追憶の救世主

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第5章 「交錯する思い」

11.

 玉座の間の上部には、明りを取り入れるための窓があった。そこから覗く空は暗い。細い月だけが、頼りない星の光と共に、僅かな銀を放っていた。
 城内は、シンの仲間達が放った魔物が現れて大混乱だろう。恐怖の声。怒りの声。様々な感情が波となってエラリア城を包む。すべては、主が望んだ事。『彼』は、破壊を求める。全てのものを焼きつくし、壊しつくし、消してしまいたいと望むのだ。そしてそれゆえに、『彼』は6神の『石』を求める。――世界の理を動かす魔法の力を。
 剣や魔法を打ち合う轟音がわずかに届くが、そのどれもがシンの居るここからは遠かった。玉座の間は、この非常時にも関わらず、驚くほどに静かだった。まるで、何かに護られているかのように。

 「――それでも、断る。と言ったら?」

 部屋に舞い降りた異様な静けさの中、セルト王の言葉は重々しく響く。シンは、独特の色合いを宿す瞳で声の主を射抜いた。
 「カイン」
 昔の名を告げられると、酷く胸の中に重たいものが下りる。不快感を隠す事もせずに、シンはセルト王を見る。
 「確かにパリス王は、ティアミスト家当主がここを訪れ、その時代のエラリア王に『石』を請う事があれば、それを譲り渡すようわが一族に言い残していた。それは紛れもない事実だ」
 だが。と、低い声がシンの耳に届く。
 「そもそも君は、ティアミスト家の当主ではない。私の知るティアミスト家当主は、キユウが最後だった」
 「詭弁だな。仮にそうだとして、母亡き後、俺を除いてその資格を持つ者はいない」
 きっぱりと言い放つ。シンの言葉に、セルト王は小さく溜息を零した。表情は動かさない。けれど、どこか含みがある。
 「昔の名を捨てたというのに、立場だけ都合良く利用するのかい? それに……資格を持つ者ならば、もう一人居るじゃないか。今の君よりも『彼女』こそが現状ティアミスト当主にふさわしいのではないかな?」
 「――――」
 王の最後の言葉を受けて、シンは地を蹴っていた。頭に血が上ったという訳ではないが、言われた内容が、彼の許容出来るものではなかったからだ。
 500年もの長い間、ティアミスト家の魔道士達は、イリスピリア王家をはじめとする世界の重要機関に縛り付けられてきた。そして、彼らはその状況を許容し、その期待にも十分報いてきたとシンは知っている。それをここにきて、王家に仇なす存在と分かった途端、当主として認めないと。あっさり切り捨てる。そればかりか、本来であれば重いものなど何一つ背負うはずのない彼女を、担ぎ出そうというのか。
 妹との対立は覚悟の上だ。彼女が望むのならば、聖女にでもなんでもなれば良いと思う。だが……王家の望むような形で、無理やり懐柔するようなやり方は、シンは認めない。
 繰り出した剣を、セルト王自身が抜いた剣が迎え撃つ。今や玉座に迫ったシンは、セルト王と目と鼻の先程の位置に居た。けれども、剣の均衡は破られない。がちがちと金属同士が擦れ合う音が響くばかりで、セルト王を切りつける事はかなわなかった。
 「随分と表情が変わったね」
 内心に沸き立つ怒りで息を荒げるシンを見て、セルト王は土色の瞳を悲しげに潤ませた。憐れみの表情だと分かる。そのような感情を向けられる事も、たまらなく嫌だ。
 「我々となれ合う気はないと君は言ったね。だが、本当に君は、こんな事を望んでいるのかい? キユウはきっと――」
「そうやってエラリアもイリスピリアも、ティアミストを縛り続けたんじゃないか! 俺が王家に服従する事を、母が望むとでもいうのか? 母も、縛られた者の一人なのに!」
 剣を勢いよくはじくと、シンは後方に下がる。セルト王の剣は追いかけてはこなかった。その場に佇んだまま、王は静かにシンを見据える。月が放つ銀に晒されて、その土色の瞳はわずかに明るさを増したように見えた。陰陽の際立った表情は、まるで罪人を断罪する裁判官のようだ。
 「縛られずに居る事を望みながら、ティアミスト家の呪縛に一番とらわれているのは、君の方ではないのかい?」
 「――――っ」
 少し、話し過ぎた。静かな環境と、余裕を見せるセルト王に、自分は流されかけたのだ。本来であれば、このような問答をする必要など、無かったはずだ。話し合いで解決できるなどとは、最初から思ってはいなかったから。意見が決裂した瞬間、実力行使に出るのが筋だった。
 「――させないよ」
 シンの意図を読み取ったのだろうか。呪を紡ごうとする彼を遮り、セルト王は何かを空中に放り投げた。剣を構えて警戒するシンの青い瞳に映ったのは、可憐な白い花だ。ただし、ところどころに紅色――血に彩られている。
 「しまっ――」

 『豊穣の父が眠る頃 銀の母が上り 大地に癒しと安息をもたらすだろう――』

 悟った時には遅かった。早口でそう紡ぐと、セルト王が放ったライラの花を中心に、魔力が吹き出す。シンも魔法で対抗しようとしたが、術の規模が違う。一人の魔道士が構築する魔法など足元に及ばぬほどの魔力が、花から、床へ、そして玉座の間全体へと満ちて行った。
 「!」
 突然全身が鉛に変わったかのように重くなる。剣を持っている事すら辛く感じ、なすすべもなくシンはその場に膝をついた。床に押しつぶされそうな圧力が、ねっとりと纏わりつく。
 かつんと。空間が甲高い音を立てる。なんとか顔を上げると、それはセルト王が鳴らす足音だと知れた。
 「この玉座の間には魔法陣が刻まれているんだよ。魔道の才のない私でも、エラリア王族としての血を『媒介』に捧げさえすれば発動する魔法がね」
 セルト王が近づいてくる。シンは全く身動きが取れずに居るのに、彼の動きは実に優雅なものだ。まるで羽根でも生えたかのような軽やかな足取りである。
 魔法陣。なるほど、言われて納得する。術者の思惑通りに、空間の理をゆがめてしまう結界が発動したという事か。状況から想像するにこの部屋の重力を操られたのだ。発動の鍵は、セルト王の血を受けたライラの花――おそらく、術の媒介となる代物なのだろう。
 「力の根源は、扉にあるエラリアの紋章だよ。パリス王から贈られたものだ。……『石』を守る為の契約を持ち出したパリス王と、この部屋の魔法陣を構築したティアミスト家の魔道士が、不測の事態を考慮しなかったと思うかい?」
 「……パリス王も、ただシーナを盲信していた訳ではないという事か」
 皮肉気に告げて、シンは唇をゆがめる。
 賢王と名高い彼だが、書物を辿る限りで見ると、彼の姉への敬愛と、ティアミストへの信頼は、盲目ともとれるものだった。かの王はティアミストの魔道士たちを疑う事など絶対に無かったのだろう。だから『石』の封印を依頼して、再び取り出す際の手続きを、彼らに委ねるような事をした。そして、ティアミストの魔道士たちもまた、彼の信頼を裏切るような事は一度となかったのだろう。
 それでも、腐っても賢王だ。彼は、考えたくもない事態の考慮も怠らなかった。そういう訳だ。
 「ティアミスト家の者がパリスの信頼を裏切るような事をした時。若しくは、不届きものが『石』に触れようと現れた時。この術の使用は、その時のみ許されたと伝わっているよ」
 重力に耐えながら見上げると、こちらに語りかけるセルトの表情は、実に悲しげに曇っていた。よく肥えた大地の色をした瞳には、鋭い眼光を放つシンが映り込む。
 「カイン……私は、君を罪人にはしたくない」
 すぐ上から降る言葉は、懇願するかのように、切実な響きが含まれたものだった。偽りのない、本心からのものだと、シンでも理解出来る。
 「ファノス王は、6つの石を手に入れる為に、世界を相手どって戦争を始めるつもりなのだろう? かの王に加担するのだとしたら、君は世界に仇なす反逆者だ。でも、今ならまだ――」
 「あなた方が知るティアミスト家の魔道士は、もうこの世に一人も居ないんだよ」
 なおも言いつのろうとするセルト王の声を遮って、シンは冷淡にそう告げた。なんの感情もこもらない、ただ事実だけを突きつける冷たい言葉だ。言ってからまた、土色の瞳を見る。そこに映り込む己の表情もまた冷たい。そして、そんなシンを見つめるセルト王は、今度こそ諦めの表情を形作った。
 相変わらず体は動かない。この状況をうまく潜り抜ける策もない。しかし、それでもシンはセルト王の願いを聞き入れる事は出来なかった。
 「俺は、カロンを助ける為ならどんな事もするし、どんな事も受け入れる」
 たとえそれが、世界を裏切る行いだったとしても、大切な人を守りたい。あの時、決めた事だから。
 「……そうか」
 硬質な声が落とされる。無様に床に這いつくばるシンを、哀れげに見下ろすセルト王のものだ。
 「それでは尚更、君を主の元へ返すわけにはいかないね。カイン……君を拘束させてもらう」
 この場で切ってしまえばいいのに、甘いことだ。そう思ったが、言葉に乗せる事はやめた。シンは、死ぬわけにはいかない。今死んでしまっては、元も子もない。
 拘束された後に、機をうかがって逃げられればいい。あの主が自分を迎えにくるかどうかは分からなかったが、自分が死なない限りは最悪の事態だけは避けられるだろう。そう考え、ゆっくり瞳を閉じて息を吐いた。しかし抵抗を諦めた途端、唐突に、待たずともその機はシンの前に訪れた。
 ガコンと重い音を立てて、突然部屋の扉が開いたのだ。500年前、パリス王が当時のエラリア王に贈り、当時のティアミスト当主が魔法陣を施す礎とした石だ。それがゆっくり開け放たれる。

 「叔父様……?」

 ――空いた扉の先に居たのは、黒色の瞳を見開く、この国の王女だ。
 蹲るシンと、それを見下ろすセルト王とを交互に見て、彼女は眉をひそめた。一体何が起こっているのだと、状況がつかめずにいる事は傍目からでも分かる。
 「アリス! 扉を閉めなさい!」
 ただし、それら彼女の疑問に、セルト王は答える事はなかった。先ほどまでの冷静な様子とは打って変わって、鋭くそう叫ぶ。その焦り様を見るに、今のこの状況が、彼にとっては火急の事態である事を物語っていた。だが、声を向けられたアリスは黒瞳をますます見開くも、混乱を深めただけのようだ。それに――もう遅い。
 魔法陣の心臓部である石の扉が開けられた瞬間、結界にほんのわずかな乱れが生じた事をシンは見逃さなかった。
 この部屋に魔法を施したティアミストの魔道士に適う魔力は、残念ながらシンは持ち合わせていない。シンは、ティアミスト家の人間としては、生まれながらに授かった魔力は少ない方だった。だから、発動した術に抗う事も、打ち破る事も出来ずにいた。ただし、術に出来た綻びさえ見つけられれば、シンの魔力でも干渉は可能である。
 「――――っ!」
 床に着けた手からありったけの魔力を注ぎ込むと、ガラスが割れたような音が場に響き渡った。同時に、それまで体中にまとわりついていた重力がほぐれていく。完全とまではいかないが、魔法を一部分破る事に成功したのだ。しかし、今のシンにとってはそれだけで十分な事だ。
 状況を理解したセルト王が剣を繰り出してくるが、それらをよけて地を蹴ると、彼は真っ直ぐ前へ――アリス王女の方へと突っ込んでいく。
 「え――」
 耳元を撫でた王女の声に、シンは僅かな同情と、安堵とを混ぜ合わせた表情を浮かべる。すべてが咄嗟の事で、彼女にとって理解不能だろう。それでも、自分が狙われているのだという事を一瞬で理解して杖を構えてくるあたり、馬鹿ではないのだと思った。つと、唇の端を持ち上げて笑む。馬鹿ではない王女は、術を唱える時間が己に残されていない事を既に悟っている。だが、悟れたところでどうだというのだ。繰り出されたアリス王女の杖は、あっけなくシンの剣にはじかれてしまう。からんと乾いた音を立てて、哀れ杖は宙を舞った後に後方へと着地を決めたようだ。無防備になった彼女を拘束することなど、容易いことだ。両手首を後ろ手に掴みあげ、片方の手で剣を構える。少しでも位置をずらせば、王女の白くやわらかな首筋に食い込んでいく程度の距離感で。
 「アリス!」
 絶望にも似た叫びをあげるセルト王を見て、シンはその独特の色合いをした瞳に、冷徹な光を宿した。
 「……さて、これで形勢逆転という訳だ。俺が何を言いたいか、聡明な貴方なら、おわかりだろう」
 「カイン。君は――!」
 「貴方の可愛い姪の首が落ちる前に、わが主の目的とするものを出してもらおう」



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