追憶の救世主

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第2章 「エラリアの姫君」

2.

 第5回目の作戦会議は、深夜の秘密会議の翌日、放課後の割と早い時間帯に開催された。場所はいつものようにリサの自室である。メンバーも変わり映えのないいつものメンバーだ。唯一、セイラだけは他の会議などで外せないらしく、不参加となっている。
 昨夜の会議で決定された事項を、リースがかいつまんでシズク以外の参加者に説明するうち、リサは嬉々とした表情を浮かべるようになった。反面、アリスの表情があまり冴えない事が、シズクは気にかかる。
 「大体の概要はそんな感じ。で、問題は同行者についてだけど――」
 リースが一通りの説明を終え、肝心の部分の話へ移ろうとした時だった。椅子から立ち上がったリサは、勢いよく両手をテーブルに叩きつける。そうして、弟の方へ大きく身を乗り出したのだった。しんと静まり返ったところで右手を挙手。
 「同行者に立候補! 今回は置いてけぼりなんて嫌よ! 絶対私も付いて行く!」
 やはりそう来たか。と呆れた表情を浮かべるリース。シズクとしても、ある程度リサのこの行動は予想していた事だったのだけれども、同時に、それは難しいのではないかな、と思った。イリスの町に一人で外出する事も許されていないリサが、他国に出かけられるとは、とてもじゃないが思えない。
 「親父が許す訳ないだろうが」
 考えはシズクと同じだったのだろう。半眼になると、リースもけだるそうにそう零す。そう、イリスピリア王がリサの外出を許すはずがない。
 「あら、お父様は人選をリースに一任するって仰ったんでしょう? 貴方さえ了承してくれたら、お父様は口出し出来ないはずよ」
 「理屈ではそうだけど、さすがに姉貴が行くとなると話は変わってくるよ」
 「第一」
 難しい表情のリースの言葉を、リサは人差し指を立てる事で黙らせる。傍から見ていると結構な迫力だ。
 「お父様の代理でしょう? 皇太子でもない貴方一人が行くより、私も一緒に参加した方が来賓としての重みがより近しくなると思うのだけれど、違う?」
 「……確かにそれはそうだけど」
 「更にもう一つ。同行者としてシズクちゃんを連れて行くつもりなのでしょうけど、彼女の肩書は一体どういう風に説明するつもりだったのかしら。ジーニア・ティアミストの名は、勿論出さない方向なのでしょう?」
 二つ目のリサの意見には、さすがのリースも言葉を詰まらせる。そういえばそこまでは考えて居なかったのだと、シズクもハッとなった。
 言われてみれば確かに、肩書は重要である。王家の人間でも貴族でもないシズクが突然エラリアに押し掛けたとして、不審な目で見られるのは道理。嘘は嘘でもそれなりにもっともらしい、相手を納得させられるだけの何かを携えていく必要がある。
 ジーニア・ティアミストの名を使えば、ひょっとしたら話が早いかも知れないが、今回は極力その名は使いたくない。『石』についての件を表沙汰にはしたくないからだ。出来れば穏便に事を進めたい。
 「イリス魔法学校の生徒ではインパクトに欠けるし、魔道士の護衛ならありかも知れないけど、友好国を訪れるにしては少し物々しいわよねぇ。まぁ、貴方のコレって説明だったら、おじ様も喜んで納得して下さるかも知れないけど」
 小指をピッと立てて、リサはからかうようにして告げる。そういえば、以前にもこんな感じのやりとりがあったなぁと懐かしさを覚えるシズクの目の前で、リースはというと額に青筋を立てて不機嫌を露わにする。
 「何度も言うが、それ使いどころがおかしいから!」
 「まぁまぁ。細かい事は気にしない。……で、考えたんだけど。私の付き人って事でシズクちゃんを連れて行ったらどうかしら? それが一番自然で怪しまれないと思うのよね〜」
 「リ、リサさんの侍女って事ですか!?」
 リサの提案に驚いた声を上げたのはリースではなくシズクだった。身を乗り出してリサを見るも、相変わらずの自信に満ちた笑みがあるだけである。
 「最近のイリスピリアには侍女を付ける風習は無いんだけど、言ってみればまぁ、そんな感じになるかしらね」
 王女の侍女として同行するなら、王族に顔が知れていない少女でも、不審に思われにくい。確かにそれは良い案かも知れないが、シズクのような人間に侍女が務まるかと訊かれたら、それはそれでかなり怪しいところだと思うのだ。
 城仕えの女性たちは皆てきぱきと仕事をこなす。シズクだってさすがに自分の身の回りの世話くらいは出来るが、彼女達と同等の働きを求められるとなると、不安な部分が大きかった。第一、エラリアでは祝賀パーティーも開催されると聞く。ドレスの着付け方など分からないし、お化粧だって自分ではした事が無い。侍女というのは要するに、そういう事を王女であるリサに行う人なのではないだろうか。
 不安そうな顔であれこれ考えを巡らせるシズクを見て、可笑しかったのだろう。リサは小さく吹き出していた。
 「大丈夫よシズクちゃん。言ったでしょう? 最近のイリスピリアには侍女を付ける風習は無いって。城の世話をしてくれる女性はたくさん居るけど、私付きの侍女なんてね、居ないのよ。自分の事くらい自分で出来るわ。シズクちゃんはそうね……私の話し相手をしてくれるだけでいいの」
 どう、簡単でしょう? と言って笑う。そんな侍女が居ていいのだろうかと思うが、確かに話し相手だけだったらシズクでも務まりそうな気がする。
 「パーティーもあるし。私がシズクちゃんをプロデュースするわ! すっごく可愛くしてあげるんだから!」
 「遊びに行く訳じゃないんだぞ。……ったく、それに、侍女として行くんなら姉貴付きじゃなくて、アリス付きでもいいじゃねーか」
 是が非でも姉のエラリア進出を阻みたいのだろう。言ってからリースは、それまでずっと黙ったまま話し合いを見守っていたアリスへと視線を向ける。彼に続いて、シズクもアリスを視界に入れた。
 「アリスのところにも届いてるだろう? 招待状」
 シズクは詳しく知らないが、アリスはエラリアのお姫様だ。現エラリア王の姪に当たるのではなかっただろうか。つまり、今回王位継承権を受けるレクト王子は、彼女の従兄弟という事になる。血縁的にもかなり近い位置に居るアリスには、もちろん招待状が届くだろう。
 「ええ、届いているわ。けど……」
 穏やかに告げた声には、どこか影があった。真っ直ぐリースを見つめるアリスの瞳は、いつもと変わらない光を宿しているはずなのに、何故だろう。シズクの胸はざわりと騒ぐ。
 「私の侍女としての参加は、やめておいた方がいいと思うわ。……リースやリサさんだって、そう思うでしょう?」
 アリスの含みのある言葉に、リースとリサが同時に息をのんだのが分かった。シズクだけが要領を得ず、首をかしげてアリスを見つめる。彼女と真正面から目が合うが、疑問に対する回答が彼女の口から語られる事は無かった。ただ、その時にアリスの浮かべた表情を見て、どきりと、心臓が大きく跳ねたのは確かだった。頭の中に、ある一つの確信が生まれる。
 「…………」
 菜の花通りで出会って以来、厳しい表情を浮かべる事はたまにあったが、アリスが今のような冷えた表情を浮かべた事など一度も無かった。それなのに自分は、この表情をどこかで見て、知っているような気がして仕方がなかった。
 (気のせいかと思ったけど、違う)
 勘違いではなく、見たことがあるのだ。確実に自分は知っているのだ。
 「リサさんの案が最善だと思うわ。シズクは、リサさんの付き人としてエラリアへ行くべきよ」
 その言葉に、反論する者は居なかった。






 「今回は、リース達とは別行動をとるつもりなの。エラリアへの出発も、少し早めにするわ」
 リサの部屋を出てしばらく歩いた時だった。丁度3人の方向が分岐点に差し掛かるところで、アリスが控え目な声でそう述べたのだ。
 例の継承権授与の儀は、一か月後に執り行われる予定らしい。馬の足を使っても、エラリアまではそれなりの時間を要するため、リース達は来週の頭にも出発する心づもりで居た。もちろん同行者の中にはアリスも含まれている。少なくともシズクの頭の中ではそうだった。ここまでずっと一緒だったのだから、エラリア行きもまた、一緒だと思っていたのだ。
 そこに来て突然のアリスのこの言葉だ。拍子ぬけしたのはシズクだけではない。隣に立つリースもまた同じだった。
 「心配しないで。『石』の捜索はちゃんと手伝うわ。ただ、エラリアでは私と親しくしているところを極力見られない方がいいと思うから――」
 「認められないな、そんな勝手な事」
 不機嫌な声はリースだった。眉をしかめると、彼は真正面からアリスを睨む。一瞬怒っているのかと思いヒヤリとしたが、違っていた。彼の表情に滲むのは怒りではなく、『心配』の二文字だったから。
 「…………」
 リースの視線と対峙してもアリスは怯まなかった。それどころか、困ったような苦笑いを浮かべて小さく息をつく。まったく仕様が無い。とでも言いたそうな雰囲気である。
 「リース。貴方なら分かるでしょう? 私がエラリアでどういう立場なのか」
 「いいや、分からない。少なくとも、俺達と親しい事をこそこそ隠す必要がある立場だなんて、俺は思ってない」
 「リース」
 「周囲からどう思われようが、今までと何も変わらずに行く。俺も姉貴もその心づもりだ」
 ぴしゃりと言い切るリースの言葉に、アリスは左右に首を振った。一瞬だけ、苦笑いの奥底に潜んでいた素顔が現れたのを、シズクは見てしまった。今にも泣きだしそうな、弱々しい横顔だ。アリスという少女のイメージにおよそ似合わない姿を捉えて、たまらなくなる。
 「わたしも、アリスと一緒に居たいよ!」
 真っ直ぐにアリスを見つめて告げる。その頃にはもう彼女の表情から重苦しい影は去っていて、普段通りの可憐な美貌があるのみだった。
 「…………」
 無言で見つめあううち、場には気まずい沈黙が流れ始める。リースも不機嫌な顔でアリスを睨み続け、シズクは必死に彼女と目を合わせ続ける。二人からの視線を受けているにも関わらず、アリスは少しも表情を崩したりはしなかった。凛とした表情のまま、微笑みさえ浮かべて佇み続ける。
 「……そうね」
 しかし、やがて眉をしかめると、形の良い唇からはそのような言葉がこぼれ落ちたのだった。納得してくれたものと安堵するシズクだったが、続いて聞こえた言葉は、思いもよらないものだった。
 「シズクもエラリアに行くのだったら、知っておいた方が良いわよね。私が、一体どういう立場の人間なのかを」
 「え……?」
 「私はね、本当だったらエラリアの王籍をはく奪されていてもおかしくない人間なの」
 黒瞳には光が宿らない。無機質な、感情のこもらない声だった。だからなのか、彼女の告げた内容を、シズクは直に理解する事が出来なかった。しばらく放心し、ようやくどういう事か悟ったと同時に、愕然とした。
 「アリス……」
 「シズク。貴方に迷惑はかけたくないの」
 幼子を諭すような目で、アリスは懇願してくる。分かってくれと。これ以上触れないでくれと。
 彼女との間に、どうしても踏み込めない壁を見つけてしまったような気がして、ただシズクは立ち尽くすしかなかった。沈黙を了承ととったのか、アリスはホッとしたように表情を緩める。
 「エラリアへは、私は一足先に行く事にするわ」



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