追憶の救世主

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第5章 「交錯する思い」

12.

 『――氷よ(レイシア)!』

 早口での詠唱後、シズクが力ある言葉を放つと、水の精霊はすぐさま力を貸してくれた。鋭い氷刃が出現して、術者の求めに応じ各々が別方向に飛んでいく。周囲を取り囲む魔物のうち、それは3体を正確にとらえた。
 「――――!」
 断末魔の叫び声をあげて、魔物が倒れていく。召喚された彼らは、やがてこと切れるとその姿は空間の中へ溶けて行った。だが、取り囲む魔物の数も尋常ではない。仲間が倒れた事に興奮したのだろう。後方に控えていた数体の魔物が咆哮をあげて突っ込んでくる。しかし、彼らの刃が届く寸前で、シズクは既に魔法を組み立て終えていた。
 『爆発(ボンブリン)!』
 重苦しい衝撃とともに、目の前に小爆発が起こる。突っ込んできた魔物たちはひとたまりもないだろう。
 「凄いな……」
 後方で戦うアキが思わずこちらを見やり、感嘆の声を上げるほどにそれは、鮮やかな魔法捌きだったのだろう。だが、それに答える余裕はシズクにはない。湧き上がった土埃が晴れる前に、更に呪を紡ぐ。
 『――其は我の一部。万物の中で最も“鋭い”存在へと成れ』
 それは呪文ではなく、強制的な使役の言葉。
 理論もへったくれもないが、一応筋はこれで通るはずである。ほとんどぶっつけ本番の魔法だったが、シズクの思惑通りにそれは発動し、右手に淡く輝く光が伸びた。
 「――っ」
 持って行かれる魔力の多さに、一瞬視界が回る。しかし、この状況で失敗する訳にはいかない。自分自身に強く言い聞かせ、なんとか押しとどまった。
 やがて光は剣の形を有するようになり、文字通り魔法でできた剣の完成だった。自身の魔力を凝縮し、剣のような形に留めたもの。――以前、クリウスが使っていた魔法を真似たものだった。
 晴れかけの靄を飛び越えて、襲いかかってきたのは残された魔物たちである。それらをシズクは、出現させた刃を奮って受ける。彼女に剣技の心得はないが、凝縮された魔力の刃が触れただけで光が魔物たちを切り裂いて行った。
 「シズク!」
 魔物の急襲が一旦やんだところで、アキの声がかかる。振り返ると、彼の方もかなりの数の魔物を片づけていたらしかった。包囲網の一部が完全になくなり、脱出できる大きさにまでなっている。即座に状況を悟ると、走り出すアキの後を追って、シズクも疾走する。途中、飛びかかってくる魔物は居たが、魔法の剣ではじき飛ばしながら進み、イシュタルの張り巡らせた包囲網からの脱出に成功したのだった。
 魔物に取り囲まれる場所を脱したとはいっても、状況は芳しくない。ざっと見渡した範囲でも数か所で魔法陣が発動し、召喚陣から新たな魔物たちが吐き出されている。結界が張られていない森の中でも、一度にこれだけの魔物を見る事などまれだろう。ましてやここは町の中。それも、エラリアの中枢である王城の中である。
 ――シュシュの悲劇の再現。
 そんな単語が頭によぎり、シズクの背中に冷たい汗が滑り落ちた。いや、城自体が襲われているこの状況は、あの時よりも更に悪いかもしれない。
 「はずれのここでもこんな状況だ。中はもっと酷いかも知れない」
 隣で、アキが零す。普段飄々としている彼からは考えられない程に、重力のある言葉だった。けれど瞳には恐怖や絶望などは浮かばない。ぎらぎらと光るそれは決意だ。双眸を真っ直ぐシズクに据えてくると、アキは淡々と告げた。
 「それでも俺は城に行く。アリスや皆を助けなくちゃな。……シズクはどうする?」
 彼にとって大切な人たちが、城の中にいるのだ。彼らしい、当然の決断である。状況がひっ迫しても、変わらず信念を貫く彼を見て、シズクは少々浮き立っていた気持ちが落ち着いていくのを感じた。
 「わたしも気持ちは同じですよ。アキさん」
 静かな調子で告げる。視線の先で、アキは少し安堵したような表情を見せた。
 「わたしもお城へ行きます」






 首筋にひやりとした硬質な感触が迫る。少しでも動いたらそれは、自身の首筋に至るだろうとアリスは本能的に悟った。ここで殺されてしまうかもしれない。頭の中に浮かぶそれらに対する恐怖よりも、後悔の占める割合の方が大きかった。
 ――自分は、叔父と話をしようと思っただけだったのだ。
 セイラとの話し合いが済み、ひとしきり泣いた後、自身の決意を少しでも早く叔父に伝えたいと思い、アリスは少し緊張しながらも早足で執務室へ向かったのだ。普段ならば数分とかからず訪れる事が出来る場所だったが、今日に限っては随分と時間がかかった。向かっている最中に城内に異変が起こり、突然現れた数々の魔法陣が、魔物を召喚し始めたからだった。叔父と話をするという目的は、叔父の無事を祈り、彼の居場所を探すという目的に取り替わり、アリスの足を更に急かした。避難するように求めるフィアナ王妃や大臣たちの制止も無視し、向かった執務室にしかし、セルト王は居なかった。かといって安全な場所に避難したとも聞いていない。まさかと思い、続いて足を向けたのがここ――玉座の間だった。
 それが、こんなことになるなんて。
 「アリス!」
 数歩程距離を置いた先に、焦りを露わにした叔父の姿がある。常ににこやかで、冷静を貫く彼が、まるでこの世の終わりを目前にするかのような顔をしていた。そんな感情、自分に向ける必要などないのに。だって自分は――
 「彼の言葉に、従ったりしないで下さい」
 言葉は自然に滑り落ちた。内心の狼狽をよそに、玉座の間に響き渡ったアリスの声は固く、揺らぎのないものだった。
 目だけで上を見ると、アリスを拘束する青年と目が合う。深い、青とも水色ともつかない、彼女の親友と全く同じ色の瞳。こげ茶色の髪に、鼻筋の通ったきれいな顔立ち。こんなに近くで見るのは初めてだったが、その色と容姿を視界に入れて、この青年が誰であるかはすぐに分かった。ティアミスト家の当主になるはずだった人物であり、シズクの兄でもある人物だ。カイン・シエル・ティアミスト。苦しそうにその名を告げたシズクの姿が、記憶に新しい。
 そんな彼が自分を拘束しているという事は、最悪の予想が的中したと考えて間違いないだろう。カイン・シエル・ティアミストはエラリアに仇なす者だ。そして状況を鑑みるに、魔族(シェルザード)の手に堕ちた者。そういう事だ。叔父と対峙して何を話していたかは分からない。けれども、それがもし『石』にまつわる会話であったならば、彼の要求を呑む事などあってはならないと悟る。
 「この状況を招いたのは、私なのでしょう? 私は、叔父様の迷惑になるような事はしたくないんです」
 おそらく、玉座の扉は開けてはならなかったのだ。フィアナ王妃があんなにも必死で止めたのには、こうした訳もあったのかも知れない。入室した途端に、器を持たないアリスでも魔力の乱れを感じる事が出来た。その直後、状況は一変し、青年の襲撃を受けたのだ。叔父の危機を作ったのは紛れもない自分だろう。そう考えた瞬間、わかってはいた事なのに愕然となる。
 誰にも迷惑をかけたくないと思っていた。けれど自分は未だに、やる事なす事迷惑ばかりだ。だからせめて、最後くらいは叔父の負担にならずに居たい。
 「叔父様。私を置いて今すぐここを出てください!」
 「――この心優しい王に、そのような言葉が通じるはずがないだろう」
 頭上からそのような声が降ってきて、思わず涙がにじんだ。青年の言葉は冷徹だったが、決して間違ってはいない。エラリア王セルトは、アリスが知る者の中で最も優しい人間の一人である。自分の息子を殺されかけたというのに、その首謀者の娘を匿い、今もなお救いの手を差し伸べるのがいい例だ。それが分かっているから、アリスは悔しかった。自分がどれほど訴えたところで、おそらく叔父は耳に入れてはくれないだろう。真っ直ぐ叔父の顔を見る。土色の瞳には焦りが滲んでいたが、その決意したような輝きが、アリスの考えが正解である事を告げている。
 「放して!」
 このままではいけないと、必死でもがく。
 普通であれば剣が喉を深々と切り裂く距離だろうが、青年も無駄にアリスを傷つける気はないようで、それらがアリスの肌に至る事はなかった。ただし、片手での拘束は相変わらず強固で、結局成す術もない。
 「早く決断してもらいたいんだが。この調子だと、この姫は己で己の喉を切り裂きかねない」
 「……あぁ、そのようだね」
 騒ぐアリスを完全に無視した形で、セルト王と青年の会話が交わされる。まるで危機感のない。敵対している者同士とは思えぬ穏やかな会話だ。だが、その内容は決して穏やかなどではない。
 緩いため息が耳に届いた。目の前で叔父は、ゆっくり肩をすくめると、濃い土色の瞳を真っ直ぐこちらへ据えたのだった。
 「分かったよ」
 その言葉を耳にした瞬間、アリスは全身の力が抜けていくのを感じていた。抗うための動きも止めて、ただただ眼前の心優しき人を見る。
 「君の求めに応じ『石』をこの部屋に喚ぼう」
 「叔父様……」
 「アリス。己を責めてはいけないよ。すべては、古の盟約より、大切な者を優先させてしまう、弱い私の心のせいだ」
 そう言われても、彼の言葉は少しの慰めにもならない。首を振って最後の抵抗を試みるも、無駄なあがきだ。
 「『石』はどこにある?」
 「どこにもないよ。この“空間”にはね」
 セルト王はそれだけ言い終えると、くるりと踵を返して歩き出す。靴音が反響を繰り返し、その場におかしな緊張感を生んだ。やがて、広い部屋のちょうど中央付近までくると、突然に靴音は止む。そこが彼の目的地だったのだろう。屈みこむと、床に四散した何かを拾い上げたようだった。目を凝らして確認すれば、叔父が手にしたそれは、白い花びらだという事が分かった。――ライラの花びらだ。ただし、紅の血に彩られている。

 『安息の母は消える 豊穣の父とともに 盟約の証よ 主の手に戻るといい――』

 口上は、そんなシンプルなものだった。花びらに口づけを落とすと、叔父は手を放してそれを空間に解放する。ひらりひらりと不規則な動きでもって、血塗られた花びらは宙を舞い、やがて着地する。
 「……?」
 目の錯覚だろうか。花びらが落ちたそこに、波紋が立ったように見えたのは。床はもちろん石でできている。そんなこと、ありはしないはずなのに――
 「先ほども説明したね。この部屋には、ティアミスト家の魔道士が張り巡らせた魔法陣があるって」
 重い。地を這うような振動を感じたのは、叔父の淡々としたそんな声が耳に届いた時だった。こんな状況で彼は何を言い出すのだろうかと思ったが、やがてはそれを考える余裕すらなくなる。玉座の間全体が、鮮やかな緑色の輝きに満たされたからだ。
 「――――!!」
 これにはさすがの青年も驚いたらしい。アリスを掴む力が緩むことはなかったが、僅かに息を乱して彼も緊張したように周囲を見回す。アリスはただ、眼前の光景を瞬きもせずに見つめていた。
 ――眩しい。
 目が焼かれるほどの光が襲ったのはほんの一瞬の事。顔をしかめたアリスの眼前は、次の瞬間には平常を取り戻し、先ほどまでの輝きが嘘のように静かになる。ただ一点を除いては。
 「ティアミスト家の魔道士達は、空間を操る術さえ手にしていたらしい。パリスから託された『石』は、この世界から切り離されて、誰も手出しが出来ない場所へと大切に保管されていた」
 叔父の硬質な声が響く。緑色の輝きは去ったはずなのに、彼の顔だけは、未だその色で照らされている。それもそのはず。彼の顔のすぐ横あたりには、宙に浮かぶ青碧の輝きがあったから。
 「これがその、風の『石』だよ。慈悲深き青碧(セリルア・シャイン)と呼ばれる代物」
 それは、深い緑を帯びた丸い石だった。光を維持した状態で、『石』は重力を完全に無視した形で空中に停止している。細かい理論などアリスには分からないが、手出しをしてはいけないような、そんな危機感を感じた。それほどに、『石』が放つ魔力は濃くて誘惑的だ。玉座の間に満ちる空気も、重苦しく、体に纏わりつくようなものへと変わる。
 セルト王は一瞬だけ『石』を一瞥すると、さほど興味もない様子ですぐに歩き出した。真っ直ぐに、アリスと青年が居る扉の傍へと近づいてくる。ちゃきんと、剣が構えなおされる音が聞こえた。青年が警戒を強めたのだろう。叔父の靴音が止む。
 「アリスを離してくれないか。カイン」
 「石を貰うのが先だ」
 「石ならあそこだよ。手に取れるものなら取るといい。――見て分かるだろう? そもそも常人の手に収まる代物ではないんだよ」
 言って、セルト王は後方で輝く光を指差した。召喚された風の石は、今もまだ消える事なく空中に存在している。慈悲深き青碧(セリルア・シャイン)と呼ばれた代物は、手に取ろうとすればすぐに取れるだろう位置で静止し続けていた。ただし、そこから感じ取れる威圧感は普通ではない。
 「石の力を得る為に支払う代償は、持ち主自身の肉体や精神だよ。神の力を宿した『石』は持て余された。空間を操る能力を得たティアミスト家の者たちでさえ――」
 叔父が言葉を紡ぎ終える前に、それらは遮られてしまった。目の前で起こった事が信じられず、叔父が目を見張るのが見えた。それとほぼ同時に腕を拘束する力が失われ、アリスは床に崩れ落ちる事となる。何が起こったか咄嗟には理解できなかったのだが、自身を人質としてとらえていた青年の体温が突然消えてしまった事は事実だった。もちろん体温だけではない。青年そのものもまた、文字通り『消えて』しまったのだ。
 「――空間を操る、ティアミスト家の魔道士。ね……」
 玉座の間に、硬質な声が響く。
 今は叔父のすぐ背後に存在する青年のものだ。つい数瞬前にアリスの傍に居たはずの彼は、一瞬のうちに叔父の背後に移動したのだ。――要するに瞬間移動だ。これまでの経験で、アリスはその光景を何度か見て知っていた。ただし、それらが人間によって行使された事はないはずだ。空間を渡る能力は人ならざる種族。魔族(シェルザード)のみがふるえる力だから。そう信じてきた。
 「だとしたらこの能力と理論は、祖先が授けてくれたものか……少しはこの身に流れる血に感謝出来るな」
 首から上だけで振り返り、青年は青い瞳を細めて告げる。淡々とした声色だった。感謝と口にしながらも、そのような感情を欠片も持っていないのだと理解出来てしまう程に、冷たい声。
 「カイン……」
 「先ほども言った。俺はカロンを助ける為ならどんな事も厭わないと」
 言いながら青年は、剣を持つ右手とは反対の手を、ゆっくり石へ伸ばした。いけないと思うが、アリスではもう間に合わない。すぐそばにいる叔父でさえも、もう止められない。何故なら、青年の左手はまったく迷いのない動きで青碧の石へと伸ばされ、こちらが息を呑む間も与えてくれずに触れるに至ってしまったからだ。
 悲鳴や怒号さえも飲みこむ光が再び玉座の間を満たしたのは、その直後の事だった。



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