追憶の救世主

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第1章 「聖女の面影」

4.

 まだ深夜という時間には早いが、城の行政エリアのはずれにあたるこの廊下は、既にほとんど人通りがなかった。たまに見回りの兵士とすれ違うくらいで、意図してこの場を訪れている者は自分達だけだろうと分かる。高い天井に、靴音がやけに響く。それを耳に入れながら、リースはちらりと隣を歩くシズクの方を見た。廊下のランプに照らされた彼女の横顔は、どこか憂いを帯びているように感じる。
 「…………」
 事の始まりは、シズクの突拍子もない質問からだった。
 王家の者達の肖像画は無いのかと、彼女は作戦会議の席で自分にそう問うてきたのだ。もちろんある事にはある。歴代の王や女王の肖像は、行政エリアのはずれの一画に飾られているのだ。王だけではなく、王女や王子、その配偶者の肖像も完全ではないが割と多く存在する。
 だが、シーナに関して言うと、リースの知る限り、彼女の肖像画は一枚も存在していなかった。断言してしまってもいいと思う。彼女程の有名人の肖像画が存在したのだとすれば、世界中の人々が彼女の容姿を知っているだろう。だが、真実のシーナの容姿について知る者は居ない。金の髪に青い瞳、そして絶世の美女だったと、文面としてそう伝えられているに留まる。それが真実なのかどうかも分からないのだ。
 時刻も遅くなってきたという事で、今宵の作戦会議はお開きとなった。普段ならばそれぞれ自室に下がるのだが、リサの部屋を出たところで他ならぬシズクが、その肖像画が飾られているスペースを見たいと、リースに頼みこんできたのだ。アリスも同行するつもりだったらしいが、セイラに話があるとかなんとかで呼ばれてしまった。結局、残ったリースとシズクの二人で夜の城に繰り出しているという訳だ。
 「本当に何にもない場所だけど、いいのか?」
 無言で歩き続けた末に、足を止めるとリースはシズクに問うた。自分たちの目の前には、今や天井の高い少し開けた空間が存在している。目的地に到着したのである。
 真剣な色を宿した瞳をこちらに据え、小さく頷いてから、シズクはゆっくりと歩みを再開させた。壁の上にずらりと整列している肖像画達が、彼女を出迎える。明るい昼間に見ても、これだけの肖像画が並んだ光景は壮観である。ましてや今は夜。揺れるランプの光に照らされた肖像画達は、まるで本当に生きているかのような独特の雰囲気を纏っていた。言いかえれば、少々不気味でもある。
 イリスピリア王は現在までのところ、75人存在する。リースの父であるレイ・ラグエイジが75代目。そこから時を遡る事およそ500年。シーナの弟であったパリスは57代目の王に当たる。
 歴史的に見て、パリスは有名な王であった。勇者シーナの実弟であるからだけではない。右腕に宿る『光』を初代王以来初めて使いこなせたからだという面も大きいが、何よりもまず、彼は賢王として名高いのだ。その生涯で行った事は数えきれない程ある。保守的で古めかしかった当時のイリスピリアを改革し、世界的に大きな影響力を持つ国に育て上げたのは、パリスなのだと言う者も多い。それ程の名声であるがしかし、その肖像画はというと、意外な事に空間の隅の方にひっそりと飾られている。
 「パリス・ルルフォス・ラグエイジ・イリスピリア57世……」
 問題の肖像画の前に立つと、厳かな調子でシズクがその名を呟いた。石壁の上で、かの王は柔らかな笑みと共に、どこか遠くを見つめている。
 金色の輪を額に掛け、エメラルドグリーンの瞳を優しく細めるパリス王。年齢的に、最もよく采配を振るっていた頃の肖像画ではないのかと考えられている。整ってはいるが、精悍な顔立ちというよりはどちらかというと穏やかな、女性的な顔立ちをしている。優男風といってしまえば、分かりやすいだろうか。
 「今の王様と同じくらいの年齢の頃かな。でも、全然王様には似てないのね。……リースにも、似てない」
 同じ力を受け継いだのに、と、小さくシズクが零す。独り言と呼べるくらいのものだったが、引っかかりを覚える言葉だった。だが、深追いしない事にしてリースは肩をすくめる。
 「そりゃそうだろ。先祖って言っても、500年も離れたらほとんど他人に近いさ」
 「……そうだよね」
 言って、シズクは苦笑いを浮かべた。影を背負ったような笑みに、リースはどきりとする。ランプの光量がおとされているせいだろうか。
 「…………」
 ここ最近、シズクは今みたいに妙に大人びた顔をする事が増えた。以前と全く変わらないように見えて、どこか重要な部分で彼女は確実に変わったのだとリースは思う。現状を思うと、憂鬱になるような事ばかりが転がっているので、それは当たり前の事なのかも知れない。だが、シズクが本心で何を考えているか、見えない部分もまた多すぎる。踏み込めばいいのかも知れないが、リースの中の何かがそれを止めるのだ。怖いのだろうか。何が? ――自問自答しても答えが出るはずもない。
 「……で、気は済んだか?」
 このまま会話が途切れたままなのも気まずくて、リースは取り繕うように言葉を紡いだ。パリスの肖像画に向いていたシズクの瞳もこちらに向かう。
 「シーナの肖像画なんてこの城には存在しないんだよ」
 くるりと肖像画達を見渡しながら告げる。そう、シーナの肖像画などこの場には存在しない。
 「うん。確かにここには無いみたい」
 シズクも同意して頷く。別段、落胆したような様子は見られなかった。彼女も、心のどこかでこの結果を予想していたのだろうか。変に大人びた表情が消えている事に安堵を覚えながら、リースはそんな事を思う。
 「ここどころか、どこを探してもそんな物は無いと思うぞ」
 リースのこの言葉には、今度はシズクは困ったような苦笑いを浮かべる。そして、やんわりと首を横に振った。
 「無い訳は無いと思うの。必ずどこかにはあるよ。そうでないと……色々な事の辻褄が合わないから」
 「辻褄?」
 怪訝な顔でそう問うても、シズクはそれ以上は話したくないようだった。苦笑いを深めると、誤魔化すように肩をすくめられる。
 「まぁいいけど。……そもそも、何でお前はそんな物を見たいと思ったんだよ?」
 「鍵はパリス王にあるんでしょう? だから、彼に繋がる代物に当たるのが一番早いかなって思って」
 それで、シーナの肖像画を探しているというのだろうか。確かにシーナはパリスの姉だが、だからと言って彼女の肖像画がパリス縁の代物であるかどうかは怪しいところである。
 シズクの説明が、リースにはいまいち腑に落ちなくて思わず首を傾げていた。怪訝な顔で彼女を見るも、その時には既にシズクは自分の方を向いていなかった。ぼんやりとパリスの肖像画を見上げてから、石壁とは反対側へ視線を移動させている。初めは目的なくうろうろと動く視線はやがてある瞬間、確信の色を宿すようになった。気になってリースもシズクが見つめる先を視界に入れる。
 「本当は、もっとパリスに近い縁の物があるのかも知れないけど……わたしが知ってるのは、あの肖像画だけだから」
 行政エリアの辺境に位置するこの場所は、大量の肖像画が飾られている点以外に、特別なものは何もないはずだった。シズクが見つめる先にも、殺風景な石壁の廊下が伸びるのみで、特筆すべき発見などどこにも存在しないかに思える。しかし、ぱっと見は何も存在しない石壁に、確かにそれは存在していた。見覚えのある物だった。
 ゆっくりとした足取りでシズクが歩きだすのに、リースも続いた。静まり返った廊下に、二人の足音は異様に響く。それと同時に、リースの胸も鼓動を速めていた。
 「パリス王って多分、かなりの曲者だよね。だからきっと、そんなに簡単な場所にヒントを残してくれていないと思うの」
 「まぁ、それは確かだろうな」
 ややうんざりした顔で同意を示す。姉は確か、彼を狸だと呼んでいた。実際に本人と会った訳ではないが、言い得て妙だと思う。少なくとも今目の前にある物を見る限りは。
 「回りくどいにも程がある……まぁ、今までこれに気づかなかった俺も俺だけど」
 憎々しげに零しつつも、視線は石壁上の獅子の紋章から離れる事は無かった。イリスピリアの象徴である金毛の獅子を模ったものだ。普段、扉や柱などに設けられる事が多いそれは、何の変哲もない石壁の上に姿を現している。
 別段、その紋章自体は珍しくも何ともない。城の石壁の上に存在しているのは確かに珍しいが、かといって驚く程のものではないだろう。だが、リースは知っていた。この紋章のいくつかは、扉を開く鍵になるのだという事を。
 「…………」
 ゆっくりと後方を振り返る。空間を隔てた先には、件の王の肖像画が存在していた。穏やかなエメラルドグリーンの瞳は、真っ直ぐにこちらを向いている。その視線に答えるように、獅子の瞳もまた彼を見ていた。――試してみる価値はあるかも知れない。
 「リース。ちょっとだけ剣、貸してくれない?」
 「いい、俺がやる」
 シズクの返事を聞く前に、リースは腰に下げた漆黒の剣を引き抜いていた。本当はナイフなどの短剣の方が良いが、今はこれしかないのだから仕方がない。光量が落とされた廊下に、黒い刀身はすんなりと馴染んでいく。隣でシズクが息をのんだのが分かった。
 左の甲に剣を沿わし、そのまま軽く引く。痛みから若干遅れて、傷口から血がにじみ出してきた。右の人差し指でそれを拭う。
 「…………」
 獅子の紋章と向き合い、血のついた指でその舌を撫でた。もしこれがそこら辺にある、ごく一般的な紋章であるならば、ここで何も変化が起こらないはずである。だが、リースの中には妙な確信があった。そして、その気持ちにこたえるかのように、薄青い光が発生する。イリスピリアの血を受けた獅子は、青い火の子のような光をまき散らしながら、瞳を輝かせていた。廊下を照らすランプの光とは明らかに違う種類の光は、間違いなく魔法の光である。
 「あ……」
 呆けたようなシズクの声が耳に届いたのは、石と石が擦れ合う重い音と同時だった。何の力もかけていないのに、石壁が独りでにゆっくり開いて行く。獅子の紋章を中心としたあたりに、丁度扉くらいの大きさの穴が出現したのはしばらくしての事だった。穴の先には、真っ暗な闇が口を広げている。
 「……隠し扉とはまた、古典的な感じで」
 さすがは狸。と、不敬極まりない台詞を敢えて吐き捨てる。後方を振り返ると、肖像画のパリスがいやに含みのある笑みを浮かべているように見えるから不思議だ。
 出現した空間に足を踏み入れるのに、少しだけリースは躊躇した。城の内部であるため、さすがに罠などは存在しないだろうが、あまりに先が暗すぎたのだ。文字通り闇なのである。先に何があるのか全く見えないし、繋がる空間がどれほどの広さであるのかもわからない。光源を取りに戻って出なおした方が良いだろうか。そう思い、一旦引き揚げる旨をシズクに伝えようとした時だ。何の前触れもなく、シズクの左手がリースの右手に伸びる。
 「……シズク?」
 「リース、あのね」
 困惑気味に視線をそちらへ向けると、いやに険しい横顔のシズクが居た。ティアミストブルーの双眸は目の前の闇に向けたまま離れない。心なしか、こちらの手を掴む彼女は震えている気がする。
 「イリスに帰って来て、セイラさんに封印を解いて貰ったから……要するにわたしは魔法を使える体にはなってるの」
 「……まぁ、そうだな。って、何を今更――」
 「だけどね。わたし……自分の魔力を取り戻してから、自力で魔法を使った事は……まだ一度も無いのよね」
 さらりとそう告げられて、リースは一瞬思考を停止させた。
 「…………」
 イリスに帰還してから、少なくとも一月は経過している。帰還と同時に魔法学校にも復帰しているので、シズクはこの一月、イリス魔法学校に通学しているはずである。仮にも魔道を学ぶ最高峰の学園である。魔法を使う機会がその間訪れない訳がない。
 リースの表情は呆れをふんだんに含んだものへと転じて行った。
 「お前……それじゃあ今まで一体どうやって学校生活送ってたんだよ」
 「高等部ともなってくるとね。意外と魔法を自力で使わないといけない授業って存在しないのよ。実習も大体グループで組ませられるから――って、今言いたいのはそういう事では無くてっ!」
 要するに、上手い事逃げていた、と言う事か。じと目でシズクの方を見るも、シズクはその件に関してはスルーする魂胆なのだろう。右手でびしっと目の前に現れた空間を指さしつつ、こちらを少々ふてくされた表情で見つめてくる。
 「明かり、無いよね。でも、取りに戻るの面倒くさいでしょう? ……で、こう言う時って魔法の出番であるハズよね」
 「まぁそうだな」
 確かに、シズクの言う事が正論である。こんな感じの真っ暗闇は、明かりなしには進めない。ランプや松明を持ってくるという手が一般的であるが、明かりの魔法で光を灯した方が視界がはっきりして良い。魔法に頼れるのなら、それに越したことはないだろう。ただこれは、頼りの魔道士本人が今目の前に居る誰かさんのように物凄く不安そうな表情を浮かべていなければ、の話である。口では魔法を唱えた方が早いと言っておきながら、それを実行する事を非常に躊躇しているのが丸分かりである。
 (ま、その気持ちも分からなくないけどな)
 強大な力と対峙した時の恐怖は、時間をかけても完全には払拭できない。理解して受け入れているが、心のどこかで力んでしまう。おそらく大丈夫と分かっていても、魔法を使う事を避けてしまうシズクの気持ちは理解出来た。他ならぬ、リースがそうであったから。
 「……まったく」
 溜息をひとつ零すと同時に、シズクの左手を強く引く。
 「うわ、ちょ……っ!」
 多少よろめきながらも、シズクはリースによって空間の真正面に導かれていた。口を広げた闇が目の前に広がっている。やや乱暴な扱いに、シズクは少しだけ不満そうな顔でこちらを見るが、開きかけた口から文句が飛び出る前に、リースが先手を打っていた。
 「明かりの魔法なんて初歩中の初歩だろ? ったく、お前から魔法を取ったら何が残るって言うんだよ」
 「だ、だって――」
 「信用してるから」
 突然トーンを変えて述べた言葉に、シズクは面食らったようだった。言い訳を述べようとしていた口を噤んで、驚きの表情でこちらを見る。途端、悪戯に成功した子供のようにリースは表情を崩していた。引き締まっていた空気が一気に緩んでいく。
 「……仕方ねーから今回だけは隣で付き添ってやるよ。ま、せいぜい頼りにしてるぞ、シズク」
 「な、なんかそれ、思いっきり嫌味に聞こえるんだけど」
 ぶつくさと文句を垂れつつも、シズクは視線を闇の方へ向けた。左手は未だにリースの右手を引っ掴んだまま、右手を目の前の空間に伸ばす。しかめ面だった横顔は、いつしか真剣味を帯びるようになった。本当に久しぶりに見る、魔道士としてのシズク・サラキスだ。

 『心の闇を照らす 光をこの手に――』

 たったそれだけの、簡潔すぎる呪文。しかし、こちらの右手を握る手に力が入ったのをリースは確かに感じていた。
 直後、薄青い光がシズクの指先を中心に発生する。それを見て、リースは安堵した。そんなに力まずとも、もうシズクの魔力は彼女を蝕む事は無い。理解し、受け入れたのだから。
 元々その身に宿した力は、必ず使いこなせるからそこに存在しているもの。要するに大事なのはトラウマの克服。シュシュの町でフェイが自分に教えてくれた事である。

 (まったく、世話の焼ける)

 『明りよ(トート)!』

 かくして、初等部の魔法学生が居会わせたら爆笑必至なくらいに怯えながら唱えられた超初級魔法は、無事に成功したのだった。



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