追憶の救世主

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第2章 「エラリアの姫君」

1.

 「なんでそんな面白そうな場所に、私も連れて行ってくれなかったのよー!」

 翌日の放課後の事だ。昨夜発見した『パリスのヒント』についてリースが一同に報告した直後のリサの第一声がこれである。頬をふくらませて不服そうに彼を睨んでいるところからして、どうやら冗談で言っている訳ではないだろう。間違いなく本気で拗ねている。
 「……確認するけど。あんた、本当に来年成人を迎える人間だよな?」
 「あったりまえでしょう! リースより2歳年上なんだから来年成人よ」
 何を当然の事を、と言いたげな表情で言うリサにしかし、シズクを含むその場の全員が苦笑いを浮かべた。
 現代での成人はほとんどの国で20歳と定められている。もちろんイリスピリアも例外ではなく、19歳のリサは、来年20歳で成人を迎える事は極々当たり前の事実であった。しかし、リースが言いたいのはおそらくそこではなく……いや、もうそんな事はどうでもいいか。
 「……で、まぁ要約すると、現時点での手がかりは、これ以上イリスピリアには無いらしいって事だ」
 未だしかめ面のままだったが、リースはリサの言葉を完全に無視する事に決めたようだった。淡々と述べると、そのままセイラとアリスの方を向いた。二人とも、真剣な表情を浮かべたまま静かに頷いている。
 リースの言わんとしている事など、パリスの残したヒントを考えると簡単に導き出されるものだろう。これ以上の手がかりはイリスでは望めない。道理で、探しまわっても見つからない訳だ。パリスの残した答えは、この国の外にあるというのだから。
 「エラリアですか……」
 渋い顔で呟いたのはセイラである。
 まずエラリアに向かえと。そこから自ずと答えは導き出されると。パリスの言葉はそのように綴られていた。
 大陸の南東に位置するエラリアは、イリスピリアに並ぶ大国として知られる国だ。シズクはもちろん訪れた事がないが、緑の豊かな美しい国だという。イリスピリアに次いで、人生で一度は訪れたい国にランクインするのも決まってこの国だ。そして――アリスの故郷でもある。
 「なんとも……皮肉なタイミングですね」
 シズクがアリスの方へと視線を投げた丁度その時、セイラもそのように呟き、隣に座るアリスへと意味ありげな視線を向けたのだった。あまりのタイミングの良さに、驚いてしまう。しかし、もっと驚かされたのはその直後の事だった。師匠であるセイラからの視線を受け、当のアリスはというと、重苦しい表情を浮かべたのだから。
 (アリス……?)
 固い表情は本当に一瞬の事で、すぐに普段通りのアリスへと戻ってしまう。タイミング良く彼女の方を向いていなければ、おそらくシズクは気づかずに終わってしまっていただろう。
 「話がエラリアにまで飛躍するとなると、ここで収まる話じゃないわね」
 何でも無かったかのように肩をすくめると、いつもどおりの凛とした声でアリスは告げる。一同も彼女の言葉に頷くが、ただ一人シズクだけが、釈然としない表情で首を傾げていた。先ほどのアリスの表情が、引っかかって頭から離れなかったのだ。
 あんな風に冷えた表情を浮かべるアリスを、初めて見た。それなのに、不可解な既視感に襲われる。初めてであるはずのあの表情に、心のどこかで納得してしまっている自分がいる。どこかで見た事があるような気がするのだ。どこか……それはたとえば――
 「他国に出るとなると、さすがにお父様の許可なしでは難しいって事か」
 シズクの思考は、リサの言葉によって遮られる。先ほどまでの拗ねた表情など微塵も感じさせない、研ぎ澄まされた表情だ。すっかり話の場からおいて行かれている事に気づき、シズクも慌てて表情を引き締めた。
 「どの道上に話は通さないと駄目だろうし。……今夜の会議でこの件を報告しようと思ってる。異論は無いか?」
 言って、リースが視線を向けた先はシズクだった。まさか自分に話が降りかかってくるとは思っていなかったので、シズクとしては虚を衝かれた形である。
 「え……? えっと……別に、ないけど」
 何故そんな事を自分に聞いてくるのだろう。そう口を開こうとしかけて、寸でのところでシズクは固まった。目の前で真剣そのものといった表情を浮かべているリースを見ているうちに、彼が何を言おうとしているのか、思い当たってしまったからだ。
 「…………」
 昨夜の件を会議で報告するという事は、王をはじめ12大臣達にあの部屋の存在を知らせる事と同義である。流れとして、その部屋を直に見たいという話になるのは当然だろう。そうなるとどうなるか。簡単な事だ。あの肖像画を彼らに見られてしまうのだ。シズクと瓜二つの容姿を持った、シーナ姫の肖像画を。
 あれを目に入れた大臣達は、一体どう思うだろう。何か運命めいたものを感じるに違いないと、シズクは思った。シズク本人ですらそう感じてしまったのだから、自分をジーニア・ティアミストと呼び、確かな根拠もなく期待の視線を浴びせてくる彼らなら、ほぼ間違いなく。
 おそらくそういう事になるけどいいのか。と、暗にリースはそう自分に問うているのだろう。本当にそれでもいいのか? と。
 (……嫌と言ってしまうのは、簡単だけど)
 呆けた顔から、いつしかシズクの表情は真剣味を帯びるようになっていた。
 「異論はないよ。勝手に動きまわるより、陛下の協力を取り付けた方が、事がうまく運ぶと思う」
 今更、自分の立場がどうとか、そういう細かい事は大した重要事項ではないように思えた。会議にも何度か参加しているし、大臣達にどう思われようとも、そう大きく認識が変わる訳でもないだろう。
 「……と。建前上ではこうなんだけど」
 そこで一旦言葉を区切ると、引きしまった表情を崩して、シズクは一同をくるりと見渡した。いつの間にか皆の視線は一斉にこちらを向いている。アリスやリサは不安そうな表情を浮かべ、セイラは穏やかな表情でシズクの言葉の続きを見守っているようだった。そしてリースは、先程と少しも変わらない真剣な色の瞳を、こちらに向けている。
 一人で抱え込みすぎるのも、いけない事だから。
 「わたし一人でやれって言われても、無理だと思うから……だから、エラリアに行くことになったら……一緒に付いてきてくれる?」
 そう告げた直後に零れたのは、苦笑いだった。やはり本音をぶつけるのは、どことなく気恥かしいものがある。リースは呆れるだろうか。そう思い、不安げに彼の方へ視線を持って行くが、待っていたのは呆れ顔でも怒り顔でもなく、シズクと同じような苦笑いだった。
 「何を今更。こっちとしては、頼まれなくても付いて行くつもりだっての!」






 ジーニア・ティアミストを交えて行われる会議は、決まって城の大部分の機関が終了し、ほとんどの者が眠りに就いた深夜に開かれる。
 というのも、あまり公にしたくない事柄について話し合われるからだった。そして、ジーニアの姿を大っぴらに公開するのもまた、憚られる事だからである。他でもない、ジーニア本人が極力それを避けてほしいとイリスピリア王に懇願したのだ。更に付け加えると、12大臣とイリスピリア王は皆多忙な人たちだ。彼らが集まるとなると、必然的に空いている時間が深夜しか残らない、という理由も多分にあった。
 とにかく、そういう様々な理由から、会議は必ず深夜に行われる事になっている。今日の会議もまた通例に洩れず、夜も更けた時間帯に、南の塔の一部屋でひっそりと執り行われていた。
 参加者の面子は、そろそろお馴染みといってしまってもおかしくないだろう。楕円のテーブルに就いているのは、奥からイリスピリア王、12大臣のトップであるネイラス、以下今日の会議に都合がついた大臣達数人が並び、水神の神子であるセイラ、イリスピリアの第一王子であるリースに続いて、最後がジーニア・ティアミスト、こと、シズクである。
 (改めて見ても、凄い顔ぶれだよね)
 厳めしい顔つきで座る大臣達を見て、シズクは一人小さくため息を零していた。いい加減慣れなければならない頃だろうとは思うのだが、やはりこの場に自分が居る事に激しい違和感を覚えてしまう。国の要人達に紛れて、どこにでも居る平凡な17歳の少女が座っている光景など、何も知らない人間が見たら目について離れないだろう。それだけ自分の姿は、この場においては悪目立ちするのだ。どこから漏れた情報なのかは分からないが、城内で会議に参加する少女の噂が流れ始めている。極力目立たないようにしなければいけないな、と胸中で呟く。



 「……お前たちがまさか、あの部屋を探し当てるとはな」

 リースの報告を一通り聞いた後で、イリスピリア王は感心半分、呆れ半分といった感じの視線をこちらに寄こしてきた。聡明そうなエメラルドグリーンの瞳に敵意は無い。ここのところ、彼の眼光が温かみを帯びるようになった事に、シズクは気づいていた。相変わらず厳格ではあるが、シズクに無理強いしようとするような動きもここのところ無い。
 「陛下はご存知だったのですか?」
 静かにリースが質問を投げる。別段驚いた様子は見えなかった様子からして、あの隠し部屋を王が知っている事は彼の予想の範疇だったのだろう。シズクにしても、それは同じだった。
 イリスピリア王は、シーナとシズクが瓜二つである事を知っていた。つまり、シーナの本当の容姿について知っていたという事になる。それは、あの肖像画を、過去に何度か目にしていたからではないのかと思うのだ。あの隠し部屋に入ることなしには、シーナの肖像画を見る事はかなわない。
 「知ってるも何も……。あそこは本来、王位を授かった者と、ティアミスト当主しか入れない事になっている場所だ。その存在も、歴代の王と歴代ティアミスト当主にしか明かされない。……『懺悔の間』とな、仰々しい名まで付いている」
 言われて思わず、リースとシズクはお互いの顔を見合わせていた。ひょっとしなくても、自分達はとんでもない場所に足を踏み入れたのではないだろうか。一瞬にして青ざめるシズクに対し、リースはなんとも言えないと言った表情で肩をすくめるのみだ。
 「まぁ、秘密部屋といっても、あるのはシーナの肖像画とパリス王の残した大量のスケッチだけだ。知られたところでどうという事はない。順当にいけばそのうちどうせリースは入る事になっていたのだし、シズクに至っては現在その資格を持っているに等しいしな。咎めはせん。第一、今の本題はそこではないだろう」
 シズクの慌てぶりがあからさまだったのだろう。イリスピリア王が苦笑い気味にそのようにフォローを入れてくる。しかし、そうは言われても、王とティアミスト当主にしか口伝されなかった部屋の事を、秘密会議とは言えども、本来知らされるべきでない人達に大暴露してしまったのだ。お咎めがあって然るべきなのではないだろうか。王の言葉を受けてもまだ不安そうな表情を浮かべていたシズクだったが、イリスピリア王はそれ以上この件についての話は無用とばかりに、表情を引き締め直す。
 「重要なのは、パリス王の残した言葉だ。後でこの目で確かめには行くが、要するにエラリアへ行けと。そう言う事だろう」
 「えぇ、全くもってその通りですね」
 にこにこスマイルで同意を示したのはセイラだ。
 「ならば、ここであれこれ話をしても何の意味も成さないだろう。一刻も早くエラリアに行って、石に関する手がかりを見つけるべきだ」
 「そうしたいのは山々なのですがね、陛下。問題は誰がどのような用向きでエラリアまで赴くか、ですぞ。魔族(シェルザード)の声明で他国も張りつめている中、いかに友好国といえども、エラリアを訪れる大義名分がなければ――」
 12大臣の一人が粛々と述べる中、軽やかな動作で白い封筒がリースの目の前に落とされる。途端、会議室は水を打ったように静まり返った。濃いブラウンのテーブルに、白い封筒はよく映える。目を凝らして見ると、白地の上に、淡い色の小花柄が散りばめられていた。上品なつくりだ。
 「それにしても、本当に丁度良かった」
 大して表情は変えなかったが、声色からイリスピリア王が楽しげなのが伝わってくる。一体何がそんなに面白いのだろう。含みのあるイリスピリア王の言葉に、シズクは首をかしげた。
 手紙を差し出された張本人であるリースもそれは同じであったようで、眉をひそめると怪訝な顔のまま封筒を手に取る。
 「これは?」
 「招待状だ」
 「招待状?」
 「まぁ、とりあえず読んでみろ」
 イリスピリア王の言葉に不審感を募らせるものの、一応は言いつけに従う事にしたらしい。リースは白い封筒の中から数枚の手紙を取り出してみせる。ちらりと横目で見ると、封筒と同じ模様の便せんである事が分かる。
 「…………」
 ざっと見た感じ、大して長い文面の手紙でも無さそうだった。おそらく読むのに1分もかからないくらいだろう。しかし、文面を追うリースの横顔が、見る間に険しく変わっていく様を見て、シズクは不安を募らせる。
 ややあってから、リースは便せんから視線を外し、イリスピリア王を見る。いや、見るというより半眼で睨みつけるといった表現の方が適切だろうか。
 「エラリアの第一王子――レクト殿が、この度13歳を迎えるらしい。あの国で13歳というと、王位継承権を獲得できる年齢でな。……少し気が早いとは思うが、継承権授与の儀を執り行う事が決定したようだ。要するに、その手紙は式典と、その前後で催されるパーティーへの招待状だ」
 淡々と述べるイリスピリア王に対して、リースは不機嫌そのものである。彼が何故しかめ面を浮かべるのか、その原因が思い当たらず、シズクは益々首をひねる。リースの手を離れ、何故か自分の目の前に置かれた手紙の内容を目で追ってみる。丁寧で流暢な筆跡で、式典の日時と場所など、事務的な内容が綴られていた。主賓として招かれているのは、レイ・ラグエイジ――イリスピリア王である。その横に控え目な文字で『誠に勝手ながら、お連れ様はお二人までとさせて頂きます』とある。
 「魔族(シェルザード)のせいで、最近何かと忙しくてな。わしは国を離れる訳にはいかない。しかし、セルトの息子の祝いだ。無下に断る事も出来ない。と、言う訳で……お前の出番だ、リース」
 「やはりそう来ますか、陛下」
 半眼のまま告げたのはリースだ。言葉づかいは至極丁寧だが、幾分嫌味が含まれた声だった。
 そこまで話が進むと、さすがのシズクにも、一体どういう事なのか察しがついた。勝ち誇ったようなイリスピリア王の表情も、かなりの勢いで面倒くさそうなリースの様子も、これで合点が行く。要するにあれだ。多忙な王に代わって、リースがエラリア王子の式典に参加して来いと。そういう事なのだろう。確かに、第一王子であるリースならば、立場的にはイリスピリア王の代理人を務めるのに不足はない。
 「大親友の御子息の祝いくらい、ご自分で駆けつけて差し上げたらどうですか?」
 「言っただろう。この時期に国を動く事はできぬと。それに、お前にとっても丁度いい機会だ。王族貴族が集まる式典の主賓という立場を、一度経験して来るといい。――息がつまるぞ」
 「その言葉、セルト王が聞いたら絶交ものですよ」
 「あいつとてこれくらい予想済みだろう。第一、わしと語りたければ個人的に会えば良いのだ。何も堅苦しい式典の席で顔を合わせる必要もないだろう」
 とてもじゃないが王と王子がする会話とは思えない言葉の応酬に、大いなる呆れとある種の迫力を感じて、シズクはただただぽかんと間抜けに口を広げていた。周囲を見渡すと、ネイラスが額に青筋を浮かべてじっと何かに耐えているようだった。堪忍袋の緒が切れるのも、時間の問題のような気がする。12大臣の面々も、呆れたり面白がったり、おおむねそんな感じの反応である。セイラに至っては、述べるまでもないだろう。眩しいほどの素敵スマイルで、事の成り行きを傍観している。絶対に楽しんでいるなと、シズクは思った。
 「まぁ冗談はさておき。お前にとって悪い話ではないと思うが、どうだ? どの道エラリアに行きたいと言いだすつもりだったのだろう? これ以上の大義名分など無いぞ」
 「…………っ」
 言われた事がその通りであるため、リースは言葉に詰まる。
 王の代理人という立場は責任重大で、その身に圧し掛かるプレッシャーも大きいだろう。リースの胸中を代弁すれば、かなり面倒で骨の折れる任務といったところだろうか。しかし、何の違和感も無く、堂々とエラリア城を訪れる事が出来るのだ。式典関連で来客も増えるだろうし、少々城内をうろついたとしても怪しまれる可能性は低い。石の手がかりを探るのに、またとないチャンスだ。
 「同伴者二名の人選も好きにするがいい。単身で行きたければそれでも構わぬし……期待しているぞ、リース」
 沈黙を了承と受け取ったのだろう。エメラルドグリーンの瞳を細めると、とどめの一言とばかりにイリスピリア王はそう言い放ったのだった。



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