追憶の救世主

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第4章 「前夜祭」

3.

 「んっふっふっふ。やっぱり他国って良いわね」
 商店街を軽やかなステップで歩きつつ、上機嫌でリサは独り言を零した。
 午前中というのに、城下町は大いなる賑わいを見せている。リサが今歩いている区域も、中心街という程の通りではないが、たくさんの人が行き来していた。休日であるという事に加え、翌日に控えたレクト王子の式典の影響だろう。城では今日、前夜祭と称したパーティーが開かれるが、町でもお祭りがあるらしい。その準備に追われる男たちの姿を見るのも楽しかった。街角のあちらこちらに、王子の継承権授与を祝うポスターや飾りつけが溢れ、語り部がエラリアの伝統的な神話や昔話を奏でている。町全体がお祝いムードで沸き立っている状態だ。お祭り前のそわそわとした空気。こういう雰囲気がリサは結構好きだった。
 何より、ここにはリサの事を追いかけてくるネイラスも居なければ、王女不在に騒ぎ出す憲兵隊や使用人達も居ない。自由に町を散策出来るなど、そうそう巡ってくるチャンスではない。
 「さーて。この滅多にない機会を逃すなんて勿体無いわ! まずはどこから見て回ろうかしら」
 思っている事を片っ端から声に出して行くが、人々の談笑で溢れるこの場所で、リサの独り言に耳を傾ける者など皆無だ。その事が気持ちよくて、リサは益々笑みを深める。今日は天気も良い。絶好の散策日和。
 まずは若い女性客で賑わっている噂のお菓子屋から攻めようか。そう思っていた矢先、賑やかな雰囲気をぶち壊しにする悲鳴が上がる。

 「食い逃げだ!」

 怒声の上がった方を振り返ると、曲がり角付近にある食堂の店員が街路に出てきて叫んでいるのが見えた。人々の楽しげな談笑は中断され、悲鳴とざわめきが辺りを包む。騒然となる町人の波を切り裂き、丁度リサの居る方に走ってくるのは若い男だった。状況からして、彼が食い逃げの犯人だろう。
 「捕まえてくれ!」
 店員の男が、犯人を追いかけながら叫んでいた。けれど意外とこの男、すばしっこいため、何人か加勢したがするすると掻い潜る。手馴れているのだろうか。
 「どけよっ!」
 中年の女性を突き飛ばし、男はいよいよ目前に迫ってきた。やれやれといった表情でリサは腰に下げた剣に手を伸ばすが、彼女に犯人がたどり着く直前で、事態は大きな変化を迎える。突き飛ばされた女性のすぐ後ろに居た人物に手をかけた瞬間、食い逃げ男はくるりと半回転して無様に倒れ伏したのだ。
 「――――っ」
 柔術の要領で、軽々と男を転倒させたのは、若い男性である。しかし、件の人物の容姿を詳しく確認するよりも先に、再び犯人が動き出す。まったく往生際が悪い。地面に這いつくばった体勢のままもがき、立ち上がろうと両手に力を込める。逃げる気だ。
 「そこまで」
 だが、犯人の願いは適わなかった。立ち上がる直前で再び足払いをかけられて転倒すると、次の瞬間には目の前に剣がのびてきたから。いや、正確に言うと真剣そのものではない。不適な微笑みと共に犯人に突きつけられたのは、鞘に収まったままの剣であった。他でもない、リサがやった事だ。彼女の早業に、騒ぎを忘れ、周囲の町人からは思わず歓声が上がる。
 「そろそろこの辺でお縄についておきなさいな。今なら軽い罪で済むんじゃないかしら?」
 「っるさい!」
 ここまで騒ぎを大きくしておいて、若い女にやられて終わる事を、食い逃げ男のプライドが許さなかったのかも知れない。男は怒号を上げて身を翻すと、懐からナイフを取り出し、リサに向かって素早く繰り出してくる。咄嗟の判断で避けたが、髪の毛が数本持って行かれて宙を舞った。
 陽光を受けてきらりと煌めくナイフの登場に、町人の間から再び悲鳴が上がる。
 「わああああっ!」
 完全にきれてしまったのだろう。避けられた事で更に逆上した食い逃げ男は、目を剥いてリサに迫る。ここまで来ると容赦する必要もないだろう。溜息をついてリサは後ろに飛ぶと、今度こそ剣を鞘から抜き放とうと構えに入る。だが、男が次なる一撃を繰り出す前に、背後から加勢が入ったのだった。

 『――眠りよリーリア

 力ある言葉が耳を撫でる。かと思うと、後ろから何者かに頭を掴まれた食い逃げ男は、がっくりと力を無くし、リサの目の前に倒れ伏したのだった。一瞬死んでしまったのかとひやりとしたが、昏倒した男は安定的な呼吸を繰り返している。どうやら、眠らされただけらしい。ここまで鮮やかに相手を眠りにつかせる力――今のは確実に魔法だ。
 しんと静まり返ったのは一瞬の事。すぐに町の街道はざわめきに包まれる。突然の捕縛劇に拍手をする者、歓声を上げる者と様々だ。犯人の男が倒れた事で、店員の男性は慌ててこちらへ駆けてきた。
 「……助かったわ」
 実際の所、食い逃げ男の動きからして一人でなんとか出来るレベルであったとは思う。が、加勢して貰った事に対して礼は述べるべきだろう。そう思いリサは、手をかけていた剣から意識を離し、目の前に佇む男に向かって声をかける。いかにも旅人風といった軽装に身を包んだ人物は、先程男を軽々と転倒させた人物と同一だろう。一体どんな人だろうか。そう思い彼の方に視線を巡らせたが、巡らせた先の光景に硬直してしまった。向こうもそれは同じであったようで、店員と共に眠らせた犯人を抱き起こすのを手伝う一方で、呆けた顔でリサの方を見ていた。
 鼻筋の通った綺麗な容姿に、短く切りそろえられた焦げ茶色の髪。意外そうに見開かれた瞳は、深い青色をしている。
 「とんだじゃじゃ馬姫だな、あんたは」
 「シン……」
 掠れた声でそう漏らすのが精いっぱいだった。
 そう、シンだ。イリスピリア国立図書館で二度の出会いを経て、結局名前しか知れなかった相手。リサがずっと会いたいと思っていた人物。犯人の男を取り押さえつつ、こちらを見つめるのは、彼に間違いが無かった。






 「お待たせ致しました!」
 ハキハキと明るい声で告げると、ウェイトレス姿の少女は目の前のテーブルにふた皿分の料理と、ジュースを二つ、慣れた手つきで置いた。同時に立ち上る、出来たてほやほやの美味しそうな匂い。お昼ご飯にはまだ早い時間帯ではあったが、それはリサの食欲を刺激するのに十分なものだった。そんな訳で、いただきますと嬉々とした表情で言った直後には、リサは一口目を頬張る。
 「ん! 美味しい!」
 やっぱり城を抜け出してきて良かった。王城の料理も美味しいが、こういう素朴さは、城の料理人達ではなかなか出せないだろう。普段あまり口にする事のない類の味に、一種の感動も合わさって、リサは涙目で満面の笑みを浮かべた。
 「……念のために訊くが、あんた、本当にイリスピリア大国の王女だよな?」
 物凄い勢いで料理を口に運び続けるリサの向かいの席で、頬杖をつき、未だ一口も料理に手をつけずにそう言い放ったのは、もちろんの事シンである。深い色の瞳は、呆れた様子で細められていた。
 「その通りだけど、今はその呼称出さないで貰える? ここはイリスじゃないけど、万一見つかったらまずいもの」
 「問題ないよ。今のあんたの様子を見て、誰もそうとは信じないって。麗しの王女様が、町人の格好して、食い逃げ犯相手に立ちまわった挙句、庶民の飲食店で昼食とはね」
 「……誤解しないで貰えるかしら。私だって、こういう所でご飯くらい食べるわよ」
 皮肉がふんだんに込められたシンの言葉に、リサは頬を膨らませる。もちろん本気で怒っている訳ではないが、それを目にして軽くため息をつくと、彼は肩を竦めたようだった。
 「それより、食べないの? せっかくジュースのサービスも付いて、割引きまでしてくれるって言われてるのに」
 シンに運ばれた来た料理が未だ手つかずである事をちらりと確認して、リサは首をかしげた。
 例の食い逃げ犯を捕まえて、騒ぎが落ち着きだした頃、食堂の店長がお礼をさせて欲しいと言ってきたのだ。そのお礼の内容というのが、今しがたリサが述べたものである。昼食にはまだ早かったが、せっかくの申し出を断るのも悪い。何より、リサと共に犯人を捕まえたシンと、共に食事をするチャンスだった。だから、申し出を断ろうとしていたシンを押しのけて、強引にテーブルへと彼を連れてきてしまった。話がしたい。漠然とそう思ったのだ。自分に対してフランクに接してくるこの青年に、非常に興味がある。
 「…………」
 リサの言葉を受けたシンは、それもそうだなと呟き、ようやく食事を開始した。自分と食事をするのが嫌で料理に手をつけなかった訳ではないのだと、内心ほっと胸をなでおろす。
 それから、少しの間沈黙があった。シンが食事する様を、静かにリサは観察する。すうっと通った鼻筋に、様々な色を帯びる青い瞳。容姿は確実に男性と分かるものだが、上品さがあった。整った容姿というより、彼は綺麗なのである。
 見ていて飽きなくて、食事をする事を放棄してリサは彼を見つめ続けた。その視線に、彼が気づかないはずもなく、
 「……何だよ?」
 シンもまた食事の手を止めると、怪訝な顔でリサを見る。
 「いくつか訊いてもいいかしら? 差し障りがあるなら、答えなくてもいいわ」
 ふふ、と笑みを零し、リサは穏やかに告げる。シンは一瞬目を見開いて警戒するようなそぶりを見せたが、何も言わなかった。沈黙を肯定と捉えると、リサはジュースを一口飲んでから、話を再開させる。
 「あなたって、魔道士だったのね」
 先程の捕縛劇の折、彼は確かに眠りの魔法を行使していた。超初歩にあたる魔法などは、旅人の中に得とくしている者もいると聞くが、眠りの魔法は魔道士のみが持てる技だ。
 「まぁ、そういう事になるかな」
 リサの質問に、そのような曖昧な答えが返ってくる。魔道士が本業ではないのかも知れない。旅人風の服を纏った彼は、帯剣もしている。剣も使えるという事だろうか。
 「エラリアには何をしに?」
 次なる質問には、シンはうーんと唸ってから、やや上を向く。
 「別に。ただ旅の途中に立ち寄っただけだよ。目的なんて……そうだな、強いて言うなら、祭りの雰囲気を楽しみに来た、とか」
 そう言って、シンは視線を窓へ移動させた。街路には色とりどりの飾りつけが施され、今宵の祭りの準備は順調に進んでいる模様だ。きっと賑やかなお祭りになる。旅人が立ち寄りたくなるのも頷ける。
 「じゃあ逆に質問。あんたは何故ここに? レクト王子の式典に参加するのは、王様の仕事じゃないのか?」
 街路で櫓(やぐら)を建てている男たちの姿に見入っていたところに、逆にシンからの質問が飛ぶ。まさか何かを尋ねられるとは思っていなかったので驚いたが、それは表に出さず、リサは青年に目を向けた。
 「父は意外とサボり魔なのよ。弟に全部押しつけて、今頃はきっとイリスであぐらをかいてるわ。私は弟の付き添いみたいなものね」
 茶化したように、嘘を交えた内容を告げ、リサは不敵な笑みを浮かべる。答えを受け、シンはいまいち腑に落ちないといった顔をしたが、本当の事を言う訳にはいかなかった。
 レクト王子を祝いに来たという目的は本当の事。けれど、リサ達はパリスの軌跡を追うためにやって来たのだ。500年前の事件の引き金となったであろう『石』の手掛かりを求めて。
 「――オリジナルの創世記」
 出されたジュースにシンが手をつけ始めた所で、リサはぽつりとそう、零した。
 「図書館で最後に会った時、言ってたわね。オリジナルの創世記を見ておきたかった。って」
 「…………」
 深い色をした瞳が、意味深に細まるのを目にして、リサは口元から笑みを消す。ジュースを飲む事もせず、彼はただ無言でこちらを見返していた。穏やかに流れていた空気の中に、僅かな緊張が混じり始めたのに気づかないふりをして、リサは尚も言葉を続ける。
 「何故、あんなものを見たがっていたの?」
 それはずっと、心に引っかかっていた事だった。
 パリス王の足取りを求めて国立図書館に通い詰めたものの、思った程の成果が出ずに頭を悩ましていた。シンに出会ったのは、そんな時だった。そして、別れる直前に彼が零した、オリジナルの創世記を見に来たという一言がきっかけで、リサは思わぬものを見つける事になる。『石』が意味するものと、500年前の事件のつながりだ。
 全てが偶然の産物で、本来ならば何の繋がりもないもの達が、偶々一つの線で結ばれただけなのかも知れない。けれど、リサは興味があった。そして知りたかった。この青年がどこの誰で、どういう目的を持つ者なのか、と。
 エメラルドグリーンの瞳を静かに青年に向け続けるも、彼からの返答はない。ただ無表情に沈黙を貫くのみである。答えたくない、という訳か。数秒見つめあうが、やがて諦めて小さく息をつく。
 「イリスで、もう会えないだろうってあなたは告げたけど、私達はここで再会出来たわね」
 もう二度と会えないと、リサも思っていた。それが、異国の地であるエラリアで、思わぬ再会となった。でも、もし次出会うとしたら――
 「次出会うとしたら……あの言葉はどう続くのかしら。私達が再会する事で、何かが起こる?」
 その時ほんの一瞬、シンの瞳に陰りが浮かんだような気がした。それを見て、リサの中に言い知れない不安が生まれる。
 「……シン?」
 「何も」
 「え?」
 真正面からシンの顔を見る。もうその時には、彼の表情の中には、リサを不安にさせる要素は何も含まれてはいなかった。実にあっけらかんとした、爽やかな笑みのみが浮かぶ。
 「何も起こらないさ。現にほら、今俺達はこうしてただ和やかに会話して、食事を楽しめているだろ」
 手にしたジュースを最後まで飲み干すと、シンは空になったグラスをテーブルに置いた。一連の動作をぼんやりと眺めていたリサだが、グラスが当たってテーブルがことりと音を立てたところで我に返る。
 「そう、よね」
 そうに決まっている。
 唇から飛び出した声は少し掠れていたが、言葉に出す事で、それが真実になるような気がした。
 内心の不安を押しつぶすように、リサはジュースの入ったグラスに手をつけ、シンがそうしたように、一気に飲み干したのだった。



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