追憶の救世主

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第3章 「水と緑の城」

6.

 午後に予定されていたお茶会も無事終わり、リサは肩の力を抜きながら帰路に就いていた。本来ならば、参加者の多くの淑女達がそうしたように、リサもシズクを迎えに呼ぶべきだったのだろうが、こうして一人でぶらぶらと部屋に向かって歩いているのだ。幼いころから何度か訪れた事のあるこの城は、リサにとってイリスピリア城と大して変わらない。一人で歩く事に抵抗や不安も覚えないし、第一、シズクは本来使用人などではないので悪いと思うのだ。何より、最近のイリスピリアにはそもそも侍女のシステム自体、存在しない。
 大して交流も無い人々が参加するお茶会というのは、肩が凝るなと思う。こちらと純粋に友人になろうと接してくれるならまだしも、好意的な物言いや眼差しの奥に潜む下心が見えてしまうと、うんざりしてしまい、それ以上話を続けようとは思えなくなる。これもお国柄かしらねと、胸中でのみため息交じりの言葉を呟いておく。
 何より一番返答に窮するのが使用人同士の縁談話であった。リサも自分の立場は分かっている。世界一の大国の、第一王女だ。その付き人となる人物であれば、王侯貴族達の目に留まりやすいのも無理はない。
 要するに、シズクは狙われてしまっている訳だ。実際、先程のお茶会でも2、3の声はかかっていた。王女であるリサに直接縁談話をもって行くには、それなりの手順を踏まねばならないし、何よりネイラス達のガードが堅いため障害も多い。王女の使用人に縁談をふる方が手っ取り早くてやりやすいのだ。
 そういう人脈の作り方を否定はしない。しかし、シズクはリサの本当の使用人ではないのだから、申し出を受ける事など出来ようも無かった。仮に受ける事が出来たとしても、そのような場に連れて行かれる事をシズクは決して喜んだりしないだろう。そして何より――
 (シズクちゃんは、私の義妹になるんだから!)
 他国の人間に彼女を取られるなんて。シズク自身が望むのならば別だが、所謂政略結婚のような形で行われるのは、我慢ならない事だった。
 お茶会の席で、下心丸出しの表情を浮かべながら言いよって来た他国の王子を思い出し、苛立ちが込み上げて来る。この件にシズクは絶対に巻き込まないと決意を新たにしたところで、ふと、見覚えのある人物の姿を認めてリサは足を止めた。
 (アリス、と……?)
 中庭を挟んだ向かいの廊下で話をしているのは、黒髪黒眼の幼馴染だった。簡素なドレスに身を包んでいるところからして、彼女もお茶会か挨拶回りの帰りだろう。ただし、リサのように一人きりではない。長身の男と向かい合って話をしていた。いや、話をしているといっても、和やかに会話という雰囲気ではないだろう。饒舌に何かを語る男に対して、アリスは始終迷惑顔だったからだ。
 ゆっくり近づくにつれ、リサはアリスに何事かを語り続ける男の正体に思い当たる。確かエラリアの隣国に数えられる東の小国の王子ではなかったか。多少癖のある金髪に濃いブラウンの瞳。それなりに整った顔をしていた。ただし、浮かべた笑顔が、せっかくの顔立ちを見事に台無しにしてしまっている。下心が透けて見えるかのような、一種の企み顔だ。シズクの縁談話を熱心に持ってきたあの王子に通じるものがある。更に彼の場合は、そこに若干の侮蔑の色も含まれていた。間違いなくアリスに向けているであろうその感情に、ただでさえ苛立っていたリサの感情がとうとう沸点を迎える。二人の話の内容も確認せずに接近すると、大袈裟に咳ばらいをひとつ。
 「お二人とも随分と楽しそうに、何のお話をされているのかしら?」
 「リサ王女……!?」
 リサの姿を視界に入れて、長身の王子は目を見開いて驚きを露わにした。それまでの饒舌はどこへやら、急に口をつぐむと探るような視線をこちらに投げてくる。そんなに聞かれてはまずい内容だったのだろうか。リサも彼に怪訝な視線を向けるも、彼の後ろでアリスがホッとした表情を浮かべているのを認めて、この行動は正しい選択だったのだと悟る。
 「それではアリシア姫。今日の所はこの辺で。……良いお返事を期待しておりますよ」
 邪魔者が入ったところで退散する事に決めたようだ。ひねた笑顔はそのままに、王族らしい丁寧な礼を取ると王子は暇を告げる。そして、アリスの曖昧な別れの言葉を背に、颯爽と去って行った。去り際、挑戦的な視線をリサに浴びせてきたが、何も告げたりはしなかった。紳士淑女が交わす一般的な礼を取り合って、表面的には穏やかな別れ方をする。
 「……バーランドの第2王子だったかしら? 随分と言いよられていたみたいだけど、何の話をしていたの?」
 王子の背中が遠ざかり、両者ほっと肩の力を抜いたところでリサは率直な疑問を投げる。視線を向けると、アリスはなんとも気まずそうな表情を浮かべていた。予想通りだが、あまり良い内容の話ではなさそうだ。苦笑いして、アリスはひょこりと肩をすくめる。
 「最初はお茶会で話をするだけの仲だったんですけど。しつこく誘われてるんです。……二人きりで会わないかと」
 「なるほどね」
 要するにデートのお誘いという訳か。アキが知ったら激怒しそうだ。
 例の儀式のために各国から様々なゲストが招かれている中、エラリア城内は実に華やかな雰囲気に包まれている。お茶会も多く開催され、普段なかなか会う事が出来ない人物とも出会いやすい状況下だ。つまり、年頃の王侯貴族にとっては絶好の出会いの場なのだ。アリスなどは特に、滅多にエラリアに帰国しないので、この機会にと接近してくる輩は多いだろう。
 「随分と自信満々のご様子だったけど……ああ言うタイプは気を付けておいた方がいいわよ」
 バーランドはエラリアの庇護に縋るような小国だ。国力で言うと圧倒的にエラリアが上。立場としてもアリス優位のはずである。にも関わらず、あの王子はかなりの自信を窺わせていた。単に自信過剰な勘違いタイプなら良いが、そうでないのだとしたら、警戒しておかねばなるまい。
 「分かっています。……でも、どうやらヴォンクラウン大臣が後押ししているようで」
 「大臣ねぇ」
 エラリアの内情にそこまで詳しい訳ではないが、リサの記憶が確かならヴォンクラウンとは、エラリア国の重臣に数えられる一族の名前である。大臣というのだから、国内でもそれなりの地位に居るはず。
 どうやら悪い方の予想が当たってしまったようだ。あのバーランドの王子も馬鹿ではないという事だ。エラリアの大臣がバックについているなら、無下には出来ない。尚且つ、大臣が推薦までするのだ。軽い気持ちなどでははく、彼はおそらく本気だ。アリスがきっぱりと誘いを断れないでいるのには、そういう込み入った事情があるからだろう。
 面倒な事にならなければいいが。両腕を組み、息をついた時、アリスもまた重苦しい溜息を零した。可憐な容姿には影が落ちている。
 「エラリアの王族として生まれた以上、覚悟はしていますけど……私も腹を括る時が近づいてきたのでしょうかね」
 「何弱気な事言ってるの! あんないかにも小物って感じの王子の元へなんて嫁がないでよ?」
 自嘲気味に笑うアリスの言葉に、リサは思わず大声で反論してしまう。その剣幕に多少怯んだものの、すぐにアリスは苦笑いを取り戻した。
 「もちろん今回の件がそれという訳じゃありませんよ。でも近い将来、結婚とか婚約とか、そういう話って絶対に出てくると思うんです」
 「でも……」
 「まぁ、好きな人が居る訳でもないし。国の役に立てる話なら、断る理由も無いですよね」
 どこか諦めを含んだ黒瞳の光に、リサの胸は締め付けられる。アリスの言っている事は疑う余地も無い程の正論である。そして、彼女だけではなく、それはリサにも言える事だ。王族として生まれたからには、避けては通れない問題――政略結婚。父と母はその事例の一つである。
 だが、悲観的になる必要もまた、無いと思う。
 「随分と悲しい物言いだけど、セルトおじ様とフィアナおば様は大恋愛の末の結婚だし、例え親や周りが決めたものでも、必ずしもそれが愛の無い結婚という訳でもないと思うわ」
 実際、リサの両親がそうだから。我の強い母と頑固な性格の父は、何だかんだで仲が良かった。でなければ、母が亡くなったあの時、父はあそこまで愕然とした表情を浮かべなかっただろう。
 「あんな王子の事なんて気にしたら駄目よ! 自分を安売りするのはもっと駄目。アリスが良いと思える相手と一緒になって欲しい。私じゃなくてもきっと、皆がそう思ってるはずだわ」
 目の前のこの幼馴染は、自分よりも周りの事を考えすぎる傾向がある。自分を最優先する事は悪だと思いこんでしまっているのだ。だからきっと、非常に理不尽な縁談が舞い込んだとして、周囲にとってそれが最善だと判断したら、己の幸せなど一切考えずにあっさり受け入れるだろう。エラリア王も王妃も、きっとそのような事は望んでいないのに。
 「……そうですね」
 口では肯定しているのに、アリスの表情は冴えない。その事に敢えて気づかないふりをして、リサは肩をすくめてほほ笑んだ。重苦しい顔でこのような話を続けていても、結局堂々めぐりだろう。
 「このお祭り騒ぎの中だし。どうせならボーイフレンドでも作って、あの王子を振る口実にしてしまえばいいのよ。アキなんてどう? 熱烈立候補してくれそうだけど」
 「冗談はやめて下さいよリサさん」
 茶化してそう言った瞬間、陰鬱な空気を纏っていたアリスが、ようやく表情を緩めてくれる。
 「まぁ冗談だけど、あの性格を除外して考えると、悪くない話だと思うのよねぇ。身分としても申し分ないでしょうし、あんな小物王子なんかより、アキの方がずっとアリスを大切にしてくれるでしょうしね」
 からからと声を立てて笑うと、アリスは若干拗ねたようにした後、まったくしょうがないといった様子で笑みを浮かべる。もちろんふざけて言っている部分が多いが、半分は本気だった。味方が少ないエラリア国内で、全面的にアリスを信じ守ってくれる者は限られてくる。アルキル・キエラルトは間違いなくその数少ない人間の一人である。精神年齢が実年齢に追いついていないところが難点だが、彼の気持ちは真っ直ぐで曲がってしまう事はないと思う。
 「そういうリサさんの方こそ、どうなんですか?」
 アキとアリスをくっつけるのも面白いかも知れない。そんな邪な計画を頭に浮かべている時、不意にアリスからの質問が飛んできたものだから、リサは大いに怯んでしまった。
 「え……?」
 呆けた顔で、間の抜けた声を零すに留まる。一瞬、何のことか理解出来なかった。
 「どうなんですかって……」
 「だから好きな人とか、居ないんですか?」
 立場的には、一緒でしょうからと、別段何の下心も見せずに問うてくる。
 人の恋愛沙汰ではさんざん盛り上がるリサだったが、自分の事はどうかと言うと、これまでに深く考えた経験はほとんどなかった。だからこうして改めて問われても、咄嗟に答えを返す事が出来ずに、首をかしげてしまう。
 (好きな人ねぇ……)
 リサもイリスピリアの第一王女という立場がある。アリス程悲観的に考えている訳ではないが、政略結婚をする確率は高い。いつかそのうち縁談話が舞い込み、相性の良さそうな誰かと結婚するのだろうと、漠然とそう思っていた。恋愛するのが悪い訳ではないだろうが、立場上、範囲も限られてきてしまう。リサの知れる範囲内で、感情を傾けられる人間には出会ってこなかった。
 「……人の事言えないかも知れないわね」
 己の中で結論が出て、苦笑い気味にそう告げた時の事だった。ふと視界の隅に入ったものに、全ての思考が奪い去られる。
 短く切りそろえられた焦げ茶髪に、すらりとした長身。目にして、どくりと心臓が音をたてた。
 「――――」
 まさか、そんなはずはない。イリスピリア国立図書館で別れを告げられたはずなのだ。もう二度と会う事はないのだと。そう頭の中では否定しながらも、確信にも似た気持ちが湧きあがってきて、止められなかった。図書館へ続く角を曲がって行った人物は、記憶の中の青年に酷く似ている気がするのだ。
 「え? リサさん?」
 だからアリスに声をかける事もせずに、気づけば足が動いていた。さすがのリサも、余所行きのドレスと靴で走るとなると、かなりやりにくい。時々転びそうになりながらも、危なっかしい足取りで、それでも駆けた。
 エラリア国立図書館は、イリスと違って一般人には公開されていない。関係者でない者が王城内に立ち入る事すら出来るはずはない。頭では分かっているのに、違うはずだと理解しているのに。
 「…………っ」
 勢いよく廊下の角を曲がった途端、盛大にヒールを鳴らして、足を止めた。件の人物はつい先ほど、ここを曲がったはずであった。けれども、リサが見渡す限り、前方の風景はがらんとしている。のんびりした足取りで歩き去る焦げ茶髪の後姿など、どこにも存在しない。
 「急に走り出してどうしたんですか!? リサさん」
 後を追ってきたアリスが、心配そうに声をかけてくれる。そっと肩に触れられると、黒い瞳でじっと覗きこまれた。そこでようやく、止まっていた思考が再び回り始める。
 「見間違い……かしら」
 いや、違う。確かに彼だった。
 確証などどこにもありはしないのに、願望にも似た否定の言葉が頭の中に響く。そんな自分が酷く滑稽に思えて、リサは自嘲気味に笑んだ。
 「シン……」
 その名を零したと同時に、甘い痛みが胸を貫く。もう会えないと言われても、別れを告げられても、リサは会いたいと思う。どうしようもなく、会いたいのだ。



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