追憶の救世主

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第3章 「水と緑の城」

7.

 花瓶にささった可憐な白い花とひとしきり睨み合いをした後で、シズクは緩く息をついた。ライラと呼ばれる香り高い花は、5枚の花びらを広げてこちらを向いている。そう、5枚。確かにこれは5枚花だ。頭の中でそう反芻して、シズクは眉根を寄せた。
 昨日、リースから投げてよこされたこの花は、唯のライラではなかったのだ。昼間アキに聞いた事を要訳すると、大抵のライラは4枚花で、5枚花のものは滅多にないらしい。見つけられたら幸福を掴む。エラリアではその様に言い伝えられている。
 リースがこの言い伝えを知っていたかどうかはともかく、シズクは妙にこの事が気になった。だからアキと別れて部屋へと向かう道すがら、扉や柱などに刻まれたエラリア国の紋章を、出来る限り丹念に確認しながら帰ってきた。そしてそのどれもこれもが、フィアナ王妃の招待状に描かれていた物と同じで、4枚花のライラが取り入れられていたのだった。聞くところによると、この国の紋章に描かれるライラは、基本的には4枚花なのだそうだ。ある一か所を除いては。
 「…………」
 そこまで考えを巡らせてから、シズクは緩く頭を振る。全て憶測の域を出ないものだし、何よりも着目点が突飛過ぎる。大体シズクは、元来こういった頭を使う作業だとかは苦手の部類であるのだ。だから、いまいちこの自分の思いつきをこれ以上広げる自信がなかった。
 とは言うものの、一応リサの耳に入れておいて損はないかも知れない。そろそろお茶会が終わって帰って来る頃だろうから、ライラの花についてもう少し詳しく聞くついでに、話してみようか。そう結論づけた所で、タイミング良く部屋の扉が開く音がする。確認するまでも無く、目の前に現れたのはリサだった。
 「お帰りなさいリサさん」
 ライラに向けていた顔を、今しがた帰宅したばかりのリサへと向ける。お茶会に発つ時と全く同じ。淡い紫のワンピースに身を包んだイリスピリア王女は、相変わらず美しかった。けれど、普段であれば陽気な返事をくれる唇は、今に限っては真っ直ぐに引き結ばれている。エメラルドグリーンの瞳も、シズクを見てはいなかった。何かを思いつめるように、斜め下の床を見つめている。
 「リサさん?」
 「え……? あぁ、シズクちゃん! 帰っていたのね」
 二度目の声掛けでようやくシズクの存在に気づいたようで、こちらを向いたリサは幾分驚いた顔をしていた。その後に浮かべる苦笑いも力無くて、普段と違う彼女の様子に、シズクも心配顔になる。
 「何か、あったんですか?」
 「ううん。ぼーっとしてただけよ。大丈夫」
 それなら良いんですけど、と呟きながらも、どこか釈然としない。そもそも、リサがぼーっとしている事など、シズクの知る限りではあまり無いのだ。しかし、これ以上追及する程の事でもないような気がして、首をかしげるだけに留めておいた。そしてちらりと再びリサを見たところで、彼女から熱心に見つめられている状況に気づく。苦笑いを消して、神妙な面持ちでリサはシズクを見ていた。
 「? リサさ――」
 「カラーリング……一緒なのね」
 「え?」
 「何でもないわ、こっちの話」
 直後の意味深な呟きに、益々意味が分からなくなる。だが、シズクが追及の言葉を紡ぐ前に、リサは頭を振って会話を中断させてしまった。どうにも調子が狂う。曖昧な言葉遣いを繰り返すリサなど、出会って以来初めて見るのだ。
 会話が途切れてからしばらくの間、妙な沈黙があった。リサはぼんやりと視線を彷徨わせ、ある瞬間それは、花瓶にささる一輪の花へと定められたようだった。
 「……ライラの花。あのままだとしおれちゃうわね」
 5枚花のライラを見て、リサがぽつりと呟く。つられてシズクも視線をそちらへと向けた。言われてみれば確かに、と胸中で頷く。
 ライラの花の寿命がいかほどかシズクは知らないが、基本的に花の命は短いものだ。今はまだ、摘み取られる前と変わらぬ姿を見せているこの花も、日にちが経てばしおれて行き、鑑賞用には出来なくなるだろう。
 「貴重な花らしいですから、勿体ない気はしますね」
 儚いからこそ、花は美しいのだとは言う人はいるが、ただでさえ珍しいと言われている白色のライラの中で、更にこの花は幸運をもたらすと言い伝えられている5枚花なのだ。しおれて、はいさようなら。では非常に惜しいと思う。
 「押し花だと色褪せちゃいますし……あ、そうか。魔法で加工とか、出来るかも」
 魔力を封印されていたり、仮初の使用人を演じたりと、ここのところ魔法から遠ざかりがちで忘れかけていたが、自分は一応魔道士のはしくれなのだ。チャームやアクセサリーなどの加工は、魔道士の能力の範疇。材料と技術が必要なので、今すぐここでとはいかないが、エラリアの城下町にはマジックショップの一つくらいあるだろう。そこへ持ち込めば、なんとかなるかも知れない。
 そんな事をつらつらと考え、小一時間程暇をもらえたりはしないだろうかと思っているシズクの横で、リサはというと少し呆れの籠った苦笑いを浮かべていた。
 「本気?」
 「え……?」
 「本当に、ずっと手元に置いておきたいって思う?」
 苦笑いを若干緩め、真剣味を帯びた瞳で見つめられても、シズクは困惑するだけだった。何か、自分は思ってはならない発想をしてしまったのだろうか。花の寿命を捻じ曲げてでも傍に置いておきたいと望んだ事が、リサの何かに触れてしまったのかも知れない。しかし、咎めるような響きは含まれなかった。ただ純粋に、シズクの真意を問うような、見守るような、穏やかさを感じる。
 「リースから貰ったのよね、それ」
 視線をライラに移して、ぼんやりとリサが零す。
 5枚花のライラは、確かに昨日リースから貰ったものに違いない。一体どこから見つけ出してきたのか分からないが、彼がこんなものをよこしてくるのは、拍子抜けする出来事だった。といっても、花を贈るとかそういう雰囲気ではなく、投げてきたのだが。
 「そうですけど。それがどうしたんです?」
 シズクが首をかしげたのと、リサの口から小さなため息がこぼれたのとはほぼ同時だった。
 「……そっか、シズクちゃんってば、知らないのね」
 「?」
 なら別にいいか、と。肩をすくめながら言うと、リサはもう一度頭を振った。苦笑いを全面に押し出して。
 対するシズクはというと、意味深すぎる言葉に不審顔を浮かべてしまう。朝は何も変わらなかったのに、帰ってきてからのリサは、どこか変だ。しかし、色々と説明して欲しいと思うも、どうやら今のリサには、何も聞けそうにない。
 「うん、何でもない。シズクちゃんがしたいようにすれば良いと、私は思うから」
 くすりと笑ったきり、リサはそれからライラについて触れる事はなかった。






 「なんだよ、リースかよ」
 夕刻。王侯貴族への挨拶回りの後、いつものようにレクトの剣の相手をして、夕食までの僅かな時間を部屋で過ごそうと思っていた時の事だ。城の廊下で出くわした変態――もとい、アキが開口一番、心底残念そうな声でそう零してきた。
 「なんだとはなんだ。俺もお前の顔なんてわざわざ見たくねーよ」
 悪態に悪態で返して、リースはしかめ面を浮かべる。
 「アリスと偶然ばったり。を期待していた俺としてはだなぁ、むさ苦しい顔を日に2度も見るはめになって、そりゃー溜息の一つくらい出したくなるだろうが」
 「2度目でうんざりなのもお互い様だ」
 口では嫌味を言いつつも、へらへらと笑いながらアキはこちらに向かって歩いてくる。国立学校の制服に身を包んでいるところを見ると、帰路についている途中だったのだろうか。
 アキと顔を突き合わしたのは今日で2度目の事だった。朝方、レクトから渡された例の招待状を届けるために、騎士団の練習場まで足を運んだのだ。その時にも嫌味をいくつか交わしたような気がする。アキと会う時は昔からこんな感じである。
 「今日も挨拶回りか? ご苦労な事だな」
 目の前までやってくると、アキは気だるそうに労いの言葉を投げてきた。リースの表情に幾分の疲労を見てとったのだろう。俺は絶対にごめんだと、ぶつぶつと零している。確かに王侯貴族への挨拶回りは、進んでやりたいと思えるものではない。しかし、
 「お前だって、そのうちどうせやるハメになるよ」
 有力貴族の跡取り息子という肩書を持つ彼もまた、遅かれ早かれ将来的には自分と変わらないだろう。騎士団所属という立場上、会議の場への出席頻度が少しばかり減る程度だ。そんなもの分かり切っている事だろうと、肩を竦めつつリースは言い放つ。言葉を向けられたアキは、あからさまに表情を歪め、不快感を示す訳だが。まったく、自覚があるのかないのか。
 「ところでさ、昼間、シズクに会ったぞ」
 そんな時に、意外な人物の名前が耳に飛び込んできて、リースは一瞬呆けてしまった。
 アキがアリス以外の人物について口にするのも珍しいが、それ以上に、出会って間もないはずのシズクの名を、彼が覚えていたという事が驚きだった。リースの反応に、アキの方も不審顔になる。
 「リサ姉の使用人の名前。シズク・サラキスで合ってるよな?」
 「……合ってるけど」
 何故それを、わざわざアキが確認する必要があるのか。怪訝な顔で幼馴染の顔を見つめるが、彼は良かったと小さく呟いて、ほっとしたような表情になる。それを見て、喉に何かがつかえたような奇妙な感覚に陥るのが分かった。
 「いや、友達宣言する前に名前くらい覚えろって言われちまってだなぁ」
 「……へぇ」
 黄土色の髪を右手でかいて、ばつが悪そうにアキが笑うのを横目に、そっけなくそう返す。
 「それで? シズクがどうしたって?」
 「あぁそう。確かめたい事があって、俺が呼び止めた。んで、ちょっとの間話をした」
 リースの反応など特に気にならないのだろう。苦笑いを中断させると、アキは逸れかけていた話を本題へと戻す。
 「アリスの友達って、本当なのかって思ってさ」
 あぁなるほどな、と胸中でリースは呟く。確かにそれは、疑問に浮かぶ事だろう。
 幼い頃からアリスの事を知っている人間ならば、彼女に友達と呼べる存在がほとんど居ないという事くらいよく理解している。リースの記憶する限りでも、彼女が誰かを友人として紹介している姿など見たことが無い。ただ一人、シズクを除いては。
 「冗談であんな事言うはずないとは思ってもだな、やっぱり信じられなくてさ。でも、直接シズクと話して……何となくだけど納得出来たよ」
 空色の瞳を伏せると、本当に安心したような顔で笑って、アキは言った。驚く程優しい顔の彼に、普段ならば気持ち悪いだとか何だとか、嫌味を浴びせるところだが、何も言わないでおいた。彼がそんな表情を浮かべる理由が、リースにもよく分かっていたからだ。
 「思うにさ、リサ姉の付き人なんて、建前じゃねーの? シズクはどっちかっていうと、アリスの傍に居るために、エラリアに来たのかも知れない」
 夕闇が迫った窓の外の景色を眺めながら、アキが告げた内容に、僅かに息を呑んだ。真実をかすめるような発言だったからだ。
 「外国に、レイ陛下抜きでイリスピリア姉弟が二人共来る事って珍しいし、リサ姉が使用人を従える事自体、リサ姉の人となりを知ってる人間からしたら異例だ。シズクは、単なる付き人なんかじゃないんだろ? お前らだってさ、レクトを祝いに来てる気持ちは本物だろうけど、それ以外に何かひと山抱えてるんじゃねーの?」
 窓から視線を外して、リースの方を窺うように見る。軽い言い回しだったが、こちらを見つめてくる瞳には、有無を言わさぬ光があった。リースに質問しているようでいて、てんでその気がない。すでに彼の中でそれは確定事項となっていて、確認の意味で言葉を紡いでいるだけなのだから。
 「アキは……」
 「あん?」
 「普段、散々精神年齢低そうな言動振りまいておいて、たまーに意表を突く事してくるよな」
 息をひとつ吐く。昔から、稀にこういう事をしでかす人間ではあった。何も考えていないようでいて、案外知恵が回る。その上鋭い。
 「…………」
 こいつになら、すべての事情を話しても差し支えはないのだと思う。だが、内容が内容なのだ。自分たちの力で解決できる事ならば、極力情報を拡散させたくないという思いもある。打ち明けるとすれば、それはもう少し煮詰まってからだ。
 「まぁ……そのうち、協力して貰う事になるかも知れないってだけ言っておくよ」
 「そうか」
 肩を竦めて告げた言葉に対して、実にあっさりとした返事が返ってきた。そして、アキはもうそれ以上は追及してこない。彼にしても、今はこれ以上詰め寄っても解答が得られないと分かっているのだろう。
 「そういえば、シズクだけど。あいつ、あちこちの使用人からリサ姉宛ての手紙やらカードやら渡されてるのに、その真意を全く分かって無かったぞ」
 危なっかしくて見てられないなと、アキは苦笑いを浮かべて腕を組む。言われてリースも、彼女なら当然そうなるだろうと思った。
 庶民育ちのシズクに、王族貴族の遠回しな駆け引きの真意など汲み取れる訳がなかろう。使用人が、直接目的の人物ではなく、わざわざその使用人に伝書を渡す行為が、所謂自己アピールである事も、もちろん知らないだろう。名乗られても、その名前をどれくらい記憶の中に保っているか怪しいところである。
 事実、引き合わせの申し出は幾つか来ているらしい。リサ本人から直接聞いた話だ。もちろん姉は、下心のある人間たちにシズクを差し出す気など欠片もないし、シズク自身にその気が全くないので、おそらく心配は要らない。
 「リサ姉の付き人っていうから、てっきり玉の輿狙いかと思ったんだけどな。全く違うみたいで。じゃあリース狙いかとも思ってカマかけてみたけど、これもハズレ。……まぁ、さすがに身分が違い過ぎるか。本人もそう言ってたな」
 「…………」
 王子と使用人じゃさすがにな。と両手を頭の後ろに組んで、アキはからからと笑い飛ばす。普通、一緒になって苦笑いを浮かべるべき場面のはずなのだが、喉元のつかえが増大したせいで、曖昧な顔しか出来なかった。何かを訴えたくて、けれど結局言葉は出なくて、肩の力を抜いて溜息を零す事しか出来なかった。
 頭によぎったのは、昨日城の中庭でシズクと遭遇した時の事だ。状況を考えろと、不機嫌さと焦りが同居した顔で彼女は告げたのだ。至極もっともな意見であるのに、あの時リースは妙な苛立ちに襲われた。
 「身分、か……」
 小さく零す。
 自分の立場くらい、痛いくらいに分かっている。周囲から向けられる視線も。それが、自分や周囲にどのような影響を及ぼすかも。全部分かっている。
 それは、己の境遇を考えれば、仕方のない事だと割り切ってきたつもりだった。重いと感じる事は偶にあるが、煩わしく感じた事など、無かったはずなのに。
 「そんな面倒なもの、無くなればいいのに」
 気がつけば、苛立ちをそのまま言葉に乗せて吐き出していた。
 もちろんそんな事、無理に決まっている。分かってはいるが、今はどうしようもなく、それが煩わしく思えて仕方がなかったのだ。



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