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第10章「それぞれの覚悟」




2.

 慌ただしく駆け回るイリスピリア兵達とすれ違いながら、シズクもつられて早足になる。向かった先は、軍の中枢が置かれている建物からは別棟になっている所だった。今は、臨時の救護施設として機能している場所がそうだ。先の惨事の折、傷を負った者が多く運ばれている。最初の頃に比べたら大分騒ぎは沈静化したが、それでも未だに、町医者や呪術師達が忙しなく動き回っていた。軽傷者は廊下にまでひしめく有様。安堵と疲労がない交ぜになった表情のけが人達を一瞥して、シズクは尚も足を進める。救護所の奥の方にある個室が、彼女の目的地であった。常時ならば職員の宿直室などに使われているのだろうシンプルな扉には、『集中治療中』の紙が貼り付けられている。軽くノックをすると、予想していた人物とは異なる者からの声が返ってきた。

 「お疲れさん。リースの奴はどうだった?」

 扉を開けて、まずシズクの視界に入って来たのは、相変わらず軽い調子で笑うフェイの姿だった。ベッド横の椅子に彼は腰かけて、実にリラックスしている様子だ。彼の隣には、静かに佇むエルフ――ルダの姿もある。二人とも、先の騒動で浅くはない傷を負っていたはずだ。それぞれが別室で応急処置を受けて、医者から絶対安静のお達しを受けたばかり。リースの様子を見るために部屋を後にするシズクと、入れ替わりのような形でこの部屋を訪れていた。彼らの訪問目的は分かりきっている。この部屋で集中治療を施されている、ラナを見舞うためだ。視線を移動させると、当の少女は、ベッドの上で深い眠りに落ちていた。
 「リースならまだ寝てたよ。さすがに疲れ切ってるみたい。……ラナちゃんの様子はどう? それと……アリスは?」
 フェイの質問にとりあえず答えておいてから、シズク自身の疑問を口にする。そういえばアリスの気配が無いような気がするのだ。ラナの側に付き添って治療に専念していたはずなのに、ノックをしても彼女からの返答はなかった。
 「あぁ、お姫様ならここだよ」
 言って、フェイはひょいと自身の体を軽く移動させる。丁度彼の体に隠れる形でアリスは居た。ぱっちりした神秘的な色の瞳は今は閉じられ、口元からはすーすーと安定した息が漏れている。椅子に腰かけたまま、ベッドに上半身を埋めた状態で眠っているのだ。
 「ラナなら心配いらない。危険な時期は脱したようだ。逆に彼女は無理して術を使いすぎたのだろう。魔力切れで先ほど眠りについた」
 淡々と状況を説明するのはルダだ。フードを取った彼の姿は、実は未だに見慣れない。尖った耳と色白の肌は、紛れもなく彼がエルフ族である事を示している。無精髭と濃いクマが彼を年齢不詳にしていたが、顔の造形そのものは整っている。無意識にじっと彼を見つめている事に気づき、慌ててシズクは視線をそらした。
 「アリスには本当に感謝してるよ。彼女が居なかったら、ラナは絶対に助かっていなかった」
 珍しく真剣な顔で、フェイが言った。彼の視線の先には、穏やかな表情で眠るラナがある。ルビーに刺されたあの時は、あんなに蒼白だった顔色が、今は本来の赤みを取り戻していた。きっともう大丈夫。そう感じさせられる。
 ラナが一命を取り留めたのは、紛れもなくアリスの献身のお陰である。眠りにつく直前まで、癒しの術を掛け続けていたらしい。ラナにだけではない。昼間の騒動の際、シズク達を探して走り回る間、彼女は多くの町人に術を施してきたのだ。シズクの前に現れた時点で、魔力は底を尽きかけていたに違いない。それでも、彼女はラナを救ってくれた。シズクとの約束を違えず守ってくれたのだ。
 「今回、わたし達の中で一番頑張ったのはアリスだね……」
 「全くだな! リースなんて、せっかく良い所を見せる機会があったってのに、肝心な所でヘタってやがるし。ヒーロー役はまだまだ俺が預かっておくしかねーな」
 「わたしはわたしで、結局大切なものは奪われちゃうし。ホント、良い所なしで情けないや」
 フェイが軽口でまくしたてる。それに笑いながら、シズクも自身の失態を口にした。
 結局のところ、一番何も出来なかったのはシズクなのだ。奪われたネックレスをリースとクリウスが必死に取り戻そうとしてくれたのに、自分はただ、カロンがそれを持ち去る瞬間を見ただけだ。その後にしたってそう。クリウスの亡骸を運んだのはガウェイン大臣率いるイリスピリア軍であるし、傷ついた町人を治療して回ったのはアリスを含む呪術師や町医者達だ。見ている事しか、今は出来ない。
 「ラナの命を救うために、大切な物を差し出してくれたのだ。何も出来なかった訳じゃない」
 あのネックレスは大事な物だったのだろう? そう言って、ルダは瞳を細めた。彼の穏やかな言葉には、シズクを労う響きが含まれているように感じられた。青い瞳を彼の方に向けると、黄緑色の瞳もまたシズクの方を向いている。ラナの持つ、クリスタルと同じ色。
 「でも、結局わたしのせいでラナちゃんは――」
 「ストップ。そういう悲観的思考は止そうぜ? ラナが刺されたのはあんたのせいじゃねーよ。状況が悪かったんだ」
 苦笑いで言ったのはフェイだ。確かに、彼の言う事が正しいのかも知れない。あの時のシズクでは、あれが間違いなく精一杯だった。けれど、そういう状況にしか持って行けなかった自分に、苛立ちが募るのだ。
 「…………」
 無言で胸元へ手をあてた。そこには、セイラによって施された封印の紋章が刻まれている。ラナが刺されて、必死で魔法を使おうとした時、それを阻止すべくこの紋章は炎の如く熱を帯びた。魔法が使えない事をあれほど悔しく感じたのは、初めての事だった。
 封印を施したセイラを責める気はないし、それしか手段が無かった事も理解している。混乱した末に、アリスにこの封印を解いてくれと懇願したのは、我ながら馬鹿げた事だったなと反省していた。ひょっとしたら、アリスは封印を解ける力は持っていたのかも知れないが、どちらにしても、彼女が拒絶してくれて本当に良かったと思う。仮に魔力が解放されたとして、あんな状態ではイリスの二の舞を演じる事になってしまっていただろうから。
 「……貴方の中には、およそ一人の人間が持つべきでない量の魔力を感じる。それを、封印されているのだろう?」
 あの時の感情が蘇り、胸に小さな痛みが走ったところでルダが告げる。ほぼ核心を突いている指摘に、シズクは少し驚いた。ルダはエルフだ。普通の人間に比べて魔力感知能力が高いのだろうか。だが、次なるフェイの言葉にシズクは更に目を丸くする。
 「ティアミストの魔力ってか。あんたもまた、大変なものを抱えてるもんだな、シズク。……リースと同じだ」
 「リースと同じって……というかフェイ。なんでわたしが――」
 「あー、質問には一つ一つ答えるから。まず一つ目。リースの事だけど、それは俺の口からじゃなくて、後で本人から聞いてみな」
 フェイから帰ってきた回答は、見事に答えになっていないが、反論の余地はきっと与えられていないのだろう。釣り上がり気味の瞳がそう告げているような気がした。怪訝な表情のまま、シズクは首を傾げる。予想通り、ほとんど間髪入れずにフェイは次の言葉を紡ぐ。
 「二つ目。あんたがティアミストって知ってる件については……まぁ色々な偶然が重なり合った産物だな。そもそも俺が何故ティアミストの存在と彼らの正体を知っているかというと、それは俺が風神の神殿の関係者だからだ」
 「…………えっと、ちょっと待って」
 今度のフェイの言葉には、重要な情報がたくさん盛り込まれ過ぎていて、全くもって消化しきれなかった。人差し指を眉間に当てて考えるも、やっぱり無理だ。さっぱり分からない。観念するように溜息をついてから、シズクは再びフェイとルダの方を向いた。
 「ねぇ。とりあえず、フェイとルダ。あなた達の正体を聞いてもいい?」
 そう。一から進めなければ、何も理解する事が出来ない。そもそもシズクは、この目の前の男たちの正体をろくに知らないのだ。情報として持っているのは彼らの名前くらい。自分の素性が既にフェイ達に握られているのだ、これから先話を進めるためにも、シズク側にも彼らの情報が与えられるべきだろう。それがフェアというものだ。
 「さっきアリスに全部話したんだけどなぁ。……まぁいいや。ただし、3度目は無いから。俺からリースには説明してやんねーよ。シズク、あんたが奴に説明してやんな」
 びしっと人差し指をたてて、それをシズクに突きつけてくる。了解を示す意味で頷くと、フェイは満足したようだった。にやりと、彼らしい笑みを浮かべ、椅子にかけ直した。



 「俺の名前は、フェイリュート・セル・L・フォード。先々代の風神の神子、シャルナ・セレーヌの孫に当たる。ま、要するに神殿の息がかかった人間って訳。今代の神子の守人って事にもなってるな」
 「私はルダ・リスディル・シェハウ。12年前の紛争で壊滅したエルフが統治する国、シェハウ王国の生き残りで、ラナの叔父だ」
 「そんでもって、今はベッドですやすや眠ってるこのお嬢ちゃんこそが、俺達が探し求めていた人物。今代の風神の神子、ラナ・セレーヌであり、紛争当時のシェハウ王国皇太子唯一の娘、ラナ・リスディル・シェハウ。……大層な肩書だろ?」

 フェイ達の話は、そんな感じで、それぞれの紹介から始まった。が、シズクにしてみれば、既に話の序盤にして置いて行かれた感があった。無理もない。フェイ達の話が真実ならば、今目の前に居る人物は、アリスも含めて層々たる面子という事になってしまう。つくづく自分は、王族だとか神子だとか、身分の高い人物と縁があるなと思った。一瞬気が遠くなるも、話に集中しなければならないとすぐに気を取り直す。後でリースにも説明しないといけないのだから。
 「本来神子ってのは、生まれて間もないうちに親元を離されて神殿に迎えられるんだが、ラナの場合は特殊でね。なんせ、生まれた場所がエルフの王家で、その王国が生後間もなく戦争によって陥落しちまってる。風神の神子だとか神殿だとか、そういう事を考える暇さえなく、母親に抱かれて国を後にするしかなかった」
 その戦いで、当時の皇太子であったラナの父親は死亡。母親は、ラナを連れ出してから数ヶ月後、生き残ったルダ達同胞の前にふらりと姿を現した。この時には既に、娘の姿はどこにもなかったという。故郷に住む弟の元へ預けた事を彼女が明かしたのは、心労の果てに心を病み、臨終する際の事だったらしい。それが、つい半年ほど前の話。
 「ラナの母は、彼女が風神の神子である事にももちろん気が付いていた。それでも敢えて、『ラナ・リスディル』と名を告げたのは、彼女を守るためだったのだろう。東部の情勢が落ち着くまでは、ホーリス氏の元にラナを隠しておきたかったのだと思う。シェハウのエルフとしては、姫君の現在の安否が気にかかったし、何より兄の忘れ形見だ。私は一目会いたいと思った。だが、国の復興もままならない状態で、人手不足の感が否めず……」
 そう言った理由から、ルダ達は、風神の神殿に援助を請うたのだという。
 「風神の神殿としては、助けを断る理由なんてある訳ないわな。情勢悪化やら内部分裂やらがある中で、喉から手が出るほど後継者を欲していたんだから。……ま、お互いに利害が一致したって訳さ」
 最終的に『シェハウの姫君を、”風神の神子”としてセリーズに迎える』という形で合意。結果として、神子の守人に選出されていたフェイと、シェハウの次期指導者となるルダがシュシュに赴いたのだから、とんでもない話だ。 
 ちなみに、フェイとルダは銀狼事件で出会うまで、全く面識が無かったらしい。しかも、お互いが素性を隠した旅の途中。それでなくても、フェイの外見と風神の神子の守人をイコールで結んで考えられる者など皆無だろう。ルダに至っては、エルフである事が知れると面倒という理由で、頭から漆黒のフードをかぶっている始末。銀狼退治の折、名前を聞いてもお互い初めは全く気づかなかったとか。
 「ホーリス亭で、俺達が探していた『ラナ・リスディル』らしき少女には出会えた。後は彼女が本物かどうか確認が取れ次第、事情を打ち明けてセリーズに帰還する予定だった。けど、街道の閉鎖騒ぎに結界の崩壊騒ぎだろ? おまけに街中に魔物が出現する始末。俺は正直面倒だったんだけどね、ルダがやるって聞かなくてさ」
 帰り道が断たれた上に、騒ぎが放ってはおけないレベルにまで発展したのだ。ルダは任務よりも、原因調査と結界の復旧を優先させた。魔族(シェルザード)によって崩壊した結界を、一夜で復旧させる事が出来たのは、偏にルダの功労の賜物なのだという。その後も、再び結界が破壊される事が無いよう、毎晩点検を行うと同時に、不審な魔法陣が無いか見回りを行っていたらしい。
 「結局、町中に設置されていた『力点』に気付けなかった訳だから、俺なんかはほとんど役立たずだったんだけどな。……その後も何だかんだで、昼間の惨事に見舞われて、俺もルダも大怪我するわ、ラナは死にかけるわで、本来の目的なんて放り出したっきりすっかり忘れてた」
 言って、フェイはからからと笑う。笑って話せるような内容ではなかったが、その辺は彼の性格なのだろう。隣でルダが、呆れた顔をしているのが見えたが、フェイに気にしている様子はない。可笑しくなって、シズクも思わず表情を崩す。
 それきり、少しだけ無言の間があった。居心地が悪い沈黙ではない。ほっと一息つくような、穏やかな沈黙だった。色々な事が起こり過ぎて、皆一生懸命だったのだ。ようやく肩の力を抜ける。
 やがて、緩やかに沈黙を割いたのは、フェイだった。
 「……でもまぁ、そろそろ思い出さなきゃいけねーよな。街道の復旧は当分無理そうだけど、ラナの意志だけでも確認しておかないと」
 フェイの言葉に、一同の視線は自然とベッドで眠るラナへと向かう。寝顔だけ見ると、年相応の12歳の少女だ。だが、その身に背負わなければいけないものは、あまりに大きい。
 「風神の神子としてセリーズに向かうか否か。正直、こっちとしては拒否されるとかなり困るんだけどね。最終的に決めるのは、ラナ本人だから。守人としては、神子の意志は尊重するつもりだ」
 まるで自分に言い聞かせるように言って、フェイは灰色の瞳を細める。一瞬だけ、葛藤の光が見てとれた。彼も、幼い少女を大人の世界に引き込む事に抵抗を覚えているのかも知れない。だが悲しいかな、神子という立場はそういうものだ。セイラも、生まれてすぐに水神の神殿に迎えられ、神殿の思想に染められて育った。彼が水神の神子の称号を継承したのは、先代の神子が亡くなった翌日。15歳の時だったという。

 「――私、行くよ」

 そんな時、澄んだ声が黙り込んだシズク達の前で発せられる。
 え。とその場の全員が思わず漏らした。あまり表情を崩さないルダですら、驚きで目を丸くする。無理もない話だ。突然場に割り込んだ声の主は、ぐっすり眠っていたはずのラナだったから。つい先ほどまで閉じられていた翠の瞳はぱっちりと開けられて、真っ直ぐフェイへと向けられていた。



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