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第8章「異変の始まり」




10.

 フェイに連れて行かれた場所は何のことはない、ホーリス亭の二階に位置する彼の部屋だった。まぁ、外はあいにくの雨模様だ。屋外に連れ出されるよりはこちらの方が良い。そう簡単に結論付けると、リースは簡素な部屋をくるりと見渡していた。
 リースの部屋と左右対称である以外は全く同じ構造を備えている。少しばかりのフェイの荷物が見受けられるだけで特に興味が惹かれるものもなかった。窓から覗く外の風景も、若干見え方は違うが、基本的にリースの部屋から見えるものと一緒だ。雨に濡れる街路がただあるだけ。例の通達のお陰で、こんな天気の中で歩く者など皆無であった。

 「デートは楽しかったか?」

 にやにやしながらフェイに告げられて、リースは一気に眉間に皺をよせた。開口一番のセリフが、リースを自室まで連れて来た目的についての説明ではなく、からかいの言葉である事に脱力感を覚える。こういう所がますます姉にそっくりである。
 何故シズクと外出していた事を知っているのだろうと訝しむも、すぐにその理由に思い至った。部屋の窓からは宿屋前の街路が丸見えなのだ。なるほど、食事中に絶妙のタイミングで現れた事もこれで合点がいく。リース達が宿に帰還したタイミングを見計らったのだろう。
 「で? 俺を連れてきて何する気だよ」
 からかいを完全に無かったことにすると、至極尤もな質問を灰色髪の軽薄そうな男へ放った。それに対してフェイは、にやりと意味ありげに笑う。
 「つれないなぁ。俺がここへ連れて来た理由? そんなの決まってるだろ。教えてやるって言ったじゃねーか。わざわざボランティア活動してやろうっていう俺の申し出、忘れたのかよ?」
 「忘れてねーよ。でも、だったら尚更、なんで部屋の中なんだよ」
 くるりともう一度部屋を見渡してから、リースは告げる。
 昨夜のフェイからの申し出を、忘れるわけがない。目下一番の悩みの種である右腕の扱い方を、彼は教えてくれるといったのだから。虚偽だとは思わなかった。そんな考えを思いつく前に、フェイの実力を見せつけられたからだ。こいつは間違いなく、同じ類のものを抱えている。あの時そう、肌で感じ取った。
 だからこそ、連れてこられた場所が単なる宿屋の一室である事に違和感を覚えた。フェイが自分に、その扱い方とやらをどのような方法で教えるつもりなのか、それは分からない。しかし、剣を用いる事を予想していたリースにとって屋内で事を始めようとするフェイに疑問を抱かずにはいられなかったのだ。
 「雨の中連れ出されたいのかよ。俺はヤだね。雨は苦手だ」
 「苦手って……」
 フェイは隠そうともせずにあからさまなしかめ面を浮かべている。冗談ではなく、どうやら本気で言っているらしい。いやしかし、たったそれだけの理由で場所を屋内に設定しというのか。ただただ呆れるばかりである。雨が嫌いとは、まるでシズクのような事を言うなと思う。ひょっとして雨の日に嫌な思い出でもあるのだろうか。
 「第一、わざわざ屋外に出なくてもここででも出来る。今からやるのは何のことはない、簡単な前振りみたいなもんだからな」
 それだけ言うとフェイは、部屋に備え付けられたベッドにラフな姿勢で腰掛ける。座れとは言われていないが、こいつ相手に礼儀を重んじる必要もないだろう。そう判断すると、リースも手近にあった椅子にやんわりと座った。

「昨日の件で予想はついてるだろうけど、俺もお前と同じで腕にややこしいものを抱えてる人間の一人だよ」

 リースが着席して一息ついたあとで、右手を顎に乗せ、頬杖をつくような格好でフェイは言う。
 予想していた言葉のひとつだった。ああやはりかと心中で呟いただけで、別段驚く様子も見せず、落ち着いた視線をフェイに送る。心得ているのだろう。フェイもまた、取り立てて表情を変えることはしない。
 「だけど俺の場合、お前とは決定的に違う部分がある」
 「違う部分?」
 リースの言葉に、フェイは頷きを返す。そして、ゆったりとした動作で右腕をリースの眼前に持ってきてから、一気に袖をまくりあげた。晒されたのは、引き締まった剣士の右腕であるはずだ。事実、しなやかな筋肉が宿る彼の右腕は、均整がとれていると呼べるものだった。ある一部分を除いては。
 「――――?」
 フェイの腕の、ある一点を凝視したまま、リースはしかめ面を浮かべる。バランスの良い筋肉の丘の合間に、奇妙に引き攣った部分があったのだ。更にその引き攣れの中心部には、普通の人間の体には決して有りはしないものが、見事なまでの存在感を持って堂々と存在していた。薄い黄緑色をした、親指の先ほどの大きさの石だ。
 「……風の力を宿した貴石さ」
 落ち着いた声はリースの頭の中にゆっくりと溶けていく。自嘲するように笑うフェイの横顔が、らしくないなと思った。この男に、こんな表情は似合わない。
 「神や精霊達は、大昔からやたらと『石』に力を宿したがる。あるいは力の結晶が石っていう形になっただかもしれねーけど……まぁ今はそんな事は関係ないか。とにかく、これが俺の『ややこしいもの』の正体。石を体に植え込んで、そこから力を拾ってる」
 「人為的に植え付けたのか? そんな事、一体どうやって……」
 背中に冷たいものが走る。引き攣れたフェイの右腕は、グロテスクで禍々しくもあり、その反面、危険な美しさも備えていた。風の力を宿すと彼が言った石は、おそらくリースの剣やシズクの棒の素材に使われたものと同じ類の代物だろう。いや、魔物をいとも簡単に両断させる程の力を右腕に宿らせるのだ。それ以上に強力な、所謂『魔石』と呼ばれるものの可能性もある。
 魔石とは、触れたり近づいたりしただけで、その者に絶大な影響を与えてしまう石だと聞く。それを生身の体に直接食い込ませるなど、ハッキリ言って狂気の沙汰以外の何ものでもない。
 「あんまし綺麗な話じゃないから、その辺はノーコメントで。今の時代では禁忌になっちまう技術かなぁ。有名なところで言うと、リストンの魔女がやったのと、同じような技だな。まぁ、魔女が宿す石とこれを一緒にするのは彼女に失礼だろうけど」
 重さを全く感じさせずに、実に淡々と告げる。薄く笑うフェイの瞳に、深い闇がちろりと姿を覗かせた。
 「リストンの魔女……東の森の魔女の事か」
 「あぁ、そう言えば普通はそう呼ぶんだったけか」
 リストンの魔女。最もメジャーな通称で言うところの東の森の魔女。この世界で唯一、永遠の生を宿した人物の事である。そして、今からリース達が会いに行こうとしている人物でもあった。
 幼い頃に何度か、リースは魔女と直接会った事がある。おぼろげな記憶の中、彼女との思い出はそう鮮明ではないが、その額に真っ赤な石が輝いていた事だけはやけにはっきりと覚えている。怪しい艶めかしさを放って、額に食い込む赤い石。それこそが魔女の永遠の命を支える源だ。神から授けられた石と言い伝えられている。
 「魔女は、生まれつき永遠の生を約束されていた訳じゃない。後天的に永遠の命を獲得したんだ。俺も一緒。この右腕の力は人為的に作られたもんで、天賦の才って類じゃない。けど……リース。お前は違うよな。お前のそれは、生まれつき体内に宿したもんだ」
 袖をめくりあげた状態はそのままに、フェイは右手でリースの右腕を指さしていた。
 「…………」
 生まれつき。確かにその通りだ。リースの右腕には、フェイのように無理やり埋め込まれた石など存在しない。光神の力は、リースの奥深くに存在する。この世にリースという存在が発生した瞬間に、神によって与えられた力であるらしい。イリスピリアでは光神を特に神聖視する傾向があって、信仰の対象である光神の力を色濃く宿したリースが生まれた時、王家の連中は大いに沸いたようだ。だが……
 「別に好きで、こんなものを抱えてる訳じゃない」
 「分かってるって」
 むっとなって告げるリースの心を悟ったのだろうか。フェイはからかいの色はその笑顔に含めなかった。
 「生まれながらに何かしら特殊な力を持つってのは、当人にしてみれば、相当キツイもんがあるだろうからな。特殊な力を自分から欲した俺には、一生かかっても理解できないだろうけど」
 言われて、胸がちくりと痛んだ。しかし、どこか突き放したようなフェイの言葉にも、不思議と不快な気持にはならなかった。苦い記憶だけが頭の隅に一瞬浮かんで、すぐに消えていく。
 「……ま、そういう訳で、前振りその1。俺とお前の力は似てるけど、本質的には違うものって事」
 リースを差していた人指し指を上に向け、フェイは告げる。
 「俺のは所詮作り物って訳。本物を宿してるお前の方が潜在能力でいうと上。これが前振りその2な」
 二本指を立てて、二つ目の要件である事を示す。
 「で、前振りその3。これが最も重要な事だが……」
 薬指を立てると、フェイはすっと真剣な表情を作る。その変化に思わずリースも引き込まれた。前かがみになってフェイを見つめると、彼がこの先告げるであろう言葉に静かに耳を傾ける。
 「力でいうと、俺よりお前の方が上。だからその分、重いんだろうな。扱い切れずに一度は放り出したのも無理はない」
 「…………」
 この男は、一体どこまで自分の事情に通じているのだろう。リースも周囲の王家の人間も、あまりに厄介すぎる右腕の力に手を焼き、遂には諦め、そして頑なに封印しようとした。その過去を知っているというのだろうか。問いただすように強い視線を向けるが、フェイからの返事はもちろんない。代わりに返って来たのは、小さなため息。
 「……でもな、元々その身に宿した力は、そいつが必ず使いこなせるからそこに存在しているもんだ。俺や魔女みたいに後から取って付けて、苦しみ悶えた末にようやく獲得出来る類のもんじゃない。俺は神様って奴らの事を絶対に信用したりはしないが、あいつらの持つ先見の明ってのは本物だと思ってる。ただ大きすぎて腰が引けてるだけで、その力は間違いなくお前のために与えられたもんなんだよ――リース」
 「――――」
 まるで進むべき道を示すかのように、フェイの言葉はまっすぐ胸に飛び込んで来た。ただ彼は自分に告げただけだ。何もしていない。それなのに、リースの視界にずっとこびりついていた膜が、一気に溶け出していったような気がするから不思議だった。透明度を増した視界の先で、灰色髪の男は例によって薄く笑っている。だがやがて、のんびりとした動きで部屋唯一の窓へ視線を移した。つられてリースも窓の外を見ると、朝からずっと降り続いていた雨脚が、随分と弱くなっているのが分かる。
 「……さて、前振りは以上。後は――実践あるのみだな」
 やれやれ、師匠役も楽じゃない。軽い口調で零すと、フェイはあぐらを崩してベッドから立ち上がる。そして引き攣れた右腕で、部屋の隅に立てかけてあった剣を取ったのだった。



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