追憶の救世主

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第4章 「前夜祭」

4.

 「――――」
 バーランドの王子が去り、抜き放った剣を納めたアキは、再びアリスの隣に腰かけた。それを横目で確認してから、アリスは深く息を吐き出していた。自らの手元には卵色のパウンドケーキが、食べかけの状態で残されている。アキがわざわざ城下まで行って買って来てくれたものだ。彼だって学校や騎士団の練習がある。貴族の息子としての仕事も、多少は存在するだろう。その合間をぬって町に繰り出す事は、決して簡単な事ではないはずである。
 何とも言えない沈黙を紛らわしたくて、ケーキをぱくりと頬張ると、口の中に優しい甘みが広がった。強張っていた体も、それで少しは解れてくれる。
 「……アキは、昔からずっと、変わらず私に接してくれるのね」
 ケーキの後味を噛みしめながら、ぽつりと呟いていた。甘いはずのケーキが、少し苦みをもったような錯覚に陥る。
 思い返してみても、物心ついた時には、既にアルキル・キエラルトは自分の隣に存在していた。王族の人間であるアリスにとって、同年代の数少ない友人の一人。
 少しばかり存在していた同性の友人達は、あの事件がきっかけで居なくなってしまったから。今日までずっと変わらずに自分に接してくれたのは、アキとリース達イリスピリア姉弟くらいである。イリスピリア王家には、血のつながりがある。騒動の中、一時的にかくまってくれたのも彼らだ。だが、アキは違うのだ。血縁もなければ、庇う義理も存在しない。
 「私の傍に居ても、貴方にとって良い事はきっと何も起こらないのに。ただ幼馴染なだけ。そんな私に、何で――」
 何故、そんなにも真っ直ぐな瞳を向けてくれるのだろう。
 「…………」
 いつの間にか、静かにこちらを見据えていた空色の瞳を見て、アリスは困惑していた。
 先程の王子とのやり取りが頭の中を駆け巡る。挑発的な言葉を並べたてる王子に対して、アリスは何一つ反論は出来なかった。全てが、本当の事だったからだ。
 居づらいと思っている母国から、完全に抜け出せもしない。かといって、他国の人間にもなりきれない。中途半端な状態のまま、アリスはセイラを利用していたのだ。もちろんそんな事、本意ではなかったが、そう言われてしまっても仕方がない状況を自分自身で作り出している。そんな風に考えて、委縮して、途方に暮れる事しか出来なかったアリスの代わりに、剣を抜いたのはアキだ。
 「ごめんなさい、アキ」
 出てくる言葉は、それしか無かった。
 王族に剣を抜く事が、どれ程重大な罪に問われるか、さすがのアキだって分かっているだろう。下手をしたら、命を取られかねない。キエラルト一族に影響が及ぶ可能性だってある。だが、浅はかとは責められなかった。だって全て、アリス自身が立ち向かわなかったせいなのだから。
 「もしバーランド王子が貴方に何かをしたら、私はどうしたら……!」
 「――アリス」
 混乱を極めるアリスに向かって、極めて冷静な声を投げてきたのは、ほかならぬアキだった。言葉を止め、悲愴な顔で声の主を見据えると、彼は苦笑い混じりに小さく息を吐き、そして再び表情を引き締める。普段よく見る、やんちゃ少年を思わせる表情との差に、胸が僅かに鳴いた。
 「アリス。もうそろそろ、エラリアに戻って来い」
 「……え?」
 予想外の言葉に、一瞬耳を疑う。それは、レムサリアからたまには里帰りして来いと、ねだるように告げるいつもの口調ではなく、エラリアを出国する時に、また帰って来いと、寂しげに告げるものでもなくて、そんなものではなくて――
 「お前の国は、レムサリアじゃない。エラリアだ。お前の居るべき所は、セイラ様の下じゃなくて、ここなんだよ」
 「アキ」
 「アリシア・ラントは、エラリアの姫君だ」
 真剣な表情には、嘘の色は微塵も見えない。けれど、彼の告げる内容は、アリスが許容出来るものではなかった。だってこの国に、自分の居場所なんて、ないに等しいはずなのだから。
 「……アキも、考えは大臣達と一緒なの?」
 アリスは、そういう身の上の人間なのだと。居場所が無いのならせめて、エラリア王室の姫として、優良な縁談と共に、エラリアに益をもたらせと。ヴォンクラウン大臣の言うように。バーランド王子が求めるように。それを、アキも求めるのだろうか。

 ――……アリス、違う。そういう事じゃねーよ。

 愕然とするアリスの頭に、先日のアキの言葉が響く。いつの間にか涙が浮かんでいた瞳を上げると、アキは引き締まった表情を若干緩めて、小さく肩を竦めてみせた。
 「あいつらの考えなんて、俺にはわかんねーよ。ただ、アリスの現状を憂う気持ちは、一緒かもな」
 「え?」
 どういう事?
 眉をしかめるアリスを無視して、アキはうーんと大きく伸びをした。昔はアリスとそう変わらなかったのに。いつの頃からか、自分よりも身長も伸びて、体つきも逞しくなった幼馴染は、長い腕を振り回しながら、ゆっくりと立ち上がる。
 「セイラ様にはさ、本当に感謝してるよ。親父さんの事があって、追いつめられたお前に、道を作ってくれた人だ。けど、お前がする事って、水神の神子の傍に居て、神子と神殿を守る事か? それを、セイラ様は望んでいるか?」
 「それは……」
 結論を言えば、セイラからそれらの事を求められた経験なんて、一度もない。弟子を名乗る便宜上、神殿に取り合ってセイラはアリスを守人にしたが、所詮は名前だけの立場だった。
 「あの頃は、俺もガキで、何の力も無かったし、セルト陛下は一番難しい立場で、真正面からアリスを庇う事なんて出来なかった。他国の王族が、エラリアのお家騒動に首突っ込む訳にも行かなかったから、イリスピリア王家なんて、もっと歯がゆかっただろうな。レクトなんて当事者な上に、生まれたての赤ん坊だった訳だしさ。……だからあの時、アリスを守れたのは、セイラ様だけだった」
 実際のところは、セイラが手を差し伸べてくれた訳ではなくて、無理を言ってアリスが彼の元に転がりこんだというのが正解なのだけれども。確かにあの師匠は、それを拒んだりしなかった。呪術の弟子にする事は若干渋っていたが、アリスが差し出した手を、お決まりの緩い笑みと共に引いてくれた。そんな人は、あの時点では、彼しか居なかった。唯一の居場所だと、思えたのだ。
 「けど、今は違うだろう?」
 穏やかな声が耳に届く。真っ青な釣り上がり気味の瞳は、優しい色を宿してこちらを見下ろしていた。
 「アリスを守れるのは、もうセイラ様だけじゃない。レクトもあれで色々考えてるし、随分しっかりして来た。俺だって……もう昔のように、喚くだけのガキじゃねーよ」
 いつかはエラリアへ戻りなさいと、弟子入りする時セイラに告げられた事を思い出す。あの時は、拒絶されているような気がして、ならばここに居る事を認めて貰わなければと考えて、アリスは必死でしがみついた。エラリアには帰る場所なんてない。名ばかりの立場を支えに、自分のいるべき場所は、レムサリアの水神の神子の傍だと思いこもうとしていた。
 けれど、アリスだって本当は分かっていた。
 「アリスも、あの頃とは違うよな。自分の足でしっかりと立てるだけの力を、レムサリアで身につけてきたんじゃないのかよ? 何の為にここにいる? 決まってるじゃねーか。ここがアリスの居場所だからだ」
 「私の……居場所?」
 嘘だ。と掠れた声が漏れる。だが、頭の中に響いた声は、それとは正反対のものだった。
 全てが解決したとは言い切れない。傷は浅くはなかったし、きっと一生消えるものではない。何よりも、父と母はもう戻ってはこない。でも、変わらずに出迎えてくれる人たちが、ここに居る。そして、自分にとって敵だらけに思えたこの国が、時間と共に変わっていく事も、確かに気づいていた。
 「いつまでもガキじゃないだろう。エラリアに帰って来いよ。お前が出来る事をするために。……アリスは一人じゃない。俺もレクトも、皆付いているから」






 シズクが眺める前で、チャーム作りはハイスピードで進行していった。魔法薬が入ったいくつかの瓶が並び、店員の女性は嬉々とした表情でそれらを華麗に操る。学生実習で薬品を扱って以来随分とご無沙汰になるシズクにとって、この手つきは神業とも言えた。さすが、現職は違う。
 時々希望を聞かれるものの、特にこだわりも無かったため、ほぼ店員のお任せでお願いしていたのだ。ただ、完成するクリスタルの色だけは、しつこいくらいにシズクに決断を求められた。曰く、白いライラを贈って来た相手の瞳の色を使うのが一番良いらしく……何故そんな事をするのだろうか、縁起でも担ぐのかと、不可解な気持ちのまま、一応エメラルドグリーンで依頼した。
 そんな訳で、今現在目の前の作業台には、指先大のエメラルドグリーンのクリスタルと、特殊な処理を施されたものの、未だ元のサイズを保ったままのライラが並べられている。
 「さて最終工程。後はライラをクリスタルに埋め込むだけなんだけど……せっかくなんだから、貴女の魔力を使いましょうか」
 「え?」
 それまで真剣に作業を進めていた女性から、突然話を振られた事に、シズクは思わず声を上げる。
 「貴女も魔道士でしょう? せっかくチャームを構築するだけの魔力があるんだから、使わない手はないわ」
 言われてみれば、確かにそれもそうである。あまりに店員の手つきが良いので、自分は最後まで傍観者のままだと錯覚してしまっていた。ただでさえサービスをしてくれているのに、店員の魔力まで使わせてしまうのは悪いだろう。
 そう思い、すみませんと謝るシズクに対して、呆れた風に溜息を吐いたのは、ほかならぬ店員の魔道士である。
 「もう。そういう事じゃないわよ! 貴女って鈍感さんなのね。チャームは、その持ち主の魔力を混ぜるのが一番効果的なんだから。ま、ただの迷信だけどね」
 「め、迷信って……」
 「昔から、想いが籠った物には、魔法が宿るって言うでしょう? 迷信でもなんでも、やらないよりはやる方が断然良いわ! ほらほら!」
 完全にペースを持って行かれ、たじろぎっ放しのシズクの背を押して、女性は作業台の中心へと導いた。目の前にあるのは、先程と変わらない風景。エメラルドグリーンのクリスタルと、幸運の白い5枚花だ。
 「意識を集中して……。学校でやり方は習ったわよね。適当でいいから」
 明るくハキハキしたものから一転。女性の声は、落ち着いた魔道士のそれに変わっていた。やさしく肩を掴まれ、促されてライラとクリスタルに手をかざす。そうすると、緩んでいた気持ちが少しずつ引き締まって行くのが分かった。
 リラックスして。思うままで良い。心の中でそう唱えると、すうっと、肺に空気を満たす。

 『――我は変革を望むもの』

 実のところ、シズクはチャーム作りの呪文を詳しく覚えていなかったりするのだが、魔法というのは要は、頭の中にイメージを浮かべて、精霊に語りかける事が全てだ。それらを助けるのが、呪文という存在である。女性の言うように、適当でいいのだ。
 かなり教科書文をすっ飛ばしたシズクの呪文は、まともに発動したようである。その証拠としてクリスタルとライラが、僅かずつ輝きを増していく。

 『二つは一つであり、再び二つとなる事許されず。永遠の安定を成す事のみが汝らの使命である』

 二つを一つに。
 強烈にそうイメージしたと同時に、それまで以上に強い光が作業台の上に広がる。眩しいと感じて瞳を閉じたのは一瞬の事。瞳を開けるとそこには、従来サイズから随分と小さくなったライラが封じ込められた、クリスタルのチャームが完成していた。どうやら、失敗しなかったようだ。
 ほっと胸をなでおろすシズクのすぐ隣で、感嘆のため息をついたのは店員の女魔道士である。
 「なんというか……凄いわね」
 「?」
 完成したてのチャームと、シズクの顔を交互に見比べながら、女性は感慨深そうに頷いた。
 「いや、私は適当で良いって確かに言ったけどね。呪文を短縮するにも程があるわよ。それなのに、ちゃんと綺麗に仕上がっちゃってるし……」
 クリスタルを手に取ると、店員は仕上がり具合を確かめるようにそれを覗き込む。シズクも目を凝らして見つめてみるが、白色のライラは、今はクリスタルに封じ込められていて、エメラルドグリーンに染まっているかのように見える。まさに、二つが一つになった。
 「その顔じゃ、自分が何したか分かってない感じだけど……まったく。貴女って、何者なのかしら?」
 「何者って……ただのしがない魔法学生としか」
 ただちょっとだけ、最近大事に関わっていますが。
 内心ぎくりとして、焦りを隠しきれずにおたおたとする。そんなシズクの反応に、女性店員は訝しげな表情を浮かべていたが、褒められた事に照れているとでも取ってくれたのだろう。それ以上追及して来る事はなかった。
 「鎖はシルバーでいいかしら?」
 「あ、はい」
 つい最近までシズクが身に着けていたネックレスは、ミスリル銀が用いられたものだったが、さすがにミスリルを買う経済力は彼女にない。一般的なネックレスに仕上げてもらって、寂しくなった首元を満たしてもらえればそれで良かった。
 どの鎖にしようか、長さはどうしようかと、シズクが見守る中、店員は色々と思考を巡らせ、最終的に目の細かいシルバーを選び取って付けてくれた。これで本当に、ライラのチャームの完成である。ほとんど店員の力を借りたのだが、手作りというのはなかなかに感慨深い。ほおっと息を漏らすシズクの横で、楽しそうな笑い声が聞こえた。
 「これで、無事契約成立ね」
 言わずもがな、声の主は女性店員だ。紺色の瞳を細めて、彼女もまた、完成したネックレスをうっとりと見つめている。だが、シズクとしては気になる単語が浮上した。
 「契約?」
 「5枚花のライラは『契約』の証でしょう? それも、とても大事な、人の一生をかけるような、重大な契約」
 「一生をかけるような。重大な……?」
 初めて聞く内容である。先日アキから教えて貰ったライラの花言葉とは随分と違う。確か、5枚花のライラだけはたった一つの用途にしか使わないと言っていたから、これがそうなのだろう。5枚花のライラは、契約の証。
 「あ……」
 そこまで思考が辿り着いた瞬間、カチリと、シズクの頭の中で、そんな音がしたような気がした。
 ずっと気になって、悶々としていた部分があった。エラリアの紋章はほとんど全て4枚花のライラが用いられているのに、城のある一部にだけ、5枚花が使用されていた。あんなに重要な場所に、偶々5枚花が描かれる訳はない。意図して描かれたに違いないのだ。
 「そうか、契約……そうなんだ!」
 興奮して告げるも、店員の魔道士は解せないといった顔で首をひねるのみだ。彼女には、分からなくて当然だろう。
 閃いたなら、すぐにリサあたりに知らせなければならない。会計を済ませて店を出ようと、シズクが女性に告げようとした瞬間の事だ。木造りの店の扉が、開く音がした。
 「あら、いらっしゃ――」
 店員のあいさつは、店に足を踏み入れてきた来訪者を目にした瞬間途切れる事になる。
 女性ターゲットの商品で溢れるこの季節に、訪れたのは男性で、それも、占いの館風のこのマジックショップの客としてはおよそ似つかわしくない、呆れるくらいに顔が整った、美少年だったからだ。
 予想外の珍客に驚いたのは、店員だけではない。彼をよく知るシズクもまた、よもやこのような場所で、出くわすとは思って居なかった。
 「リース……?」
 だから掠れた声でそう一言、零す事が精いっぱいだったのだ。



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