追憶の救世主

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第4章 「前夜祭」

7.

 「――どういうつもりだよ」

 エラリア城に帰還後、着替えを済ませたリサを待ち構えていたのは、そんな、不機嫌な声だった。こちらを見据えるエメラルドグリーンの瞳には、多大なる疑念と苛立ち、そして僅かな困惑がにじんでいるように思える。大抵の者が、目にした瞬間委縮するであろう表情を浮かべるリースの姿を目にしても、別にリサは動じたりはしなかった。
 「置き手紙の事? ……良かったでしょう? シズクちゃんと久しぶりに自然体の会話が出来て」
 「そうじゃない。何でシズクがあれを――」
 「ネックレスの件は、私じゃないわよ」
 ぴしゃりと言い放つと、場は突然静まり返る。リサにしては、冷徹な声だった。お馴染みの笑みを崩して、表情を引き締めると、目の前で呆けている弟に真っ直ぐ視線を向ける。
 「私じゃない。シズクちゃんが自らの意志で、言いだした事よ。……まぁ、意味は全く分かっていないでしょうけどね」
 そこで、リースは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる。だが、自業自得だと、リサは思う。
 「貴方がはっきりしないからよ、リース」
 そう。全ての原因は目の前の弟にあるのだ。曖昧な状態でここまで来たのは、彼だ。
 「どうするかは貴方次第だと思うけど。現状のままが嫌なら、いい加減動かなきゃいけないんじゃないかしら」
 リサの一言は、張りつめた空気の中でやけに響いた。






 前夜祭を夜に控え、城内はそわそわと落ち着かない雰囲気に包まれていた。使用人達は会場設営に走り回っており、ゲストとして招かれた王侯貴族達も、それぞれの準備で大忙しの様子だ。城下町で感じたものとは少しだけ違うが、お祭り前で誰もが皆浮ついている事は大差はない。
 廊下を慌ただしく行き来する侍女達の姿を横目に、シズクはというと、城の中枢とよばれる区域に足を運んでいた。
 「――――」
 目の前に鎮座するのは、繊細な模様が彫り込まれた大きな扉。エラリア城の中心部に存在する、玉座の間へと続く白亜の扉である。
 「素材は特殊な魔鉱石だと伝わっております」
 その造形の美しさに改めて目を奪われているシズクの横で、穏やかにそう解説をしてくれたのは、執事服の長身の男性。エラリアを訪れた初日に、滞在中の予定をシズク達に説明してくれたディランである。よくよく聞けば、彼は若くして執事長代理を務める人らしい。
 「刻まれているのは、エラリア国の紋章です。他の紋章と基本形は同じですが、異なる点を挙げるとするならば、太陽とライラの5枚花が用いられている事ですね。太陽は、この国の繁栄を示し、ライラの5枚花は幸運をもたらすものとして国民から広く愛されております」
 すらすらとそれだけの事を言い終えると、感心しきりな表情で扉とディランとを交互に見るシズクに、彼は実に紳士的な笑顔を向けてくれた。本物の大人の男性とは、きっと彼のような人の事を言うのだと思う。
 何故シズクがエラリア城の中枢とも言える玉座の間付近に足を踏み入れられているかといえば、答えは簡単である。リースにお願いして、ここまで連れてきてもらったのだ。前夜祭の準備で忙しい中、ディランは、扉の見学をしたいという突然の我が侭を、快く聞き入れてくれた。それだけではなく、こうして隣について解説までしてくれている。
 「普通、エラリアの紋章には4枚花のライラが使われていますけど、この扉のライラだけ5枚花なのは何故ですか?」
 シズクの後ろで遠巻きに扉を眺めていたリースから質問が飛ぶ。シズクとリースが抱いている最大の疑問であり、ひょっとすると何かのヒントに繋がるかもしれない問題でもある。
 「国の長の部屋ですから、最も縁起の良いものを用いたと伝えられてはいますが……詳しい事は私にも分かりません」
 リースの方を見つめて、ディランは曖昧に微笑んだ。予想通りの答えに対して、あぁやはりかと思う半面、少しだけ残念ではあった。国の細部について知っていそうな彼ならば、何か新たな情報をくれるかも知れないと期待していたのだ。一瞬リースと視線を合わせると、ほらやっぱりな。と彼は瞳で語っていた。
 「…………」
 若干落胆はしたものの、シズクはディラン達から視線を外して、再び扉の上に踊る紋章を見つめる。せっかくリースに頼んでここまで連れて来て貰ったのだ。納得出来るところまで目的のものを観察しなければなるまい。
 見れば見る程扉に描かれる紋章は美しかった。繊細な線が幾重にも重なって円を描き、ライラの5枚花が可憐にもその存在を主張している。扉の最上部に描かれているのは太陽だ。
 「太陽は、栄光、繁栄の象徴。創世記の6大神でいえば、光神(チュアリス)を司る模様とされています」
 栄光、繁栄、光の神を暗示する印。この扉をくぐって、謁見者はエラリアの長と相見える事になる。玉座の間に、これ以上相応しいものはないだろう。
 ディランの解説を耳に入れながら、シズクは扉に刻まれた太陽を見つめる。太陽が見下ろすのは、エラリアの紋章と、ライラの5枚花。
 「5枚花のライラは、幸運を呼ぶ他に、『契約』の象徴とも言われています。遥か昔、エラリアは光神(チュアリス)から永遠の繁栄を約束された。その時契約の証として使われたのが、白い可憐な花だった。――学者の中にはそのように解釈する者もいるとか」
 「学者が述べるにしては、随分と夢見がちな解釈ですね」
 リースの冷めた声が響く。シズクは悪くない解釈だなと思ったのだが、確かに少々現実離れしすぎている。現実的な彼にとっては、皮肉を言わざるを得ないものだったのかも知れない。
 「世の中は、案外ロマンスに溢れているものですよ、リース王子」
 リースらしい言葉に冗談めかしてそのように返すと、ディランもくすりと笑った。
 扉が指し示すのは、光神(チュアリス)との契約。永遠の繁栄の証として咲くライラを中心に、繊細な線と、端々に刻まれる祝福の古代文字が円を描いて踊る。
 陣円。古代文字。様々な意味と願いを持つ象徴と複雑に絡まり合った飾りや線の数々。円の内側はエラリア国――力を具現化する場所を。そして円の外側からライラを見下ろす太陽は、光神(チュアリス)――力を与える存在。
 (……似ている)
 ぼんやりとシズクは、そのような事を思った。そして気がつけば、周囲の喧騒やリースとディランの談笑までもが遠くなり、目の前に佇む扉にだけ意識を集中させている自分が居た。全て願望の混じった推測にしか過ぎなくて、確実とは言えないものなのに。そのように解釈すると、様々なものがすとんとある一つの型にはまって行くような気がした。
 そう、似ているのだ。この扉に刻まれた模様の配置が――召喚魔法の、魔法陣の術式に。
 魔法陣の知識に明るいとはいえないシズクだったが、一連の旅の中で召喚魔法に関する陣だけは数多く見てきていた。何度か目にした事のある陣の構成と、扉の模様は非常によく似ているような気がする。そこまで考えが至ると、円を描くように刻まれている古代文字が何を意味しているのか非常に気になって来た。リースならば答える事が出来るだろうか。そう思い、彼へと言葉を投げようとしたが――

 「――では逆に、光神(チュアリス)に永遠の繁栄を約束して貰う代償として、エラリア国側が課せられた役割は、何だったと思うかね?」

 凛とした声が場に響いた事で、その場にいた誰もが動きを止めたのだった。
 「――――」
 思考を強制終了させると、シズクは声の主を振り返る。温和な笑みを浮かべる瞳は土の色をしていた。国の覇者とは思えぬ柔らかな物腰。いつからそこに居たのだろう。扉を前に立つシズク達より少しだけ後方で、こちらの様子を穏やかに見詰めていたのは、エラリア王その人だった。
 「陛下、お仕事はよろしいのですか?」
 突然の長のお出ましを受け、慌てて礼を取ろうとするディランとシズクに、手だけで制止の意を伝えると、エラリア王セルトはにこりと笑う。
 「休憩中なんだよ。いや、ね。リースと、珍しいお客さんが近くに来ていると聞いたものだから」
 言って、王はシズクの方を見つめたのだった。土色の瞳には、ただ穏やかな光が浮かぶのみで、特別な何かを含んでいるようには見えない。けれど、何かを語りかけられるような、不思議な感覚がシズクを包む。
 「それで、知ってるかな? エラリア国が契約の代償として、守らなければならない事」
 「……いえ、存じません」
 硬直するシズクの代わりに、質問に答えたのはリースだった。怪訝な表情で、彼はエラリア王を見る。両者の視線はしばらくの間ぶつかっていたようだが、やがて王は穏やかに瞳を細めると、視線をリース達から外し、どこか遠くを見るようになった。
 「この扉に使われている石はね。およそ500年前、エラリアとイリスピリアが永遠の友好を約束する折に、時のイリスピリア王から贈られたものなんだよ」
 ぼんやりとした声で紡がれたのは、質問の答えではない。しかし、シズクやリースにとっては、それ以上に重要な真実だった。
 「――パリス王。賢王として未だに称えられる彼が国内の動乱を鎮めた次に行った事は、主要国との友好関係の構築だった」
 今は無き、巨人の国ダブライ、北のレムサリアに西のディレイアス、そして、エラリア。淡々と零される幾つかの国名を耳にしても、シズクはそれらを頭の中に留める事は出来なかった。
 ――パリス王。
 ただ一つの単語に、その他の思考を全て奪われてしまったのだ。
 何故、エラリア王はこのような話を今ここで、自分達にしてくるのだろう。ただ世間話をするかのような穏やかな口調であるはずなのに、紡がれる言葉は、シズクにとって驚くべきものばかりだ。そして、知りたかった真実にも、近い気がする。
 「この扉に限って言うと、太陽の印には裏の意味があるんじゃないかと私は思っている。光神(チュアリス)の加護を最も強く受ける国――イリスピリアを。そして、当時の王であるパリスを暗示している。ライラは、パリスと結んだ契約の証。エラリアは戦争に強い国ではないからね。イリスピリアと永遠の友好条約を結ぶ事で、有事の際にはイリスピリアが守ってくれる事になっているんだよ。もちろん逆もありきだけど、それだと少しエラリア側に有利な条約のように見えるね」
 「お言葉ですが陛下、物資や学士の提供など、エラリア側からイリスピリア側に行っている事も多いので、決して不平等条約ではないかと……」
 「有事の際の話をしているんだよ、ディラン。私だってそれは分かっているよ」
 イリスピリアの王子を前にして、互いに交わされている条約がエラリアに有利だと告げる王に焦りを覚えたのだろう。ディランが慌てて注釈を入れようとするが、それもエラリア王はやんわりと切り捨てた。そして、土色の瞳を真っすぐにシズクとリースに向けて、穏やかな調子で話を続ける。
 「互いが危機に陥った時、エラリア側が絶対に守ると決めた約束が一つだけある。……そう言ったら、貴方達は信じるかな?」
 「え……」
 「セルト王――」
 にやりと笑んだのは一瞬の事。リースが何か言葉を紡ごうとした時にはもう、エラリア王は真剣な表情に変わってしまっていた。突然変化した彼の雰囲気に呑まれて、またしても一同は沈黙する。
 「ディラン。私の考えが確かなら、近々大きな戦争が起こると思うよ。間もなくセイラがこの城に到着するから、彼がより詳しい知らせを運んでくるだろうね。……レクトの祝いが終われば、しばらく賑やかな事は行えなくなる。だからこそ、この祝いの席を皆に楽しんでもらいたいんだ。頼んだよ」
 「……はい」
 笑顔を浮かべてはいたが、エラリア王の表情にはどこか沈痛な色があった。王の想いを受け、ディランもまた、言葉を掠れさせている。
 ――大きな戦争が起こる。
 エラリアの城は緑と清らかな水に溢れ、その中で送る日々があまりに穏やかなものだったから、シズクも危うく忘れかけていた。己の目的を身に刻みなおすと同時に、王の言葉を受けて背筋を固くする。一見平和そうに見える世界だが、シズクには見えないところで確実に事態は進んでいるのだろう。イリスピリアの東部を中心とした情勢不安は、今どこまで広がっているのだろう。

 「――貴方は、いつ立ちあがるのかな」

 思わず両手を握りしめたシズクの耳に、比較的穏やかな王の言葉が届く。一瞬誰に対する言葉か分からなかったが、視線を上げて、声の主であるエラリア王を見た瞬間、それが、自分に向けられたものだと分かった。土色の瞳は、痛いくらい真剣な色を宿して、シズクに向けられていたから。
 すぐ隣で、リースが息を呑む音が聞こえる。正直、何故王からそのような言葉を向けられたのか、訳が分からなかった。事態がまったく呑みこめずに首をかしげるディランと、心情的にはほとんど一緒だったのだ。
 「……その必要があれば」
 けれど言葉は、するりと口から滑り落ちた。声は確かにシズクのものだったが、自分以外の誰かが自分の声を使って語ったような、そんな不思議な気持ちになる。どうしてこんな事を口走ったのだろう。困惑するシズクを目にして、エラリア王は満足気に頷くと、踵を返して去っていったのだった。




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