追憶の救世主

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第4章 「前夜祭」

6.

 食事を済ませた後、リサとシンは城下町で最も賑やかな通りに出てきていた。シズクとの待ち合わせ時間までまだ時間があった為、リサが半ば無理矢理シンを誘ったのだ。急ぎの用事などがあれば無理にとは言わないと伝えたが、幸いシンは、夜まで暇を持て余しているとの事だった。
 お祭りムードの街道は、普段以上に賑やかで、活気があった。通りに溢れる看板や花や商品達が色鮮やかで、呼び込みの店員達も張りのある大きな声を上げる。そんな店を二人で見て回り、偶に足を止めて、何かを買ったり、つまみ食いをしたりして。イリスピリア城で王女として過ごす日々からは、考えもしなかった時間だった。何度か、こっそり城を抜け出して一人でイリスの町を散策した事もあったけれど、単身でぶらぶらするのとはまた違った楽しさがある。
 だから、十分あると思っていた残り時間は、驚くほどあっという間に無くなってしまったのだ。

 「……ライラの花が、たくさん咲いているわね」

 残り時間があと僅かだと確認した後で、ぽつりとリサが零す。賑やかな通りを外れて立ち止まる。横道の壁にもたれかかると、露店で買ったジュースを、ゆっくりと口に運んだ。喉を通りすぎる冷たい感覚が気持ちいい。
 初夏に近づいた季節の風は、リサの金髪を優しく撫で上げて行った。同時に鼻をくすぐる甘い香りは、エラリアの紋章にも使われるライラのものだ。白色のライラは城の一部にしか咲かないが、有色のものは城下にも数多く植えられている。開花を迎えるこの季節は、町は豊かな香りに包まれるのだ。
 少し離れた所から聞こえる祭りの喧騒が、完全なる沈黙を阻んでくれる。だから、それきり二人とも一言も発しなくても、この時間が心地よいと思えた。だが、いつまでも、ここで立ち止まっている訳にはいかない。
 「……今日は、付き合ってくれてありがとう」
 横で自分と同じように壁に背をもたれさせていたシンの方へ体ごと向け、あくまでも笑顔でリサは告げた。別れの言葉は、出来れば明るいものであって欲しかったから。
 「待ち合わせの時間があるから、私はそろそろ戻るわ」
 「そうか」
 「ねぇシン。私達、また会えるかしら?」
 それは、希望的な観測だった。二度目に彼と会った時にも、国立図書館でリサは同じような言葉をシンに向けた。けれど、あの時返って来た言葉は、リサの願いを打ち消す言葉だった。再び同じ言葉を紡いだところで、結果は同じだというのに。

 「――会いたいと思う?」

 ハッとなってリサはエメラルドグリーンの瞳を見開く。目の前の青年は、複雑な表情を浮かべてはいたが、真っ直ぐこちらを見ていた。深い色の瞳に宿るものの正体なんて、今のリサには理解が出来ない。ただ、予想を大きく裏切る言葉に小さく動揺していた。心臓が変なリズムで鼓動を打つ。
 イリスで最後に彼が告げたのは、完全なる別れだったから。もう二度と会えないと、きっぱり告げられたはずだった。だから、今回もそう告げられるだろうと、心のどこかで構えていたのだ。
 ――会いたいと思う?
 問いの形で返答されるとは、思いもしなかった。
 「…………」
 思わず口ごもるリサの返答を待つように、シンもまた、沈黙を保った。祭りの喧騒が耳を通り過ぎて行ったが、心中はそれどころではない。先程まで感じていた心地よい沈黙とは違う、張り詰めた空気に、自然と体が強張っていく。
 イリスで別れた時は、素直に会いたいと思えたはずなのに、今はそう即断出来ない己の気持ちが不思議で仕方が無かった。会いたいかどうか。尋ねられて、その通りだと答えるのが、酷く恐ろしい気がする。もし次に会えたら、その時自分達はどうなっているのだろう。何て事はない。今日のようにただ和やかに時が過ぎて行く可能性の方が、圧倒的に高いはず。頭でそう理解していても、心は言い知れない不安で染まって行く。けれど、
 「会いたい。……そう思う」
 結局それが、リサの答えだった。
 「だって私は、貴方がどういう人か、もっと知りたいもの」
 目の前でシンが、少しだけ驚いた顔をして、青い瞳を見開いているのが見えた。そして、苦笑いを浮かべると、小さく息を吐く。
 「ろくな人間じゃないよ、俺は」
 「どうかしら。それは知ってみなきゃ分からないわ」
 そこでようやく普段の調子に戻って、リサは笑みを浮かべた。そう、知らなければ何も分からない。あれこれ考えても答えはきっと出ないから。だからリサは、思う通りの選択を選ぶ事にする。
 「例えばさ」
 「ん?」
 世間話をするような口ぶりに、気を緩めて視線を巡らせたリサだったが、視線の先にあったシンの顔は、決して穏やかではなかった。何かを思いつめるような、どちらかと言えば苦悩ともとれる表情だ。
 「大切な人を救う事と世界とを懸けたとして、あんたならどちらを選ぶ?」
 「え……?」
 あくまでさらりと。友人と何でもない会話を交わすような口調でシンが告げた内容は、決して穏やかとは言い難いものだった。
 「大切な人と、世界……」
 普通に生きていたのなら、おそらく一生迫られる事はないであろう二択を、リサは反芻する。けれどそれは、恐ろしい程身に覚えのある二択だった。当たり前だ。つい最近イリスピリアに現れた少女を巡る一連の騒動は、リサ達にその二択を迫っているようなものだったから。
 「俺は、世界を犠牲にしてでも、大切な人を救いたいと思うような、そんなろくでもない人間だよ」
 軽い調子で零された声は、何の重みも含んでいなかった。あまりにも胸にすとんと落ちてきたものだから、リサの判断は一瞬鈍ってしまう。それが何を意味しているのか理解した時には、既にシンは曖昧な笑みで全てを覆い隠してしまった後だった。
 「送るよ。あんたみたいなじゃじゃ馬王女、目を離すと危険極まりないしな」



 それから一体何を話したのか。細部までは覚えていないが、おそらく、他愛もない世間話ばかりしていたような気がする。
 賑やかな街路を抜けて、より人気が少なくなる方向へ、リサとシンは歩いていった。他でもない、リサの向かう先がそちらであったからだ。上を見上げてみれば、太陽は随分と高い位置まで上っているのが分かる。シズクとの待ち時間に少しだけ遅れてしまった。その事が少しだけ気がかりだったが、リサの思惑通り事が進んでいたなら、魔法屋にはリースの姿もあるはずだから、少なくともシズクを退屈させたりはしないだろう。
 そんな事を思っていた矢先、前方に見覚えのある人物の姿を認めたのだった。何やら真剣に話をしているのは、シズクとリース――予想通りの二人の姿だ。

 「お待たせー!」

 会話を中断させるのは少しだけ申し訳なかったが、今は背後にシンが居る状態である。黙って近づいて、彼らの話を聞いてしまうのは色々と問題があるかも知れない。そう思い、呼び込みの店員に負けないくらい張りのある声を上げて、手を振った。
 待ち合わせ場所である『ルージュの魔法屋』前で立ち話をしていたシズクとリースは、リサの声に少々驚くそぶりをみせた後で、各々こちらを振り向く。眉間にしわを寄せ、何か言いたげな顔でこちらを睨みつけて来る弟の姿を認め、リサは小さく吹き出していた。置手紙作戦は大成功だったという訳だ。
 「……?」
 しかし、リースの背後に佇むシズクの表情を見た瞬間、上機嫌だったリサの気持ちの中に僅かな疑問が流れ込んでくる。約束通りリサが帰って来た事に対してだろうか。少しばかり安心したような笑みを浮かべた直後、その大きな瞳をある一点に留め、彼女は表情を失ったのだ。
 普段表情豊かなシズクがそんな風になるのも珍しい。首をひねり、リサはシズクの視線の先を追おうとした。しかし振り返った先で、リサもまた表情を失ってしまう事になる。シズクが見つめていた先には、シンが居たから。そしてシンもまた、真っ直ぐにシズクを見つめていた。
 「――――」
 互いの視線がぶつかったのは、おそらくほんの一瞬の事だったと思う。
 「じゃあ俺は、もう行くよ」
 完全に思考が停止していたところに、穏やかなシンの声が届いてハッとなった。弾かれたように彼の方を見ると、彼はその独特の色合いの瞳を細めて、こちらに微笑みを向けている。出会った時と何一つ変わらない。同じ年頃の、青年が浮かべる爽やかな表情。
 「良い一日を」
 「えぇ、……貴方もね」
 それが、三度目の別れの言葉だった。
 曖昧な笑みを浮かべて見送るリサに背を向けて、シンはゆっくりと歩き去っていく。体ごと後ろを向いて、リサも彼を見つめていたが、賑やかな街路に彼が消えて行くまでは見送れなかった。
 「……誰だよ? 今の男は」
 すぐ傍で弟の声がした事で、少しだけ名残惜しかったが、再び魔法屋の方角に向き直る事とする。リースと、その後ろに遅れてシズクがリサの居る方へ向かって歩いて来ているのが見えた。両者とも、怪訝な顔でリサを見つめてくる。まぁ、それもそうか。エラリアの城下町にリサの知り合いなど居るはずもないのに、待ち合わせ場所に男性を伴って現れたのだから。
 「町で、助けてもらったの。詳しい素性は知らないけど……名前はシン」
 「シン……」
 声は、シズクのものだった。しかし、その声があまりに思い詰めた風だったので、リサだけでなくリースも驚いて彼女の方を向く。そう言えば、シンを目にしたシズクは一瞬、表情を失っていたのだという事を思い出す。
 「知ってるの? 彼の事」
 そんなはずはないと思いながらも、シズクの反応は彼の事を知っている人のそれのような気がして、リサは首をかしげつつ尋ねた。独特の色をした瞳がこちらを向く。深い青色の目には、戸惑いが浮かんでいた。どう答えて良いものか、分からないという表情だ。
 「……いえ。知らない人です」
 少し間はあったが、シズクの唇からこぼれおちた声は、落ち着いていた。何の動揺も孕んでいないその声に、リサはかえって違和感を感じてしまうが、疑問は胸の内に留める事にする。
 「そう」
 それだけ零すと、リサはにこりとほほ笑んだ。知らないというのなら、これ以上追及する必要も権利も、リサには無い。
 「そろそろ帰りましょうか」
 楽しかった時間はそろそろおしまい。特別な時間から、リサにとっての日常へと戻らなければ。今夜は前夜祭のパーティーが行われるのだから、帰って出席の準備に取り掛かる必要もある。終わりを告げる台詞を自分で発しておいて、その言葉に小さく胸が痛んだ。上空を見上げると、先程よりも高い位置に太陽があるのが分かった。間もなく時刻は正午を告げる頃だろう。
 ふわりと、ライラの甘い香りを含んだ風が吹く。風は同時に、祭りの喧騒をこちらへ運んで来た。賑やかなざわめきに胸が躍る半面、言い知れない不安がまた、胸の奥からせり上がって来るのが分かる。それが一体何故なのか、その時のリサにはまだ、分からない事だった。




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