追憶の救世主

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第3章 「水と緑の城」

3.

 「ねぇねぇ、知ってる? イリスピリアの王女と王子が揃って来国されているらしいわよ?」
 「当前。今城内その話題でもちきりなんだから。レクト様の例の儀式に参加されるためよね」
 「他にもほら、オルトロスの美姫姉妹にキーリアの王様。この不穏な空気流れるご時世に陛下も粋な事されるわよね! 豪華ゲスト満載!」
 「目と心の保養」
 「忙しいのが玉に瑕だけどね」

 軽く汗ばむ陽気。真っ白な雲が浮く快晴の空の下、濃い緑が溢れる中庭での出来事だった。まさに洗濯日和といった中、乾いた来客用シーツを取り込みながら、使用人の少女たち数人が噂話に花を咲かせて居るのだ。
 彼女達とは少し離れた場所で、シズクもまた、替えのシーツを抱えて中庭から城へと続く廊下を歩いていた。

 「そういえばさ、姫様も帰国されたみたいだね」
 「あぁ、アリシア様」
 「そう。家出王女様」

 聞き覚えのある人物の名前が飛び出したところで、ぴたりと足を止める。
 (家出王女?)
 決して褒め言葉ではないだろう呼び名に、眉をひそめる。会話の流れから言って、間違いなくそれはアリスの事を指している。

 「嫡子じゃないにしても、あの方もこの国の姫様なのにね。レムサリアに行ったきり滅多に帰って来ない」
 「だから家出王女様」
 「あら、私はアリシア様、好きよ。美人で優秀だけど、それを鼻に掛けたりなんてしないし。優しいし」
 「綺麗だけど、お人形みたいで私は近寄りがたいかな。まぁ王族になんて、使用人風情がなかなかお近づきになれる事もないけど」
 「きっとレムサリアで呪術の修行をされているのも、いつかエラリアで役立てるための行いよ! 私はそう信じてる」

 そうかなぁ。そうかしら。
 アリス擁護派の少女の言葉に、その場の大半の少女が首をかしげて苦笑いする。そんな時だ。突然の強風が中庭に吹き荒れる。それは少女たちの他愛のない会話を中断させた上に、現在取り込み中のシーツのうちの一枚を空中へと投げだしてしまう。
 客人用の高価なシーツだ。地面に落として土などつけようものなら、使用人頭からお咎めがあって然るべきだろう。真っ青になって使用人の少女の一人がシーツを追いかけるが、地面に着地するまでに間に合いそうも無い。

 『――風よ(ロウブ)

 すれ違う人間にも聞こえないくらいの小声で使役の言葉を紡ぐと、ふわりと風が軌道を変えてくれる。真っ白なシーツは風に遊ばれた末に、必死で追いかける少女の腕へと見事な着地を決めたのだった。後方でほっと胸をなでおろしている使用人たちを一瞥し、彼女たちのために風を操った張本人であるシズクもまた、一息つく。そして、部屋へ戻ろうと歩みを再開しようとした。
 「便利なもんだな。魔法って」
 「――――っ」
 至近距離でかけられた言葉に、本気で心臓が止まるかと思った。
 いつから隣に居たのだろう。驚いた拍子に両腕で抱えたシーツを落っことしそうになったが、何とか踏みとどまる。使用人たちを救った自分が、危うくお咎めを受ける立場になってしまうところであった。
 「お、驚かさないで下さいよ、リース王子!」
 突然現れた人物である金髪少年の顔を睨みながら、言葉遣いだけは保ちつつ一応批難しておく。まったく、見事な神出鬼没ぷりである。魔法を唱えるため、集中力をシーツと使用人たちの方へ向けていたという事もあるが、彼が近づいてきている事にシズクは全く気付かなかった。
 睨みを向けられてもリースは全く動じない。飄々とした表情のまま、視線を例の使用人達へと向ける。
 「まさかとは思うけど、初めの風もお前の仕業とか?」
 「そんな事しません! ……まぁ、確かに。聞いていて気持ちの良い話ではありませんでしたけどね」
 肩をすくめてみせると、まったくだ。と呟きリースも肩をすくめる。どうやら彼も、アリスについて使用人たちが話しているのを聞いていたらしい。
 「…………」
 エラリアにやってきて3日。使用人として城内を歩きまわる中で、リースやリサ、アリスについての噂話を聞くのはこれが初めてではなかった。というか、頻繁に耳にすると言っても間違いではない。
 イリスピリアの王子様と王女様へ向けられる言葉は、主に称賛や憧憬の言葉だ。さすがは大陸にその名を轟かす麗しの王女様と王子様なだけある。そして……アリスについては、おおむね先ほどの会話のような感じであった。
 耳を塞ぎたくなる程辛辣な評価を下す人間には未だに遭遇していないが、自国の王女に対する言葉にしては、皆どこか棘があった。アリスがエラリアに帰りたがらない気持ちも、なんとなく分かる。しかし、そんなアリスの行動がまた、民意をどんどん彼女から遠ざけてしまっているのではないかとも感じる。
 「悪循環って事か」
 ぽつりと零した言葉に、リースは何も返してはこなかった。
 「ところでさ」
 話を切り換えようという事だろう。両手を頭の後ろで組んでから、リースは改めてシズクに向き直る。そして、頭からつま先までを、若干呆れの籠った顔で一瞥してきたのだ。もちろんシズクが纏う衣装は、リサが用意した使用人用のそれである。今日も今日とて、焦げ茶髪はシニヨンにして頭の高い位置で留めてある。
 「お前、本当に使用人と同じ事する必要はないだろうが。部屋の世話だって、エラリアの方でやってくれるって言ってなかったっけ?」
 リサとシズクの部屋は、リサたっての希望で一つになっていた。付き人用の控え室が付いている部屋がそれで、リサの寝床程豪華なしつらえではないのだが、シズクに与えられたスペースもまた、十分すぎる程の設備が整えられていた。その上で更に、エラリアの使用人によって身の回りの世話までしてくれるとの事だったが、それだけは丁重にお断りしたのだ。
 「……使用人の格好をしてリサ様のお側に居るんですから。部屋のお世話くらいさせて頂かないと、わたしの気持ちがおさまらないんです」
 さすがに洗濯や食事の用意はお任せだったが、荷物運びやベッドメイキングくらいは自分がやらなければいけないだろうと思うのだ。所詮偽りの使用人。1週間と少しの滞在期間が終わるとエラリアを離れる予定ではあった。リサに言わせると、そこまで気にする必要はないらしいが、要はシズクの気分の問題なのだ。第一、使用人らしい仕事を一切せずに、ただエラリア城内をうろつくだけでは、かなり悪目立ちしてしまう。
 「本来の目的を忘れてるって訳じゃないよな?」
 「それはもちろん。リサ様に頼まれた本も、図書館から数冊見繕って来ておりますし」
 言って、シズクは抱えたシーツをめくり、重たそうな分厚い本を数冊持っている事をリースにアピールする。そのどれもが、『石』探しのヒントにならないだろうかと、リサが目星をつけた類のものであった。
 大国の王女様というのは、人気者で大変だと思う。エラリアに来て以来、あちこちの王族貴族からお茶会の誘いを頂いているため、食事時間と夜以外はほとんどリサに自由時間が存在しないというのが現状であった。大がかりなお茶会のいくつかには、シズクも付き人として参加したが、華やかな反面、どこか堅苦しい雰囲気が漂っていて、庶民出のシズクにとっては非常に肩の凝る空間であった。自由に動けないリサの代わりに、こうしてエラリア城内をあちこち動き回っている方が性に合っている。
 リースやアリスにしても、ほとんどリサと状況は同じだろう。『石』についての調査は行っているだろうが、彼らもまた王族としてのお付き合いや役割に多くの時間を割いている。今みたいにシズクがリースと会話をするのも、初日に別れて以来初めての事だった。今日は自由時間が多いのだろうか。
 きゃあっと、黄色い歓声を背中に受けたのに気づいたのは、そんな事を考えつつリースの腰に下がる黒刃の剣に目が行った時だ。声のした方へ視線を巡らせると、先程までシーツを取り込んでいた使用人達が、こちらを興奮気味の表情で見ているのが分かる。リースの存在に気づいたのだ。麗しのイリスピリア王子様が近くに居る事を知って、ミーハーなお年頃の少女達が騒ぎだすのも無理はない。
 だが、シズクにとっては由々しき事態である。訝しげな視線と共に、少女の幾人かがシズクを指さしているのを認めて、無防備に立ち話をし過ぎたのだと悟った。
 「あの……! わたしはそろそろこの辺で――」
 「思うんだけどさ」
 早急にこの場を後にしようと、暇を告げようとしたところを、他でもないリースによって止められてしまう。彼だって周りが見えていない訳ではないだろう。瞳を輝かせてこちらに注目している使用人たちに気づいているに違いない。それなのに、あたかも気づいていないような表情で会話を続けようとする。
 視線でだけ批難の意を伝えていると、エメラルドグリーンの瞳は、まっすぐシズクへと向けられた。普段通りのようで、どこか違う表情に、胸が騒ぐ。
 「こっそり魔法を使う事が出来るんだったら、近くに人が居ない時くらい、『普通』に戻ってもいいんじゃねーか?」
 シズクでは推し量れない感情が、彼の瞳に揺らいでいるように見えるのは、単なる気のせいだろうか。
 彼が言う『普通』が何を意味するのか、考えずとも分かる。イリスピリアを初めて訪れて、リースがかの国の第一王子だという事を知った直後に告げられたのだ。――普段通りで居ろ、と。菜の花通りで出会った頃のまま、身分も立場も取り払った、対等なやり取り。それが、彼の望むもの。だが……
 「……本来の目的を忘れていらっしゃるのは、リース王子の方ではないのですか? 状況を考えて下さい」
 「分かってるけど、今くらい――」
 「そもそも、これが本来の『普通』なんですよっ」
 大国の王子様と小さな田舎町で知り合う事なんてあり得ない。本当だったら、今のこの状況が、シズクとリースの『普通』であったはずなのだ。
 現状から逃れようとする焦りと、使用人達の騒ぎ声への苛立ちとで、思わずそう零していた。だが、零した瞬間しまったと思った。失言だった事に気づき、慌てて彼の方を見る。シズクの視線を迎え入れたのは、恐ろしく整ったイリスピリア王子の顔だ。冷えた表情は、彼の美貌を引き立たせるのに、絶大な効力を発揮していた。
 「――――っ」
 怒って、不機嫌そうな顔をしてくれていた方が、遥かにマシだったのではないかと思う。感情を消し去ったリースの表情は、シズクが思った以上に、今の一言が言ってはならない事だったのだと認識させられたのだ。
 視線を合わせているのが辛くなって、瞳を伏せる。少女たちの好奇を含んだ囁きが耳を侵していく。一刻も早く、ややこしい状況から逃れなければならないと思うのに、足は一向に動かなかった。中庭の廊下と一体化したかのように、固まってしまっていた。
 「お前は……」
 「え?」
 「シズクは、そうしている方が、楽なのか?」
 気まずい沈黙が数秒流れた後、ぽつりと、独白にも似た台詞が落とされる。その言葉の意味と、彼らしくない声に、弾かれたように顔を上げていた。先ほどまでの飄々とした態度は、一体どこへ行ってしまったのだろう。そんな顔をされると、折れるしかなくなるではないか。

 「……意地悪だよ。リース」

 ようやく発した声は、酷く掠れてしまっていた。
 「少しは自分が他人からどう見られているか、考えてよ」
 立ち話も結構な時間になる。使用人の少女たちは、より好奇の色を強くした視線でシズク達の事をあれやこれやと詮索しだしていた。あの子は誰だと。イリスピリア王女付きの使用人ではなかったかと。では何故、その付き人がイリスピリア王子と立ち話をしているのだろうかと。
 イリス魔法学校に編入した直後にも、確か今と似たような状況があったように思う。彼はいつだってそうなのだ。シズクだって、リースとの間に隔たりを設けたくはないと思っている。だが、状況に応じ、臨機応変になるべき時もあると思うのだ。そう言う時も……いや、むしろそういう時こそ、彼はシズクに『普通』を求める。気のせいだろうか。
 「楽な訳ない。本気でそんな事思ってるの?」
 出どころの分からない苛立ちを抑えるために、唇を引き結ぶ。どうしてこういう事になってしまったのだろう。
 「それくらいリースだって分かって――」
 「悪かったよ」
 眉間にしわを寄せ、幾分投げやりになっていたところに、白い何かが視界の隅に飛び込んでくる。真白なシーツの上に投げ置かれたそれは、シズクの手のひらより少しばかり小さい、可憐な花。
 「へ?」
 花を贈られるにしてはあまりに渡され方が無造作すぎて、苛立ちも忘れ、シズクは目を見開く。どこかで見た覚えのある花だ。一体どこでだったか。考えるも、今すぐには浮かんできそうにない。しかし、一体何故こんなものをシズクに寄こしてきたのだろう。訳を尋ねようとリースを見るが、口を開くより先に、城の方から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
 「リース! そろそろ続きを始めるよ!」
 愛らしい顔立ちの少年は、見間違えるはずもない。レクト王子だ。木でできた練習用の剣を片手に、彼は早く早くとリースを急かしているようである。リースと一緒に居るシズクの姿を認めたところで、王子はきょとんとして動きを止める。
 「剣の相手してる途中だったんだよ」
 状況が呑みこめずにいるシズクに、リースがそのように教えてくれた。なるほど、王子様もやはり忙しい。とすると今は休憩中だったのだろうか。タイミング良くシズクの姿を見つけて、話しかけてきたという事か。
 すぐ行く。と叫んだ直後には、シズクに別れを告げる事もせずにリースは走り去ってしまう。取り残され、ぽかんとするシズクだったが、例の使用人達からぎゃあっと悲鳴のような声が浴びせられたところで我に帰る。咄嗟の事で存在を忘れていたが、そういえば自分たちは彼女達からの注目の的であった。
 少女たちは口ぐちに何事かを呟き、しきりにこちらを指さしてくる。その矛先が、先程シーツの上に放り投げられた白色の花である事に気づいて、シズクは身を固くした。決して花を贈られたとか、そういう状況ではなかったが、誤解を招くには十分な要素かも知れない。
 やはりリースは、何にも分かっていない。
 再び苛立ちが込み上げて来たが、このままだと益々状況の悪化を招いてしまいそうで、慌ててその場を後にしたのだった。



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