲイルが踏み潰されたりしていないか、シズクは少しだけ心配になった。慣れた感じだったので、おそらく大丈夫だとは思うが。
 何故安売り市にラナとゲイルが参戦しているかというと、理由は簡単。店の買出しである。
 ホーリス亭は宿屋なので、必要な食材のほとんどはそれ専用の業者から業務価格で買っているらしい。しかし、それだけでは足りない場合も時々ある訳で、そういった時に大活躍するのが、安売り市場だとか。
 何故ゲイルとラナなのかと言うと、ホーリス夫妻は宿屋を切り盛りするのに忙しいので、そのお手伝いというのが一つ。体が小さいので人ごみの中に割り込みやすいからというのが二つ目の理由。そして三つ目の理由は、大人ばかりの人ごみの中に、12の子供が混じると、いろいろと便利なのだそうだ。
 「大人の中に子供って目立つでしょ? 店の人が顔を覚えてくれるんだよ」
 「そしたらね、サービスとかしてくれたりね。お得なの!」
 数十分後、両手一杯に戦利品を抱えて帰って来たラナとゲイルは、シズク達にそのように説明してくれた。見た目は子供だが、しっかりしているなぁと感心してしまう。満面の笑みの彼らの様子から、今日の買出しは成功だったと悟る。
 そうそう。安売り市に参加しないのに、どうしてシズク達も来ているかというと、つまるところラナとゲイルのお守というやつだった。街道は未だに封鎖されたままだし、宿の部屋に閉じこもっているのも身体に悪い。町を散策するついでに、二人の買出しに付き合っているのだ。昨日の一件ですっかり懐かれたな。とはリースの言。
 「リース。荷物、持ってあげなさいよ」
 「へいへい」
 アリスに言われ、少々面倒くさそうにしながらも、リースはラナ達の戦利品を受け取っている。彼一人では持ちきれなさそうだったので、少しだけシズクも手伝った。それにしても、結構な量である。根菜から始まり加工食品、果ては新鮮な魚介類まで。あの人ごみの中で、よくもまぁこれだけ買えたものである。
 「町を見てまわる前に、先に宿に帰って荷物を置いてこなきゃいけないね」
 シズクのその言葉に異論を唱える者は居なかった。






 「ねぇ、あれってフェイなんじゃない?」
 宿屋への帰り道。ホーリス亭へ続く道とは違った方角を指差して、言ったのはアリスだった。彼女の言葉に、楽しげに談笑していたラナとゲイル、そしてシズクも立ち止まる。必然的にリースもその場で動きを止めた。
 アリスの指差す方角に、灰色髪の人物を認めてシズクは眉を寄せる。今シズク達が通っている道に対して、丁度横道になる街路を歩いているのは確かにフェイだ。普段の軽薄そうな印象とは全く異なり、今の彼はいつになく真剣な表情を浮かべている。銀狼との戦闘時ですら、あんな真面目な表情は浮かべていなかったのではないかと思えるくらいに。さらに驚いた事に、そんな彼に同行する人物が居たのだ。真っ黒いマントとローブの長身の男。
 「ルダ……」
 珍しすぎる組み合わせに、リースも首を傾げる。ここからでは遠すぎて聞こえないが、彼らは何かを話しているようだった。フェイはともかく、普段ほとんど言葉を発しないあのルダが人と会話をしているのだから驚愕である。しかも相手はあのフェイだ。
 「あの二人って、仲良かったかしら?」
 「んな訳ねーだろ。むしろ奇跡でも起こらない限り仲良くなれない部類だよ。……世にも珍しい事って起こるもんなんだな」
 視界から完全に二人が消えた途端リースが言った皮肉にも、思わず頷いてしまった。シズクが知る限りで、フェイとルダを結びつける接点は、先日の銀狼騒ぎと、泊まっている宿屋が同じという二点のみ。例え町でばったり会ったとしても、普通ならば絶対に行動を共にしなさそうな二人である。そんな彼らが、仲が良さそうには見えないが、他人と言うには親密な感じで行動を共にしている。
 「話してみると意外に気が合って、意気投合する訳は……ないよね」
 自分で言っておいて、その考えのあまりの可能性の低さに苦笑いが零れる。宿に帰ってから、直接フェイに尋ねれば答えてくれるだろうか。先ほどの真剣な表情からして、軽々と話してくれるかというと難しいとは思うが。
 疑問は消えないが、これ以上考えても分からない。フェイ達に関する会話が尽きると、各々ゆっくりと歩を再開させる。
 「……?」
 不意に手を握られたのはそんな時だ。何かと思い視線を左手に向けると、シズクの手を握っていたのはラナだった。微笑ましさを感じ、一瞬頬がほころびかけたが、半ばでそれを取りやめる。視線の高さが違うので、歩きながらでは分からないが、繋がれたラナの右手が小刻みに震えていたからだった。
 「?」
 さすがにおかしいと思い、体勢を低くしてラナの表情を覗き込んでみる。シズクの行動に気づいたラナも、翠の瞳をシズクへと合わせて来た。先ほどまで太陽のように笑い転げていた表情はそこにはなく、ラナは、どんよりと曇った空のように冴えない顔をしている。先ほどまでのはつらつとした少女と、とてもじゃないが同一人物とは思えなかった。
 「ラナ?」
 ラナの隣を歩くゲイルも、眉間に皺を寄せると、気遣うような視線をラナへと向ける。
 「ラナちゃん?」
 「……何か、変なの」
 見上げてくる翠瞳は、どう伝えたら良いのかと迷っているようだった。
 「凄く変な気がするの。嫌な事が、起こりそうで」
 「嫌な事?」
 ハーフエルフの力の成せるものかも知れない。そう思い、一応周囲を警戒してみるが、何の変哲も無い街路と、商店街には劣るが、それなりに多い通行人達の姿があるだけだった。とりたてて危険なものはない。
 「シズク、どうかした?」
 先を歩くアリス達も、歩が遅くなったシズク達に気付いたのだろう。心配そうにラナを見つつ、問うて来る。それに対して大丈夫と苦笑いを返してから、シズクはラナの手をひいて歩き続けた。だが、しばらく歩いてから、一際大きく肩を震わすと今度こそ完全にラナは立ち止まってしまう。促すように少し強めに手をひいてみたが、頑として動こうとはしなかった。
 「ラナち――」
 「お姉ちゃん」
 中腰になってラナと目線の高さを合わせると、すがるような目で彼女はこちらを見つめてくる。その独特の光を宿す翠瞳に、思わず息を呑んでしまった。
 昨日の夜、ハンスからハーフエルフは独特の輝きを宿す瞳を持つと聞いた。曰く、魔力が凝縮しているため、そうなると言われているのだとか。魔力の瞳。故にハーフエルフはエルフをも凌ぐ力を持っていると伝えられる。
 「信じてくれる?」
 「え?」
 瞳に見入っていたシズクの意識を呼び戻したのは、ラナのか細い声だった。同時に、ぎゅうっと、手を強く握り締められる。
 「私の言う事、信じてくれる?」
 この時には、さすがにアリスとリースも立ち止まってシズク達の元へ歩み寄ってきていた。明らかにいつもと違う様子のラナを心配し、ゲイルもずっとラナの肩を抱いている。左手でゲイルの手を握り、もう片方の手でシズクの手を。ラナは震える体で握り続ける。
 正直なところ、彼女が一体何に怯えているか、シズクには皆目検討がつかなかった。もし仮に、魔力が封印されている状態でなければ、ひょっとしたら彼女の言う何かに気付けたかも知れなかったが、この時のシズクには、それは到底無理な話だったのだ。
 「……信じるも何も、ラナちゃんは一度だってわたしの前で嘘を言ったりはしていないでしょう? わたしには、ラナちゃんは嘘をつくような子だとは思えないよ」
 諭すように告げると、ラナは安心したようだった。戸惑いの表情は消えないが、シズクの手を握るのをやめる。すうっと息を吐く音が聞こえると、次の瞬間には、離したその手の指で、シズクの方を指していた。
 「とても嫌なものが、来るよ。狙いは……お姉ちゃんのそれかも知れない」
 「――――」
 一瞬、心臓が止まるかと思うくらいに驚いた。それと言ってラナが指し示した先は、シズクの胸元であったのだから。
 服の下に隠しており、外からは見えないが、シズクの首には今日もしっかりと例のネックレスがぶら下がっている。滅多に人前には出さない事にしていた。ここ最近、これが狙われているのはシズク自身もよく知っている事だったからだ。
 (知っているの? これが何か)
 12歳の少女が、それも一昨日シズクと出会ったばかりの人物が、ほんの数日でそこまで見抜いてしまえるものなのだろうか。ネックレスの話をする事はおろか、見せたこともないのに。
 「とても大切なもの。だから――絶対に渡さないで」
 シズクの疑問は、ラナがそう呟いた直後に見事に掻き消えてしまう。街路の少し進んだ方から轟音と同時に甲高い悲鳴が上がると、周囲は騒然とし始めた。それまで何事も無く流れていた日常が、突然切り裂かれた瞬間だった。時をほぼ同じくして、後方からも何かが崩される音と男性の悲鳴が聞こえる。何事かと悲鳴の上がった方を警戒すると、そこには、見事なまでの非日常が存在していた。
 「何……なの? 一体……」
 頭部は人間で胴体は大型の獣、そして尻尾は蛇。そうとしか形容出来ない異形の生き物の姿が、瞳に飛び込んできた。



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