追憶の救世主

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第3章 「水と緑の城」

9.

 お茶会が終盤に差し掛かっても、お喋りは絶えなかった。リサとフィアナ王妃は何やら怪しげな笑みを浮かべながら他者があまり入り込めない類の話をしているし、アリスとリースは、違うテーブルでレクトの話に混じっていた。
 それらの光景を遠目に見つめながらシズクが何をしていたかというと、中庭の花々を見て歩いていたのだった。フィアナ王妃の庭には、もちろんライラの木もある。桃色の花をつけるライラが最も多く、次いで黄色、そして一番数が少ないのが白色。アリスに聞くところによると、白色は綺麗な土と水の下でしか花を咲かせない、繊細な種類なのだという。小さな水路の傍に立つ白色のライラは、確かに清楚で凛とした趣である。それを見て、アリスのようだとシズクはぼんやり思った。

 「5枚花は見つかりそうか?」

 声を掛けられて振り返ると、アルキル・キエラルトだった。先程までアリス達の話の輪に入っていたのに、抜け出してきたのだろうか。
 言われてシズクは白のライラを改めて見つめてみた。木に咲く花はどれもこれも4枚花で、幸運の5枚花は見つかりそうもない。
 「……このライラには無さそうですね。アルキル様」
 やはりかなり珍しいものなのだろう。探すのを諦めてアキの方を見ると、彼はなんともむず痒いといった苦笑いを浮かべていた。
 「?」
 「あー、言い忘れてたけどさ。何だ、その、『アルキル様』っての、やめねーか? 俺の事はアキでいいから。それと、出来れば敬語も取ってくれると有難いんだけどな」
 首をかしげるシズクに向かって、少し言いにくそうにアキが告げる。
 「そういう訳には」
 行かないだろう。アキの言葉に首を振ると、苦笑いしてシズクは言った。いくら彼が砕けた態度を自分に取るからといって、一応使用人としての立場がある。上流の貴族である人間に対して、軽い言葉遣いは慎むべきだ。
 「お前と俺は友達だろ? アリスの事は呼び捨てで、俺の事は様付けかよ」
 「でも……」
 「じゃぁせめて、こういう場所では『アキさん』な? 決まり!」
 結局、そんな感じで言いきられてしまい、シズクの反論を受ける事なくそれは決定事項として彼の中で処理されてしまったようだった。まったくもって押しが強い。そういう面ではリサ以上ではないかとシズクは思う。これ以上この話をしても堂々巡りと悟り、観念してシズクは苦笑いを浮かべた。
 「それにしても、本当にライラの5枚花って珍しいんですね」
 話題を元に戻そう。そう思い、シズクは再びライラの木へ視線を向ける。改めて見直してみても、今目の前に立っている木には、やはり4枚花のライラしか見当たらなかった。
 「まぁな。特に白色は、本数自体が少ないから、5枚花なんて、奇跡的な確率でしか見つからない。意図して探そうとしても、無理なんだよ」
 両手を頭の後ろで組んで、アキが告げる。
 「ライラには色んな意味があってさ。花言葉は『清純・潔白』。家族に贈ると謝罪、友達に贈ると感謝、恋人に贈ると親愛ってなる」
 「へぇ、本当に様々なんですね」
 さすが国を象徴する花だけある。アキの話しぶりからすると、これらの知識はエラリア国民からすれば常識の範疇に入るものなのだろう。白色のライラはともかく、他の色のライラは城下町にも多く咲いていると聞く。一般市民に広く浸透している伝統といったところか。
 「あぁ。けど、5枚花のライラの用途だけは一つに限られていてさ。……俺がそれなりの人間になれた時もし見つけられたなら、きっとアリスに贈るだろうな」
 そう告げると、アキは視線をシズクから外して遠くを見つめる。細められた瞳は穏やかであるが、確固たる意志が燃えているのが分かった。そんなアキの横顔を見つめているうちに、一つ、思う事があった。
 「……アキさんが」
 「ん?」
 「アキさんが居るから。アリスは、エラリアに帰って来られるんだと思います」
 独特の色合いの瞳を細めると、シズクは緩く笑う。そして遠目に、テーブルに座るアリスを見た。綺麗で優しい彼女の笑顔に、時折影が落ちる事に気付いたのは、いつからだっただろう。本来ならばエラリアの王女として、誰もが憧れる位置に居てもおかしくないはずの友人は、悲しい事件が原因でその道を僅かに外れてしまったらしい。
 「初めて故郷の話を聞いた時、アリスを取り巻く環境はもっと冷たいものを想像していたんです。実際訪れてみて……確かに必ずしもアリスに向けられる視線は好意的ではなかったし、わたしの知り得ないところで、もっともっと辛い思いをしているかもしれないけど……」
 そこで言葉を区切り、シズクは再びアキの方を見た。先程まで少年らしい笑顔を浮かべていた彼は、今は少しだけ驚いたような顔をしている。
 「アキさんや、セルト陛下、フィアナ王妃やレクト王子。アリスを大切に想う人も、エラリアには居るんですよね。ちゃんとここにもアリスが笑える場所があったんだなって思って……だから、少し安心しているんです」
 アリスの過去には、シズクでは計り知る事の出来ない悲しみや苦しみがあるのだと思う。分かっているつもりで、実はほんの少しもシズクはアリスの事を分かっていないかもしれない。触れられる範囲には限りがある。けれども、アキ達とアリスのやり取りを見て、彼らがアリスを見つめる瞳の中にある温かさに気づいて、必ずしもエラリア全てが、アリスにとって居心地が悪い場所ではないのだと感じていた。時が全てを解決してくれるとは言えないが、時が解決してくれるものもまた、必ずある。見守る事くらいしか、自分には出来ないけれど。
 「後は、アリスの気持ちの問題なのかなぁって。ごめんなさい。本当にこれは勝手な想像なんですけど――」
 「お前……」
 「え?」
 首をかしげて、声の発生源であるアキを見る。驚いた表情から一転して、穏やかに笑っていた。アリスの話をしている時のアキは、驚くほどに優しく笑うのだ。付き合いの短いシズクにも、彼がアリスに向ける感情が本物であると納得させるくらいに。
 「お前ってさ」
 「……?」
 しかし、直後に浮かべた笑みは、よく見るあのやんちゃ坊主を思わせるものに様変わりしていた。それを目にして、シズクの胸中に、何故か嫌な予感が沸き起こる。似ているのだ。彼の表情が、エラリアに到着した初日に、初めて出会ったあの時のものに――
 「ほんっとに良い奴だよなぁぁ!」
 「ぅえ……? ちょ――!?」
 アリスの事を語って、アキの笑顔を見たところまでは良かった。それまでであれば、和やかな空気が二人の間を満たしていたはずなのである。しかし、感嘆の声を上げると同時にアキがシズクに抱きついてきた事は、流石に許容できる範囲ではないと思う。背中をばしばし叩かれ、幼子を愛でる動きのそれで頭を派手に撫でられる。
 「そうだよなぁ! アリスは俺に会うためにエラリアに帰ってきてるんだよな!」
 「いや、そこまでは言ってない……というか、は、離して下さ――」
 スコーン、と。やけに気持ちの良い音が場に響いたのはその時だった。
 窒息させる勢いでシズクを抱きしめていた力がその瞬間弱まる。この機を逃すまいとシズクはするりとアキの包囲網から脱出し、音の発生源は何かと視線を遥か前方に巡らせていた。
 フィアナ王妃の中庭の先には、勿論の事先程までシズクもお茶を御馳走になっていたテラスがあり、そこに数個のテーブルが並べられている。それらよりやや庭寄りの場所に、件の人物は佇んでいた。麗しのイリスピリア王女こと、リサ・ラグエイジだ。フォーマルなドレスに身を包んだ彼女だが、絶世の美貌は今やこちらがおののく程に怒りで歪んでいた。よく見ると、片方が裸足である。思うところがあってシズクは足元に視線を移動させた。芝生の上に転がるのは、黒色のハイヒール。リサが履いていたはずのものだ。

 「私のシズクちゃんに変な事するなって言ったでしょうがーっ!!」

 「……っでえ! リサ姉! ハイヒール投げるのは反則だろ!」
 復活したアキが大声で抗議の声を上げる。シズクとしては味方になる気は毛頭ないが、麗しの王女様が人様に靴を投げつけるのは、いかがなものかとも思った。ネイラスが見たら卒倒ものだ。しかし、当のリサはアキの言葉など耳に入っていないようで、腰に手を当てると鼻息を荒げる。
 「それくらいで済んでマシだと思いなさい! あと一歩私の行動が遅かったら、リースがもっと物騒なものを投げてたわよ!」
 言われて、リサの隣に佇むリースへと視線を巡らせる。その右手には銀色に輝くデザート用のナイフが構えられていた。先程の席で、お茶菓子と共に出されていた物に違いない。リサに先手を取られて戦意は若干薄れたようだが、目は未だに据わっていた。
 「…………」
 それを見て、アキが口をつぐんだのは言うまでもない。






 「うふふ。若いって良いわね」

 遥か前方で繰り広げられているやり取りを見て、フィアナは楽しげに告げた。
 何の話をしていたのかは知らないが、会話の末に勢い余ってシズクを抱きしめたアキに、リサが自身の靴を投げつけたのだ。その隣で、おそらく彼女以上に怒りを燃やしているだろう幼馴染の姿を認めて、アリスも一人ほほ笑む。
 「叔母様もまだ十分若いですよ」
 「あら、嬉しい事を言ってくれるわね。でも駄目。もうあんな風にはしゃげないわ」
 そう告げながら、フィアナはこちらを振り向いてきた。土色の瞳は柔らかく細められ、まるで少女のようなほほ笑みだと思う。13歳の子を持つようには、とてもじゃないが見えない。お世辞でもなんでもなく、先程の言葉は本当なのだ。アリスが幼い頃から、お茶目な部分ではちっとも変っていない叔母の姿に、自然笑みが零れる。
 「……随分と、よく笑うようになったわね。アリス」
 「え……?」
 そんな時、突然予想外の言葉を投げられて、アリスは大いに怯んでしまった。目を見開いてフィアナの方を見ると、悪戯が成功した子供のような顔で、彼女は笑っている。
 「ここを離れている間、良い事があったみたいね。……新しい出会いのお陰かしら」
 言って、フィアナは、困ったような顔でアキとリサ達の間で視線をうろうろさせているシズクへ視線を向けた。つられてアリスも彼女に視線を向ける。
 「…………」
 今は使用人のふりをしてエラリアに滞在している少女との出会いは、確かにアリスにとって大きかったと言える。共に過ごした期間こそ短いが、その間体験した事件の数々は、レムサリアでセイラと過ごしていた頃には想像できない程密度の濃いものだった。それに……
 「シズクが初めてなんです。自分から、自分の事を話そうって思えた人って」
 そしてそれを、真っ直ぐ受け止めて、エラリアに行くのが怖いと思う自分の背中を押してくれた。同年代の女の子で、初めて出来た友人。それが、シズクだ。
 「嬉しいけど、ちょっと妬けちゃうな。僕やアキが精いっぱい頑張っても、アリスはなかなか笑わないのに」
 アリスとフィアナの会話を見守っていたレクトが口を開く。右手を顎に乗せて、嬉しいようなふてくされているような、曖昧な顔をしている。それを見て、おかしそうに笑ったのはフィアナだった。
 「レクト。肉親や恋人でも解決出来ないものがこの世にはあるのよ。それにね……ふふ。あの子だったら、アリスが惹かれるのも無理はないと思うの」
 最後の方は妙な含みを持たせて、フィアナは再び視線をシズクへ向ける。レクトはもちろんアリスまでも疑問顔になって首をかしげるが、それ以上語る気はないのだろう。ひとしきり眩しそうにシズク達のやり取りを眺めた後、新しく淹れ直したお茶に口をつけた。
 「ところでアリス……例の話は、考えてくれているかしら?」
 かちゃりと、ティーカップがソーサーに当たる音が聞こえる。それが切り替えのスイッチだったかのように、テーブルの雰囲気は一変した。穏やかに流れていた時間の中に、張り詰めた空気が僅かに舞い込む。
 「貴女にとって、決して悪い話ではないと思うわ。……セルトともよく話し合ったの。もちろん、レクトとも」
 その言葉で、アリスは視線を従兄弟へ向ける。レクトもまた、先程までの笑顔を消し去って真剣な表情を浮かべていた。
 叔母が言う例の話とは何か。心当たりは一つしかない。王位継承の儀への招待状の中に添えられていた、2枚目の手紙だ。そこに記されていた事で、間違いないだろう。それは、エラリア王とフィアナ王妃からの、一つの提案である。
 「…………」
 それらの内容を思い出すにつれ、アリスの表情から色が消えていく。問いに対する答えを出さなければいけないのに、何か伝えなければならない事があるはずなのに。唇からは言葉が零れる事はなかった。
 「……どうするかはアリス次第よ。ゆっくり考えてみて」
 明らかに突然態度を硬化させてしまったアリスに、フィアナは解答を迫る事はなかった。優しく土色の瞳を細め、薄くほほ笑むとそれだけ零し、再びお茶に口をつけたのだった。



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