追憶の救世主

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第4章 「前夜祭」

8.

 夕闇が空を包み始めると、夜会の準備はピークに差し掛かっていた。会場となる城の大広間の準備は整ったと知らせが入った。バタバタと駆け回る使用人達の足音に混じり、出席者であろう王族や貴族達の談笑が聞こえ始める。彼らもまたドレスアップがすんだのだろう。
 華やかなパーティーなど、シズクにとって参加するのはもちろん、この目で見るのも初めてだった。一体どんな世界なのだろうか。粗相をしなければ良いのだけれども。そんな、期待と不安が入り混じった独特の緊張感に身をゆだねていた時だ。
 「納得できないわ!」
 仁王立ちになって不服を露わにしたのは、シズクの主人という事になっているはずのリサだった。彼女もまた準備万端である。ウェーブのかかった金髪はエラリアの侍女達によって美しく結い上げられ、白色の髪飾りとネックレスは今宵の紅色のドレスにそれはよく馴染んでいた。どんな格好をしていてもリサは美しいのだが、夜会用に施された化粧が、絶世の美しさを更に際立たせている。パーティーに華を添えるのに申し分のない存在感。
 そんな彼女が何に不満を抱いているかというと、もちろん自分の衣装や髪型などではない。それらは、誰が見ても完ぺきだったからだ。リサの不満は、もっと別の事に対してである。
 「なんでシズクちゃんは使用人の格好のまま出席しないといけないの!」
 ぶうっと子どものように頬を膨らませるリサに、シズクは苦笑いを浮かべる事しか出来ない。
 「何故と言われましても。わたしはリサ様の付き人ですから……」
 焦げ茶色の髪だけは今日に限ってはシニヨンでもポニーテールではなく、下ろして一部をリボンでとめているが、めかし込むとしてもそれくらいで、シズクの衣装はエラリアではお馴染みとなった使用人のそれであった。もちろん今夜のパーティーにもこのまま出席する。その事実を告げた瞬間に、リサの口から飛び出した言葉が先程のものである。
 「せっかくシズクちゃんを凄く可愛くしてあげようと思っていたのにっ!!」
 「……お気持ちは大変ありがたいのですが、イリスを発つ前にネイラス様も仰っていたでしょう? 使用人や付き人は着飾らないものだと。……それに、わたしはこんな華やかなパーティーに参加出来る事だけで、十分幸せですから」
 苦笑い混じりにそう告げると、何を思ったのだろう、リサはぎゅうぎゅうとシズクを抱きしめにかかったのだった。
 「シズクちゃんってば、謙虚すぎなのよ! こういう時女の子はね、可愛く着飾らないといけないのにっ」
 本当に悔しそうな声でリサは呻く。シズクとしても、リサのようなドレスに身を包む事に憧れが無いと言えば嘘になるが、今のこの状況だけで十分だとも思っていた。本来ならば、城に足を踏み入れる事すら出来ない身分のシズクが、大国の王女様の友達として側に立っている。それだけできっと奇跡だ。だから、これ以上の事は、望んではいけない気がする。
 「そろそろお時間ですよ。主賓の貴方が居ないと、パーティーは始められないんですから。行きますよ!」
 苦笑いのまま小さく息を吐くと、あれこれ駄々をこねているリサを引きずり、シズクは部屋を後にしたのだった。






 「本日は、息子の為にお集まり頂きありがとうございます。今宵は、一時身分や立場は忘れ、皆様心ゆくまでお楽しみ下さい」
 エラリア王の挨拶が終わると、楽団の演奏が開始された。前夜祭のスタートである。
 王族や貴族が多く出席するパーティーというのだから、さぞやきらびやかな光景が広がるのだろうと思われたが、これは予想以上である。明々と灯る光も、大広間の装飾も華やかだったが、それ以上に、出席している人々の装いが色とりどりで、素晴らしかったのだ。本物のお姫様や王子様が談笑する光景を夢見心地で眺めつつ、シズクはというと大広間の隅っこで静かに佇んでいた。挨拶回りの最中で、彼女の主人であるリサが、お喋りの輪につかまってしまった為だ。
 他の付き人や使用人達もシズクと同じように、部屋の隅あるいは主の後方に控えている。パーティーの主役は勿論の事レクト王子だ。そしてその場に華を添えるのが来賓達の役目であって、パーティーが始まった今となっては使用人達の出る幕は無い。……けれども、彼らにもそれなりの、楽しみはあるようだった。
 「オルトロス国の美人姉妹よ! 薔薇の姫と名高い姉君ゼフィー様と、百合の姫と称えられる妹君のエレナ様」
 きゃっきゃと黄色い声で、使用人の少女達がうわさ話を始める。つられてシズクも彼女達が見つめる方向へと視線を向けるが、そこに居たのは、美しい二人の姫君の姿だった。一見仰々しくも思える二つ名は、決して大げさではない。明るい銀髪に、切れ長のアメジストの瞳と情熱的な赤い唇。華やかな外見のゼフィー王女は、夜会に咲く大輪の薔薇のように、圧倒的な存在感を放っていた。リサにも引けを取らないだろうとさえ思える。一方で妹君であるエレナ王女は、姉君のような華やかさは無いが、ため息が出そうになる程の美人である事には変わりがない。暗めの銀髪に、ぱっちりとした瞳。目立つゼフィー王女より半歩だけ下がって歩く控えめな様子と、可憐な立ち居振る舞いはなるほど、白百合を思わせる。
 そんな感じで少女達は次々と、有名な美男美女を指し示していく。中にはもちろんリサやリースの名もあったが、殆どはシズクが知らない人物であったので、傍から聞いているだけでも結構な勉強になる上に、華やかな人々を見る事は、楽しくもあった。
 それだけではない。使用人用に設けられたテーブルの上にも、美味しそうな料理がたくさん並べられていたし、この機に乗じて出会いを求めたり、仲を深めようとする使用人達も居るようだった。所々で談笑する男女の姿に、シズクは小さく笑む。

 「――それなりに楽しめているようですね。シズクさん」

 お皿に取り分けた料理を一口頬張った瞬間の事だった。久しぶりに聞く声に振り返り、シズクは目を大きく見開く。
 「セイラーム様!」
 慌てて口の中のものを嚥下すると、シズクは目の前に現れた紳士――水神の神子セイラーム・レムスエスに対して丁寧な礼を取る。
 「……すっかり板についていますね。どうやら役目も果たせているみたいだ」
 若干驚きはしたものの、セイラはおかしそうにほほ笑んだ後でそのように感想を述べてくれた。板についているとは、使用人としての立ち居振る舞いの事だろう。そういえば、仮初の使用人としての姿を彼に見せるのは、初めてだった。
 「お久しぶりです。いつ頃エラリアへ到着されたのですか?」
 「つい先程ですよ。ギリギリ間に合いました」
 いやぁ危なかったと、軽く頭をかく。慌てて来た様子だったが、装いは完ぺきと呼べるものだった。しっとりとした材質のスーツに、黒色の皮靴。呪術師の格好をしたセイラしか知らないシズクの目に、フォーマルな格好の彼は、新鮮に映った。
 それにしても久しぶりである。イリスを発ってから2週間程が経つのだから当たり前の話であるが、お決まりの笑顔を浮かべる水神の神子の姿に安堵した。あれこれと話したい事が湧きあがってくる。しかし、セイラも有名人である上に多忙な人だ。丁度楽団の奏でる曲が軽快なワルツに変わった所で、遠くからお呼びがかかった。
 「時間が出来たら、お話ししたい事があります。……決して明るい話ではありませんが」
 「え……?」
 「では、またあとで」
 それだけ言い残すと、セイラは声のかかった方へと歩きだす。参加者の波に呑まれて、彼の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
 「…………」
 ――明るい話ではない。
 昼間、エラリア王が話していた類の事だろうか。独り取り残された事への寂しさと同時に、背筋に冷たいものが降りるが、ざわめきと、夢見るようなため息が耳に届いた事で、思考は中断される。何だろうと小首を傾げて喧騒の中心を見ると、すぐにどういう事か分かった。楽団が奏でる曲がワルツになった事で、会場の雰囲気が一変したのだ。
 男女が手を取り合って、ダンスが始まる。王族貴族だけではない。使用人同士、あるいは使用人と貴族さえもが、思い思いの相手と向かい合って躍りだす。
 その中でもひと際強い注目に晒されている一点へと、シズクは視線を移動させていた。大広間の隅であるここからは随分と遠い、部屋の中心部とも呼べる場所。今宵の主役であるレクト王子は、パートナーとしてアリスを射止める事に成功したようだった。幼さを十分に残す王子のダンスは周囲のほほ笑みを誘う。ちらりと周囲を見渡すと、アルキル・キエラルトが少しだけ悔しそうな顔で肩を竦めているのが見えた。そして――
 (リース……)
 黒色のスーツに身を包み、整った笑みを浮かべる彼を目にして、一瞬よく似た別人ではないかと思った。あんな風に微笑む彼を、シズクは知らない。シズクがよく知るリース・ラグエイジはそこには居なくて、あれは、大国イリスピリアの第一王子だ。そこまで思って、はたと気付く。シズクは、王子としてのリースの姿を、実はほとんど見たことがないのだという事に。
 軽やかなワルツが続く中、人形のような淡い笑顔で、リースは歩み寄って来た女性に向かって腕を伸ばす。その手を取るのは、会場の視線をひと際集めていた美しい王女だった。使用人の少女達が話していた、オルトロスの百合姫だ。白銀に輝く髪に、アメジストを閉じ込めたような神秘的な瞳で、彼女はリースに笑いかける。
 「まぁ、やっぱり」
 「エレナ王女がリース王子の事を好きらしいっていう噂は、本当だったのね」
 夢見るような使用人の少女達の囁きを耳に、シズクはぼんやりと目の前で展開される光景を眺めていた。
 ワルツに合わせて、浮世離れした美貌の二人は軽やかなステップを踏む。レクトとアリスのダンスも周囲の注目を受けていたが、彼らのダンスはそれ以上だ。まるでおとぎ話を目の当たりにしているような気分になる。誰もが、ため息と称賛の言葉を向けるだろう。これ以上に似合いの二人は居ないだろうと。
 「…………」
 しばしの間呆けていたシズクだったが、ある時急に、胸にすとんと冷たいものが降りてきたような気がした。この感情が一体何なのか、自分でもよく分からない。けれどこれが現実なのだと、あるべき姿なのだと、気がつけばそのように己に言い聞かせていた。
 どれだけ親しくしてくれても、越えられないものが存在する。彼らは気にしないと言うが、そうはいっていられない現実があるのだ。華やかさの中心に居る彼らを、遠くから見つめるのが本当のシズクの立ち位置だ。今の状況だけでも十分恵まれているのに、これ以上の事は望んではいけない。
 (これ以上の事って……?)
 軽快なワルツとは裏腹に、シズクの心は大きく乱れ、混乱気味にそう自問自答していた。喧騒が遠くなり、夜会の光景もどこか別世界のもののように見える。そうこうしているうちに一曲終了したのだろう。わっと歓声が上がると、ゆるやかに拍手が沸き起こった。

 「――イリスピリアのリサ王女の付き人、シズク殿ですね」

 拍手によってようやく現実へと引き戻されたシズクの耳に、聞きなれない声が届く。若い男性のものだった。振り返って確認すると、使用人の格好をした整った顔の青年が、こちらを見つめているのが分かる。確実に彼は自分に声をかけた筈なのだが、一体誰なのか見当もつかなかった。
 「そうですが、あなたは――」
 「エラリアのリントン家が長男、オスゴール様の付き人を務めております、オリバと申します。私からの手紙は読んでいただけたでしょうか」
 「て、手紙……?」
 とてもじゃないが一度では覚えきれない肩書と、記憶にない手紙の話に眩暈を覚える。あぁもしかしてこれが、先日アキが言っていた事だろうか。リサ宛てに届けられていた手紙のうちのいくつかに、ひょっとしたら自分宛てのものが含まれていたのかも知れない。
 一気に困惑するシズクを見て、オリバと名乗った青年は緩く笑んだ。微笑ましいとでも思われたのだろうか。
 「手紙は届かなかったのですね……。リサ王女は貴方を非常に大切にしておられるようだ」
 「申し訳、ありません」
 僅かに傷ついたような表情を浮かべる青年を見ていると、つい謝罪の言葉が滑り落ちてしまう。くすりと、青年の唇から苦笑いともとれる笑みがこぼれおちる。
 「1曲、お相手願えませんか?」
 先程よりは緩やかな、しっとりとしたワルツが流れ出した。2曲目が始まったのだ。
 目の前に差し出された手と、青年の顔とを交互に見て、シズクはいよいよ混乱を極めた。ダンスの誘いなど、もちろん受けるのは初めてだ。そしてそれ以上に、踊れる訳がない。このような夜会に参加するのも初めてなのだ。上流階級が嗜むダンスなど、平民のシズクが知るはずがなかろう。
 「いえ、あの……」
 「そう謙遜なさらずに。私も大して上手じゃない」
 お願いします。甘く囁くように誘われても、シズクにはどうにも出来ない事だった。
 差し出された手を前に逡巡しているうちに周囲で男女が手を取り合い、2曲目のダンスが始まる。その状況に焦らされたのだろう、青年からの誘いが少々強引になった。逃れたいのに、そうする術をシズクは持たない。
 「さぁ早く」
 「え――」
 強引に手を引かれたのはその時だ。
 咄嗟には状況が呑みこめなかった。ただ一つ分かったのは。自分の手を引いたのが、踊りを申し込んできた青年ではなかったという事だけだった。青年は視界からいなくなり、踊る男女の間をすり抜けて、すとんと何かにぶつかる。少し固い布と、その下にあるのは、人肌の温もり。
 「…………」
 状況に少しも付いていけない。一体誰に手を引かれたのだろうか。それを確かめるべく顔を上げ、今現在シズクを抱きくるめている人物の姿をこの目に捉えようとした。そうして飛び込んできたのは、またしてもあの『色』だ。
 「――――っ」
 「……お前は、来てしまったんだな」
 冷たく落とされる声に、聞き覚えなどないはずなのに。
 青とも水色ともつかない、不思議な色彩の瞳。その間でさらりと揺れる前髪は、焦げ茶色をしていた。鼻筋が通った小奇麗な顔立ちは、嫌になるくらい『ある人』を彷彿とさせられる。
 城下町でその姿を見た時、どこか違和感を感じていたのだ。けれどその名前が「シン」だと、リサからそう聞いたから。それは自分の知る名前ではなかったから。残念に思う半面、心のどこかで安堵していたのだ。
 シズクの手を取り、恐ろしく冷たい視線を向けてくるのは、今朝方城下町で出会った青年に違いなかった。



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