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第9章「破壊の足音」




4.

 各町には役所と呼ばれる場所があり、イリスピリア軍はその場所において治安部隊の役割を担っている。近所同士の小さな小競り合いから、重大な傷害事件まで一手に引き受けるのだ。町の見守り役でもある軍だが、ここ最近の魔物事件のためあって、シュシュでは増員が図られている。役所の小さな部署では人が収まりきらず、普段は町の集会場として使われる建物が臨時の本部として使われている。リース達が通されたのは、その集会場の一室だった。普段は数人で行う会議に使われるのだろう。木でできた四角いテーブルに、簡素な椅子が数個並べられている。
 部屋に入り込んで来る軍人達の慌ただしい物音を聞きながら、リースは向いに座る人物へと視線を寄せた。

 「まさかこんな所でお会いするとは、思っていませんでしたよ」

 リースとアリスに茶を勧めてから、テーブルを挟んだ向かいに座る男は穏やかな声で告げた。
 短く切り揃えられた金髪がいかにも軍人らしい。こちらを見据える瞳は、よく肥えた土の色をしていた。実年齢よりも若干若く見える容姿は、一見すると紳士的に見えるだろう。だがリースは、彼が食えない人物である事をよく知っていた。なんといっても、悪友であるアレクの父親だ。ジェラルド・ガウェイン。イリスピリアの12大臣の一人であり、軍の総指令官である人物。
 「さすがの陛下も予想外でしょう。とうの昔に目的地に到着しているものだと皆思っています」
 「……でしょうね」
 勧められた茶を一口飲んでから、苦笑い交じりにアリスは告げる。その隣でリースもひょこりと肩をすくめていた。
 ガウェイン大臣の言うとおり、偶然と不運が重なって今の状況が完成しているだけで、順調に旅が進んでいたとしたら、1週間前には魔女の元へ辿り着けていたはずだったのだ。ひょっとしたら今頃はイリスに帰還出来ていたかも知れない。こんな形でガウェイン大臣と面談する事など、本来ならば考えられない事態だ。
 「街道の閉鎖に巻き込まれていらっしゃるだろう事は予想済みでしたが……まさかシュシュで引っかかっていたとは」
 半分独り言のように零して、大臣も甘い容姿の上に苦笑いを浮かべる。それを見て、リースはなんとも運の悪い話だと改めて思った。あと一日で目的地に到着出来たところを足止めされたばかりか、よりにも寄って、12大臣が派遣されて来るような町に閉じ込められてしまったのだ。やってきた大臣の方も、リース達の出現に大いに驚いた事だろう。部屋に入ってきた時の彼の慌てた表情からそんなものを感じ取る。
 「表情を拝見する限り、お困りの様子ですね」
 渋い顔のリース達に向けて、ガウェイン大臣は土色の瞳をきらりと輝かせた。挑戦的な視線だ。
 「それはもちろん。既に1週間の足止めですから」
 刺すような視線に、負けじとリースも鋭い瞳を返す。言葉づかいは丁寧であったが、苛立ちがふんだんに含まれている事は大臣には分かるだろう。
 ハンス達ほど切羽詰まっていないにしても、リース達にとっても現状は大きな悩みの種だった。魔女の元にも行けない、かといって引き返す事も出来ない。不安定な魔力を無理矢理押し殺したまま、シズクはシュシュで起こる騒動に巻き込まれ続けている。セイラが施した封印は強固なものだろうから、シズクの魔力が再び暴走する事はまず無いと思うが、彼女を気持ちの面で救う事は出来ないだろう。全てが中途半端なまま頓挫しているような気がする。それは、自分の右腕の件に関しても同じことだ。
 「かと言って、私は貴方達だけに特別に通行許可を出すわけにも行かないんですよ」
 悶々とするリースに向けられた大臣の返事は、実につれないものであった。表情こそ緩いが、瞳の奥に燃える決意は固いだろう。しかし、リースとしても彼のこの反応は予想していたものであった。落胆するでも驚くでもなく、あぁやはりか。と胸中で零す。
 「陛下から、しばらくの間は貴方を特別扱いするなときつく言われていましてね。いかにリース様であっても、他の旅人達と同じ対応をせざるを得ないのですよ。でないと私の首が危うい。それにしても、12大臣全員にこのような命令を出すなんて陛下も大人気ない……一体お二人で何の喧嘩をしたんです? 悲しい事に大体の予想はついてしまいますが」
 やっぱりそうか。と、同じような台詞を胸の中で繰り返す。呆れた様子で肩をすくめてから、ガウェイン大臣は苦笑いしている。馬鹿にしている訳ではないだろうが、彼の表情を見る限り、リースとイリスピリア王との親子喧嘩を面白がっている節がある。こういう所がアレクに遺伝したのだろう。
 「まぁ、仕様もない私情を除いて考えたとしても、貴方達にとって私に借りを作るのはあまり好ましくはないと思いますが?」
 小さな笑いの波が去ったのだろう。再び穏やかな表情を取り戻して大臣は告げる。それを受けてリースは、ほれ見たことか。と隣に座るアリスを軽く睨みつけたのだった。
 顔見知りとも言える12大臣がシュシュにやってくる。そんな情報を受けても、リースは明るい気持ちにはなれなかった。むしろ、面倒な事にならなければ良いなとさえ思ったくらいだ。イリスを発つ前の晩に、父と交わした契約は決して軽いものではないのだ。父がリースの旅立ちを許したと同時に、リースが持つ特権もないものにされる。要するに等価交換と言う訳である。あの父であれば絶対に厳格な対処を行うだろう。
 大臣もそこの部分は分かっているのだろう。仕様もないとかなんとか言いながらも、リース達の味方になる気配は皆無である。それが分かっていたから、リースは彼を訪れるのを渋った。訪れたところで事態は好転しないだろうし、下手に動くとかえってこちらの立場が危うくなるからだ。アリスも、それくらいは予想しているだろう。その上で彼女が強引にリースを引っ張ってきた事に疑念が湧いてくる。
 「……あまりリースを責めないであげて下さい。不貞腐れてしまいますから。それに、彼を連れてここに来たのは私です」
 ちらりとリースを睨んでから、アリスは満面の笑みを大臣に向ける。完全武装の体制である。かばい方が大いに不満だが、これから繰り広げられるであろう舌戦に加わる気にもなれず、リースは無視する事に決めた。
 「ほう。確かに陛下から、リース様は特別扱いするなと命令されていますが、アリシア様のお立場は変わらずそのままですね」
 「だからといって、特別に街道を通して貰うために来た訳ではありませんよ。私としても、ここで貴方に大きな借りを作ってしまっては後で師匠から怒られてしまいますから」
 「では、一体何を求めてここへ来られたのです?」
 「ただ、説明して頂きたいだけです」
 間髪入れずに、アリスは凛とした声で言った。部屋の中に彼女の声はすうっと通る。ただでさえ静まり返っていた部屋は、彼女の雰囲気に圧されて更に静けさを増した。
 「私は、シュシュでの一連の事件に巻き込まれている者の一人として、軍から詳しい状況を聞きたいのです。もちろん、無理にとは言いませんが……先日の魔物騒動を軍が駆けつけるよりも先に解決したのが私たちだ。という点、考慮に入れて頂けると大変嬉しいのですが」
 そしてまた、にっこりと満面の笑み。まさに無敵スマイルと呼ぶのに相応しい。フェイに言われてアリスは大いに不満そうだったが、やはりこういう所は師弟でそっくりだとリースは思う。
 笑顔を向けられた大臣はというと、片眉をぴくりと動かして、ほうっと面白そうに零した。土色の瞳からは、好奇の光がありありと感じ取れる。
 「なるほど。あの時、不甲斐無い我が軍の手助けをして下さったのは貴方達でしたか。確かにそれは、お礼をしなければいけませんね」
 正確に言うと、アリスの言う『私達』の中には、フェイとルダも含まれなければならないだろう。途中、暴走を起こしてリースが戦闘不能になった点と、シズクのピンチをフェイが救った点を加えると、その貢献度は彼らの方が若干高いような気がして仕方がない。
 「私達に借りを作ってしまうのは、大臣として、あまり好ましくないのではありませんか?」
 けれどもアリスは、そんな裏事情などおくびにも出さず、しゃあしゃあと言ってのける。隣で呆れ顔を浮かべているリースにもお構いなしである。
 「確かに。それこそ私の首が危うい」
 一方の大臣も、アリスとの会話を半ば楽しむかのような口ぶりで応じてくる。
 「お礼として、また、軍人を凌ぐその腕を見込んで、普通の旅人達には話せないような事を貴方達に話しても良いかも知れない。むしろ、それをしなければアリシア様への借りは返せそうにない。……そういう事ですか」
 借りは返さねばなりませんからね。そう呟くと、大臣は笑顔で一人、頷いた。
 要するに、大臣としてアリス達の手助けをしなければいけない一応の大義名分が出来たという事だろう。どう考えても詭弁としか言いようがないものだったが、一応筋が通ってしまうのだから性質が悪い。アリスにまんまとはめられたような素振りを演じるガウェイン大臣も大臣だ。リース達にとって有利な条件で事が進んでいる今はいいが、敵に回すとかなり厄介そうである。リースは彼に対する認識をもう一段階上げる事に決めた。加えて、アリスの腹黒認定もワンランク昇級だ。
 「……旅人達の要望を耳に入れても、その上で街道の閉鎖を続ける理由は、本当に一連の魔物騒動があったからだけですか?」
 ガウェイン大臣の暗黙の了解を受けて、アリスは満面の笑みから一転、真面目な顔つきに変わる。言外にそんなはずはないと含めるような物言いに、ガウェイン大臣も表情を引き締めた。土色の瞳には、先程までの好奇の色とは違う、新たな輝きが宿り始める。軍人としての目だ。
 「もちろん、一連の魔物騒動があったから街道の閉鎖を決定したのです。けれども……アリシア様が予想されている通りですよ。現在我々が最も警戒しているのは、魔族(シェルザード)だ」
 魔族(シェルザード)。その部分を特に力強く、まるで憎しみでもぶつけるかのように大臣は言葉を紡ぐ。部屋の気温が何度か下がったような錯覚に襲われる。それだけその単語を口にした時の大臣の表情は険しかった。
 「これは公にしていない情報ですが、東部での魔物による被害増加の原因は、十中八九彼らの仕業ですよ。魔物達のテリトリーをわざと侵すような事をしているようです。街道や町付近に現れた魔物の半分はそれが原因。もう半分は、彼らが人為的に召喚して差し向けたものです。街道沿いの林に召喚陣が多数発見されていますから」
 一度口を割ると、実に流暢な語りぶりである。アリスとの駆け引きがなくとも、最初から彼は全てを話すつもりだったのかも知れない。ぼんやりと、リースはそんな事を思った。
 ガウェイン大臣の派遣が決定するよりずっと前から、イリスピリアの中枢は今回の件に魔族(シェルザード)の関与があるかも知れないと疑っていたらしい。早い段階から魔族(シェルザード)言語に明るい者を使って調査を行っていたのだという。彼らによる調査の結果、魔族(シェルザード)の関与がほぼ決定的となったために、大臣の派遣が決まったという形だ。
 「私がここに来た理由はいくつかありますが、一つは魔族(シェルザード)達の動向を監視するという意味合いが大きい。街道を閉鎖して、各町への出入りを禁止しているのもそのためです。極力人の流動を防ぎたいのです。シュシュの街中で事件が起こっているという事は、既に彼らは内部に入り込んでいる可能性が高いでしょうから」
 「それで、旅人の訴えを退けた訳ですか」
 アリスの言葉に、大臣はやんわりと頷く。
 「彼らには非常に申し訳ない話ですが、我々は旅人達を最も警戒しているのです。魔族(シェルザード)が紛れ込んでいる可能性もある。自由に動き回らせる訳にはいかないのですよね」
 それは確かに一理ある。シュシュの町民になり替わる事は、いくら魔族(シェルザード)達でも至難の業だろうが、旅人として入り込むのは容易だろう。もっとも、何の罪もなく、ただ巻き込まれただけの者にとってはたまったものではないが。
 「……魔族(シェルザード)達の目的は、一体何なのでしょうか」
 ぽつりと、アリスの言葉が部屋に落ちる。素朴な疑問をなんとなしに呟いたような口調だった。しかし、彼女の表情はそんな軽いものではないのだと語っている。
 「魔族(シェルザード)達の影は、そこかしこに見え隠れする。でも、肝心の彼らの目的だけは、ちっとも見えない」
 何故彼らの姿が、ここ最近自分たちの周りに頻繁に現れるのか。初めは、セイラの持つ杖、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)が目的なのだと思った。しかしやがて彼らの狙いはシズクのネックレスにも及び始め、今現在に至っては、大陸東部の情勢悪化の引き金にまで発展している。これらには一見した限りでは共通点など見られないように思える。彼らがここまでする動機がさっぱり見えてこないのだ。
 「難しく考える必要はありませんよ。彼らの目的はただ『破壊』のみ。これに集約されるでしょう」

 ――我らは破壊を望む。

 言われてリースの脳裏に浮かんだのは、破壊された街路の壁に殴り書きされてあった、あの言葉だった。なるほど、確に魔族(シェルザード)達自らがそう宣言しているようなものだ。大臣の言うとおり、彼等の目的は破壊という事になる。
 「でも、それは一体何故?」
 アリスの言葉にリースも頷く。目的がそうだとして、魔族(シェルザード)達がなんのためにそれを望むのか。リースには読めない。偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)やシズクのネックレスを狙う理由とも今一つ繋がりが見い出せない気がした。
 「さぁ、そればかりは当人達にしか理解できない事でしょうね。ですが、一つ挙げるとすればそれは――私怨」
 「私怨?」
 眉をひそめるリースをちらりと一瞥してから、大臣は両手を組む。
 「……そもそも、魔族(シェルザード)とは何なのでしょうか。銀髪が多く、例外なく青い瞳を持つ点以外、人間との外見の違いはない。極端な話、異常に高い魔力を持つ『人間』と言ってしまっても差し支えないくらいだ。……彼等は元々人間だった。何かのきっかけで、人間からはみ出してしまった者達の集まり。そのように捉えているのは、私だけではありませんよ」
 突拍子もない説である。だが、全く的外れというには、納得出来てしまう部分も多い。ミールやエルフ達と違い、魔族(シェルザード)の外見は人間と全く差がない。青い瞳を持つ人間は多くはないがそれなりの割合で存在しており、魔力の高い人間も居る。その中には、魔族(シェルザード)言語で魔法を操れる者も、稀ではあるが居るらしい。それらの人間と、魔族(シェルザード)とを区別する事は、実は非常に難しい事ではないだろうか。
 「破壊などして、得られるものはほとんどありません。魔族(シェルザード)達の行動は、怨恨に伴うそれとよく似ている。もしそうなのであれば、彼等は何に変えてでも目的を果たすために動くでしょう。故に我々は、警戒しているのです。そして、万が一彼らが動いた時には、町人を守るために戦う。私がここに来た二つ目の目的はそれですよ」
 大臣の瞳が、鋭利な刃物のような輝きを見せた。



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