追憶の救世主

backtopnext

第3章 「水と緑の城」

5.

 事の成り行きを好奇の目線でもって見ていた人々も、アキの言葉を聞いた瞬間、なんだそういう事かと、幾分がっかりした表情を浮かべていた。イリスピリアのリサ王女と、アキとは幼馴染の仲だ。たまたま偶然通りかかった王女の使用人に、彼が特別の言づけを託す事は別段おかしい事ではない。各々の頭の中でそう結論づけると、皆興を殺がれたとばかりにその場を後にして行く。若干名の使用人の少女達からは、少しばかり嫉妬の籠った目で見つめられたが、特に大きな騒ぎになる事もなく、その場は納まったのだった。
 訓練もまた、一旦お開きになったようで、騎士団のメンバーも徐々に引き上げていく。ただ一人、円形の広場にはシズクだけが一人残された。

 「見たところ極力目立ちたくないって感じだけど、あんたってそっちの願望持ってリサ姉に取り入った使用人って訳じゃなさそうだな」

 片付けと着替えを済ませ、騎士団の訓練施設から再びアキが顔を出したのは、シズクが広場に取り残されて10分程経った頃だ。エラリア国立学校の制服に身を包んだ彼が、開口一番に言った言葉に、シズクは大いに首を傾げる。
 「そっちの願望って……?」
 アキの言わんとしている事がよく分からない。使用人とは、何か野心を抱いてなるものなのだろうか。そもそもシズクは今のような立場になった事自体、リサの思いつきの産物であるのだから、願望もくそもない。要領を得ず眉根に皺を寄せて考えるシズクを見て、アキは若干苦笑いになる。
 「身分の高い人間の侍女だとか付き人だとかになりたがる奴らの考える事っていったらあれだろうが。良い家柄の人間との縁談話」
 「え、縁談……!?」
 「実際多いんだぜ? 付き人同士の引き合わせ。当人にしても玉の輿に乗れる可能性が高いし、主人にとっても、そこで横の繋がりが出来るから悪い話じゃない。特にエラリアなんかどっちかってっと保守的な国だから……リサ姉のとこになんて絶対そういう系の話がたくさん持ちかけられてるはずだぞ」
 そう言ってアキは、シズクが右手に持っているリサ宛ての手紙類を指さす。
 「その中にも、一つくらいはあんたに関する内容もあるんじゃね?」
 まさかと思うも、そういえばシズクに手紙を渡してくる者の中に、それらしい素振りをした者が全く居なかったかといえば、そうでもないという事に気づく。
 引き合わせは、主人同士が合意して初めて成立するもので、まずはお茶会に招待するなり、手紙でお伺いをたてるなりするのが常らしい。大国の王女の付き人ともなると、たとえそれがシズクのような平凡な少女であったとしても、この機会に是非にと、丁度良い年齢の少年を選んで、引き合わせようとする者が多いのではないかとの事。皆、リサとの繋がり、ひいてはイリスピリアとの繋がりを求めるからだ。
 しかし、シズクにしてみればまさに寝耳に水の話であった。王家だとか貴族だとか、そういう高い身分の人たちの生活をほとんど知らないのだから無理も無いが、アキの言う事がもし本当だとすれば、連日あれだけの手紙類が持ち込まれているにも関わらず、シズクには露ほどもそれらしい話を振って来ないところからして、リサが誘いを断ったり、かわしたりしてくれているのだろう。断るのが得策ではなく、やむなくシズクも出席する事になったお茶会も、堅苦しくはあったが、出席者は女性のみで構成されたものだった。
 シズクの意図したところではないが、もしや迷惑をかけてしまっているのではないか。そんな事を思い、あたふたし始めるシズクを見て、アキはとうとう噴き出していた。昼下がりの空に、明るい笑い声が響く。
 「全くその気がねーのはよく分かったよ。まぁ、リサ姉がそんな野心持った連中を側に置いたりなんてしなさそうだよな。結構気に入られてるみたいだし……まさかとは思うけどあんた、リース狙いとか?」
 「な――っ!!」
 思わぬ人物の名前が飛び出して、シズクは益々混迷を深める。いきなり飛躍しすぎである。いよいよもって、シズクには手も及ばない領域に話が進み始めたようだった。貴族や王族の付き人との縁談話でさえ世界が違うのに、よりにもよって大国の王子様とは。
 「そんな訳あるはずないじゃないですか!」
 飛び出した声は、悲鳴に近かった。仮にも大貴族の御曹司だ。若干半眼で目の前の少年を睨みつつ告げた訳だが、これもひょっとすると不敬に値するかも知れない。しかし、アキという人柄が、そういうものを少しも感じさせないのだ。実にあっけらかんとしていて、今もシズクの怒った顔を見て、白い歯を見せて笑っただけだった。
 「やっぱり?」
 「当たり前じゃないですか! いくらリサ様の付き人といったって、結局わたしは庶民の出なんですから。その点はわきまえているつもりです」
 そう。分かっているのだ。
 いくら仲が良かろうと、彼から『普通』を求められようと、越えられないものが存在する時点で、どこかでシズクは退いてしまう。だから――
 「身分違いの恋を楽しめる程、夢を見ている訳でもないですから……」
 自分に言い聞かせるようにして、シズクは言葉を紡いだ。口にした瞬間、昨日のリースとのやりとりが頭の中に浮かぶ。変に真剣な顔で、どこか寂しそうに彼が紡いだ言葉が頭の中に木霊するが、それに向かって仕方がないじゃないかと反論の言葉を重ねた。
 「……ま、確かにやめといた方が無難だよな。身分が違い過ぎる恋ってのは、大概痛い目見る事になる」
 でも何故だろう。何気ないアキのその一言に、酷く胸が締め付けられる。思わずアキの顔を振り返って見つめてしまうと、彼は眉根を寄せて、怪訝な表情をこちらに寄こしてきた。彼にしてみればそれは何でも無い世間話の延長で、ぎょっとした顔でシズクに見つめられるような事を口走ったつもりでもないだろう。シズクにしても同じであるはずなのだが……。

 「……ところで。リサ様に言づけって、一体どういうご用件ですか?」

 話題を変えよう。そうだ、それがいい。訳の分からない感情に背を向け、シズクは極力落ち着いた声でそう告げていた。と言うかそもそも、アキがシズクを呼びとめたのは、彼からリサへ伝言したい事があったからだ。
 「あ、そうだったな」
 本来の目的を思い出したとばかりに、アキは軽く頭をかいた。それまで流れていた微妙な空気を特に気にする様子はない。それどころか、少々バツが悪そうな顔で苦笑いを浮かべてくる。
 「って言っても、リサ姉に伝言なんて本当は嘘でさ。そんなもん特にねーんだよ」
 「は?」
 次なるアキの言葉に、シズクは眉間にしわを寄せる。嘘、とは。一体どういう事なのだろう。リサに言づけを頼みたいから、シズクを待たせたのではなかったのか。
 「あの状況で、ああでも言わなきゃあんた益々注目の的だろ? 俺としても、人の噂の種になんてなりたかねーし。まぁアリスとなら別だけどな」
 弁解するにしては若干呆れが籠った声で、アキはそのように説明する。確かに、彼の言う事は間違ってはいない。先ほどの状況で、あくまでリサの使用人としてシズクに用があるとアキが告げていなければ、多少の誤解くらいは生みかねなかったからだ。それこそ、昨日リースに声をかけられた時のように。
 身分が高い人というのは、色々と面倒な事を考えなければならないのだなと思うと同時に、最大の疑問が浮かんでくる。
 「でも、では一体何のために?」
 リサに伝言したい事が無いのだとしたら、アキがシズクをわざわざ待たせて話をしたがるその目的が分からない。彼とは、エラリアに着いた初日にほんの少しだけ会って話をしただけだ。おそらくシズクの素性などほとんど知らないだろう。
 「あんたに直接確かめたい事があってさ」
 怪訝を露わにするシズクからは視線をそらして、アキはあさっての方向を見る。両手を頭の後ろで組み、少しとぼけたような態度を示すが、今は中庭の植物に向けれらている瞳は真剣そのものだった。

 「ともだち」

 「……え?」
 「アリスの友達って……本当か?」
 再びこちらを向いたアキは、もう笑ってはいなかった。先ほど剣稽古で見せたような引き締まった表情で、彼は真っ直ぐにシズクを見る。
 (友達……)

 ――知り合いじゃないわ。シズクは私の友達よ!

 真剣そのものの表情のアキと、先日のアリスの言葉が重なる。
 あの時確か彼は、妙に迫力のある顔でシズクを見つめてきたのだった。本当にそうなのかと信じられないといった様子で。リサの付き人という立場ではあったが、突如現れた見ず知らずの少女が、大国のお姫様であり、何より自分の幼馴染であるアリスと友達である訳がない。てっきりそう思われているのかとシズクは感じていた。
 しかし、今のアキの表情を見ていて、どうやらそれは違うのではないのかと思い始めていた。真剣さの中にどこか不安を内包した瞳は、先日ライラの花をシズクに手渡してきた時のリースと、酷く似ていたから。
 「アリシア様とわたしは……」
 そこまで紡いで、シズクはゆるやかに首を振る。取り繕った言葉など、きっと意味を成さないだろう。自身の心に問いかけてみても、揺るぎない気持ちがあるだけだった。
 顔を上げて瞳を細めると、こちらに問いかけを投げたきりずっと黙ったままのアキを見る。
 「アリスは、わたしの友達です」
 鮮やかな青の瞳が、シズクの言葉を耳に入れた瞬間僅かに見開かれたのが分かった。
 「……本当に?」
 「はい。それだけは、何があっても嘘偽りのない、本当の事です」
 エラリアに来た自分は、身分から何から、嘘だらけだ。今目の前にいるアルキル・キエラルトを始め、王や王妃までも多くの部分で騙してしまっている。しかしその中で、嘘ではないものを挙げるのだとすれば、シズクにとってアリスが大切な友達の一人だという事は、間違いなく真実だった。それこそ、身分も立場も関係なく。
 「…………」
 真っ直ぐ言いきったシズクの顔を、アキはしばらくの間探るような目で見つめていた。しかしやがて、引き締まった表情を崩して小さくため息を落としたのだった。
 「良かった」
 心の底からそう思っているような声で紡ぐ。リサから『変態』と呼ばれ、アリスから『軽率』と言われるような人物とはかけ離れた態度と声色に、シズクはどきりとさせられた。
 「アリスが『友達』として誰かを紹介するなんて事、これまでに一度だってなかった事だからさ。ちょっと半信半疑だった訳だよ」
 緩い笑顔で告げるにしては、あまりに冷えた事実だった。ああ、だからかと、胸中で呟く。だから、アリスがシズクを友達として紹介した時、フィアナ王妃も、レクト王子も、あんなにも興奮して喜びを露わにしたのだ。
 「あの通りの見た目と性格だし、この国に居る事であいつは益々頑なになっちまう。同年代の女子なんて誰も近寄らねーのよ」
 いつだったか、アリスが同年代の女の子とあまり話をした経験が無いのだと語っていた事がある。リースやリサのような幼馴染以外で、シズクが初めて出来た同性の友達だとも。
 ――家出王女様。
 エラリアの多くの人々がアリスに向ける視線は、一体どんなものだったのだろう。
 「だから、初めは正直びっくりしたけど……良かった。あんたの事よく知ってる訳じゃねーけど、少なくとも悪い奴じゃなさそうだし」
 黄土色の髪をかきつつ、少しだけ歯切れ悪くアキが告げる。彼はひょっとしたら、シズクの人となりを確かめようとして近づいてきたのかも知れない。注目されるのも厭わず、シズクを見た瞬間に声をかけて来たところからして、決して軽い気持ちではないのだろう。それだけアリスの事を心配して、想っている。
 「アルキル様は、アリスの事が好きなんですね」
 「当たり前だ。好きに決まってる」
 あっさり告げたにしては、その物言いはあまりに真摯で、言葉を向けられたシズクの思考は一気に停止する。自分にかけられた訳ではないのに、そうであるかと錯覚するくらい、アキの表情は真剣そのものだったのだ。これだけストレートな感情を目の当たりにするのは、ひょっとしたら初めてのことかも知れない。
 「……って、あんたに言っても仕方ない事だけどな」
 「その言葉、今みたいな感じでアリス以外の子には、言わない方が良いと思いますよ」
 真っ直ぐさはかうが、色々と誤解を招きかねない。第一、心臓に悪すぎる。未だ高速で拍動を続ける胸を抑えつつシズクが言うと、まったくだなとアキは笑った。真面目な表情が崩れた事で、シズクは内心大いに安堵する。あれ以上真剣な瞳で見つめられ続けると、さすがに身がもちそうも無かったからだ。
 そんなシズクの胸中などもちろん知らないだろう。アキは大きく息をつく。
 「ま、俺が確かめたかった事は以上。アリスの友達ってのなら、俺の友達も同然って訳で。仲良くやろうぜ……と、え〜っと、名前は――」
 「シズク・サラキスです。友達宣言するより先に、名前くらい覚えておいて下さいよ」
 アキの砕けた態度に触れていると、立場の差も忘れてついつい冗談混じりの嫌味を飛ばしてしまう。案の定彼は、人によっては不敬だと憤慨するような言葉を、あっさりと聞き入れる。
 「悪い悪い。なぁシズク、あんたもこれに参加する事になってるだろう?」
 黄土色の髪をかきながら、アキは制服のポケットから一枚のカードを取りだしてシズクの目の前に掲げる。隅の方にライラの花が描かれた上品なデザイン。柔らかな筆跡で、アキのフルネームが記載されている。昨日の夜、アリスに手渡された王妃からの招待状に相違ない。
 「王妃様のお茶会……。アルキル様も参加されるんですか?」
 「今朝方、俺のところにリースが来てさ。あの野郎、お前も参加するのかよってぶつくさ文句を垂れながら、かなり邪険にされたぜ」
 そう言うアキの方こそ、同じ事をぶつくさ漏らしていそうだ。お互い様だと思うが。胸中でのみそう呟いておいて、シズクは小さく吹き出した。という事は、王妃のお茶会にはリースも招待されているのか。リサが言っていたように、本当に顔見知りばかりの会だなと思う。それも、かなり参加メンバーが豪華な部類の。
 (……あれ?)
 そんな時だ。ふと、アキが掲げた招待状を見るうちに、シズクは妙な違和感を感じて首を捻った。と言っても、その正体がよく分からない。ひょっとしたら勘違いかも知れないが。そう思いつつも、ポケットから昨日アリスから渡された自分宛の招待状を取り出して、アキのそれの横に並べてみた。一見すると、全く同じように見えるカードだがしかし、よく見比べるとやはり、ある一部分が違っている事に気づく。
 「5枚と4枚」
 それは、隅の方に描かれたライラの花びらの枚数である。シズク宛てのカードのライラは4枚花なのだが、アキの場合、5枚花になっているのだ。
 「お、エラリアの人間でもないのによく気づいたな」
 シズクの様子を黙って見守っていたアキが、関心したような声色で呟く。しかし次の瞬間、それは自慢気な光を宿すものに変わった。
 「要するに、俺が幸運を掴む者って事だ!」
 「……?」
 「ライラは大抵4枚花なんだけど、極稀に5枚の花びらをつける事がある。それを見つけられた者は、幸運を掴むってな。ただの言い伝えだけどまぁ、こんな風に招待状や手紙なんかに遊び感覚で取り入れられる事がある、だから――」
 「5枚の、花びら……?」
 饒舌に講釈を垂れるアキの言葉を、最後の方はほとんど聞けなかった。愕然として、一瞬思考が停止する。
 言われてみれば、シズクが目にしたエラリアの紋章には、4枚花のライラばかりが描かれていたのではないか。確かめない事には分からないが、今のアキの言葉は、何か大切なヒントを示しているような気がする。
 しかし、そんな事よりむしろ、シズクを大いに動揺させたのは、5枚花のライラをどこかで見た記憶があったという事だ。
 昨日の昼間、中庭で偶然遭遇したリースが投げて寄こしてきた白いライラ。あれは確か、5枚の花びらを持っていたのではなかっただろうか。



BACK | TOP | NEXT

** Copyright (c) takako. All rights reserved. **