追憶の救世主

backtopnext

第5章 「交錯する思い」

10.

 「な……! 何者だ!」
 何もないところから突然魔物ではなく人間が現れた事に、騎士たちは動揺を隠せない様子だった。各々剣を構えて牽制しようとするも、ダイモスはまるで空気でも見るかのような調子で全く相手にしていない。代わりに、リースに真っ直ぐ視線を投げてよこしてくる。どこか挑発的な。けれど、不思議と殺意らしきものは感じなかった。
 「――――」
 怒りで泡立つ心を静めて、リースは静かに瞳を閉じた。右腕に意識を集中させると、黒刃の剣に自身の『光』を流し込む。そうすると、漆黒だった刀身が淡い輝きを放つ銀色へと変貌を遂げたのだった。夜の庭の中で、輝く剣は独特の存在感を放つ。
 「……随分と、右腕の力を飼いならしたようだな」
 リースの剣の変化に目を見開くと、感心した様子でダイモスは言った。
 「俺だって、立ち止まっている訳には行かないんでね」
 肩をすくめて、リースは告げる。
 闇の力を帯びた剣に光の力を流し込むと、光は暴走することなく剣に留まる。シュシュの町で彼と戦った時に発現した現象である。あの時は偶然起こったものであるが、イリスピリア帰還後の鍛錬で、ある程度意図して起こすことが出来るようになっていた。ネイラスの洞察力と、指南のお蔭でもある。実戦で使うのはもちろんこれが初めてだが、以前シュシュで打ち合った時よりは、やれる自信はある。
 「闇が光の暴走を抑え、力を支える、か。……まるで、ティアミスト家とイリスピリア王家のようだな」
 ――皮肉な事だ。
 魔族(シェルザード)独特の色合いをした瞳を細め、ダイモスは感慨深げに呟く。本心からの言葉だろうが、リース達イリスピリア王家の者への、嫌味にも聞こえる言葉だった。
 「…………」
 ティアミスト家の単語から導き出される様々な物事に心がざわつくが、彼の挑発に乗ってはいけない。流れていく思考に蓋をして、リースは地を蹴っていた。そして、そのまま一気に、ダイモスの懐に踏み込む。

 「――――」

 勢いよく飛び込んだリースだったが、光の力を帯びた剣は、受け止められて空気を震えさせる事もなく、空を切る事もなかった。予想されたどの感覚とも違う今の状態に、思わず眉をひそめる。そして、寸前で剣を止めた先で、無防備に佇む魔族(シェルザード)に向けて、怪訝な視線を送った。リースが本気で剣を向けたにも関わらず、ダイモスは、それに対して剣で応えるでもなく、かといって魔法を唱えるでもなく、ただ何もせず彼の太刀をその身で受けようとしてきたのだ。あのままリースが剣を止めなければ、間違いなく光の刃はダイモスの身を裂いていた。
 「……どういうつもりだよ?」
 問いを投げる声も、とげとげしくなる。
 切っ先を鼻元に向けられているにも関わらず、ダイモスに動揺はない。それどころか唇で弧を描くと、緩く笑んだのだ。どこか悟りきった表情に、リースはますます苛立ちを覚える。
 「勘違いするな。罪滅ぼしや懺悔などというつもりは毛頭ない。ただ、私はお前に既に負けているのだ。あの町での戦いの折に。……それだけだ」
 「それで、俺とは戦う気はないって? 今現在これだけの騒ぎを起こしておいて?」
 「信念は曲げぬが、主には逆らえんのでな。こんな負け犬の俺でも、頭数に入れねばならぬほど、同胞の数は少ない。……あの方は恐ろしいよ。その者のもっとも大切とするものを、よく御存知だ」
 そう言ったダイモスの青い瞳に、一瞬だけ深い苦悩が見えた気がした。詮索する気もないし、おそらくダイモスもそれを望まないだろうが、彼もまた、訳ありらしい。
 納得できた訳ではないが、それ以上の追求は無駄だと判断して、リースは剣を引く。仇とはいえ、戦意のない相手を切り伏せる程、リースも無血人間ではない。
 銀色を帯びていた剣が元の漆黒に戻るのと、ダイモスが右手を城のはずれのほうに向けて突き出すのとは、ほとんど同時だった。何だと思い、リースは首を傾げる。
 「ティアミストの娘は、城のはずれで魔物と交戦中だ」
 ――ティアミストの娘。
 その響きと、その単語が指す人物の姿が頭に浮かび、即座に胸が跳ね上がる。滑稽なくらい、自分は彼女の存在に翻弄されてしまう。動揺を完全に隠す事が出来ずにいるリースを見て、ダイモスは若干苦笑いを浮かべたようだった。そして、今度は右手を、城の内部に向かって移動させる。
 「だが……我々が目的とする物は、城の内部。玉座の元にある。――どちらに向かうもお前の自由だ」
 そう告げて、ダイモスは、魔族(シェルザード)独特の色を帯びた瞳を、静かにリースへと据える。
 「信じるも信じないも、お前の好きにすればいい」
 そう告げるダイモスの瞳に揺らぎはない。簡単に信じられる話ではなかったが、おそらく、彼が告げる内容は、まやかしなどではないのだと本能的に悟る。だが――
 「そんな大切な事を、何故俺に?」
 「さあな。けれども、敢えて言うならば――これが所謂罪滅ぼしというのかも知れん」
 言って、ダイモスは自嘲的に笑う。初めて見る表情だった。
 一体何の罪滅ぼしか。
 ある一つの事項が頭に浮かんだが、リースは敢えてそれを言葉に乗せる事はしなかった。黙ったまま数秒ダイモスと見つめあうと、やがてゆっくり視線をそらす。続いて向き合ったのは、2人の会話を緊張の面持ちでずっと見守り続けていた騎士達だ。
 「来賓の避難を急いだ方がいい。それと……余力があれば城のはずれにも騎士を回すよう、上に伝えてくれ」
 冷徹な声に、騎士の青年は表情を引き締めたようだった。きびきびと礼を取ると、了承の意を述べる。
 「リース王子は、どちらへ?」
 「玉座」
 え。と驚きの声を上げる騎士達を無視して、リースは踵を返す。城の中心部への廊下に体を向けると、走り出す前に、未だそこに佇んだままのダイモスを見た。彼は、さも意外そうに眉をひそめていた。
 「……いいのか? 助けにいかなくて」
 「シズクは、あんたらがけしかけた魔物にやられる程、弱くはないよ」
 淡々と告げるリースの言葉に、ダイモスはほう。と面白い者でも見るかのように声を漏らす。
 もちろんリースとて、口で言う程きっぱり決断しているかというと、そうではない。むしろ、今すぐにでも城のはずれに向かいたいという気持ちの方が強いくらいだ。それでも、ダイモスの与えた選択肢から、玉座の間へ向かう事を選んだのは、最も重要な事を忘れないでいようと思ったから。魔物(シェルザード)達が欲する物――神の力を持つという『石』のひとつを、渡すわけにはいかない。その為に自分たちは、エラリアに来たと言っても過言ではない。
 そして何よりも、シズクの魔道士としての本質を、リースは信じていたから。
 「――――」
 意を決すると、リースは地を蹴ったのだった。






 「――ごめん」
 もう一度、誰にも聞こえないくらいの小声で呟く。そうしてシンは、完全に眠りに落ちたイリスピリア王女を、壊れ物でも扱うかのような丁寧な動きで廊下に座らせる。美姫とうたわれる彼女の寝顔を数秒程眺めてから、ゆっくり立ち上がったのだった。
 彼女に対して、酷い事をした自覚はある。それも、かなり最低な部類の。
 目覚めた彼女は、傷つくだろうか。それとも、意にも介さず気丈に微笑むだろうか。そのどちらの表情も、シンはきっと見る事はないだろう。そうであるべきだ。そうであって欲しい。
 「――――」
 リサから完全に背を向けると、シンは緩やかな足取りで歩みを再開させた。彼が目的としていた場所へ行く為である。ほんの少し、リサの出現によって時間を食ってしまったが、計画自体には問題ない。
 廊下を数分と歩かぬうちに、目的のものは目の前に見えてきた。繊細な模様が施された、白亜の扉――玉座の間への入り口である。太陽に照らされるエラリア国の紋章。その中心的存在を担う5枚花のライラに目をくれてから、シンは扉に両手をかけた。
 常時であっても、こんな夜中に玉座の間が解放されている訳はない。ましてや今は非常時とも呼べる状態である。扉は固く封印されているのが普通だ。ところが、シンが少し力を加えただけで、白亜の扉はあっさりと開いたのだった。予想外の感覚に、軽く驚きの溜息を零しながらも、シンは心のどこかで妙に納得していた。ひょっとしたら今夜の襲撃を『彼』は予想していたのかもしれない。

 「やはり、来たんだね」

 玉座に足を踏み入れた瞬間、そう語りかけられた。穏やかではあったが、放たれた声は天井の高い部屋の中で反響を繰り返し、一種の威厳を生んだ。シンは、独特の色合いを宿した双眸を真っ直ぐ前に向ける。紅色の絨毯の先にある玉座の方へ。そして、そこに座するこの国の王へと。
 エラリア王セルトは、就寝していても良い時間であったというのに、王たる出で立ちで静かにそこに居た。土色の瞳に宿るのは、困惑でも怒りでもなく、悲しみであるように思えた。
 「お初にお目にかかりますセルト王。そこまで腹が据わっておいでなら、我々の目的もお分かりのはずですね」
 「おや。私と君は、初めましてではない筈だよ」
 シンの堅い言い回しにも、セルトは動じない。くすりと小さく笑んで肩をすくめると、おかしげにそのように告げたのだった。彼の言葉に内包されている意味に、シンは表情をしかめる。
 「……ファノス国から圧力は度々かかっていたんだよ。この国に眠るといわれる『石』を、かの国の王に渡すようにってね」
 言って、セルトは遠くを見るように視線を横に巡らせる。柔和な笑みが似合う横顔は、少しやつれたようにも見えた。
 ファノスというのは他でもない。ここ最近突然起こり、シン達の主であるカロンが王として君臨する国の名である。公にはされていない情報だろうが、エラリアに向けてカロンが度々圧力をかけていた事は紛れもない事実である。書状を受けても屈しないエラリアの態度に、脅しまがいの行為を仕掛けていたのもまた事実。
 主の求めは一貫している。古の神の力が宿ったとされる『石』だ。エラリアに眠っているそのひと欠片を、カロンは渡すようにと求めている。
 「けれど私は、それは不可能だと言ったんだ。イリスピリアとの盟約を守る事はもちろんだが、それ以上にあの『石』は、エラリア王族の力だけでは持ち出せない仕組みになっていたからだ」
 セルト王の語り口は、シンに向けているというよりは、己自身に対して呟かれているように思えた。黙したまま、シンは何も言わない。ただ静かに視線を玉座に向けると、ゆっくり歩みを再開させた。
 紅の絨毯を半ばまで進んだある時、小さく深いため息が落とされる。セルトが放ったものだ。
 「道理で。自信たっぷりに『石』を渡すよう求めてくる訳だ。ファノス王はとんだ切り札を用意していたようだね。――カイン・シエル・ティアミスト」
 穏やかな声から一転。凛とした調子で紡がれた名を受けて、シンは歩みを止めた。彷徨っていた土色の瞳は、今やこちらを真っ直ぐ見据えている。
 「セイラから報告を受けてはいたが……本当に、キユウによく似ている」
 強い意志の宿る瞳に、わずかに苦悩が混じる。だが、シンはそれを見て見ぬふりした。
 「カイン、君は――」
 「母は、確かにあなた方の友だったのだろう。だが、それだけの事だ。俺はあなた方と慣れあう気はない」
 冷徹に告げて、右手にずっと携えていた抜身の剣を、セルトに向ける。敵対を表す行為だった。
 「石を渡してもらおう。俺の素性を全て知っているというのなら、渡す術がないとは言わせない」
 独特の色合いを宿した瞳でセルト王を睨み付けると、彼は溜息をつき、次の瞬間には驚くほど引き締まった顔になる。キユウ・ティアミストの親友だったセルト・ラントから、エラリアを統べる王へと変わったのだ。
 「断る。と言ったら?」
 「断る理由などない筈だ。……これは、パリス王と当時のエラリア王との間で交わした約束だから」
 シンの言葉に、セルト王はぴくりと眉を動かす。その表情は、シンが告げた内容がまさにその通りだと告げている。
 シンが玉座の間に現れて、エラリア王に『石』を渡して欲しいと請う事は、契約上、何ら問題の無い行為だった。そう。永遠の友好条約を結んだ折に、パリス王が願い、当時のエラリア王が自国の未来を賭けて請けた契約だ。
 「――ティアミスト家当主が、有事の際にエラリア城を訪れて『石』を願った場合のみ、『石』を引き渡す事を認める」
 名君パリスが、未来の有事を見据えて持ちかけた契約の筋書がそうだ。エラリア王室の一存でも、イリスピリア王室の一存でも、『石』は持ち出せない。古の勇者の血を引く一族の長が、エラリアまで出向いて願った場合のみ、それは認められる。奇しくも今、その状態が完成していた。パリスが想定した内容とは、かなりのズレがあるかもしれないが。それをも承知で、シンは己の身分と立場を最大限に利用する事に決めていた。――すべてはそう、彼が救いたいものの為だ。
 「渡してもらおうか、契約の『石』を」



BACK | TOP | NEXT

** Copyright (c) takako. All rights reserved. **