追憶の救世主

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第1章 「聖女の面影」

6.

 「まぁ確かに、これはトラウマ化する代物かもな……」

 石壁の続く廊下の先には、小さな部屋があった。そこで隠し通路は行き止まりとなる。部屋はシンプルで、簡素な机と椅子と本棚が一点ずつ置かれている以外は、家具らしきものは存在しない。しかし、家具以外でその部屋に存在しているものについては、リースは目を見張る必要があった。
 本棚や床に並べられているのは、たくさんのスケッチブックに数枚の絵画だ。徐に手を取って中身を確認すると、それらのほとんどが人物画で、おそらく当時の王城内の人間だろう人物が数多く描かれている事が分かる。
 そして、更に――
 「シーナ・レイシャナ・ラグエイジ・イリスピリア王女、か」
 小さく呟いてから、リースは小部屋の壁に飾られている一人の少女の肖像画へと視線を向ける。真っ青の瞳に金色の長い髪。額には、王女の証である銀の輪がはめられている。そしてその容姿は、自分の隣で控え目に佇んでいるシズクと瓜二つだった。
 シーナとシズクが似ているという事は、リースも間接的に聞いて知っている事実だ。直接シーナを知るテティが言っていたくらいなのだから、余程そっくりなのだと予想もしていた。しかし、想像するのと実際この目で確認するのとでは大きな違いだと今更ながらに実感する。
 まずシーナの肖像画を見た瞬間、愕然とした。500年前を生きたシーナと現代に生きるシズクとが全く同じ容姿を持つという事に、戦慄すら覚えた。親子や兄弟でさえここまではいかないだろう。いくら血のつながりがあるからといっても、500年も隔てられたらほとんど他人と同じだ。これほどまでに瓜二つなのは明らかに異様な事だった。
 最初からその事実を知った上で肖像画を見たリースが、これほど衝撃を受けるのだ。イリスピリアに現れたシズクを見た時の父の驚きは如何程だっただろう。そして――これを見た時のシズクは、一体どういう気持ちになったのだろう。
 視線を隣に向けると、シズクは苦笑いして肩をすくめた。ここに来るまでに比べて表情は穏やかである。
 「初めて見た時はショックだったけど、二度目だし。今はまぁ、大丈夫」
 吹っ切れたように瞳を細めると、シズクはシーナの肖像画へと歩みを進めた。そして右手でそっと、金色の額縁に触れる。
 「この部屋、凄く魔力の密度が濃い。この肖像画にしても、家具やスケッチブックにしても、きっと普通の状態じゃ現代まで残っているような代物じゃないよね」
 「だな。大方劣化予防の魔法でもかけられているんだろうよ」
 言って、リースは部屋をくるりと見渡してみる。魔法が使えないリースでは魔力を感知出来ない。しかし、この場に外界とは明らかに違う空気が漂っているという事は分かった。
 調べてみない事にははっきりしないが、部屋に保管されている物達は、十中八九シーナとパリスが生きた時代の物だろう。500年を超えても、当時の姿をそのまま維持しているのだ、部屋に満ちる魔力は、強力な劣化予防の魔法が作動している証拠だと予想出来る。
 「でも、一体何だってこんな風に回りくどく隠す必要があったんだろうな」
 眉をひそめると、リースは率直な疑問を口にしていた。
 シーナの肖像画はどこにも存在しないはずの物だった。それがこんな風に城の内部に隠されていたなんて、今の今までリースは知らなかった。だが、そもそも何故隠す必要があったのだろうかと思うのだ。
 周知の通り、シーナは世界を救った救世主である。イリスピリアの王位こそ継がなかったが、世界的な英雄である事には変わりない。本来ならば彼女の肖像画はイリスピリア王家の肖像画達と共に飾られていてもおかしくない。わざわざ隠し部屋まで作って、世間の目から遠ざける必要などあるはずがなかった。
 「シーナは国を追われた王女だから……王族として肖像画を残す事を、許されなかったんじゃないかな」
 「――え?」
 ぽつりと零したシズクの台詞に、リースは目を見開く。
 「国を追われた?」
 彼女の言葉の一部を反芻して、怪訝な顔で首を傾げる。不可解だったからだ。シーナは王位を継がずに王家を出たはずだが、史実では彼女自ら王族としての地位を捨て、出て行ったとされている。国を追われた事実など存在しない。そもそも救世主である彼女を、イリスピリア王家が追い出す理由がどこにも見当たらない。
 「パリスさんは、姉を守ってやる事が出来なかったって言ってた。それを悔やんだから、自分を犠牲にしてまで500年もこのお城の中を彷徨っていたのよ。……何かがあったんだと思う。シーナとイリスピリア王家の間に」
 それこそ、王家から追放されるくらいの何かが。
 そう呟くシズクの横顔は、酷く大人びて見えた。そんな彼女を見ていると、何故だかずきりと胸が痛む。出どころの分からない不安に苛まれて、落ち着かない。
 「シーナって、何者なんだろうね。彼女は、本当に世界を救った勇者なのかな?」
 「さぁな、少なくとも500年前の事件の当事者である事は間違いないだろうけど……今となっては何が本当かわからねーよ」
 例え手がかりがあったとしても、そこまで深くは知らない方がいいのかも知れない。胸中でそんな事を零しながら、リースは息をついた。気分を切り替えなければ。シーナとこの部屋についての疑問は尽きないが、今現在の本題はそこではない。
 「ところで、だ。手がかり、見つかりそうもないか?」
 肩をすくめてシズクの方を見ると、彼女は渋い顔で頷いてみせる。
 隠し部屋は小ぢんまりとしていて、大して広くなく、周囲を確認するのにも全く苦労しない程度だ。二人ともとりあえず部屋をくるりと一瞥して、あっさりと同様の結論へ行きつく事が出来る。すなわち、この部屋には手掛かりになりそうな物など見当たらない、と。
 「隠し部屋まで作って隠してた肖像画だから、何かヒントでも残してくれてないかなって思ったんだけど……当てが外れたかな」
 未だシーナの肖像画の額縁に手をかけながら、シズクは残念そうに零す。彼女にしてみれば、自分と瓜二つのこの絵に、再び対峙しなければならないというリスクを負った上でやってきたのだ。何の成果も望めないのは、悔しいだろう。
 スケッチブックを分析してみれば、ひょっとしたら何か発見があるかも知れないが、相当な冊数であった。今ここで全てを見ようとすると、軽く夜が明けてしまう。持ち帰るにしても量が多すぎるので、翌日以降に仕切り直して来るしかないだろう。
 「今日はこの辺にして、帰るしかねーか」
 「そうだね」
 言って、リースは元来た道を引き返そうと右足を踏み出しかけていた。それに倣ってシズクもくるりと向きを変え、足を一歩前に出す。
 丁度その瞬間の事だ。歩き出しかけたシズクが、足元の何かに躓いて激しくバランスを崩しかけたのは。
 「――――っ!」
 転倒を阻止しようと、リースは咄嗟に前に出たが、彼が到達するよりもシズク自身の動きの方が早かった。バランスを保とうとして、近くにあった物を右手で引っ掴む。しかし、その引っ掴んだ物というのが、大問題だった。
 「ちょ――」
 ちょっと待て。そう紡ごうとしたが時すでに遅し。ガコンッという鈍い音が上がった直後、小部屋の空気は一気に凍りつく。両者その場で動きを止め、呆気に取られていた。
 当たり前だ。事もあろうにシズクは、シーナの肖像画の額縁を手に取り、それをぽっきりと折り取ってしまったのだから。
 「あああああっ!」
 数秒に渡る沈黙の後、シズクの奇声が皮切りとなって急速に時が回り始める。
 「お前……」
 半眼で睨みつけるも、動揺しまくりのシズクはそれどころではないらしい。
 丁度絵の右下の角部分だった。自身の右手に納まるL字に折れ曲がった金の枠を、シズクは青ざめた顔で見つめ、震えている。リースは専門家でも何でもないが、シーナの肖像画が歴史的にかなり貴重な物である事くらいは分かる。そして、その絵の額縁を破損させる事が、それなりに大変な失態である事も理解出来た。
 やってしまったな。と頭を抱える。
 「呆れる程のおっちょこちょいだな」
 「ご、ごめんなさいっ!! でもわたし、そんなに力なんて籠めて無いのにっ!」
 「力なんて籠めなくてもだな、あの体勢であんな事すると――」
 ひらりと、視界を不安定な動きで舞う物の出現に、リースは言葉を中断させた。小さな白い紙片である。突然の介入物の出現に、シズクも騒ぐのをやめ、行方をぼんやりと眺めている。空気に弄ばれるように彷徨い、それは最終的にシズクとリースの間の床へと降り立った。
 「…………」
 しゃがんで拾い上げてみるが、本当に何の変哲もない紙きれである。本やノートの一部分を千切ってこの大きさにしたような物。隅の方に小さく走り書きされた文字が目に入る。
 「――『溺れる者は藁をも掴む』?」
 大して重要でもなさそうに綴られた言葉を読み上げ、眉をひそめる。有名な格言であるそれが、なんとなく自分たちの今の状況と被っているようで、少しおかしかった。しかし、さっぱり訳が分からない。そもそも、この紙片は一体何処から舞い降りてきたのだろうか。
 首をひねるリースの目の前で、紙片が青色の光を帯びたのはその時だった。
 「な……っ!」
 咄嗟に手を離すが、不思議な事に青く輝く紙片は、再び空気に弄ばれながら舞い降りる事はなかった。空中に停止して、益々強い光を帯びる。薄青い輝きは、人間が普段用いる光の色ではない。――魔法の光だ。
 それは、一瞬の事だったと思う。魔法の光を帯びた紙片は、一際眩しく煌めくと、青い火の子をまき散らしながら空気に溶けて行ってしまった。代わりに視界に新たな光が出現したのを察して、リースは視線をそちらへ移動させていた。
 シーナの肖像画の右下部分。丁度シズクが取り折った額縁付近に、いつの間にやら青い光文字が浮かび上がっている。流暢な筆跡ではあったが、それは先ほどの紙片の走り書きと同一人物による物だと分かった。


 ――貴方なら、やってくれると思っていましたよ。

 まず、エラリア城に向かいなさい。そこから答えは、自ずと現れて来るでしょう。 P


 たった二行の、それだけの文章だ。どこぞの水神の予言や、創世記の続きに比べたら驚くほどに分かりやすく簡潔なヒントである。……そう、間違いなくこれはヒントだ。それも、自分たちが探していた類の。
 「Pって……もしかしなくてもパリ――」
 「ほんっとに、噂に違わない大狸だな!」
 半眼になって、ため息を零す。おもむろに視線を床に持って行くと、肖像画から少し離れた位置――丁度シズクが躓いた辺りの床に、不自然な盛り上がりを見つける事が出来た。イリスピリアの紋章である獅子の頭部が、真っ直ぐ天井を向いて口を広げている。何故こんな場所にと思ったが、犯人は十中八九知れている。おそらくこれに、シズクは足を取られたのだろう。
 今はシズクの左手にある金色の額縁も、実は少し力を加えれば外れてしまうような細工が成されていたのではないだろうな、と勘繰りたくなった。紙片が仕込まれていたのは、はずれた額縁の裏側だったに違いない。
 賢王だか何だか知らないが、彼の性格がどういった感じであったのか、大体分かった気がする。
 「でも、人を見る目はあったみたいだ。パリスはたった数度の邂逅で、お前のドジっぷりをしっかり把握したらしい」
 「な、何でそうなるのよ!」
 「足元の紋章に躓いてバランスを崩す。そんで咄嗟に肖像画を引っ掴み、挙句の果てに額縁をもぎ取る。……こんな事、よほどのおっちょこちょいじゃないと出来ない芸当だよな。どこかの誰かさんみたいに」
 直後、シズクが盛大に抗議の声を上げたが、聞こえないふりをしてリースは更に思考を巡らせる。
 リースが読み上げた紙片の文字は、魔法を発動させるための呪文か何かだったのだろう。視線を再びシーナの肖像画へ持って行くと、浮かび上がった文字は、未だにキラキラと淡く輝いていた。パリスの最後のメッセージだ。他でもない、自分たちを導くための。
 「簡単な場所には隠していないと思ったけど……」
 いくらなんでも隠し場所が悪趣味過ぎる。もう少し心臓に悪くないヒントの出し方が出来なかったのか。シーナがもし今この光景を見ていたとしたら、魔法の光とはいえ、自身の肖像画に私情の混じったメッセージを書きこまれた事に対して、憤慨するか苦笑いするかしただろう。
 空耳だろうか。ほっほっほっと、陽気に笑う老人の声を聞いた気がした。



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