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第9章「破壊の足音」




11.

 (わたしが今出来る、精一杯の事――)

 アリスに諭されてしばらくの後、シズクは無言のまま走り出していた。アリスはそれを止めたりはしなかった。ラナの治療に集中していたためでもあったが、それ以上に、シズクの事を信じてくれたのだと思う。憶測でしかないが、妙な確信があった。それくらいには、アリスと自分の関係は深いものであるはずである。
 何かが出来るかというと、実は全く何も出来る気がしない。相変わらず自分は魔力を封じられており、多少棒術が使えるという点以外は、一般市民と大して変わらない。ただ、出来る気がしなくても、何かをしなければいけない気がした。しようと思わなければ、何も始まらないのだから。
 走りながら、町の惨状をこの目に見た。のどかな田舎町といった風情を湛えていたシュシュの町は、今や見る影もない。建物は壊され、街路も酷く荒れている。おびただしいという程の数ではなかったが、それでも、既に亡骸となっている人を見るのは珍しい事ではなかった。未だ避難せずに残っていた僅かな町人達に避難を呼びかけて、尚もシズクは地を蹴った。
 (取り戻さなきゃ)
 そう、他でもない、ルビーに奪われたネックレスを奪還するため、今自分は走っているのだ。他に方法が無かったとはいえ、自分は大変な事をしてしまった。母から託されたネックレスを、あんなにも心を乱した状態で蔑ろにしたのだ。ルビー達に追いついたところで、自分には何も出来ないのかも知れない。けれども、あの代物は紛れもなく自分が守らなければいけない物だったはずだ。奪われてしまったのなら、取り返しに向かわねばならない。それが母との――いや、おそらくあのネックレスを守ろうとした、全てのティアミスト達との約束だ。自分は紛れもなく、ティアミストの血を引く人間だから、、、、、、、、、、、、、、、、。そう覚悟を決める事こそが、シズクが今出来る、彼女なりの精一杯だった。






 ダイモスが地を蹴った時には、既にクリウスの術は完成していた。相手と距離を取るためにも大きく後退してから、クリウスは右手を上空へと突き上げる。

 『氷柱よエルダー!』

 力ある言葉と共に、周囲に満ちていた魔力が一気に凝縮していく。収束した魔力は巨大な氷の柱としてこの世に具現化を果たした。その数5本。空中でぴったりと静止した5本の柱は、今か今かと発射の時を待ち構える。
 『其は万物を凍らせる存在――
 クリウスが人差し指を突き出したその瞬間、およそ巨体に似つかわしくない速度で、第一の氷柱が雨の街路を飛んでいく。主の命令に忠実に、狙いはただ一点、こちらへ突進をしかけてくるダイモスだった。予想していたものなのだろう。常人ならば何が起こったか判断する前に氷柱に貫かれているところを、ダイモスは左に跳んで難なくかわす。獲物を見失った魔法の氷は、派手に水たまりをはね上げながら地面に突き刺さる。跳ね上げられた水は、そのままの不規則な形で氷のオブジェと化す。続いて二本目を放つが、再びこれもかわされた。
 「突き通せ!」
 懲りもせずに三本目を放つ。既にクリウスとダイモスの距離は随分と近いものになっていたが、ダイモスとて突進を仕掛けてくる事はなかった。クリウスの手元にはまだ二本の氷柱が控えているのだ。迂闊に踏み込んだら氷漬けにされてしまうと分かっているのだろう。
 三本目の氷柱も相変わらずの高速でダイモスを襲う。しかし、既に二本の氷柱を難なくかわしている彼だ。慣れた動きで三本目もかわしてしまう。だが――

 「曲がれっ!」

 装飾でも比喩でもない、ただ命令するためだけのシンプルな言葉。クリウスの絶対の響きとともに、氷柱は突然の方向転換を起こす。
 「――っ!」
 予想外の動きを見せる魔法に、さすがにダイモスも意表をつかれたようだった。足元めがけて突っ込んでくる氷柱を避けるべく、やむなく空中に飛び上がる。僅かな時間差でダイモスが勝った。彼を捕え損ねた3本目の魔法は、水たまりを凍りつかせただけで役目を終える。だが、それこそがクリウスの狙いである。
 「突き通せっ!」
 透き通るような声で暗示の言葉が上がると、クリウスの4撃目が放たれたのだった。未だ滞空状態にあるダイモスに向けて、凶器と化した冷気が跳ぶ。さすがに今回ばかりは、避ける事はかなわない。大剣を構えると、ダイモスは自分の得物で迎え撃つ。氷柱を切り裂かんと、大ぶりの一撃が放たれたのは、その直後の事だった。瞬間、空気がけたたましい轟音をたてる。降る雨すらも吹き飛ばす勢いで、強い風が吹いた。
 「突き通せっ!」
 未だ風がやまぬ状況の中で、ダイモスの様子を確認する事すらせずに、クリウスは最後の氷柱を解き放つ。再びの轟音とおびただしい土埃。更にクリウスは右手に魔力の剣を宿すと、無表情のまま地を蹴った。劣勢に立っているはずのダイモスに、止めを刺そうというのだろう。だがそこで、突然の割り込みが入る事になる。
 『炎よ(メイル)!』
 真っ直ぐ土埃に向けて突進していたクリウスに、高速の火炎球が飛んでくる。足を止めて、魔力の剣でそれらを叩き落とすと、次の瞬間、紅の一閃が襲いかかってきた。難なく一撃を受け止めると、魔力と金属が擦れる奇妙な音が耳を突く。
 「おや、いつもの紅の剣はどうしたの?」
 「っ……! 今すぐ結界を解除しなさい!」
 交差した剣の隙間から、釣り上がった瞳がこちらを睨み付けていた。ぎりぎりと互いの力が拮抗する。クリウスの魔力がはじけて、視界に銀が踊っていた。
 攻撃を仕掛けてきたのは、もちろんの事ルビーである。だが、クリウスの魔力と衝突する刃物は、彼女自慢の紅の剣ではなかった。予備として持ち歩いている紅色の短剣である。
 「それは、出来ない相談だ」
 冷たく言い捨てると、勢いよく剣を弾く。そうして間髪入れずにルビーめがけて剣を突き出した。苦悶の表情を浮かべながらもルビーは短剣で応戦する。更にクリウスは踏み込んで繰り出す。剣と剣がぶつかり合う間隔は次第に短くなっていく。紅と銀の応酬と金属が戦慄く音。どちらかといえばそれは、一方的な攻撃だった。主にクリウスの、である。ルビーは防戦一方で追いやられている。
 純粋に剣の実力だけを考えると、クリウスよりもルビーの方が勝っていた。しかし、彼女は今左肩を負傷している上に、愛用の剣を失っているのだ。短剣での戦闘は限度がある。
 全身を使った一閃を繰り出すと、持ちこたえられずルビーの右手から短剣がはじけ飛ぶ。同時にクリウス自身の身にも鈍い痛みが走ったが、今は気にしている余裕はない。全てを無視する事に決めると、今度は銀の魔力をルビーの腰に下げられているポーチへと集中させた。この状況ならば彼女を殺す事も出来るだろうが、今は殺し合う事に力を注ぐべきではない。全ての優先事項は、『石』にある。
 「あぁっ!」
 悲鳴を上げながらルビーは、自身の腰を離れて飛んでいくポーチを掴もうと必死で手を伸ばす。だが、それよりもクリウスの方が早かった。魔力の剣を解除して右手をポーチに伸ばすと、あっさりとそれは手中に納まったのだ。あまり知恵が回らないルビーは、大切なものを特殊な場所に隠し持つなどという芸当は出来ない。そう予想した上でポーチを狙った訳だったが、彼女のこの表情を見る限り、正解だという事だろう。
 (これを……シズクに)
 安堵と共にふっと表情を緩めた瞬間、腹部に鈍い衝撃を感じた。遅れて、鋭い痛みが全身を襲う。何が起こったのか、すぐには理解出来なかった。だが、食道を生暖かいものが這い上がってくる感覚がしたところで、ようやく悟る。己の腹を、何かが貫いているという事を。何か――それは、魔力の籠もった刃。
 「……ぁ……はっ!」
 視界に紅が散る。崩れ落ちて膝をつくと、それまで忘れようと努めていた疲労感が一気に押し寄せてきた。滲んだ視界の先で、呆気にとられたような顔のルビーと目が合った。彼女にとってもこの事態は意外なものだったようだ。
 「残念だったな。クリウス」
 後方から低い声が聞こえた。振り返って確認せずとも、誰のものかは分かり切っている。魔法の連続攻撃で少しは時間稼ぎが出来たと思っていたのに、予想以上に彼の回復が早かったらしい。
 「ははっ……やっぱりあんたは強いね。ダイモス」
 痺れる体をおして後方を見ると、やはりそこには赤茶髪の長身の男の姿。氷柱を何度もぶつけられたにも関わらず、ほとんど彼は軽傷だった。多少剣を持つ右腕と足に血が滲んでいるが、たったそれだけだ。
 「氷は厄介で困る。剣もろとも腕も凍らされて、予想以上に時間を取られた」
 「僕にとっては、予想以上に早い回復だったんだけど……」
 光栄な事だ。そう呟いて、ダイモスはクリウスの元へ近づいてくる。同族の印である青い瞳は、今は冷酷な光を宿していた。
 「息が上がっているな。これ以上の術行使は難しいのだろう? 我らの前に現れた時点で、既にお前は限界ギリギリだった」
 「…………」
 そこまで見抜かれているとは。まったく敵わない。渋い表情を浮かべる事はせずに、唇の端を引き上げて歪んだ笑みを作る。そう、既にクリウスの魔力は底を尽きかけていた。小さな町とはいえ、広範囲に及ぶ召喚魔法の行使。その上で更に、同族を封じ込められる程の魔力を注いで、結界を張ったのだ。ダイモス達の前に現れた時点で、体は悲鳴を上げていた。
 「ルビー。お前はまんまとクリウスの策にはめられた訳だ」
 「え!?」
 クリウスの側で立ち尽くすルビーに向かって、ダイモスは鋭い視線を投げる。厳しい目に曝されて、少しだけ彼女はムッとした表情になった。
 「こいつの残り魔力で、我々二人を倒す事など不可能だろうが。狙いは最初から『石』だった。俺を集中的に狙っているふりをして、真の狙いは、お前が持つ『石』だった訳だ。おしいところまで行ったが……残念だったな」
 途中まではルビーを説教する風で言って、後半部分はクリウスに向けてのものだった。どこまでもお見通しだった訳か。そう思うと、物凄く格好悪い気がしてきて、癪だった。自然、苦笑いが零れる。右手に持つポーチを力強く握りしめた。
 「さて、クリウス」
 見上げると、ダイモスは自分のすぐ目の前までたどり着いていた。こちらを見下ろしてくる表情は酷く冷徹である。まるで慈悲を宿さない。
 「『石』をこちらに渡せ。そして、今後一切裏切らないと誓う事だ。そうすれば、最大限の慈悲をもって、お前を許そう」
 「…………」
 すぐ傍で、ルビーが息を呑むのが分かった。まぁそれも無理のない話か。ダイモスがここまで威圧的な雰囲気を纏う事など滅多にない。クリウスを見据える瞳は、少しも光を宿してはいなかった。こちらを糾弾する、裁きを下す者の目だ。彼の意にそぐわない言葉を吐いた途端、間違いなくその目は死神のそれへと変わるだろう。最早選択の余地などない。だが――

 ――貴方は、そんな事を喜んでする人じゃない。

 どうしてだろう。その言葉がずっと、耳に残って離れない。自分の事を深く知っている訳でもないのに。会って話をした回数も数えるほどなのに。あのティアミストの瞳に、己の全てを見透かされているようで、衝撃だった。
 「さぁ、どうする?」
 ダイモスの暗い響きが耳を侵食する。自分の命を全て握られているような、そんな恐怖感が全身を這い上ってくるが、どうしてか表情だけは穏やかなものだった。役者じみたものでもなく、虚勢でもなく、心からの笑みが浮かぶ。とうとう自分は狂ってしまったのだろうか。そう思うも、悪い気はしなかった。ただ一つ、後悔があるとすれば、もう少し早く自分の本心に気づけていたら良かったのにな。という部分だけ。
 痛む腹を左手で押さえると、ぬるりとした物が触れる。腹部を貫かれたのだ。このまま放置しておくと、危ないだろう。
 「分かった。誓うよ……」
 何とか絞り出した声は、酷く掠れてしまっていた。ダイモスと真正面から視線を合わせる。クリウスの言葉を受けて、幾分威圧的な雰囲気は薄らいだ気がした。彼とて、数少ない同族である自分を出来れば失いたくはないのだろう。先の戦いで、あまりに魔族(シェルザード)は減り過ぎた。家族も友人も、すべてをあの戦いが飲み込んでしまったのだ。それを悲しいと思う前に、行動に変えろ。いつだったか、カロンがそのような事を自分に言った。あの言葉が支えだった。全ての行動の源だった。けれども、今のこの一瞬くらいなら、悲しみに浸っていても許されるだろう。
 右手に力を込める。この命に代えて、誓おう。
 「自分にだけは、二度と嘘をつかない、ってね!」
 「な――」
 相変わらず体中痛むが、それらを全て意識から排除し、手中のポーチを力いっぱい投げていた。先ほどまでならそこは、誰も居ない空間のはずだった。だが、今は違う。誰かが居た。ほぼ直線的に投げつけられたポーチを、確かに受け止めた手がそこにはあったのだ。
 「――――っ」
 投げつけられた物を受け止めた当人も、心底驚いた顔をしていた。エメラルドグリーンの瞳は大きく見開かれ、形の良い眉は訝しがるように歪められている。クリウスの方に意識を集中し過ぎていたのだろう。ダイモスとルビーも完全に虚を突かれた形だった。自分達以外の誰かがそこに居る事に、たった今気づいたようだ。一瞬空いた間を更に利用して、クリウスはポーチを投げつけた人物――リースに向かって力いっぱい叫んでいた。
 「それを持って今すぐ逃げなよっ!」



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