追憶の救世主

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第5章 「交錯する思い」

9.

 何となく、そんな気がしただけ。
 夜のエラリア城内を彷徨っていた理由を聞かれても、リサはそう答える事しか出来ないだろう。それくらい漠然とした、不安のようなものを感じただけだったのだ。シズクの帰室が遅い事ももちろん気がかかりだったが、それ以前に、リサ自身胸騒ぎがして床に入る気になれなかった。散歩でもして気分を紛らわそうか。そう思ったのも事実。だが……動きやすい軽装で、帯剣までして城内を歩いていたのは、やはり心のどこかでこうなる事を覚悟していたからなのかも知れない。

 「――できれば、もう出会いたくはなかったんだけどな」

 それは、城の中心部である玉座の間に向かう途中の廊下だった。まさかとは思ったが、漆黒の外套を纏い、帯剣した状態でリサの目の前に現れた人物を認めた途端、あぁやはりかという気持ちにもなった。
 こげ茶色の髪に、鼻筋の通った綺麗な顔立ち。こちらを見つめる瞳は、シズクと同じ、ティアミスト家の魔道士が持つ神秘の色合いを宿していた。イリスピリア城で出会い、エラリアの城下町で再会し、シンと名乗った青年。かつての名をカイン・ティアミストと言い、本来ならばティアミスト当主の座が与えられていたはずの人物である。敵か味方かは分からなかった。けれど……この状況から察するに、おそらく彼は自分たちの敵となる立場なのだろう。
 「残念ながら、ここでこういう形で出会ってしまったわね」
 胸を突く痛みを抑え、あくまで気丈に言い放つ。視線の先で、シンは剣を構える事もせずに苦笑いを浮かべただけだった。
 「……あの時」
 「え?」
 「イリスピリア城で二度目に会った時、言いかけた事があっただろう?」
 言われて、ああと、思い出した。イリスピリア国立図書館で二度目の邂逅を果たした時、去り際に彼は、何かを自分に告げようとして、そしてやめたのだった。もう会うことはないだろう、と。でも、もし次に出会うとすれば――
 「その時は、きっと俺はあんたの敵として目の前に居る――そう、言おうとしたんだ」
 予想していた言葉を口にされて、もう覚悟を決めていたはずだったのに、リサの心は酷く傷ついた。気丈にふるまうつもりだったのに。貼り付けた笑顔は、おそらく失敗に終わっているだろう。
 「けれど、俺の予想は少し外れたな。エラリアの城下町で再会したあんたは、少なくとも俺の敵ではなかったから」
 「そう……よく言われるのよ。期待を裏切るのが得意な奴だ。ってね。いい意味でも悪い意味でも」
 ふふっと零した笑みも、どちらかと言えば自嘲的なものだった。
 「本当にそうだな」
 声をかすれさせるリサを見ても、シンの発する声は表向きは無感情に近いものだった。
 「あんたと出会うのは、あれで最後にしておきたかったんだけど……本当に、あんたは期待を裏切るのが得意みたいだ。……今回は、悪い意味で」
 「――――っ」
 淡々とした調子で告げた後、最後の言葉だけ突然トーンが落ちる。その、ひどく悲しそうな声に、たまらなくなってリサは顔を上げた。そして見た。この場で再会してしまった青年の顔を。
 城下町で遭遇した時は、あんなに呆れた顔で、じゃじゃ馬だなとリサをなじっていたのに。同じ唇から放たれる言葉は、今はリサの心を突き刺すものばかりだ。光量の落とされた廊下だからだろうか。ティアミスト独特の色合いと言われる不思議な色彩の瞳が、酷く冷たい光を宿しており、別人のように見える。いっそのこと、別人であればいいのにと、ぼんやり思った。だが、シンはシンだ。別人などではない。それが、現実。
 「……ねぇ、どうしてかしら? あなたは、ティアミストの血を引く人間ではないの?」
 「その名は捨てたよ。とっくの昔にね」
 こげ茶髪をサラサラと揺らして、シンは首を横に振った。
 「それに――」
 「?」
 「ティアミストの魔道士たちがイリスピリアの味方だと、誰が決めた? そのように信じている時点で、あんたは何も知らない」
 空気が薙いで、それが、シンが剣を構えた音だと気付く。そして、睨みつけられる。鋭く研ぎ澄まされた眼光は、まるで親の仇でも見るかのようだ。そのような感情を向けられた事も悲しかったが、それ以上に自分がほとんど何も知らないことに愕然とした。
 「……そうね。確かに、決めつけていたのかも。ティアミスト家について、私はあまりに知らなさすぎる。でも……」
 それでも、納得がいかないことがある。
 「シズクちゃんは、あなたの妹なんでしょう? たった一人の肉親と敵対してまで、これはあなたがやりたい事なの?」
 思わず、語気が荒くなる。
 ティアミストの魔道士は、12年前に滅んでしまったと聞いた。だからシンにとって、シズクは最後に残された唯一の肉親と考えて間違いないだろう。ところがどうだ。彼がしようとしている事は、どう贔屓目に見ても、シズクを想っての行為とはかけ離れている。エラリアに剣を向けるという事は、こちら側についているシズクと、完全に敵対する道ではないのか。
 大切な人を救う為に、世界を犠牲にする。城下町で彼が告げた事を思い出す。シンとシズクの関係を知って、大切な人とは、もしかするとシズクを指すのではないかとリサは考えていた。だが、おそらくそれは間違いなのだろう。世界を天秤にかけて勝る人物と、戦うはずがない。
 「施された封印を解き、過去を求めてここまで躍り出てきたのは、あいつの意志だ。一応忠告はしたが、従うも従わないも、俺が決める事じゃない。……今の名を手に入れた時に、覚悟していた事だよ。それに、あいつも真実を知れば、立場を変える可能性だってある」
 「え……」
 それは、一体どういう事なのだろう。
 シンの放った言葉に、ざわりと胸が騒ぐ。シズクは、リサ達の仲間だ。そして何より、大切な友人である。その立場が変わる事なんて、あるはずがない。少なくともリサは、変えるつもりはない。
 「だからあんたは、何も知らない」
 憐れむような、悲しそうな瞳でシンが言った。
 そう、本当に何も知らない。シズク達の為に何かをしたいと思って、ここまで一生懸命やってきたけれど、果たしてそれが何かの役に立っただろうか。エラリアに無理やりついてきたはいいが、この国でリサは、まだ何も成せてはいないではないか。役に立ちたいと思っても、リサの立ち入れる範囲に、出来る事はあまりに少ない。
 「でも、何も知らない私にも、出来る事が全く無くなった訳じゃない。今ここで出来る事だってあるわ」
 感情を押し殺して、極力明るい声を出すように努めた。リサは腰に下げた剣を右手で鮮やかに抜き放つと、無言でそれをシンに向けたのだった。僅かに灯されたあかりを反射して、リサの剣は鈍く輝く。
 「あなたを、止める事」
 突きつけた刃の先で、シンは別段驚いては居ないようだった。剣を構えた体制を崩さず、ただ真っ直ぐにリサを見ている。ティアミストブルーの瞳は静かで、今どのような感情が彼の中に渦巻いているか、はかる事は出来なかった。
 両者共に口を閉ざし、周囲は一気に静まり返る。張り詰めるような静寂は、長かったのか、短かったのか。ただ、ある時突然に、打ち破られたのだけは確かだった。――金属と金属がぶつかり合う、甲高い音と共に。
 「――――」
 剣を打ち合わせた直後には、リサとシンはほぼ同時にそれを弾いていた。間髪入れずにシンが繰り出してくる一閃を、リサは難なく受け止めた。1撃2撃と、角度と方向を変えて繰り出される剣をいずれも受け止める。ぎいんと、一際大きく空気が薙いだ瞬間、リサの両腕に強力な負荷がかかった。交差する剣がカチカチと泣く。速さでの勝負ならいくらかリサに分があるが、力比べとなると形勢は逆転してしまう。
 「……さすがは、剣妃の娘だな。正直、油断していたよ」
 「死んだお母様は、もっと強かったわよ。私が相手で、貴方は運がいいくらい」
 会話の調子だけで言うと、城下町で交わしたものと大差ないくらい、互いの声は落ち着いていた。だが、見つめあう両者の瞳には鋭い光があった。互いを戦うべき相手だと認めた光が。
 「……っ!」
 両腕が悲鳴を上げている。言葉と表情には微塵も出さないが、シンとの力比べには終わりが見え始めていた。どうにかしなければ、やられてしまうのは間違いなくリサだ。
 そんな折、剣を打ち合う音を除いて静寂に包まれていた城内が、突然騒がしくなる。多くの明りがゆらゆらと移動する様と、男たちが騒ぐ声とを目と耳にして、リサの思考に一瞬のすきが生まれたのだ。しまったと思った時は、既に遅かった。勢いよく剣を流されて、大きくよろめく。かろうじて剣は取り落とさなかったが、大勢は立て直せない程に崩れていた。しかし、予想外の事が起こったのは、その直後の事だ。
 「あんたは笑うかな」
 「な――」
 ふわりと。自分のものではない香りが身を包む。予想していたどの感触とも違う、柔らかくて暖かな体温に、リサは大きく狼狽する。弾かれても取り落とさなかった剣を、あっさり手放してしまったくらいに。
 「妹と戦う覚悟すら出来ていた俺が、今戦う事に躊躇うのは、相手があんただからだと聞いたら」
 「シン――」
 ぎゅうっと、左腕だけで一瞬きつく抱きしめられる。それにこたえようと、リサも腕を伸ばすが、その手がシンの背中を掴むことはなかった。

 『――眠りよ(リーリア)

 無常な響きで紡がれた力ある言葉を聞いて、リサはああそういう事かと、心のどこかで諦めの溜息を洩らした。せめて見えなくなる前に、シンがどのような表情を浮かべているのか知りたくて、必死で彼の顔を仰ぐ。見る間にかすんでいく視界の先で、彼の瞳にどのような色が宿っていたか。――結局リサは知ることは出来なかった。
 「……ごめん」
 眠りの魔法で完全に意識が飛んだリサを、最後にもう一度優しく抱くと、シンはかすれた声で小さくそうつぶやいたのだった。






 こんな時間まで床に就かなかったのは、ひょっとしたら何かが起こる事を心のどこかで覚悟していたからかも知れない。寝巻に着替える事もせず読書に興じていたのだが、どこか落ち着かなくて部屋を出ようとしたところで、外が騒がしくなった。空気が変わったような気がして、直後に右腕が疼く。
 リースは魔力者にふさわしい程の『器』を持っていない。だから、魔法を使うことはもちろん、肌で魔力を感じ取ったりなど本来ならば出来ないはずである。……光神(チュアリス)の力が宿る、右腕を除いては。
 「……?」
 嫌な予感がして、慌てて部屋を出た。そして、廊下の窓から見た光景に、リースは小さく舌打ちする。
 客人滞在用の部屋が多く存在するこの廊下からは、普段であれば美しい中庭が見渡せるはずだった。だが、飛び込んできたのは、数人の騎士達がどよめきながらも剣を抜く姿と、光の靄から魔物が現れる様子だった。
 騎士たちは見回りの最中だったのだろう。そこに突然、魔力の介入が起こり、この状況が完成した。召喚魔法だ。と、リースはこれまでの経験から悟る。――魔族(シェルザード)達の常套手段である。
 「リース王子、危険です! お下がりください!」
 騎士のうちの一人が、部屋から出てきたリースに気付いてそう叫んだ。言葉の割に、彼の声は震えている。日ごろから鍛錬は積んでいるだろうが、おそらくリースよりも年若い少年騎士にとって、ひょっとするとこれは初めての実戦だったのかも知れない。
 「ここは我々が――」
 「言ってる場合じゃないだろ」
 騎士の言葉を遮って告げると、リースは自身の黒刃の剣を抜いた。そして、リースめがけて飛びかかってくる魔物に向かって一閃を浴びせていた。きゃうんと、断末魔の叫びを上げて、獣型の魔物は地面に倒れ伏す。どす黒い血が園庭の土に混じっていくのが見えたが、それらを嘆く暇などなかった。靄の中から更に2匹、同様の形をした魔物が飛び出してくると、各々リースと先ほどの若い騎士へととびかかる。リースに叱咤された事で、件の騎士も落ち着きを取り戻したのだろう。冷静な判断で剣を構えると、あっさりと切り伏した。リースも1匹目と同じ要領で魔物を片付けると、あたりは突然静かになる。
 「…………」
 どうやら、3度目の召喚は発動しない模様だ。
 数秒の沈黙の後、周囲への警戒を緩めると、リースは一息ついて騎士達の方を向いた。
 「こんな時間に、これはどういう状況だよ?」
 「分かりません。我々も、いつもの見回りの最中で……」
 戸惑いが色濃く宿った表情で、一番年上らしき青年が告げる。彼らにしても、先ほどの魔物召喚は思わぬ不意打ちだったのだろう。
 「……まぁ、ここだけに起こった事でもなさそうだな」
 ここではない方角の廊下から、喧騒と物音が響くのを耳にして、リースは苦々しくそう呟いた。予想の範疇ではあったが、それが現実に起こっているとなると、やはり気分が沈む。魔物の出現がここだけの話でないとすれば、おそらく今、エラリア城は襲われているのだろう。何者か――十中八九、リース達が敵と認識する一族に。
 どうやら彼らは、本気で乗り出してきたようだ。前夜祭や今日の昼間のような、手ぬるい襲撃とは意味合いが違う。城全体に魔物が放たれたとなれば、それはもうシュシュの町の再現以外の何物でもないだろう。おそらく、力づくで『石』を奪いに来たのだ。
 「我々は今から、来賓の避難活動を行います。リース王子。貴方も避難なさって下さい」
 苦々しい状況を素早く悟ったのだろう。若年でも騎士は騎士だ。比較的落ち着いた声色で青年騎士が言う。
 城と城に居る者たちを守るのは騎士の役目である。他国の王子であるリースは、本来ならばおとなしく避難をするべきなのだろうが、もちろんそのようなつもりは毛頭ない。さて、どうやってこの場をおさめようか。そう思案し始めていたところに、再びの魔力の介入が起こった。しかし、今度は光の靄から魔物が出てきたのではない。一陣の風と共に出現したのは――人である。

 「――――っ」

 あまりに突然の事と、現れた人物が予想外すぎる事とで、リースは大きく息をのんだ。同時に、心臓がどくりと跳ねる。
 「……この城で、イリスピリアの王子と再会する事になろうとは。因果なものだな」
 意志の強い野太い声。わずかに残った風が、ふわりと『彼』の赤茶髪をかき上げて去っていった。鋭い眼光は、古の一族である魔族(シェルザード)を表す、深い青色をしている。
 「確かに……因果だな」
 暴走しそうになる右腕と己の意思にそっと蓋をして、リースはゆっくりした口調で告げた。といっても、声色から負の感情を消す事はかなわなかった。ある程度気持ちの整理はつけたつもりでも、やはりひと月かそこらでは、どうにもならない部分がある。ましてや目の前に対峙する人物が、母親の命を奪う元凶となった人物で、再会したこの場が、まさにあの事件の舞台となったエラリアであるのだから、無理からぬことだとも思う。
 「わざわざ俺に、かたき討ちのチャンスくれようってか? ――ダイモス」
 それは、先のシュシュでの事件の折、リースと対峙した魔族(シェルザード)の名だ。あの時取り逃がした男が、再び目の前に居る。



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