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第9章「破壊の足音」




6.

 外がやけに騒がしいなとリースが思っていたところに、どかどかと荒々しい足音が近づいてくる。
 「申し上げます!」
 乱暴に部屋の扉を開け放って走り込んできたのは体格の良い兵士だった。突然の乱入者の登場で、部屋の空気は一気に張り詰めたものに変わる。
 「取り込み中だぞ」
 「非礼をお許しください。非常事態です」
 大臣の元まで歩み寄ってくると、兵士は深々と頭を垂れる。屈強な戦士といった感じの外見だが、表情は堅く、顔色も悪い。上司である大臣に咎められた焦りというよりは、その表情から読み取れるものは強い不安の念だった。
 「何があった?」
 「町のあちこちで、魔物が出現しております」
 「――――っ」
 ガタンッと机を鳴らしてリースは思わず立ち上がってしまう。よっぽど酷い顔をしていたのだろう。視線がぶつかって、兵士は一瞬怯んだようだった。隣に居るアリスも、立ち上がりこそしなかったが、すっかり表情を冷えさせてしまっている。
 (町中に、魔物?)
 確にそれは普通ではない。
 「……状況は?」
 その中で唯一、ガウェイン大臣だけは冷静だった。いや、内心は穏やかでないかもしれないが、それを面には出さない。さすがと言うべきだろうか。
 「数が多すぎて把握しきれないのが現状です。至るところに魔物が出現し、警備の者だけでは最早手に負えませんっ」
 叫びにも似た兵士の報告は、そのまま、現場の厳しさを物語っているようだ。それきり一同は口を閉ざし、重苦しい沈黙がしばらくあった。ややあってから、小さな溜め息が部屋に響く。大臣が漏らしたものだ。
 「……総動員で鎮静化にあたれ。第三から第六部隊は一般人の救護部隊とする。各配置は事前に通達してあった通りだ。あとは現場の判断に一任する事とする。それと……私も行こう」
 「指令官!?」
 悲痛な面持ちで大臣の指示を受けていた兵士が、目を大きく見開く。指令官レベルの人間が前線に立つというのだ。彼が驚くのも無理はない。
 「副隊長以下の者は、魔族(シェルザード)には手を出すな。最優先すべきは魔物の殲滅とシュシュの住民達の保護だと考える事。以上の事を全軍に通達。今すぐにだ!」
 驚く兵士を完全に無視した形で、大臣は告げる。鋭い視線に圧されたのだろう。指令を受けた兵士は、戸惑いの表情こそ浮かべたままだったが、忠実に命令をこなすため、部屋を飛び出していった。それらに特にリアクションを返すわけでもなく、大臣は優雅な動きで椅子から立ち上がる。マントを手に取ると、それを羽織る前に一旦動くのをやめた。そして、未だに固まったままのリース達へと視線を向けてくる。表情は穏やかだった。けれども土色の瞳には力強い光を乗せる。
 「……さて、最も恐れていた事態となったようですね。面会はここで一旦終わりにしなければいけません」
 「そのようですね」
 こうして話をしている間にも、騒然となった外部の音が耳に入ってくる。町は一体どのような様子だろうか。シュシュの町はずれにあるこの建物からでは、様子は全く分からなかった。しかし、芳しくない状況である事は先ほどの兵士の表情が告げていた。
 「ここに居るのが一番安全でしょう。貴方達は普通の立場に居られる人ではない。本来ならばここに留まるよう説得するのが、私の責務でしょうね。しかし……」
 「無論、そんな意見を我々が聞くとは、貴方も思っていないでしょう」
 エメラルドグリーンの瞳を細めて、リースは威嚇するように告げる。大臣が自分たちを戦いに赴かせないように動く事は十分に想定の範囲内だった。だが、そうなったとして、大人しく従う訳にはいかなかった。町中に魔物が大量発生しているのだ。放ってはおけない。そして何よりも――
 「先ほども言いましたな。陛下から貴方を特別扱いしないよう命令された、とね」
 ふっと表情を崩すと、ガウェイン大臣はニヒルな笑みを浮かべた。止めない、という事だろう。
 「行かなくてはならないのでしょう? 一緒にこの場に居ないという事は、ティアミストの娘さんは、未だ町の中でしょうから」
 まるでリースの心を見透かしたような物言いである。心臓を鷲掴みにされたような気分だった。とうとう今度は、机と椅子を鳴らしてアリスも立ち上がる。
 「リース!」
 「わかってるよ!」
 焦りのためか、お互いに語気が荒くなる。町に戻らなければならない最大の理由がこれだった。シズクは今、魔力を封印されてしまっているため、魔法が全く使えない身だ。棒術の腕もそれなりだったと思うが、果たして魔物に対抗できるか、怪しいところである。
 何故こんな時に限って一緒ではないのだろう。大臣との面会という名目上、シズクを連れてくる訳にはいかなかったので、仕方がないといえば仕方が無かった。それでも、自分自身に対して苛立ちを覚える。せめて、宿に居てくれたらと思う。外を一人で出歩いていなければいいが。






 鮮紅色の魔方陣を発動し終えると、クリウスは何も告げずに人ごみの中に姿を消してしまった。追いかけることはかなわなかった。街路に怒号や悲鳴が上がり、人々が騒ぎ始めたからだ。それも、一か所ではない。見渡す限りあちらこちらに恐怖に身を引きつらせる町人の姿があった。人々がたてる騒音の間には、明らかに人とは違う種類の呻りも混じっている。確認するまでもない、魔物達が発するものだった。クリウスの術は、本当に発動してしまったのだ。
 バリンと窓ガラスが割れる音が響き、一匹の銀狼がシズクの前に踊り出てきた。血走った眼は殺意で満ち溢れている。
 「――――」
 ふらりと。どこかに持って行かれそうになる意識を強制的に縛り付ける。反射的にシズクは棒を組み立てると、それを襲い来る魔物に叩きつけていた。棒の一撃をくらった銀狼はきゃうんと鳴いて大きくよろめく。そこを更に、ルダの剣が一閃を加えるのだった。赤黒い血しぶきを上げながら、事切れた銀狼は地面へと崩れ落ちる。
 「大丈夫か?」
 ルダの言葉にも、シズクは答えない。青白い顔で、黒フードの人物へ頷きだけを返すのがやっとだった。これでは、大丈夫ではない事をあからさまに示しているようなものだと、シズク自身も思う。
 銀狼を一匹倒したところで、状況はちっとも変わらない。ちらりと周囲を見回してみたが、どこもかしこもひどい有様だった。至る所に魔物が出現し、町中を走り回っている。食物を売る商店が真っ先に荒らされ、レンガ張りの街路には、潰れた果物が散乱していた。街路に出ていた人々は皆、悲鳴を上げながら逃げ惑う。一瞬にしてシュシュの町は、魔物の大きな群れに襲われているような状態に様変わりした。

 『氷よ(レイシア)!』

 力ある言葉が響くと、数本の氷の矢が出現する。矢はそのまま空を飛び、それぞれが人々に襲いかかろうとしていた銀狼達を貫いたのだった。
 (凄い)
 シズクはその光景に思わず目を見張っていた。魔法を放った張本人であるルダへと驚きの視線を寄せる。一度に数本の氷の矢を出現させた技量もさることながら、見事なコントロールである。激しく動き回る数匹の銀狼を、一撃で仕留めている。剣士としてだけでなく、魔道士としても彼は一流と呼べる部類に入るだろう。だが――
 「数が多すぎる」
 シズクの胸中の称賛とは裏腹に、ルダは苦々しげに零しただけだった。数匹の銀狼を一度に倒しても、結果は一緒なのだ。また次から次へと魔物たちは出現し、町を、人を襲い続ける。
 「…………っ」
 棒を持つ手に力を込めると、シズクは歯噛みした。ルダの力でも及ばないのに、自分が何か出来るはずもなかった。何も出来ない。魔法が……魔法が使えたら、少しは役に立てているかも知れないのに。

 「役場だ! 役場の方へ逃げるんだ!」
 「出来るだけ広い道を通って!」

 どぉんと、ルダではない他の誰かの魔法が魔物に炸裂する。大声で叫びながら町人を誘導し始めたのは、体格の良い戦士と、細見の女魔道士だった。彼らの顔に、少しだけシズクは見覚えがあった。シュシュの町に滞在中の旅人達だ。ハンスの直訴一団に加わっていた二人である。
 彼らだけではない、宿や店の中に居た旅人達が次々と飛び出し、皆町人の避難を呼びかけながら魔物を一掃していく。続いて後方から、イリスピリア軍の兵士達が、隊列を組んで飛び込んでくるのが見えた。警備兵に加えて、軍全体が動き出したのだろう。
 「……行こう」
 「え?」
 ルダに右肩を叩かれて、初めシズクは何の事か分からなかった。怪訝な顔で、相変わらず素顔を隠した状態のルダを見つめる。
 「ここは彼らに任せておいて大丈夫だろう。ラナ達を探しに行く」
 彼にしては早口でそう告げると、直後には走り出していた。ハッとなってから、慌ててシズクもその後を追う。そうだった。シズク達が外に出た目的はラナとゲイルを探すことだったのだ。しかもこの状況だ、彼女たちの周りにも魔物が出現してしまっている可能性は高い。そこまで考えが及んで、ぞくりと背中が鳴った。何かとても、嫌な予感がする。
 意図的か偶然か、ルダが走った方角は先程クリウスが指示していた方でもあった。町の中心部へと至る道だ。避難所に指定された役場は町の東部に位置しているため、避難する町人達とは必然的に逆走する形になった。ラナとゲイルの姿を探しながら人の波をかき分け、時折飛びかかってくる魔物を撃退しつつ、シズクとルダはひた走る。それらはかなり骨の折れる作業だったが、止まっているわけにいかなかった。
 未だに軍が到着していないのだろう、町の中央に行けば行くほど魔物の数は増え、状況も悪くなっている。血を流して倒れる者や、迷子を探す女性などが目に入ったが、後ろ髪を引かれながらも今はひとまず走り続けるしかない。
 (これを全部……クリウスが)
 未曾有の惨事に、町中が大混乱に陥っていた。ある意味それは、シズクの予想した光景だった。決して現実にはなって欲しくなかった光景でもある。それが今、実際に存在している。
 こんなにも息が切れるのは、絶対に全力で走り続けているからだけではないと思う。震える体を叱咤する。体温が急速に下がっていく気がした。



 街路を抜けた先に、比較的大きな広場があった。中央には噴水が位置し、常時であれば町人の憩いの場であろう区域だ。だが、現在においてそこは、異様な雰囲気に包まれた場所に様変わりしていた。噴水は破壊されて、女神を模した像も大半が崩れてしまっている。鮮やかな色だったレンガは、どす黒い血の色で染まり、周囲には死臭が漂う。町人の放つものではない。それらは全て、広場に転がる魔物の屍が放つものだ。倒され方からして、魔法で撃退されたものだった。
 「化け物……」
 逃げ遅れて立ちすくむ男性が零した台詞は、一体何に対して向けられたものだろうか。彼の視線を釘付けにしている光景をシズクも目で追って、そして戦慄する。
 「――――」
 壊れた噴水の前には、シズクが見慣れた人物が居た。一人は、出来るだけ出会いたくなかった女だ。赤髪に鋭い目付きの魔族(シェルザード)の女。
 「おや……思わぬ探し物がまた見つかるなんてね」
 視界にシズクを捉えたのだろう。初めのうちだけ目を丸くして驚いてから、すぐにくすりと笑い、ルビーは唇の端を吊り上げる。ルダとは対称的な乳白色のローブを身に纏っていたが、白い生地にはところどころ紅が散っていた。右手にはいつか見た紅の剣を持ち、もう片方の手で華奢な腕を掴んでいる。――ルビーのすぐ横でうずくまっているラナの腕だ。
 彼女と一緒に居るはずのゲイルはどこだろう。そう思い慌てて周囲を見渡したが、すぐに見つける事が出来た。ルビーとラナより少し左手側、噴水の縁のあたりで、彼は血を流して昏倒していたのだった。昨日、あんなに元気に笑っていた少年が、今は青白い顔で気を失っている。その事実を認識して、頭の中がぐらりと揺れた。
 「ゲイル君!」
 シズクが叫ぶのと、ルダが飛び出したのとはほぼ同時だった。一陣の風がシズクの髪をかき上げる。抜き身の剣を構えながら、ルダは狙いをルビーに定めて切りかかっていた。
 金属同士がぶつかり合い、空気が甲高い悲鳴を上げる。しかし、ルダの剣と対峙していたのは、ルビーの剣ではなかった。いつの間にやら現れた、ルビーの前に立つ体格の良い男の大剣だった。
 「…………」
 一瞬の出来事過ぎて、シズクには何が起こったか分からないのが現状だった。しかし、この男がルダがルビーに到達する前に、踊り出してきたのだろう事は予想がついた。
 「お前の相手は俺がしよう」
 俯けて居た顔を上げてから、男は落ち着いた、しかし厳しい声色で言い放つ。短く切りそろえられた赤茶色の髪に、つり上がった瞳の色は深いブルー。魔族(シェルザード)の色だ。
 互いに弾きあいながらルダと男は剣を退く。そうして、再び構えて打ち合いを始めるのだった。
 ルダは剣士として十分強い。けれど、対峙する魔族(シェルザード)の男もそれを凌駕する程に強かった。息の詰まるような沈黙の中、剣と剣が打ち合う音だけが広場に反響する。激しい打ち合いの中で、少しずつルダの方が押され始めている事が、シズクの目でも分かった。
 男の大ぶりの一撃を無理に回避してしまったため、ルダの体勢が揺れたのはそんな時だった。その隙を突いて、男は高速の突きをルダに向けて繰り出してくる。
 「危ないっ!」
 シズクの口から、ほとんど悲鳴に近い声が飛び出した。布が裂ける音が聞こえる。青ざめたシズクだったが、男が貫いたのはルダの体ではなかった。ルダの体を覆っていた、あの黒いローブだ。
 「……っ!」
 ローブを剣にまとわりつかせた状態のまま、男は小さく舌打ちする。続いてやってくるルダの一撃を受け止めると、苛立った様子で、剣に絡まったローブを剥ぎ取った。
 「――――」
 だがシズクは、ルダの咄嗟の機転に感心する事は出来なかった。全くそれとは関係のない、ある一つの事に大きく目を見開いていたのだ。
 視線の先で対峙する二人の男。一人は赤茶髪の魔族(シェルザード)の男。そうしてもう一人はルダだ。そうであるはずだ。だが……ローブの下から現われた彼の素顔に、シズクは冷静で居られるはずがなかった。
 「ルダ……?」
 細見の長身。黄土色の長い髪を後ろで一つに纏めており、敵を見据える瞳の色は黄緑色。それはラナの持つクリスタルに近い色だった。左の頬に大きな傷痕がある。けれども、シズクが驚いたのはそれらに対してではない。特徴的に尖った彼の両耳に、であった。尖った耳はエルフ族の証。
 彼の素顔に、男も息をのんだようだった。剣を交えた状態のまま、瞳を細める。両者の力は拮抗していた。ぶつかり合う二本の剣はぎりぎりと空気を震わせる。
 「……俺の名はダイモス。名は?」
 「ルダ。……ルダ・リスディル・シェハウ。お前たちに滅ぼされた一族の者だ」
 ルダの緑色の瞳は、怒りで燃えているようだった。眼力だけで人を切り刻めそうな程、鋭い。
 なるほど。と男は小さく零した。ルダの視線をものともせずに、冷静を保ったまま剣を弾く。先ほどにも増して鋭い打ち合いが開始されたのは、その直後の事だ。
 (ダイモス……リスディル? シェハウ?)
 一方のシズクは、今しがた耳に入れたばかりの単語達を頭の中で反芻して、ただただ混乱していた。確実に聞き覚えがあるものだった。けれども思考は空まわるばかりで一行に纏まる事はない。
 「さて。せっかく出会えたんだから、取引といきましょうか……シズク」
 思考の淵に沈んでいたシズクを呼び戻したのは、ルビーの艶を含んだ声だった。鋭い視線を向けると、その時にはもう彼女は、ラナを無理やり立たせて、赤い剣を華奢な喉元に突きつけていた。何をしようとしているのかは明白である。足から根が生えたみたいに、シズクはその場から動く事が出来なくなった。
 「持っているんでしょう? 私が手に入れたくて仕方がない『物』を」
 「お姉ちゃん……!」
 不思議な色彩を放つ翠瞳は、脅えで潤みながらも強い意志を宿していた。誘いに乗ってはダメだと。女の言葉に決して耳を貸さないでと。シズクに訴えかけてくる。けれど、そんな事は出来るはずもなかった。
 「このお嬢ちゃんの命と引き換えよ」
 剣と剣が打ち合う音よりも、嘲りの笑みと共に零されたその言葉は、広場に大きく響いた。



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