追憶の救世主

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第5章 「交錯する思い」

5.

 ――会いたいと思う?

 つい昨日、城下町で向けられた質問が頭の中に蘇る。深い青色の瞳は、真っ直ぐリサを見つめていた。あの言葉を投げかけた時、彼は……シンは一体どんな気持ちだったのだろう。先ほどのリオ達の会話の最中、リサは一人その様な事ばかり考えていた。石の話。パリスの話。そして、魔族(シェルザード)の話。それらを耳にすると、不安になる。
 「…………」
 夜まで安静を言い渡されたシズクを救護室に残して、リサはリースと共にそれぞれの部屋への帰路についていた。お披露目イベントの最中に起こった事件が原因で、エラリア城内はどこか物々しい雰囲気に包まれている。廊下で行き違った人々の表情にも、曇りが見られた。
 夜に予定されていた祝賀パーティーは、明日に延期されるそうだ。それを受けてか、城下町の祭りも、全くなくなりはしないが、勢いがなくなってしまっている。せっかくのお祝いごとなのに、完全に水を差されてしまった状況である。魔族(シェルザード)達の手によって。
 「……シズクちゃん、何ともなくて良かったわね」
 暗い気持ちを払拭させたくて、リサは隣を歩く弟に向けて言葉を発した。対するリースもまた、始終仏頂面で黙していたのだが、リサの言葉に反応して、エメラルドグリーンの瞳をこちらに向ける。
 「そうだな」
 窓から差し込む淡い光を浴びて、リースの表情は少し憂いを帯びて見える。しかし、そう告げた直後に緩められた唇が、本当に安堵している証拠だとリサの目には映った。
 シズクが救護室に運ばれたと知らせが入った時、セイラとリースの二人が血相を変えて走り出した光景を思い出し、リサは小さく吹き出す。セイラはきっと、シズクが呪文を唱えずに魔法を使った事に気づいていたのだろうから、その後の彼女の身を案じての事だっただろう。だが、リースは違うだろう。そんな事情も何も、知らなかったはずだ。
 「……リースはさ」
 「え?」
 ふとした疑問が頭に浮かび、リサは足を止める。
 「あのライラの5枚花、何でシズクちゃんに渡したりしたの?」
 一際大きな靴音を響かせて、リースもその場に停止する。リサの言葉を受けた瞬間、彼はびくりと肩を震わせたような気がした。けれど、それきり沈黙したままで、返事はなかった。
 「あなたが女の子に何かを贈る事自体、珍しいのに。ライラの5枚花なんてね。まさか意味が分かってない訳じゃないわよね?」
 触れてくれるな。そう、聞こえてきそうな程、質問を拒絶するリースの姿を受けて、リサは苦笑いになる。まぁ、このような反応はもちろん予想通りだったが。そして、答えなんて別に期待している訳ではなかった。だってこの会話自体、リサの気を紛らわすためのものだったから。

 「――もちろん分かってるよ」

 小さくも、しかしはっきりと告げられた言葉に、リサは一瞬耳を疑った。言葉は、もちろん目の前にいる弟が放ったものである。しかし、答えが返ってくるはずがないと思っていただけに、意外だった。目を見開いて、リサは体ごとリースの方を向く。
 「けど、誰にも贈るつもりなんてなかった。シズクにだって……別に渡すつもりで近づいた訳じゃなかった」
 呟きながら、リースは視線をリサから外し、窓の外を向いて眩しそうに瞳を細める。淡々と語られる言葉は、リサに語っているというよりは、リース自身に向けられているように感じられた。
 「我ながら、滑稽だなって思ったよ」
 「滑稽?」
 「繋ぎ止めたくて、必死だった」
 自嘲気味な笑みを浮かべ、リースは小さく呟く。乾いた風が廊下に流れ込み、リサとリースの髪を優しく揺らした。数秒、妙な沈黙が流れた末に、リースは踵を返して歩みを再開する。これ以上語るつもりはないようだ。説明の足らない、言い訳のような、端的な言葉。しかし、それを聞いてリサは、リースの気持ちが何となく分かるような気がした。
 「…………」
 傍で、繋ぎ止めたい。気付いた時には、遠い立場になってしまいそうで不安なのだ。リサにとって、偶然遭遇した、シンと名乗るあの青年がそうであるように。
 「姉弟って、妙な部分が似るものなのね」
 似なくていいのに。リースには聞こえないくらいの小声で呟いてから、リサも歩みを再開させた。






 日中に起こった出来事に反して、その日は一日中良いお天気だった。日の入りの光景も見事で、日が暮れた後の星空もまた美しかった。普段であれば、移り変わる空の様子を感動でもって見つめるだろうに。生憎、今日のシズクには美しい景色を堪能出来るような余裕はなかった。
 ほとんどが考えても仕方のない事なのだが、様々な事態に見舞われて軽く混乱している。救護室で夕食を頂いた後、医師から部屋に帰っても良いと許可を貰ったものの、そのまま部屋に帰る気になれないまま、シズクはエラリア城の敷地内を彷徨っていた。なんとなく、リサと顔を合わすのも気が引けたのも理由の一つだった。直接言葉で聞いた訳ではないが、リサはシンと名乗るあの青年と、シズクやセイラが彼の存在を認識するずっと前から知り合っていたのだろう。シズクの兄だったあの人が、昼間の事件の首謀者とするのは早急すぎるが、タイミングが良すぎるのもまた事実だった。何か関係があると考えてしまうのは、シズクだけではないはずだ。リサも、同じような事を考えて、悩んでいるのではないか。そう思うと、顔を合わせた時にどう言葉をかけてよいものか分からず、こうしてずるずると帰室を先延ばしにしてしまっている。彷徨ううちにすっかり夜も暮れて、おそらく既に人々が眠りにつくような時間になっているだろう。夜の城は、昼間とは違い静かだった。
 「…………」
 夜の優しい風に吹かれながら、気づけばシズクは、城の中庭のはずれにある広場に足を運んでいた。いつぞやか、アルキル・キエラルトの10人抜き達成の瞬間を目撃した現場である。常時であれば、訓練を行う騎士の姿が見えるだろうが、今は誰も居ない。時間も時間だし、昼間起こった事件の後で、騎士の多くは城下町や城内の警備で出払っているのだろう。

 「――シズク」

 だから、そんな時に彼と遭遇するはずは無いのだと思っていた。
 聞き覚えのある声で呼ばれ、シズクはゆるやかに後方を振り返る。視線の先には思った通り、黄土色のツンツン頭に、夏空の色をした釣り上がり気味の瞳があった。
 「アルキルさん……?」
 アルキル・キエラルト。たった今シズクの回想の中に登場していたまさにその人物である。彼も騎士団に所属していると聞いている。だから、この非常事態の中、きっと忙しく動き回っているのだと思っていた。からっぽの訓練場になど、居るはずがないのだと。いや、騎士団の制服に身を包み、帯剣をしているところからして、事実彼は業務中だったのではないだろうか。それが何故、こんな場所で遭遇する事になるのだろう。
 「……冴えない顔だな。昼間の事件の中で、倒れたって聞いたけど、もういいのか?」
 眉を顰め、アキは珍しく心配そうな表情を浮かべる。普段と格好が違うからだろうか、それとも月の光のせいだろうか。彼が、いつもより遠慮気味に自分に接しているような気がしてならなかった。
 「はい、お医者様には帰室の許可を頂きましたし。それに、そんなに大した事はなかったので」
 「そっか。それならいいんだけど」
 「アルキルさんこそ、こんな所で何をしていたんですか? 騎士団のお仕事があるのでは?」
 言って、彼の格好と、腰にぶら下がった剣とを交互に見る。それを受けて、アキは少しだけ焦り顔に変わった。
 「えっと、まぁその、見回りの仕事中だったんだけどな……」
 瞳を泳がせると、アキはうーとかあーとか言って頭を軽くかく。やはり変だ。普段飄々としていて、何を言われても快活な答えが返ってくるはずの彼が、今日はなんだか様子がおかしい。首をかしげて、益々怪訝な表情になると、シズクは目の前の釣り上がり気味の瞳を見つめる。しばらく、妙な間があった。だがやがて、話を切り出したのはアキの方からだった。
 「……見回り中にシズクを見つけて……それで、追いかけてきたんだよ。確かめたい事があって」
 「確かめたい事?」
 それは、なんなのだろうか。そういえば、以前ここでアキと話した時も、彼は同じ理由で自分を呼び止めたのだったと思いだす。あの時は確か、シズクがアリスの友達だというのは本当なのか、真偽を確かめようとしていたはずだ。今回の目的は、なんだというのか。

 「――リースからライラの5枚花を受け取ったのって……シズクか?」

 「――――っ」
 何を訊ねられるかは分からないが、訊かれた事には素直に応じよう。そんな事を考えていたシズクだったが、アキの口から飛び出した思わぬ質問に、完全に思考を停止させてしまう。同時に体の動きも止まってしまい、ぽかんと呆けた顔で、ツンツン頭の彼を見る事が精いっぱいだった。――その質問だけは反則だ。
 「……って、問いつめる必要もないな。シズク、分かりやすすぎ」
 やはりかといった表情でアキは苦笑いをこぼすが、同時に、信じられないという驚愕の色も宿している。
 「白色のライラの5枚花の意味。知ってるか?」
 「確かめたかった事って、それですか?」
 自分でも驚くほど、冷めた声が出た。
 何故アキがライラの5枚花の事を知っているのだろうとか、どうして受け取ったのがシズクだと気付いたのだとか、様々な疑問が浮かびはしたが、それ以上に浮かび上がってくるのは、苛立ちだった。アキに対するものではない。苛立っているのは――自分自身に対してだ。
 「知らなかったですよ、意味なんて。だって、エラリア国民でないわたしが、分かる訳ないじゃないですか」
 それは、知ろうとしなかった事への苛立ち。何故、自分はいつも受け身のまま、深く考えようとしないのか。結果として、やる事なす事すべてが予想外の出来事へ繋がってしまう。
 「その言い方は、今は意味を知ってるって事だな」
 「…………」
 苛立ちを露わにするシズクを見ても、別段アキは戸惑うことはなかった。緩い溜息をつくと、両手を頭の上で組んで肩をすくめる。言われた事がずばりなのと、答えに詰まった事とで、シズクは不貞腐れ気味に視線を下した。夜の空気に、小さな笑い声が響いたのは、直後のことだ。
 「そりゃーまぁ、びっくりするよなぁ。俺だって、びっくりだ」
 「……彼は、そんなつもりで渡した訳じゃないと思いますよ」
 ゆっくりと視線を上げる。視線の先に居るアキは、予想に反して、からかいの表情などは浮かべていなかった。驚くほど真剣な青い瞳に射抜かれて、どきりとする。
 「リース……王子は、わたしがあの花の意味なんて分かっていない事を知っていたでしょうし。求婚の意味でライラを寄越してきた訳じゃないですよ。意味さえも伝わらない事を、するとは思えないです。ましてや、わたしになど」
 意味さえ通じない告白など、これ以上虚しいものなどないだろう。あのライラを渡された時だって、リースにそのような真剣なそぶりなど見られなかった。どちらかと言えばあれは、世間話の延長として、興味本位でぶつけられたものに近いような気がした。だからきっと、そのような意味など、込められてはいなかったはずなのだ。エラリアの人々が、古くから交わしてきた意味合いなど、あのやり取りからは感じられなかった。
 「……それは、シズクがそう思っているだけじゃねーの?」
 「え……?」
 新鮮な水の香りを乗せた、優しい風が吹く。遠くで虫の鳴き声が聞こえる以外、周囲は静かだった。だから、目の前で真剣な表情を浮かべるアキの声は、すんなりシズクに届く。
 「シズクがそう思い込んでいるだけで、周囲の誰も、そうとは思っていないって可能性は、考えないのか?」
 「それは……」
 「整合性が取れないって言うけど、人間ってのは、たまに衝動的に訳の分からない行動を起こす生き物だと俺は思うけどな。あのリースにしたってそうだ。特に、あいつは厄介だぞ。自分の本心なんて、よほどの事がない限り曝け出さないだろうし。絶対に恋愛向きの性格じゃないね。俺とは違ってな」
 自信満々に告げたアキの台詞にしかし、シズクは軽くずっこけた。恋愛向きかどうかと言われたら、確かにリースの素直じゃないあの性格は、不向きと言わざるを得ないだろうが……アキも、決して褒められたものではないだろう。アリスあたりが聞いたら、そう答えそうだ。
 「あいつの本心なんて、推測でしか分からないけど。冗談半分で求婚の印を押し付ける程無責任でもないと思うけどな」
 「…………」
 「第一、あんたはどう思ってるんだよ。シズク」
 「へ?」
 「だから。仮に、ライラの花が本来の目的で渡された代物だったとして、シズクはそれに対してどう感じたのかって事」
 アキの質問に、目を丸くしてシズクは放心してしまった。
 「どう思うかって……」
 まさか、ライラが求婚の目的で渡されたなんて。そんなこと、あり得ないだろうに。だからこそ、仮にそうだった場合の事など考えてもいなかった。
 「考えてもいなかったって顔だな」
 今度は、アキは呆れ顔だった。無理もないかも知れない。ライラの5枚花を近しい異性から渡されて、ときめかない少女など、シズクくらいかも知れない。送り主の感情など、ライラを貰った時点で分かり切っているものだから。自分自身がそれに対してどう応えるか。本来ならば、そちらの考えに重きを置くのが自然の流れだ。
 「……リース王子は、イリスピリアの王子です」
 「そりゃそうだな」
 「わたし、彼の事が好きとか嫌いとか、そういう感情で見た事なんて、無かったんです。見てはいけないって思ってた」
 リースの事を仲間だと、友達だと思っていた。身分など関係なく、隔てなく付き合おうと思ってもいた。けれど……それは、建前だったのかも知れない。アキに問われて考えるうちに、酷く愕然とした気持ちになった。普通で居ろと、さんざんリースに言われてきた事を思い出す。普通でいるつもりだった。状況的に身分の差を取り繕わなければいけない場面も多く有ったが、心の中では変わらないでいると思っていた。しかし――
 「わたしは彼の事を、いつの間にか『イリスピリアの王子』としてしか、見ていなかったのかも知れない」
 言葉に乗せると、益々そうだったのではないかという気持ちになって、胸がずきりと痛む。それは、王子と使用人という今の立場からすれば、当たり前の事と言われるものだろう。しかし、アキは特に不審がる様子を見せずに、静かにシズクの言葉に耳を傾けてくれていた。
 「……そんなに難しく考える必要はないと思うけどな。自分の気持ちに正直で居ればいいのに。お前も、リースも。……俺みたいにさ」
 「身分の違いすぎる恋は痛い目を見るって、いつぞやか言ってませんでしたっけ?」
 シズクのからかいの籠った言葉を聞いて、そうだっけか? と、アキはばつが悪そうに笑う。
 「俺なら……仮に、アリスとの身分が、今より遥かに離れていたとしたって、アリスを好きになる事を躊躇わなかったけどな。痛い目見るのが分かっていても、飛び込んださ」
 軽口だったが、本気ととれる言葉だった。以前話した時もそうだったように、アキは、このような大切な言葉をシズクなどの前でも迷いなく簡単に言えてしまう。それが、本当にアリスを一人の人間として見ている事の証かも知れない。周囲から何を言われようが、どう思われようが、自分の信じた事を貫き通す強さが見える。もちろん、アキのような真っ直ぐさだけが全てではないが、今はそれがうらやましいと思えた。



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