追憶の救世主

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第3章 「水と緑の城」

2.

 「長旅御苦労だったね。ようこそ皆さん」
 柔らかな声で告げたのは、玉座に腰かけているエラリア王だった。土色の髪と瞳。噂に聞いていた王の性格を表すかのように、温和な笑みを浮かべ、本当に嬉しそうな顔で一行を見る。イリスピリア王やネイラスといった、典型的な『偉い人オーラ』を放つ人たちに比べ、エラリア王はというと、本当に国の頂点に立つ人だろうかと思ってしまう程に物腰の柔らかな人であった。緊張していたシズクも、彼の穏やかさにほっと胸を撫でおろす。
 「お久しぶりです、セルト王」
 恭しく首を垂れるリースの動きに、一番端に佇むシズクもまた、慌てて倣った。にこにこと、リース達を見ていたエラリア王だったが、一行の中に本来居るはずではない人物の姿を認めて、目を見開く。
 「おや、アルキルも一緒に来たのかい? ……また随分と、こっぴどくやられてしまったようだが」
 最後の方の言葉は笑い交じりだ。彼も、状況をすぐに飲み込んだのだろう。
 ちらりとシズクも、王の視線を追う。アリスの右隣。シズクが立つ位置とは正反対に当たる場所に、件の男は佇んでいる。黄土色のつんつん頭に、真夏の空を閉じ込めたような色をした瞳。先ほどシズクに狼藉を働いた人物である。リース達から袋叩きにあったダメージがまだ尾を引いているらしいのが見てとれた。
 「変態退治をしただけですわ、おじ様」
 「ひでぇやリサ姉! 俺がいつそんな非道な行いをしたっていうんだ!」
 「つい先ほどな」
 自分の胸に手を当てて考えてみろ。半眼でリースが告げると、青年もまた、瞳を細めて彼を睨みつける。
 「アルキル・キエラルト。相変わらずのようだね君は」
 火花を散らす男二人の姿に、エラリア王はにやりと笑った。

 ――アルキル・キエラルト。

 それが、勘違い男の名前である。
 年齢は一つ年上の18歳。エラリア国立学校の学生で、エラリア騎士団の団員で……えぇと、あと何だったか。色々と肩書があったような気がするが、とりあえず、アリス達の幼馴染だそうだ。イリス以外の地にリースやリサの幼馴染が居たとは驚きだったが、王族であるリサ達にかなり砕けた言葉づかいをしているのを見る限り、嘘ではないのだろう。そして、彼がそれなりに高い地位の人間である事も予想出来る。
 「俺はただ、久しぶりにアリスと会えた感動を行動で示そうと思ってだなぁ」
 「行動の示し方がなんともアキらしいけど、抱きしめる相手を間違えている時点で大問題よね」
 アルキル――こと、アキの言葉に、苦笑いでリサが突っ込みを入れる。
 状況を簡単に説明するとこうだ。アキはアリスとの再会の喜びを示す上で、サプライズと称して背後から彼女を抱きしめるつもりだったようなのだ。しかし、どこでどう間違えたのか。というか、どうやったら間違えるのか教えて欲しいくらいだが、結局彼が抱きしめてしまった相手はシズクだった。
 「お前の目はとんだ節穴だな、アキ」
 リースの言葉に、アキ以外のその場の全員が首を縦に振る。ここまで一行を案内してくれた長身の男性までもが、賛同の気持ちを示してくれていた。
 「こいつとアリスを、どうやったら間違えるって言うんだよ」
 どう見たって違うだろうが。そう付け加えると、リースは目線をシズクに向ける。エメラルドグリーンの瞳には、大いなる呆れと同時に、少しばかりのからかいが見てとれた。彼ともそれなりの付き合いだ。言葉で告げられずとも、リースが何を言いたいか大体分かってしまう。どう見ても、お前とアリスとは別次元だろうと。つまりはそういう事だろう。
 (た、確かにそうだけどさ!)
 いつもならば彼の挑発に乗って突っかかって行くところだったが、今はそれは駄目だ。イリスでは許される事も、ここでは許されない。少なくともこの国に滞在している間は、使用人と王子様という間柄を装わなければならないのだ。反論どころか、彼を睨む事すら出来ない立場であるのが無性に悔しい。
 「……アルキルが迷惑をかけたようだね。お連れのお嬢さんは一体どういう立場の方なのかね?」
 シズクの心中など露ほども知らないエラリア王は、一同のやりとりに微笑ましい物でも感じたのだろう。軽く笑い声を上げると、土色の瞳をシズクに据えてくる。見つめられて、底抜けに優しい瞳だと思った。見慣れない人物であるシズクを、彼は警戒すらしない。いや、ひょっとしたら心のどこかで用心しているのかも知れないが、少なくともそれを表情に出す事はなかった。貴方は誰? と、純粋にシズクの存在について問うてくる。
 「シズクは私の付き人ですわ、おじ様」
 「付き人……。リサにしては珍しいね」
 現代のイリスピリアには侍女を付ける習慣はない。今回のエラリア訪問にしても、行き帰りの移動に必要な数の使用人は連れてきているが、付き人としてエラリア城に上がっているのはシズクだけである。王の反応からして、未だかつてリサがそのような者を連れてきた事など無かったのだろう。だが、この反応もシズク達の予想の範疇である。すうっと深呼吸を一つついてから、シズクは半歩前に出る。
 「お初にお目にかかります、エラリア国王陛下。リサ王女の付き人として参上致しました、シズク・サラキスと申します。庶民の出故、本来このような場には相応しくない者ですが……王女より特別のお引き立てを頂き、列席させて頂く運びとなりました」
 可能な限り落ち着いた調子で言葉を紡ぎ、丁寧に礼をとる。
 リサの付き人としてエラリアに行くからと言って、シズクの行動如何によってはボロが出てしまいかねない。イリスを発つ前に、ネイラスから色々とそれらしく見せるための特訓を受けていたのだ。所詮付け焼刃だが、とりあえず上手く行った……とは、思う。
 「…………?」
 しかし、恐る恐る顔を上げたシズクの目に飛び込んできたのは、呆気に取られた表情のエラリア王だった。柔和な笑みを完全に消し去り、彼は目を見開いた状態でシズクを見つめている。ネイラスの仕込み通り上手くやったつもりだったのだが。何かおかしなところがあったのだろうか。
 「あの……何か?」
 内心激しく動揺しながら、それを極力表に出さないように努めて、首を傾げておく。
 「いや、何でも無いんだ。……可愛らしい付き人殿だね。――エラリアへようこそ」
 一瞬戸惑った表情を浮かべた後で、すぐに優しい笑みを取り戻すと、そう穏やかに言ってエラリア王は瞳を細めた。さっきのあれは何だったのだろう。内心未だに首をひねっていたシズクだったが、王の視線が自分ではない所に移動したのを受けて、思考をそこで中断させる。
 玉座に腰掛けたエラリア王は、最後にアリスを見た。
 「おかえり、アリス」
 まるで、久しぶりに愛娘を見た父親のような。そんな穏やかな声だった。彼女を見据える瞳に、暗い感情は一切宿らない。土色の瞳が宿すのは、曇りのない優しさだ。
 「……お久しぶりです、叔父様」
 けれど、エラリア王の言葉を受けたアリスの表情は冴えなかった。あまり抑揚なく告げると、先ほどシズクが行った付け焼刃的な挨拶が霞んでしまうくらい、美しい礼を取る。闇色の瞳が一瞬揺らぐが、決して笑う事はなかった。それを受けて、王はどこか寂しそうな笑顔を浮かべる。
 「後でレクトとフィアナにも会ってやっておくれ。アリスにとても会いたがっていたから」
 「……はい」
 さて。と告げてから、エラリア王はこの場に居る一同を見回し、居住まいを正した。アリスの事が気になっていたシズクも、姿勢を正して玉座の主を見る。
 「長旅お疲れだろうから、今日はゆっくりと休んで下さい。夕食は部屋に持って行かせる事にしよう。それで、今後の簡単な予定だけれど――ディラン」
 そこで一旦言葉を切ると、王は例の執事服の男性へ目くばせした。一同の視線が彼へ集中する中、ディランと呼ばれた男性はこほりと咳ばらいを一つ。
 「式典は一週間後の正午を予定しております。それまでは、城にてごゆるりとおくつろぎ下さい。前日と当日の夜に、夜会を開催させて頂きますので、ご出席下さいますように。何かお困りの事がございましたら、このディランにお申し付けください」
 長身の執事、ディランはいかにも紳士的な笑みを浮かべて礼をとった。
 「それでは皆様、楽しいひと時を過ごされますように」






 玉座の間を出た瞬間に、爽やかな風が焦げ茶色の前髪を掻き上げていく。しばし心地よさに気持ちを持っていかれていたシズクだったが、すぐ隣から聞こえてきたやり取りによって、現実に引き戻される事になる。
 「アリス! 本当によく、戻ってきてくれたよなぁ!」
 畏まった場ではさすがの彼も空気を読んでいたらしい。アルキル・キエラルトこと、アキは、廊下に出た途端に本性を曝け出すと、そのままの勢いで一歩先を歩くアリスを抱きしめようとするが、
 「ほんっとうに、ちっとも変わっていないのね、アキ!」
 軽やかなステップでかわされ、両腕で虚しく空気を掴む結果に終わる。不自然な体勢で悔しがるアキを、アリスは心底呆れた表情で睨みつけていた。彼女の背後に控えるリースやリサも同様に。唯一、シズクだけが経験し慣れない雰囲気の中で、困惑を露わにする。
 「変わる訳ないだろアリス。この俺がお前を想う気持ちは――」
 「と、に、か、くっ! 今度シズクに変な事仕出かしたりしたら、許さないわよ!」
 アキの言葉を途中で遮ると、毅然と言い放つ。ドレスや化粧も相まって、結構な迫力だった。リースやセイラ以外の前でここまで強気のアリスを、シズクは初めて見た気がする。呆気に取られるシズクの方に、真夏の空色をした瞳が向けられたのは、その瞬間の事だ。
 「シズク……って、リサ姉の付き人? 知り合いなのか?」
 「知り合いじゃないわ。シズクは私の友達よ!」
 「とも、だち……?」
 ぎょっとしたような表情を浮かべた直後、アキはアリスとシズクを、何か珍しい物でも発見したかのように交互に見比べ始める。妙に迫力のある視線に曝されて、しまった、と思った。使用人であるはずのシズクが、お姫様であるアリスと友達など、普通ならば有り得ない状況である。というか、今ここでその発言は明らかに不味いと思う。
 「ア、アリシア様!」
 場を何とか取り繕おうとシズクが声を上げた時だ。

 「アリスッ!」

 ぱたぱたと廊下を忙しなく走る足音と、あどけないテノールが耳に届く。それまでシズクとアリスに向けられていたアキの視線が、廊下の先へと向けられた事で、シズクもまた、視線を音のした方を見た。
 結果的にシズクにとっての救いの声となった声の主は、土色の髪を揺らしながら駆けてくる愛らしい顔立ちの少年であった。彼の後方には、シンプルなドレスに身を包んだ穏やかな表情の女性の姿もある。
 「レクト……」
 形の良いアリスの唇から、件の少年の名がそのように紡がれた瞬間、シズクは目を見開いていた。
 (この子が、レクト王子)
 今回の式典の主役にして、次期エラリア王の座につく人物。13歳になったばかりだと言うので、ある程度予想はしていたのだが、次期後継者として見るにはまだ幼い。その辺りの広場で遊んでいる少年達に溶け込んだら分からなくなりそうな、そんな極普通の少年だった。
 「お帰りなさい、アリス!」
 アリスのすぐ目の前までたどり着くと、嬉しそうに言って、レクトは彼女に抱きついていた。アキの時とは違って、アリスも笑顔で少年の抱擁を受け入れている。役得と言えば役得。だがちらりと一瞬、レクトとアキの視線がぶつかったのは、シズクの気のせいではないと思う。苛立った殺気のある視線と、勝ち誇ったような視線が確かに今火花を散らした。
 「本当にお帰りなさい、アリス」
 「叔母様……」
 レクトに遅れて一行の前に登場したのは、豊かな黄土色の髪が印象的な、たおやかな女性である。アリスの叔母という事は、セルト王の妻にして、今アリスに抱きついているレクト王子の母君、フィアナ王妃なのだろう。王と同じく、王族としての煌びやかなオーラはなく、穏やかで優しい雰囲気の人だと思った。
 アリスとしばしの間視線を合わせた後、一同の姿をくるりと見渡してから、王妃は髪と同じ色の瞳を細めて笑む。
 「息子のために、おいで頂きありがとう。リサとリースはお久しぶりですね。そして貴方とは、はじめまして。フィアナと申します」
 視線は真っ直ぐにシズクの方を向いていた。ああやはり、セルト王と共に歩む人なのだと思う。向けられた視線まで同じ力を持っていたからだ。
 「シズク・サラキスです。リサ王女の付き人として参りました」
 恭しく首を垂れてシズクも挨拶する。数秒の後顔を上げて、再び王妃の顔を見るが、この時の反応もまた先ほどのセルト王と同じであった。表情を無くすと、はっとしたようにしてシズクの顔を見つめてくる。一体何だというのだろう。
 「――シズクは、私の『友達』です。叔母様」
 不可解な王妃の視線は、アリスのその一言によってシズクから離れて行った。代わりに、こちらを真っ直ぐ見つめてくるアリスの視線とぶつかる。
 「友……達……」
 アリスの腕に包まれているレクト王子も、立ちつくすフィアナ王妃も、掠れた声でそう呟いたきり、ぴたりと動きを止めてしまう。アリスが口走った内容と、その重大性を理解するのに大した時間は要らなかった。アリスの背後で再び固まっているアキも含めた3人の視線が一気にシズクに集中した瞬間、一体どういう事だと質問の雨を浴びせられるのが目に見えてしまい、シズクは身構える。しかし――
 「素晴らしいわ!」
 体を強張らせて目を瞑っていたシズクの耳に届いたのは、張りのある王妃の声だった。
 「……へ?」
 使用人という立場も忘れて、思わずそんな声を漏らしてしまう。だが、それらを咎める者も今この状況下においては居ない。独特の色合いをした瞳を開けた先にあったのは、嬉々とした表情の王妃とレクト王子。ぎゅうっと両手に温もりを感じて驚いた。フィアナ王妃がシズクの両手を取っていたのだ。
 「アリスのお友達! とっても素敵な事だわ!」
 「おいで下さってありがとうございます! エラリア王家一同、大歓迎です!」
 「あ、あの……」
 「絶対に近々お茶会を開きますから! 貴方も是非参加して下さいな!」
 ある意味物凄い迫力の二人に、ただただ混乱気味に頷くしか出来なかった。どうやら歓迎してくれているようだったが、全くもって意味が分からない。アリスの友達である事が、それ程に凄い事だというのだろうか。いや、確かに大国のお姫様であるアリスと友達であるのは、それなりに凄い事なのかも知れないが、王妃達の喜び様は、異様とも言える。
 興奮したように口々に紡ぐ王妃と王子に押され気味のシズクだったが、他でもないアリスが穏やかな表情で笑っているのを見て、とりあえずシズクも笑みを浮かべておく事にする。ちらりとリース達のほうを見ると、彼らもまた苦笑いの中にそれとは違う感情を宿した表情で王妃たちを見ていた。
 「――――」
 それらを一瞥してから、今度はシズクは豊かな水が流れる城と中庭の方を見た。初夏に差し掛かった庭は、艶やかな花々で満たされつつある。水と緑の都エラリア。今日からここでしばらく過ごす事になるのだなと、ぼんやりと実感が湧いてきた。尤も、ただ遊びに来た訳ではなく、ある種の重大な使命を負っての滞在ではあったが。予想したより賑やかな1週間になりそうだとも思う。
 「ようこそエラリアへ!」



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