追憶の救世主

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第4章 「前夜祭」

1.

 せわしなく行き交う人々の様子を見て、シズクはイリス魔法学校のお昼時の食堂を思い出していた。我先にとお目当てのメニューを求めて争奪戦を繰り広げる学生の姿と、商店に群がる町人の姿は面白いくらいに重なる。あちらこちらから上がる客寄せの声も、談笑で活気づく生徒達のそれに似ていた。
 「わっ!」
 右肩に鈍い衝撃が走って、シズクはバランスを崩しかける。通りすがりの男性と思いきり接触してしまったのだ。よろめいて転倒してしまうかに思えたが、そうなる寸前の所で救いの手が差し伸べられた。優しくシズクの背中を支えてから、右手を握りそのまま引かれる。最も人の多い部分を逃れ、手はシズクを比較的空いている場所へと導いてくれたのだった。これでひとまずは安心だろうか。
 「危ないところだったわねーシズクちゃん!」
 「ありがとうございます、リサさん」
 転倒から救ってくれた張本人であるリサに声をかけてから、シズクは額の汗を拭う。そして今まで自分が居た場所を振り返って見た。最も活気づいているそこは、とある商店の筋である。アーケードを見上げてみれば、派手な色の看板に『レクト様王位継承権獲得記念 特別大奉仕』の文字が躍っている。
 「賑やかですよねぇ。本当に」
 「エラリアの城下町は、イリスに次いで大きな町だからね。特に今の時期は、レクトのお祝いで盛り上がっている最中だし」
 言って、リサは街中を行き来する人々を眩しそうに見つめた。エメラルドグリーンの瞳には、好奇心が限界まで詰まっているのがよく分かる。ちなみに、城の中で身にまとっているドレス姿とは違い、今のリサはシャツにパンツといった、町人風の服装をしていた。その横に居るシズクもまた、使用人の格好は封印して、今だけは旅の間よく身に着けていた魔道士の服装をしている。
 さて、こんな格好で何をしているのかといえば、エラリアの城下町に二人して出てきているのであった。
 「でもリサさん。本当にリサさんまで出てきちゃって大丈夫なんですか?」
 不安げな顔で、シズクは隣を上機嫌で歩くリサに告げる。
 「大丈夫よ。お城の人達には、気分が優れないから、パーティーの時間まで部屋で休んでるって伝えてくれたんでしょう?」
 「伝えましたけど……」
 その、体調不良で伏せっている筈の王女様が、こっそり城下町に繰り出しているのだと知れたら、一体どんな騒ぎになるのだろう。悪い想像が頭に浮かんで、シズクは一人青ざめる。
 レクト王子の儀式を明日に控え、今夜は前夜祭と称するパーティーが開催される事になっていた。準備が始まると城内は何かと騒がしくなるだろう。そのため、比較的時間の空いている午前中に用事を済ませようと、シズクはエラリアの城下町に行きたい旨を、仮の主人であるリサに願い出たのであった。
 勿論、この願いはあっさりと承諾される事になる。ただし、かなり厄介な条件付きだったが。……即ち、同行人としてリサも連れていく、という条件である。
 「ここにはネイラスは居ないから大丈夫よ。小一時間抜け出すくらい、誰にもバレないわ!」
 自信満々の笑みで、リサは軽くガッツポーズを作る。シズクの外出を許可するためというのはただの名目であり、絶対に、彼女自身が城下町の散策を楽しむため、シズクについて来たのだろう。そんな事はシズクとて分かっている。仮にも付き人という立場上、その提案を止めるべきであったとも認識している。それが何故このような状況になってしまったかというと……早い話が、リサに言い負かされてしまったのだ。
 リースとの口喧嘩に勝てないシズクが、彼を上回る勢いで口が回るリサに勝てるはずもない。結果、このように彼女の外出を許してしまったという訳だ。
 「もしバレたらネイラスさんに何と言われる事やら……」
 「そんな事よりシズクちゃん。着いたわよ。ここでしょう? マジックショップって」
 え。と思わず零して、シズクは立ち止まった。そこで会話は中断してしまう。リサに話をはぐらかされた事になるが、唐突過ぎて驚いてしまったのだ。それに、あれこれ考えているうちに、いつの間にか目的地に到着していたらしい。
 目の前に鎮座するのは、所々紫色の装飾で覆われた小奇麗な建物。木造りの看板には『ルージュの魔法屋』とあるから、間違いはないだろう。最も賑やかな商店街を抜けた先は専門店街になっていて、その一画に、シズクが目的とする場所――マジックショップはあった。
 「…………」
 看板を見上げながら、やや緊張した面持ちで鞄の中から一輪の白い花を取り出す。言わずもがなそれは、5枚花のライラである。
 シズクがエラリアの城下町に来た目的がこれだった。マジックショップで、ライラを加工しようとしているのだ。
 一昨日のリサの台詞は未だに気にはなっていたし、いくら加工して残したところで、生身の花に勝る美しさはないだろう。自分は間違っている事をしているのかもしれない。だが、この花の枯れる様を見届けるよりは、例え捻じ曲げる形になったとしても、側に置いておきたいと思ったのだ。どうしてそう思ってしまうのかは分からない。でも、シズクがしたいようにすれば良い。最終的には、あの時のリサの言葉に従う事にした。
 「ねぇ、加工って少し時間がかかるわよね。って事で、その間私は一人でブラブラして来ようかと思うんだけど」
 「え……? えぇぇぇ! リサさん一人でですか!?」
 意を決してマジックショップの扉を開けようとしたところに、リサからとんでもない爆弾が落とされる。シズクと共に城下に出る事すら本来ならばタブーなのだ。それを、単独行動など。
 「大丈夫よ。そんなに遠出はしないし。それにほら、いざって時のために、帯剣してるから」
 豪快に微笑み、リサは左手で腰に下がる剣を叩く。リースがかつて持っていた封印の剣とよく似た、シンプルなデザインである。リサの剣の腕を直に見た事が無いシズクだが、人並以上である事は噂程度に聞いていた。護身は出来るに違いない。
 「でも……」
 「2時間後に、この場所で待ち合わせ。今夜はパーティーもあるし、迅速に行動しなくちゃ間に合わないわ。ご主人様の言う事、守れるわよね? シズクちゃん」
 「う……」
 正論のように見せかけて、その実全くそうではない言葉を並びたて、リサは不敵な笑みを浮かべた。エメラルドグリーンの瞳を細めると、有無を言わさぬ圧力を込めて、シズクを見つめてくる。反論の言葉はたくさん頭に浮かんだが、それらがシズクの唇から零れる事はなかった。迫力に気おされてしまったというのが一つ。もう一つは、きっとどんな事を言っても無駄だという事が分かったからだ。
 「そいういう訳で、2時間後にね〜!」
 無言を了承ととったのだろう。リサは軽やかなステップで踵を返すと、商店街の人ごみの中に消えていく。それらをしばらく呆けた顔で眺めた後、シズクは深いため息を落とし、マジックショップの扉を開けたのだった。



 木造りの扉は、軽い音を立てて開いた。店内に入ると、薬品の匂いが僅かに香る。マジックショップ独特のものだ。とはいうものの、シズクが今まで訪れていたマジックショップとは、様相が幾らか違っていた。一見しただけでは、魔法屋である事が分からないくらいに洗練されている。店内の装飾も、年頃の女の子が喜びそうな可愛らしいもので纏められており、ファンシーショップか何かのようだ。オリアのノートルの店がそうであるように、一般的に、野暮ったい雰囲気の店が多い魔法屋業界で異色とも呼べる状況である。
 「いらっしゃい」
 店内を見て呆けていたシズクに陽気な声をかけてきたのは、妙齢の女性であった。ウェーブがかかった黒い髪に、神秘的な瞳は紺色をしている。いかにも占い師といった出で立ちだが、この店の者という事は、彼女は魔道士なのだろう。
 「あら、魔道士のお客さんなんて珍しい」
 「え?」
 「ふふ。ライラの開花時期でしょう? この季節はうちはどっちかというと一般の若い女の子がターゲットなの」
 言っている事は全く意味不明であったが、女性が目配せするので、とりあえずそちらを見てみる事とする。視線を巡らせた先には幾つかの籠が並べてあり、そこに色とりどりのチャームが詰め込まれていた。指の先程の大きさのクリスタルがそれで、ネックレスにブローチにイヤリングと、多くはアクセサリーの形に加工されている。そして、クリスタルの中に封じ込められているのは例外なくライラの花であった。本来の花からするとサイズが明らかに小さいが、魔法で処理を施したからだろう。
 「左が友人・家族に贈る用で、真ん中が片思い用。そんでもって一番端っこのが恋人用。ライラが咲くこの季節限定の人気商品よ」
 なるほどな、とシズクは胸中で呟く。故郷にあったノートルの魔法屋のように、魔道士相手にしか商売をしない店もある中、こんな風に一般向けのチャームや魔法薬販売を生業にしてる魔道士も多い。普通は町の小物屋に卸していると聞くが、こんな風にマジックショップで直接売っているところもあるとは。
 「珍しいですね。直接販売って」
 「シーズンものだからね。作ってその場で売る方が効率良いのよ。町の女の子達もこの時期だけは気軽に訪れてくれるし……と、あなたには関係の無い話かしら。安心して、私も魔道士だから、専門の話も受け付けられるわよ」
 やはり女性は魔道士であるらしい。カウンターに肘をつくと、それで、どんな用件かしら? とこちらに問うてくる。この時期、魔道士の客よりも一般女性を多く相手している彼女にとって、シズクは久々の本領発揮の機会なのだろう。紺色の瞳からちろりと知性の光がのぞく。
 「えっと……」
 しかし、シズクとしては申し訳ない気持ちになってしまう。魔道士向けに態度を改めてくれた店員には悪いが、自分がこの店を訪れた目的は、町の少女達と大して変わらなかったからである。
 「これを、加工したくて……」
 苦笑いがちに言って、シズクは5枚花のライラを取り出し、カウンターに置いた。
 「自分でも多分出来るけど、手元に材料が無いし。マジックショップで頼んだ方が綺麗にしてくれるかなぁと思って――」
 「5枚花……! しかも白色だなんて! あらまぁ、凄いじゃない貴女。贈られたの?」
 魔道士的な依頼でなくて申し訳ない。そう思っていたのだが、シズクの心配は杞憂に終わった。いやむしろその真逆だ。店員の魔道士はそれまで以上に興奮して叫ぶと、カウンター上のライラを食い入るように見つめ始めたのである。
 「まぁ、一応」
 贈られたというよりは、投げて寄こされたのだが、どちらにしても貰いものである事は間違いがない。そう頭の中で結論づけると、シズクは曖昧な顔のまま返した。
 「へぇ……あらあら」
 シズクの表情を目にして、店員はぱっと表情を輝かせる。先程見せた魔道士としての片鱗など、どこかに消え去ってしまったようだ。今目の前にあるのは、年頃の女性が見せる好奇心のそれである。
 「そういう事ならお姉さん、一肌脱いじゃうわよ! 手数料はサービスね。材料費だけ頂くわ!」
 「え? あ、ありがとうございます」
 突然はりきりだし、普通では考えられない程のサービスを申し出てくれた女性に、お礼を口にしながらもいまいち釈然としないものを感じる。そういう事とは、一体どういう事なのだろう。
 「こんなに珍しくて素敵なものを見せてもらっちゃったんだもの。腕が鳴るわ!」
 嬉々として女性が告げ、ライラのチャーム作りは開始されたのだった。






 ぐしゃり。と、紙が握りつぶされる音が、エラリア城のとある一室で上がった。
 「あの馬鹿姉……!」
 紙を握りつぶした右手を震わせ、リースはもぬけの殻となった部屋に、低い怒声を放つ。決して王族の人間が姉君に対して零して良い台詞ではなかったが、周囲に誰も居ないのだから今は大した問題ではない。むしろ今一番の問題はもっと他にある。
 今は右手の中でくしゃくしゃになってしまったそれは、明らかに姉からのメッセージだった。気分が優れず伏せっているイリスピリア王女が本来であれば眠っているはずであろうベッド上に、件の人物の代わりに置かれていたのは、一枚のメッセージカードである。

 『ルージュの魔法屋にて』

 いかにも見つけてくださいと言わんばかりの場所に置かれたそれは、どう考えても自分に宛てられたものだろう。姉がどういうつもりでこのような物を残したか知らないが、なんと面倒な事をしてくれる。
 気分が優れないと言って、全てのお茶会と訪問の申し出を断り、前夜祭まで部屋で休んでいるらしい。その話をエラリアの使用人から聞いた瞬間、嫌な予感がしたのだ。あの図太い姉が体調を崩すなど、よほどの事でもない限りあり得ない。怪しいと思いリサの寝室を訪れたリースだったが……時既に遅しである。

 ――リース。同行を認めたからには、向こうでリサがしでかした事全てに責任を持つように。くれぐれも目を離さんようにな。

 イリスを発つ前に父から告げられた内容を思いだし、眉間の皺がますます深くなった。エラリアの城を抜け出した事が、父やネイラスに知れようものなら、後で自分にどんな厄災が降りかかってくるか。想像しただけでうんざりする。
 「まったく、世話の焼ける!」
 苦々しく零し、深いため息を落としてから、リースはリサの部屋を後にしたのだった。



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