追憶の救世主

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第4章 「前夜祭」

5.

 ――なんでこんなところに彼が現れるんだろう。

 魔法屋に入って来たまさかの人物の姿に、シズクはしばらくの間ぽかんと呆ける事しか出来なかった。
 当然の事だが、シズクがエラリア城から外出する事は誰にも告げていない。リサとシズクだけの秘密であるはずだったのだ。何故ここに自分が居る事が分かったのだろう。第一、リースは曲がりなりにもイリスピリアの王子という身分でこの国に居るのだ。簡単に城を抜け出してきて良い立場ではない。城下町にわざわざ繰り出してきた目的は一体何だ。
 あれこれと思考だけが頭の中を駆け巡って行く。しかし、驚いているのはシズクだけではない。魔法屋の店員である魔道士の女性もまた、固まってしまっていた。いや、正確には見惚れていると言うのが正解だろうか。ちらりと彼女の方を見ると、頬が軽く染まっているのが分かる。
 だが、リース本人はどうかというと、実に冷静だった。
 「……姉貴は?」
 シズクの姿を認めた後、魔法屋の中をくるりと一瞥すると、こちらに歩み寄って来る。動きや声のトーンからして、彼が今不機嫌である事が分かった。
 「リ、リサさん?」
 リースの放った言葉と態度に、シズクはぎくりと体を強張らせる。リサを探しているという事は、ばれてしまっているのだ。彼女が城を抜け出したという事が。
 「何でリース、リサさんの事を――」
 言葉の途中で、リースが一枚の紙切れを自分の目の前に差し出してくる。若干くしゃくしゃになったそれは、何かのメモ書きのようで、見覚えのある筆跡で『ルージュの魔法屋にて』と綴られている。間違いない。リサの筆跡だ。
 「――――っ!」
 「書きつけに従って来てみたら、姉貴は居ないし。代わりにお前が居るし。一体どういう事だよ」
 どういう事か聞きたいのはこちらの方だ。
 胸中でそんな台詞が浮かぶが、実際に言葉には出さない。リサのやらかした事が、シズクにもまったくもって意味不明であったが、今それを口にしてしまうと、リースの機嫌を益々損ねてしまいそうだったからだ。
 「で、シズクは姉貴と一緒じゃなかったのか?」
 「ここまで来るのは一緒だったけど……わたしが用事を済ませている間、城下町を散策するって……」
 「散策!? 一人で行かせたっていうのかよ!」
 ずいっと思いきり顔を寄せられて、シズクは大いにたじろいだ。眼前に迫るリースの顔が、これ以上ないくらい歪んでいたせいもあると思う。
 「に、2時間後には戻るって言ってたから、そろそろ戻るとは思うけどっ!」
 リースの迫力に押され気味であるが、とりあえず言い訳めいた言葉を吐き出しておく。彼が顔色を変えるのも分からなくはない。おそらく、麗しのリサ王女を城下町に一人で解き放つ事は、運動不足気味の猛獣を檻から解き放つのと意味合いが近い。それはシズクとて分かっていた事である。ただ、口が達者な彼女を止められなかっただけで。
 「とにかく、探しに――」

 「まぁぁぁぁぁ! 何て事!!」

 焦った様子で店を後にしようとしたリースの言葉を遮って、素っ頓狂な声が上がる。発生源は、もちろんリースでもシズクでもなかった。二人の一連のやりとりを、傍からずっと黙って見守っていた女性店員だ。あまりに甲高い声であったので、さすがのリースも言葉を失ってしまったようだ。
 紺色の瞳をきらきらと輝かせながら、女性はシズクとリースの顔を交互に見比べる。
 「そうなのね! そういう事なのね!!」
 うんうんと激しく首を縦に振りながら、女性は嬉しそうに告げる。言葉を向けられたシズクとリースは、全然どういう事なのか理解出来ていないにも関わらず、だ。
 「んもぅ、あなたも隅には置けないわねぇ。お姉さん感激しちゃったわよ」
 シズクを見ながらにやにやとした顔で告げられても、やはり意味が分からない。
 「あの、えっと、どういう――」
 「これで契約成立って訳ね!!」
 ハイテンションの女性店員にペースを持っていかれ、困惑しきりのシズクだったが、彼女の放った『契約』の二文字に、はたと我に返る。
 「そうだった……リース!」
 先程の自身のひらめきを思い出し、視線を未だ爛々と瞳を輝かし続ける女性店員から、怪訝な表情のリースへと向ける。シズクの視線を受けて、リースもこちらを見た。そして、何だよ? と首を傾げてくる。
 「ここじゃあれだから、とりあえず外に出よう。わたし、お会計して来るから」
 内容的に、一般市民のお姉さんが居る前でして良いものでもないだろう。そう判断すると、シズクは女性店員に視線で会計を促した。何を思ったのだろう。シズクの態度に店員は益々上機嫌になると、いそいそと材料費の計算に入ってくれる。
 「……?」
 思えば、店に来てライラの5枚花を見せた時から、彼女はずっとこんな調子である。女性が言うには、5枚花は契約の証。けれども、シズクは誰とも契約など取り交わしていないし、約束事を申し込まれたりもしていない。女性が大興奮ではしゃぐ要素など、何もない。
 「――ふふ。お幸せにね」
 だから、お釣りを渡される時に耳元で囁かれた言葉も、やはりシズクには何の事かさっぱり分からなかった。






 やたらとテンションの高い女性店員に見送られ、魔法屋の扉をくぐった途端に空気ががらりと変わる。若干ファンシーショップのような様相を呈していたが、『ルージュの魔法屋』もまた、魔力が満ちる場所である事に変わりはなかったのだろう。静かだがどこかしら重たかった空気は消え去り、通りの談笑が耳を包んだ。チャーム作りを開始してからそれなりに時間が経過している。上を見上げると、太陽が随分と高いところまで登っていた。
 「……で? 話って?」
 リースが声を発したのは、シズクが伸びをして深呼吸した直後の事だ。彼としては手短に話を終わらせて、一刻も早くリサを見つけて城へ帰りたいのだろう。少し苛立ちが見える。
 「うん。えっと、リースからこの間渡された、ライラの5枚花なんだけど」
 言って、シズクは先程完成したばかりのネックレスを取り出して彼に見せる。エメラルドグリーンのクリスタルに封じ込められたのは、魔法によってサイズを変えられた5枚花のライラである。
 「花のままだと枯れちゃうから、せっかく貴重なものだし加工して貰ったの。で、さっきの魔法屋のお姉さんが――」
 「お前……」
 だが、ネックレスを視界に入れた瞬間、リースが明らかに顔色を変えた事で、シズクの言葉は途切れてしまう。彼は一瞬目を大きく見開き驚愕したような様子だったが、しばしクリスタルの中のライラを見つめてからこちらを向いた時には、しかめ面を浮かべていた。
 あー、なるほど。それで。と、シズクには意味のわからない呟きが数個落とされた後、最終的に聞こえて来たのは重苦しいため息。
 「?」
 このリースの反応といい、先程の店員とのやり取りといい、5枚花のライラを持ち出すとどうにも違和感を感じてしまう。どこか、自分の認識と微妙にずれてしまっているような――
 「まぁいいけど。……それで?」
 疑問が尽きず、首を傾げたシズクの前で、リースが諦めたとばかりに肩を竦め、話を元に戻した。シズクとしてはもやもやとしたものが胸に残っていたが、本題の方が重要かと思い、疑問を頭から追い出す事にする。
 「あ、魔法屋のお姉さんがね、教えてくれたの。5枚花のライラは、『契約』を交わす時に使われるんだって」
 それも、人の一生を懸ける程の、大事な大事な契約。
 「もしかしてリースは気づいていた? この国の紋章には、4枚花のライラが使われているけど、城のたった一つの扉にだけ、5枚花が彫られているって事に」
 シズクの言葉に、リースは、また違う意味で顔色を変えた。エメラルドグリーンの瞳を細め、表情を引き締めると、真っ直ぐこちらを見据えて来る。町の談笑が若干遠のき、二人の間に沈黙が降りた。彼のこの表情が、そのまま答えだろう。
 「――玉座の間に続く、扉の事だろ?」
 シズクの予想を肯定するように、滑らかな声で解答が紡がれる。
 「あの扉に刻まれた紋章だけ、5枚花が使われている」
 エラリアに到着して、シズク達一行が王と謁見する前に見た扉には確か、太陽と花の模様が刻まれていた。あの時はそれほど気にも留めなかった事だが、花の模様はエラリアの紋章を形作っており、そこに描かれるライラの花弁は、4枚ではなく、5枚だった。城内にいくつか彫られる紋章の中で、5枚花が使われているのはその扉ただ一つ。
 5枚花のライラは幸運を呼ぶ。縁起が良いものだから、この国の長が居る玉座の間にだけ使用されているらしい。アキからはそのような定説を教えてもらってはいた。だが、本当にそれだけなのだろうかと、ずっと悶々としていたのだ。確証が持てるものでもなかったし、あまりに漠然としていたので、リサにすら結局相談する事が出来なかったのだが、先程の店員の話を聞いて、漠然とした疑問は、確証を含むものに変わっていった。
 「5枚花は契約の証。個人で贈り合う場合でも、その人の一生を懸ける程大きな契約を意味するらしいから……国の、お城の扉に刻まれているとなると、仮にそれが『契約』の証だったとすれば、スケールが違ってくる。……とまぁ、そんな事を思いついたのだけれども、リースも同じ事を考えていた? だから、わたしにこの花を渡したの?」
 ライラをシズクに投げてよこしてきた時、彼が何故こんな事をするのか理解が出来なかった。リースは、理由もなく行動を起こすような人ではないと、シズクは思っている。故に、彼のあの行動は不可解極まりなかったのだ。けれど、何かをひらめいて、それをシズクに伝えたかったのだとすれば、すんなりと色々な事が理解出来て行く。
 「……まぁ、似たような事は思いついたよ」
 しばしの沈黙の後、ぽつりとリースはそう零した。エメラルドグリーンの瞳が、一瞬揺らいだように見えたが、気のせいだろうか。
 「図書館で、パリス王とエラリア国についての記録を当たっても結局、友好関係を築いただとか、条約を結んだだとか、当たり障りのない歴史的事実しか出てこなかった。出ないはずだ。パリスは、イリスピリア王家きっての、大狸だからな」
 「ご先祖様を狸呼ばわりするのはどうかと思うけど……確かにそうだね」
 暴言とも言えるリースの言葉に、苦笑いを浮かべつつ告げる。
 リサに頼まれてシズクは連日図書館に足を運び、パリスに関しての記述が載っていそうな書物を持ち出していた。しかし、目ぼしい情報はまったくと言っていい程得られなかった。リサも言っていたのだ。書物からの情報は望めない。パリス王の言葉通り、答えは自ずと現れるのかも知れないと。
 「イリスピリア城のあんな場所にヒントを残すような人物が、書物なんて分かりやすい所に記録を残すはずがない。けど、エラリア城に向かえと言ったのは間違いなくパリス王本人だ。……ここには、パリス王が残した何らかの痕跡が残っている」
 「それが、あの玉座の扉かも知れないって事かな」
 ぽつりと零したシズクの言葉にしかし、リースは曖昧な表情で肩を竦める。
 「何とも言えない。そう思って俺も何度か扉の前に足を運んだけど、結局何も分からなかったし」
 既にリースは、シズクの考えをそのまま実行に移していたらしい。その結果、特に目ぼしい物は見つけられなかったようだ。まぁ、それもそうか。何かを発見していたのなら、真っ先にリサなりアリスなりに報告が行くはずだから。
 「……ねぇ、わたしをもう一度、玉座の扉の前に連れて行って貰ってもいい?」
 「え?」
 「リースは王子様だからほいほい入れる様だけど、わたしみたいな付き人風情は、玉座の間付近になんて易々と立ち入れないのよ」
 玉座の間付近は厳重な警備が布かれていて、特別な用でもない限り一般人は入れない事になっている。シズクを含め、使用人や付き人達も、基本的には主人と同行する時くらいしか足を踏み入れる事は出来ない。だから、アキから扉に描かれているライラの事を聞いた時も、もう一度直接それを見てみたいと思ったが、叶わなかったのだ。
 もちろん再びこの目で見たところで、リースと同じで何も分からないかもしれない。しかし、やらないよりはやる方が良いだろう。
 「いいけど、ひとまず城に戻らない事には何とも……とりあえず今は姉貴を――」

 「お待たせー!」

 丁度その時、リースの言葉を遮り、城下町の通りに上機嫌な声が響いた。驚いて振り返ると、予想通りの人物がこちらに向かって歩いて来るのが見える。言わずもがな、たった今話題に上がりかけたリサ・ラグエイジであった。彼女は大きく手を振りながらこちらに向かって歩いて来る。シズクと別れた時は一人で散策に出かけたはずなのに、今は後方にもう一人、誰かが付いてきているのが見えた。
 (誰?)
 首を傾げながら目を凝らした先に見えたのは、背の高い青年の姿。そして、目に飛び込んできたのは――見覚えのある『色』だった。




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