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第11章「東の森の魔女」




4.

 「すまぬ。お主達が来るのが分かっていながら、一番初歩的且つ重要なトラップを取り去るのを忘れておった」

 シズク達3人にお茶を出し終えた後で、東の森の魔女こと、テティ・リストバーグはそのように告げた。
 500歳近い年齢とは、その外見からはとてもじゃないが想像出来ない。外見年齢は、20を少し過ぎたくらいだろうか。つり目がちのクールな顔立ちをしている。ピンクベージュの巻髪は頭の高い部分で一つに束ねられており、広い額には真っ赤な輝石が埋め込まれていた。口から飛び出す言葉づかいだけが、唯一年齢相応といえるだろうか。彼女は妙に古風な喋り方をする。
 テティの住処は、シズクが彼女と遭遇した場所から直線でそう遠くはない場所に存在していた。外から見ると、小ぢんまりした何の変哲もない家である。内部もごく普通の内装が施されているだろう。普通ならばそう思うがしかし、家の中に一歩足を踏み入れた途端、世界が変わる。
 「…………」
 テティの言葉を片方の耳で聞きながら、シズクは今自分が居る部屋を見渡す事に集中力を注いでいた。
 一言で表すならば、メルヘンチックとでも言えば良いのだろうか。ピンクと白のストライプの壁紙に、床に敷かれた絨毯はかわいらしいくまさん模様。テーブルこそシンプルな木造りだが、上からかけられたテーブルクロスにはこれでもかという程のふりふりレースが取り付けられており、クッションもまた然り。どこぞのお金持ちの幼い一人娘の部屋、と言えば納得だろうが、よもやここが、魔道士の最高峰たる東の森の魔女の自室とは誰も思うまい。
 「えーと……テティさん」
 「テティでかまわぬ」
 「テティ。……あの、これは一体」
 言って、シズクは自身の手中に納まる子ブタのぬいぐるみを困惑気味に見つめる。メルヘンチックな内装はシズクを戸惑わすのに絶大な効果を発揮していたが、それ以上に彼女を混乱に陥れていたのは、これだった。つぶらな瞳と愛嬌のあるブタ鼻がなんとも可愛らしい。こういうものをシズクは嫌いではない。むしろ、同年代の女の子並には好きだった。だがしかし、子ブタの頭部には桃色の毛糸が髪の毛として縫い付けられており、額には赤いビーズが輝いていた。どこからどう見ても、それはテティを模したものだろうと知れる。他ならぬテティ本人から、先程突然渡されたものである。
 「もちろん手作りだ」
 「いや、訊いているのはそう言う事ではなくって」
 「お守りになる。肌身離さず持っておけ」
 「…………」
 「気に入らぬか。ではどれが良い?」
 言って、テティは驚くほどの早さで、一体どこから取り出したのか、テーブルの上に数体のぬいぐるみ達を並べ始める。猫、犬、猿などバリエーションは多彩だが、その全てに、今シズクが持っている子ブタと似たような桃色の髪の毛と赤いビーズが取り付けられていた。
 「……いや、これでいいです」
 数秒程呆然とぬいぐるみ達を見つめた後、掠れた声でそう漏らす。おそらく、シズクが受け取らないという選択肢はテティの頭の中に存在しないのだろう。
 どうでもいいが、クールな外見のテティが、可愛い物とひらひらレースにあふれたこの部屋に住んでいる事に物凄い違和感を覚えてしまう。そして、ぬいぐるみを手作りしている姿も、全くもって想像できない。
 「この部屋全部、テティの趣味だから。ちなみに装飾品はほとんど手作りよ」
 出されたお茶を口に運びつつ、のんびりとした声でアリスが告げる。ちなみに彼女は、ぬいぐるみを熱心にすすめてくるテティを見事にあしらってみせた。つわものと呼びたい心境である。
 (へ、変な人だ……)
 正直に今、シズクはそう思っていた。アリスから事前に知らされていたが、さすがにこれは予想外である。セイラとはまた違ったベクトルで常人とはずれた人である事は間違いがない。実害が無いだけセイラよりマシだが、完全にペースを持っていかれている。
 「リース。お主も一つ持っておくか?」
 「いるか!」
 リースにまでぬいぐるみをすすめようとするテティに、彼から全力で突っ込みが飛んだ。更にどうでもよいが、メルヘンな部屋の中で、リースの存在もまた著しく浮いている。
 「っていうか、話を最初に戻すけどな! 初歩的且つ重要なトラップっていうのは、突然シズクが消えた原因がそれって事でいいんだな」
 心底疲れた表情でリースは言い放つ。そういえば、一番最初にそのような事を告げていたなぁとシズクは思い出していた。突然手渡された子ブタが衝撃的過ぎて、すっかり聞き流してしまっていたが、本題はそちらにあったのだ。
 リースの言葉に、テティはゆっくりと深く頷く。
 「それほど大した魔法は張り巡らしていないんだがな、一つだけうっかりして取り外すのを忘れておった」
 「と、いうと?」
 「魔力を全く持たない者を排除するトラップ。……お主、天晴れと言いたくなる程見事にひっかかっておったな」
 神妙な面持ちで言うと、テティはシズクの顔をまじまじと覗きこんでくる。対するシズクはというと、ただただ放心するしかない。
 「トラップ、だったんですか? あれって」
 言われて冷たい汗が流れる。思い出したからだった。ワービーに跳びかかられた時の重量感と獣独特の臭いを。あれが魔法によって起こされたものだったとは、とてもじゃないが信じられない。それくらいに臨場感あふれるトラップだった。
 「魔力を全く持たない者を陥れて、その者が持つ嫌な記憶を再現する魔法だ。見せるのは幻だが、標的に与える精神的ダメージは計り知れない」
 そういえば、おかしいと思ったのだ。アリスの事前説明では、リストンの森にはいくつもの魔除けの結界が張り巡らされているため、魔物が現れないとあったのに、あの時シズクは、魔物として凶悪の部類に入るワービー達に取り囲まれたのだ。更に言うと、イリスピリアの東部にあたるここは、彼らの生息域ではない。例え他の魔物が現れる事はあっても、ワービーが現れる事はないはずである。
 彼らを見た瞬間、菜の花通りでの嫌な記憶が頭を過ぎった。なるほど、確かにシズクにとってあれは嫌な思い出である。
 本来の魔力はどうだか知らないが、今現在シズクはセイラの封印によって魔力が全くない状態に置かれている。トラップにはまるこれ以上の標的はいないだろう。
 「どのような記憶が呼び起こされていたかは知らんが、そう悪い記憶ではなかったようだな」
 「んー、まぁ……あれでも十分に悪夢でしたけど……」
 ここに来るまでの旅を思えば、確かに菜の花通りでのワービー事件は、まだまだ序の口と呼べる。不幸中の幸いと言うべきところだろうか。星降りの晩の再現などをやられていたら、自我を保てない自信は確実にある。一瞬そんな事を考えてから、やめておけば良かったと人知れず後悔した。再びあのような経験をするなど、想像しただけでも背筋が凍ってしまう。
 「ところで、そんな魔法を何のために?」
 一瞬頭に浮かんだ光景を振り払おうと、シズクは口を開く。
 「魔力を全く持たない者を陥れるトラップなんて、トラップとしての意味を成さないんじゃないですか? この世に魔力を持たずに生まれてくる人なんて、滅多に居ないのに」
 それは、テティにトラップの話を聞いた時から感じていた疑問であった。この世界に生を受けた者は、魔法を使えるかどうかは別として、『魔力』は基本的に宿して生まれてくる。シズクの現状が特殊なだけで、魔力を全く持たない人間など、皆無に等しい。故に、テティが設置したトラップは無駄なものと言ってしまっても決して言い過ぎではない。引っかかる者がこの世にほとんど存在しないトラップなど、ただの飾り物と一緒であるからだ。何か、魔女なりの考えがあっての事だろうか。
 シズクの視線の先で、テティはシズクの意見を肯定するように、ゆっくりと頷いてみせた。
 「こうも長生きしていると、暇を持て余す事も多くてな。暇つぶしに張り巡らした魔法は幾つもある。あれはそんな物のうちの一つだ」
 「――――」
 何を言うかと思えば。外見年齢20代前半の女性の口から飛び出たのは、見事なまでの隠居老人台詞だった。相変わらずの無表情で淡々と言われるものだから、余計に破壊力抜群である。場の空気を冷えさせるのに十分な効力を発揮した。
 「……という事は何か? シズクは、テティの暇つぶしの魔法のせいで、危うく廃人になりかけた、と?」
 絶句しているシズクの胸中を代弁したのはリースだ。彼は半眼で、心の底から呆れかえったような表情を浮かべている。だがそれにも全く動じる事なく、テティはゆっくり頷いた。
 「長年ティアミストの魔道士達と関わりを持ってきたが、トラップに引っかかったティアミストはお主が初めてだ」
 「……そりゃあまぁ、そうでしょうね」
 あくまでも淡々と告げられる事実に、シズクはがっくりと肩を落とした。
 ティアミスト家の魔道士達は皆、優秀な魔道士だったという。そんな彼らが、テティが暇つぶしに張り巡らせたトラップごときに引っかかる訳がない。
 だが、シズクとしても今回ばかりは言い訳をしたい心境だった。テティのトラップにはまってしまったのは、今回はシズクが間抜けだったからではない。不可抗力というやつである。どれだけ気をつけたところで、魔力を完全に封印されたシズクが、魔力を全くもたない者を陥れるトラップを防ぐ手段はなかったはずだ。というかそもそも、暇つぶしでそんな訳の分からないトラップを張り巡らさないで貰いたいものだ。
 「それより、ひとつお主に頼みごとなのだが」
 「うわぁっ!」
 悶々と考えていたシズクの眼前に、一瞬にしてテティが接近してくる。吊り上がり気味の紫の瞳に迫られて、思わず大きな声を上げてしまう。テティのペースがいまいちよく分からない。予測不能な言動と行動に先ほどから振り回されっぱなしだった。しかし、大いに焦るシズクに構うことなく、テティは更に顔を寄せてくる。
 「敬語はよしてくれないか? ……シーナと同じ顔で謙られても気持ち悪いだけなのでな」
 「…………」
 さりげない爆弾発言と共に、再び4人の間に流れる空気が軋んだ。何も悪い事をしていないのだが、何故か後ろめたくなって冷や汗が流れる。
 「し、知ってるんですか? 勇者シーナを」
 「知ってるも何も、あやつとわしは所謂腐れ縁だったからな。悪友と言うべきかなんと言うか……ところで、敬語はよせ」
 「そんな事いきなり言われても、わたしはシーナじゃないし」
 世界最高峰の魔女に向かって、いきなり砕けた喋り方をする勇気はシズクには無かった。シーナとテティがどのような関係だったか知らないが、いくら容姿が一緒とはいえ、シズクはシズクなのだ。謙るなと言われても無理な話である。
 うろたえるシズクに、テティは再び瞳を近づけてくる。睨んでいる訳ではないだろうが、表情をあまり宿さない彼女の視線にあてられると、どうしても責められているような気がした。
 「そうだな、確かにお主はシーナではない。だが……幸か不幸か、あやつが一部混じっているようだ(・・・・・・・・・)
 「混じ――」
 「どういう事だよ」
 不機嫌そうな声は、シズクのすぐ隣からかかった。リースである。彼の隣に座るアリスもまた、リース同様厳しい顔をしている。場の雰囲気が今度こそぴりぴりと張りつめたものに変ってしまった瞬間だった。
 だが、彼らがいきなり表情を引き締めた原因にシズクは気付けないでいた。急激に変化した状況に、ただうろたえて視線を泳がせるしかない。話の流れからして、おそらく自分が一番の当事者であるはずなのに、一人置いて行かれてしまったような気分だ。
 テティを真剣な顔で見つめるリースとアリスに、魔女本人はというと、相変わらずの無表情。ちらりと二人を一瞥しただけで、視線は再びシズクの方を向く。
 「ところでお主、名はなんという?」
 「え……シズク・サラキス――」
 不意に名を聞かれて、いつもそう答えるように自身の名を告げる。だが、紫水晶の瞳を見上げたところで、心の中に妙なひっかかりを覚えてシズクは言葉に詰まってしまう。間違っていないはずだった。少なくとも、今の自分はシズク・サラキスであるはずだから。
 「シズクか。良い名を貰ったな、ジーン」
 「――――っ」
 ふわりと。初めてテティが無表情を崩してほほ笑む。細められた瞳に宿るのは、安堵の色である気がした。初めて見たはずの柔らかな表情に、不思議と懐かしさが込み上げてくる。
 「わしはテティ・リストバーグ。魔道に通ずる者」
 テティ・リストバーグ。その名前をアリスから聞いた時、不思議な気持ちになったのが何故か分かったような気がした。その時初めて知ったはずの名前を、自分は既に知っていたからだ。シズク・サラキスになる以前の、昔の自分が。
 「シズク。お主は望みがあって、ここに来たのだろう? 取り戻したいものを開く鍵は……もう、分かっておるな」

 ――なくしものを本当に取り戻したければ、受け入れる覚悟を決めなきゃいけない。そうしなければ、鍵は見つからない。

 いつか聞いた、ラナの言葉が頭の中を過ぎる。今ならばそれが、どういう事か理解できた。鍵を、とっくにシズクは見つけてしまっていたからだ。自分の役割を受け入れる覚悟をした時、それはあっさり手中に落ちてきた。
 「…………」
 テティから目をそらし、無言のまま、リースを見た。視線の先で、彼は突然何なのだと眉をしかめている。いつもと変わらない反応に、自然シズクは笑顔になった。
 彼は絶対に知らないだろう。忘れると思っているのかと。シズクを真っ直ぐ見て言ってくれたあの時が、その瞬間だったとは。
 「……ジーニア」
 リースから再びテティへと視線を合わせる。偉大なる魔女を前にして胸に浮かんだのは、緊張ではなく、安らぎだった。
 「ジーニア・ティアミスト。わたしが取り戻したいわたしの名前」
 それは特別でもなんでもない、ただの一人の少女の名前。ただし、シズクにとってはずっと重い意味を持つ名前だった。それを口に出す事は、もう無理だと思っていた。だけど、どんな事があっても彼の前ではシズク・サラキスなのだと、そう約束してくれたから。だから今は、あっさりとその名を言える。



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