追憶の救世主

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第3章 「水と緑の城」



 殺風景な石造りの廊下に足音が響く。短い髪を撫で上げていく風は、随分と温かくなった。もう夏はすぐそこまで来ているのだ。
 「あら、お久しぶりね」
 淡々と廊下を歩くうちに、見知った人物とすれ違うに至る。赤髪の女は物珍しそうに瞬きを数回すると、探るような視線をこちらへ向けてきた。仲間ではあるが、この女とはどうも相容れない部分がある。それは彼女とて同じようで、こうして今みたいに自分を警戒の目で見るのだろう。
 「この道を通るって事は、カロン様とお会いになるの? まぁ、久しぶりに帰ってきたんだものね、それなりの報告は必要か。でも……今はやめておいた方がいいわよ」
 「そういうルビーは会ってきた帰りか? ……王はご機嫌斜めのようだな。軽くあしらわれたのだろう?」
 「――――っ」
 わざと皮肉めいて言葉を紡ぐと、ルビーはあからさまな反応を見せた。かっと頬を赤らめ、射るような一瞥を投げかけてくる。しかし、何も言葉は発しなかった。鼻息を荒げながら自分とすれ違い、そのまま彼女は歩き去っていく。
 「……図星という訳か」
 床を荒々しく踏み鳴らすルビーの足音を聞きながら、苦笑いする。
 昔からルビーはカロンに思慕の念を抱いている。周囲の誰もが知っている事実だ。そして、彼女から想いを向けられている当人は、これっぽっちもなびいていないという事実もまた。
 「…………」
 肩をすくめ、軽く息を吐く。そうして気を取り直して歩き出した。機嫌が悪かろうが何だろうが、自分は今会わなければならない――そう、『彼』に。


 「……あぁ、帰ってきたんだ」


 巨大な扉を開けた先、玉座に腰かけているのはまだ年若い銀髪の男だった。普段は威圧的な雰囲気を放ち、王者の貫録を対峙する者に見せつけるのだが、今は違っていた。一人で留守番を任された子供のように膝を抱え、首を垂れている。紅玉の如き瞳には、悲しみが浮かんでいた。
 「今戻った、カロン。話はイシュタルから全て聞いた」
 それだけ告げると、石床を鳴らして玉座に歩み寄る。近くで見ると尚の事、彼は憔悴しきっている様子だった。苦悩に震える肩を視界に入れ、瞳を細める。
 「クリウスは……僕のせいだ」
 掠れた声で、彼は先の戦いで命を失った仲間の名を零す。耳にして、胸に僅かな痛みが走るのが分かった。あの晩、自分は確かに涙して、整理をつけたはずなのに、それでも彼の死は今も心を苛む。彼にしてもそれは同じ事か。今目の前に居るのは、魔族(シェルザード)の王ではない。自分とそう年の変わらない、友を失って嘆く、ただの青年だった。
 「あんたのせいじゃない。クリウスもきっと分かっている」
 「違うよ……僕のせいだ。約束したのに、果たす前にこんな形で彼を……」
 より深く膝を抱えると、カロンは頭を埋める。それきり、長い沈黙が流れた。二人とも口を開かず、風の音だけが僅かに耳に入って来る。
 「……シュシュでジーニアに会ったよ」
 重苦しい空気を割いたのは、独白に近いカロンの言葉だった。その名の響きに、心臓が鷲掴みされたような気分になる。内心の動揺を顔に出さないよう、唇を軽く噛んだ。
 「結局僕のした事は、無意味だったのかも知れない。ジーンは表舞台に出てきてしまった」
 悲しみを閉じてあげると、約束したのに。ぽつりと、カロンは寂しそうに告げる。
 「それもまた、仕方無い事だ。クリウスの警告に耳を貸さずに、あいつ自身が望んだ結果だから。あんたは最善を尽くした。……それで十分だ」
 極力感情を抑えて言葉を紡ぐ。そう、仕方のない事だ。進み出した時間は元には戻せない。
 例の声明文を世界中にばらまいた際、イリスピリア王は大々的にこう言い放った。――イリスピリアにジーニア・ティアミストあり、と。おそらくは魔族(シェルザード)にその言葉を届ける目的で。そこに至るまでの過程はどうであれ、つまるところ、彼女は自分たちと敵対する道を選んだのだ。
 「…………」
 部屋にいくつか取り付けられている窓から外を見る。夕暮れがほとんど消えかかり、夜が始まろうとしているのが分かった。
 「そろそろ時間だ。あまり長くはもたないのだろう?」
 夕暮れ時の僅かな時間。自分がカロンと会話をするのは、その時だけだと決めていた。数分後には日が暮れる。日が出ているうちに、退出しなければなるまい。
 「そうだね。でも、その前に」
 寂しそうに笑ってカロンはこちらに手を差し出してくる。何かと思い覗きこむと、沈む直前の夕焼けに照らされたそれは、繊細なつくりのネックレスである事が分かる。視界に入った物の正体に、ざわりと肌が泡立つ。
 「寡黙なる左腕(ミクラテ・イノジク)。君に渡しておくよ」
 古代の響きでそう紡ぎ、カロンは自分にネックレスを手渡した。ミスリルで作られたそれは、不思議と手になじむ。しゃらりと、繊細な音が鳴った。
 「いいのか?」
 まさかこれが、自分の手元に来る事になろうとは。皮肉なものだと、胸中でのみ呟いておく。
 「上手く誤魔化しておくから。本来それはジーンでも僕でもなく、君が持っておくべき物だろう? ――カイン(・・・)
 赤い瞳を細めて、懐かしそうに彼は言った。
 カイン。――カイン・シエル・ティアミスト。それは、本来ならば次期ティアミスト当主の座についていたはずの、人間の名前。
 「……その名はもう捨てたよ」
 かぶりを振って曖昧に笑むと、カインだった青年は、かつて母が命がけで守ろうとした銀のネックレスを握りしめる。そうして踵を返し、部屋を後にしたのだった。






1.

 「……で? どういう理屈でそんな事になった?」
 それは、一行がエラリア国に到着した、まさにその日の出来事。
 部屋から出てきた自分の姿を見るや否や、呆れ顔で言い放ったのはリースだった。エラリアに到着するまで身に纏っていた楽な服装ではなく、今は黒色の正装に身を包んでいる。身だしなみを整えた彼はさすがというか、見事に様になっていた。自分に対する口調がちっとも変わっていないのが玉に瑕ではあるが。
 「一応わたしはリサ王女の付き人ですから。それ相応の姿を演じなければいけないのですよ、リース王子」
 ふんだんに皮肉を込めてはいるものの、丁寧な言葉はかろうじて維持しつつシズクは反論する。王子呼ばわりされた事に眉をぴくりと跳ね上げるが、リースは押し黙るとそれ以上の反撃はしてこなかった。彼とて事情は察しているだろう。
 自分たちに宛がわれた部屋を出てしまえば、そこはもう公の場だ。侍女のような身分としてエラリアに来たシズクが、立場上主人に当たるリースとため口で大喧嘩でもしでかしてみろ。周囲から訝しがられるのは道理。それだけではない。イリスピリア王室の品格すら疑われてしまう! ……全て、イリスを発つ前に懇々とネイラスが自分達に語って聞かせてくれた言葉からの受け売りではあったが。とにかく、そういう訳でこんな事になっているのだ。断じてシズクの趣味とか希望とか、そういうものではない。
 「うふふ、可愛いでしょう!」
 後方から別の声がかかる。振り返るとそこには、金髪を綺麗に結いあげ、フォーマルなドレスに身を包んだリサが佇んでいた。
 「イリスの使用人の制服じゃあ余所行きするには地味だったから、昔の侍女が着てた制服を、そっくりそのまま作ってもらったの。昔のデザインって言っても、今の制服より断然可愛いわよね。復活させちゃおうかしら」
 「作ってもらったって……いつの間にこんな……」
 脱力した顔でリースはシズクの格好をまじまじと見つめる。
 深い紺色を基調とした制服は派手ではなかったが、所々控え目にひらひらしているそれはエプロンドレスと呼ばれるものであった。かつてのイリスピリアの使用人達が着ていたタイプのものらしい。別に変な服ではない。ただそれを身に纏うのが自分である事が、酷く気恥かしいというだけで。ちなみに、普段ポニーテールにしている髪も、今はシニヨンにして纏めている。これもリサの案だった。
 「完全に、着せ替え人形にされた訳か」
 「…………」
 リースの言葉に、ぐうの音も出ない。衣装だ髪型だと騒いでいるリサは、それはそれは楽しそうだったからだ。何だかんだ言って結局は、リサの趣味に付き合わされたという事だ。
 「予想通りよ! すっごく似合ってるわシズクちゃん!」
 「……身に余るお言葉。光栄です」
 嬉々として瞳を輝かせるリサに、シズクはあくまで棒読みでそう告げる。褒められて嬉しくない訳ではないが、どうにもこういう格好は苦手だった。まぁ、エラリアの使用人の制服を見る限り、自分が今着ているものと大して変わらないデザインだというのがせめてもの救いだろうか。
 「あらシズク。随分可愛らしい服を着てるのね」
 盛大な溜息をつくシズクの後方から、また新たな声がかかった。振り返らずとも誰であるかは明白であるが、一応視線を向けて確認しておくと予想通り、こちらに向かって歩いてくるアリスの姿が見える。彼女もまた、ドレス姿だ。素顔でも十分綺麗なのに、化粧を施した彼女は美しくあると同時に凛々しくもあった。これが、エラリアの王族としてのアリス。お姫様としての彼女の姿を見たのは、そう言えば初めてだった事に気づく。
 「アリシア様こそ、お綺麗ですよ」
 「……そういう風に謙られると変な感じね。シズク、今くらいは普通で良いのに」
 「そうはいきませんよ。今のうちから慣れておかなければ、ボロを出してしまいかねませんのでね」
 歯が浮くような言葉に、自分自身で気持ち悪さを感じるも、慣れねばなるまい。少なくともここ、エラリア城に滞在する間は付き人を演じ続ける必要がある。というか、本来シズクは彼らに対してこうである事が普通なのだ。今までの砕けた関係の方が異常な光景だった。……リース達に言うと怒られてしまいそうだが。
 苦笑いのシズクにアリスも苦笑いを返すと、くるりと踵を返してリース達に向きなおる。
 「……さて。行きましょうか」
 「そうだな」
 何故彼らがこのような正装に身を包んでいるかというと、理由は簡単だった。エラリア王を始め、その他諸々への挨拶回りである。レクト王子の式典は来週だが、それまでに主要な人物へお目通りしておかねばならないらしい。ことエラリアは、どちらかといえば古き伝統を大切にする国だ。いかに友好国と言えど、くれぐれも粗相のないように。これもまた、ネイラスから耳にタコが出来る程念を押された事であった。
 「まず最初はエラリア王。――セルトおじ様にお会いするのも、久しぶりね」






 水と緑の国。その名声通り、エラリア城内は至る所に水と緑があった。
 城中に鑑賞用の水路が張り巡らされており、これらは中庭にある大きな噴水に全てが帰結しているらしい。庭の緑の美しさもさることながら、水路のあちらこちらに小さな花壇や低木が備えられているのも、シズクにとって珍しい光景だった。イリスピリア城に比べると、かなり開放的でのどかな気がする。この城も国立学校と魔法学校が併設されているが、校舎がある棟もまた、城と同じような水路が通っているのだとか。
 日の光を受けてきらきらと輝く水路を横目に、城内でも特に広い廊下を歩いた先。そこに目的の場所はあった。太陽と花模様が彫られた扉は、そこが玉座の間である事を示す。一行を出迎えてくれたのは、執事服を着た背の高い男性だった。
 「王がお待ちかねですよ」
 穏やかな笑顔で告げると、男性は扉の取っ手に手をかける。懐かしい光景だなと思う。初めてイリスピリアに来た時も、ネイラスに迎えられて玉座の間に足を踏み入れた。あの時、イリスピリア王からあまり歓迎されなかった事まで思い出し、シズクは妙に緊張し始めていた。
 挨拶回りをするのはシズク以外の3人であって、自分はあくまで付き人だ。当事者ですらないのに一体何を緊張する事があろうか。胸の高鳴りと同時に、苦笑いが零れる。そうこうしているうちに、男性の手によって少しずつ扉が開かれる訳で――

 「アリスッ!」

 え。と思った時には既に、事は起こっていた。
 ぎゅうううっと。擬態語で示すならばまさにそんな感じ。興奮しきった声でアリスを呼ぶ声が聞こえた瞬間、背後から強い力で抱きしめられる。突然景色が揺らいだための動揺で、シズクは声を上げる事すら出来なかった。普段こんなに至近距離で感じる事はない、人肌の温もり。僅かに視界に入る浅黒い両腕。間違いなくそれは、男性のものであった。
 「――――」
 困惑しきりの顔で、とりあえず状況だけは把握しようと必死になる。目の前で、表情を無くしてしまっているリース達の姿が見える。その隣で、先程の執事服の男性が大袈裟なくらいに目を見開いているのも。
 空気が凍りついたとは、この事だ。
 「アリス! やっと帰って来たんだな!」
 聞き覚えのない声は、アリスと呼びながら、間違いなくシズクを背後から抱き締めている。いや、これはもはや羽交い締めと呼ぶべき領域だろうか。というか、そんなに力を込めたら息が詰ま――
 「しばらく会わないうちに、随分とあちこち成長してるじゃねーか! これで貧乳も卒業――……って、あれ? アリス?」
 腕が解かれる事はなかったものの、締め付ける力は若干弱まった。声の主は、自分が今抱きしめたつもりのはずのアリスが、何故か数歩距離を置いた場所に居て、こちらを睨みつけているという事実に気づいたようである。
 普段穏やかな表情が標準装備のアリスだがしかし、この時ばかりは物凄い形相だった。端的に言ってしまえばそう、眠れる獅子を起こしてしまったかのような。
 「って事は……え?」
 未だシズクへの拘束を解く事はなく、自身の体勢だけを変える事で、声の主はようやくシズクの眼前に出現したのである。シズクも、この突如現れた謎の人物を見定めようと、視線を巡らせる。
 「…………」
 年齢は、それほど自分と変わりがないと思う。跳ね気味の黄土色の髪。きりりと釣り上がった瞳は、真夏の空を思わせる鮮やかなブルー。一般的に言って、格好良い人と呼べなくも無いが、とりあえず、全くもって見覚えのない顔である事だけは確かだった。
 もちろん相手の男もそれは同じであったようで、眉根を寄せると盛大に首を傾げる。
 「あんた、誰?」
 「……それはこっちの台詞――」

 「いつまで抱きしめてるのよ、この変態!」
 「離れろ馬鹿!」
 「私のシズクちゃんに何て事してくれてるのよーっ!」

 シズクの抗議の声を遮り、執事服の男性以外の3人からそれぞれ罵声が上がった。かと思えば、直後には未だにシズクを羽交い締めにしている勘違い男を引き剥がしにかかったのだった。
 ちなみに、この変態男がアリス達の幼馴染だと知らされたのは、リース達の手によって一通り彼が袋叩きにされた後の事である。



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