追憶の救世主

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第5章 「交錯する思い」

4.

 ――星降りの晩の二の舞。

 セイラの言葉に、その場の誰もが表情を強張らせていた。
 星降りの晩から既に二月以上が経過していたが、未だにあの出来事を思い出すと背筋が凍る。忘れてしまいたいと思っても、痛みと絶望感、そして生々しい血の匂いとぬくもりが、シズクの脳裏からちっとも離れてくれないのだ。この身を消し去りたい程の、耐え難い苦痛。下手をすれば、先ほどのパニックの最中、それを再現してしまうかも知れなかった。理解はしていたが、セイラの口から言葉として突きつけられると、体に冷たいものが走る。
 「詠唱を行わずに、魔法を!?」
 素っ頓狂な声を上げたのは、アリスだった。頭を上げて彼女を見ると、正面からばっちりと目が合い思わず怯む。神秘的な闇色の瞳には、驚愕と共に、怪訝な色も浮かんでいた。
 「本当の事なの? シズク」
 普段の彼女よりは若干低い声でそう尋ねられて、しばしの間の後、シズクはゆっくりと頷く。それに対してアリスは、まだ信じられないといった風な表情を浮かべていた。
 「……魔法に詳しくない私では分からないのですが。詠唱なしで魔法を唱える行いは、そんなにいけない事なのですか?」
 次なる質問は、リサからのものだった。困惑気味に彼女は首を傾げると、セイラに向かって説明を求めるような視線を送る。
 魔道を用いない彼女にとっては、シズクの行った事に対するセイラとアリスの狼狽ぶりは、奇妙なものとして映るのだろう。リースの方をちらりと確認すると、彼もまた、同じような表情で眉根を寄せていた。
 「『いけない事』というより、『出来るはずのない事』というのが正解でしょうかね」
 「出来るはずのない事?」
 「魔法を行使するには、精霊に意志を伝えなければいけません。『呪文』と『力ある言葉』という『音』として意志を空間に放つ事は、基本であり、絶対不可欠な行為です。もちろんこれは、呪術にも言える事です」
 この世界で魔法や呪術など、精霊などから何らかの力を借りて術を行使する者達にとって絶対であり、大原則であるもの。それが、呪文や力ある言葉である。多少人によって言葉のニュアンスが異なったり、若干の省略が加えられたりはするが、通常それらをまったく行わずして術を行使する事などない。
 「呪文を用いずに、力ある言葉のみで術を行使する事自体、綿密な魔力調整能力と、精霊との意思疎通の能力が必要なのよ。それを……言葉を一切紡がずに術を行使するなんて、そうそう出来る事じゃないわ。一歩間違えたら精霊と自身の魔力との均衡が保てずに、暴走を招くことになる」
 暴走。すなわち、星降りの晩にシズクが陥った状態の事だ。いや、あの時はかろうじて暴走を食い止められていたのだから、それより更に悪い状況とも呼べるだろうか。レクト皇太子の姿を見ようと人が多く居たあの場で、下手をすればシズクは大変な事をしでかしていた。細かい理論は抜きにしても、リサとリースも事の深刻さを理解したのだろう。各々表情を強張らせると、それきり言葉を発する事はなくなった。
 「……もしかしなくても、出来るという確信があったのですか? シズクさん」
 「え?」
 項垂れていたところに意外な言葉が飛んできて、シズクは思わず発言の主であるセイラの方を凝視してしまった。先ほどまで彼から放たれていた静かな怒りは、随分と弱くなっている。
 「いえ。咄嗟に行った事とはいえ、全く勝算のない行動を取る程、シズクさんは無謀ではないと思っただけです」
 「…………」
 シズクと無言で見つめあった後、セイラは薄く苦笑いを浮かべると、それ以上の質問は寄越してこなかった。それに対してシズクも無言の苦笑いを返すのみとする。
 彼は全く鋭いなと、胸中でのみ呟いておく。いくら眠っていた魔力が戻ってきたからといっても、出来るかどうか分からない事を実行するほど、シズクも己を過信していない。勝算はあった。というか、簡単な術くらいであれば、詠唱なしでの魔法行使は以前のシズクでも出来る事だった。だがさすがに、今日魔物に放ったような上級の術は初めてで、それが無茶な行いだった事は否定できない。結局は体に影響を来して倒れてしまったのだから。
 「とにかく、今後一切あのような無茶はしないで下さい。リサ様の付き人としての立場が崩れてしまう事なんて、あなたが傷つく事に比べれば些細な問題です」
 「……はい」
 「万一、魔法を使わねばならない状況に陥ったとしても、次は必ず正規の手順を踏むように」
 そう言ってセイラは少しだけ凄むようにしてシズクの顔を覗き込んでくる。
 必ず正規の手順――呪文を唱え、力ある言葉を放つ。今後もし、魔法を使わねばならない状況に陥った場合は、もうあのような無茶はしない。心の中で、自分に言い聞かせた後で、シズクはゆっくりと頷いた。
 次に魔法を使う事があるとすれば、それは、エラリアでの平穏が完全に終わる時を意味するのかも知れない。そう考えると、胸がわずかに痛むと同時に、不安が重く圧し掛かった。魔法を使わねばならない事態など、結界で守られた町の中でも最も守りの堅い場所であるこの城中であり得るはずがないのに、そのあり得ないはずの事態がこの先起こるかも知れない。否、きっと起こるのだろう。確信に近い予感がある。
 「昼間のあの魔物達は、一体何だったのでしょうか」
 そう、実際シズクが倒れる原因となった戦いは、昼間の城内で起こったのだ。突然上空から現れた、数対の魔物達の手によって、おめでたいはずの式典は、一気にその様相を変えてしまった。
 「確かな事は何も」
 緩く首を振り、セイラは言葉を紡ぐ。
 曰く、事態の鎮静化には、それほど時間はかからなかったという。レクト王子に向かって行った魔物も、すぐにエラリア兵達によって打ち取られ、テラスに居た王族達に怪我はなかった。城の広場での戦闘では、多少怪我を負った者もいるが、全員が命に別状はないそうだ。決して褒められた事ではないが、シズクが放った2発の魔法のおかげだと、セイラは告げる。
 「全ての魔物が、事切れて間もなく、跡形もなく消えていきました。エラリアの結界にも異常はありませんでしたから、何者かが召喚したのでしょうね。召喚陣は現在捜索中です」
 ある程度予想していた事だったが、あまり的中して欲しくなかった内容が、セイラの口から紡がれる。召喚陣が見つかるかどうかは分からないが、もし発見されたとすれば、それは古の一族の文字を用いたものに違いない。
 「……魔族(シェルザード)でしょうね。きっと」
 思った以上に乾いた声が出た。その場の誰からも反論の言葉が零れ落ちない。この場の皆が、同じ事を考えていたのだろう。
 「リオ。貴方はどう思いますか?」
 重苦しい沈黙が続く中で、セイラが再び口を開く。呼びかけはシズク達にではなく、彼の相棒とも呼べる偉大な杖に対してだった。ほどなくして、場違いなメルヘンな音が起こり、全身青づくめの小さな美女が空間に出現する。偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)こと、リオであった。彼女の姿を見るのも、久しぶりだなとシズクは思う。今日は、普段自信たっぷりな表情を浮かべている彼女らしくない。やけに真剣で、元気がなさそうに見えた。
 『私だって、全部知ってる訳じゃないわ、セイラ』
 「それは分かっていますよ。けれど貴方も、先ほどの襲撃は魔族(シェルザード)の仕業だと思っているのでしょう? ……この国を彼らが襲う理由は――『石』ですか?」
 いきなり核心を突いてきたセイラの言葉に、リオは口をつぐむ。揺らいだ瞳は、それが正解であると語っていた。
 「これは完全に僕の想像ですけれどね、この国には、『石』に繋がるヒントだけではなく、魔族(シェルザード)達が求める『石』そのものが眠っているのではないですか? だから、魔族(シェルザード)は脅しをかける意味で、手ぬるい襲撃をしかけた」
 続いてのセイラの言葉には、リオだけではなくその場の全員が表情を引き締めた。エラリアには、『石』のヒントではなく『石』そのものが眠っている。シズクももちろん、その可能性を考えなかった訳ではないが、言葉として聞くとどうしても胸がざわめいた。魔族(シェルザード)達の目的が、この国に眠る『石』であるならば、襲撃はおそらく一度では終わらない。これから先も、同じような事が……いや、シュシュの町の再現のような事が、起こるかもしれない。
 『……その通りよ』
 セイラの仮説と、シズクの懸念を肯定する言葉が、リオの唇から零される。かの伝説の杖は、長い睫を伏せると、溜息を一つ零した。
 『そうね……パリスと、約束もしたものね。私が知っている事は、話さなくちゃいけないわね』
 背中の羽を駆使して宙に舞いあがると、リオはシズクのベッドまでやって来て、タオルケットの上に座り込んだ。サファイアの瞳は、真っ直ぐシズクを見つめたあと、部屋にいる者たちを一瞥する。
 『この国にはね、パリスが、当時のエラリア王に託した『風の石』が眠っているの。イリスピリアとエラリアが交わした重要な密約の一つよ』
 リオの告げた内容は、シズクが予想していたものと大きくは変わらない内容であった。しかし、その言葉の後半に気になる単語を見つけて首を傾げる。
 「……密約?」
 リオを見つめ、シズクは静かに告げた。
 そう、密約。確かにリオは今そう言った。そして、それが、風の石と関連があるとも。
 『――例えそれが有事の際でも、イリスピリアから託された石を守り抜く。永遠の友好条約を結ぶ際に、エラリアが自国の防衛をイリスピリアに援助してもらう代償として受け入れた最大の密約』
 まるで神託でも告げるかのような凛とした声が、静まり返った部屋に響く。それを耳にして、シズクはつい昨日の、セルト王とのやり取りを思い出していた。玉座へと続く扉の前で、王は扉の模様について持論を述べた後で、このように告げたのではなかっただろうか。エラリアとイリスピリアの両方が危機に陥った時、エラリア側が絶対に守ると決めた約束が一つだけある、と。
 『魔族(シェルザード)達の襲撃は、セイラの言うように本気ではなかったわ。エラリア王への脅しと考えて間違いないでしょうね。彼らは暗に告げているのよ。――石を差し出さないと、こんなものでは済まないぞ、とね』
 「と言うことは、少なくともセルト王は、石の在り処を知っている可能性が極めて高いという事ですね」
 セイラの言葉を受け、リオは青い髪を揺らして静かに頷く。
 「……リオは、石がどこにあるかは知らないの?」
 続いてのアリスの言葉には、今度はリオは首を横に振る。サラサラと彼女の動きに合わせて揺れる青髪を視界に入れながら、シズクを含むその場の全員が少し意外そうな顔をした。
 『言ったでしょう? 私だって、全部知っている訳じゃないって。エラリアとの石に関する密約は、あのパリスが、自分の息子達にすら遺さなかった情報よ? そうまでして歴史から消し去りたかった物の隠し場所を、誰かに漏らすはずがないでしょう? エラリア王以外には』
 サファイアの瞳は、一同を真っ直ぐに見つめて揺るぎがない。おそらく、嘘ではないのだろう。何でも知っていると思われたリオが、石の在り処を知らなかったというのは意外であったが、そう言われれば納得出来ない事もなかった。きっと、パリスにとって石の隠し場所は非常に重要な機密事項であったのだろう。6つの石をすべてそろえると、世界が崩壊する――そんな、嘘みたいな力を持つ魔石である。集めてはならない。人の目に触れてはならない。……歴史の表舞台から完全に消してしまおう。パリスでなくても、そのように考えるのが普通だ。
 「セルト陛下は知ってそうだけど……教えてくれるかどうかは怪しいな」
 「私達が在り処を知ったところで何も出来ないかも知れないし。とにかく、エラリアに石がある以上は、魔族(シェルザード)達から守らないといけないのだけは確かよ」
 半ば諦めた様子でリースが紡いだ言葉に、アリスは比較的硬い表情でそう返す。それに同意する意味でシズクは頷いてから、先ほどから全く言葉を発しないリサの方へ、おもむろに視線を向けてみた。普段、このような議論の場になると他者の追随を許さぬ勢いで意見を述べるはずの王女はしかし、この時だけは沈黙を保っていた。金色の長い睫毛を揺らし、どこか思いつめたような表情で遠くを見ている。その様子が、何故だかシズクは非常に気になって仕方がなかった。



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