追憶の救世主

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第5章 「交錯する思い」

14.

 「――――っ」
 凄まじい光量に、目を瞑らずにはいられなかった。瞼を閉じてもなお、閃光で目が痛くなる。だが、数歩程後ずさってシンから距離を置いたところで、碧色の光は突然消えてしまう。即座に目を開けて、リースは状況を確認しようとした。
 「なっ……!」
 相変わらずリースから少し離れた前方には、シンの姿があった。けれども、リースは彼の姿に驚愕を隠せない。先ほどまでは吐血して蹲っていたのに、今はどうだろう。顔色はすっかり回復し、それどころかリースが浴びせた肩の傷すらない。

 「――なるほど。これが、慈悲深き青碧(セリルア・シャイン)の力か」

 息遣いは未だに荒かったが、すっかり顔色を整えたシンが、落ち着いた声色でそう零した。聞きなれない単語にリースは眉をひそめる。何が起こったか未だに理解出来ない。けれども、彼が告げた内容の意味するところが何か、漠然と悟る事くらいは出来た。
 尋常ではない碧色の光は、どう見ても常人では持ち得ない魔力を含んだものだ。そして光は、たった今シンに驚異的な回復力をもたらした。それらの事実と、今いるこの場所が玉座の間である事と、先ほどダイモスから教えられた情報とを結び付けて考えれば、それはそう難しくない答えだった。
 おそらく彼は手に入れてしまったのだろう。神の力を宿したとされる『石』を。
 リースが再びシンに向かって飛び出したのと、シンが何事かを呟いたのとはほとんど同時だった。肌が泡立つような空気が起こった直後、シンへと迫るリースへ向けて、数発の魔法が放たれた。碧色を帯びたそれがどのような類の魔法かは分からなかったが、リースとて疾走をやめる訳にはいかない。光の力を注ぎこんだ剣を振るい、魔法を次々と断ち切っていく。魔力と魔力がぶつかり合い、まばゆい光が起こり、轟音が上がる。
 「ただの剣ではないか――」
 シンのそのような呟きが聞こえた気がするが、気にしている暇はない。スピードを緩めずに彼に向かって突っ込むと、素早く剣を振るう。しかし刀身がシンに届くことはなかった。剣を失ったはずの彼の右手には、先ほどの魔法と同じ色を帯びた剣が実体化していた。瞬時にそれを出現させて、リースの剣を受けたのだ。再びの轟音と光。互いに怯むことなく、角度を変えて何度か剣を打ち合う。
 「――――!」
 黒刃に光を宿す事を長時間維持する事は今のリースではまだ厳しい。決着は早めにつけねばならないだろう。内心湧き上がってくる焦りに蓋をすると、リースは剣を構えなおす。目の前の青年とて、いかに神の力を借りているといっても、生身は自分と同じ人間だ。先ほどの負傷や疲労がまったく消えたとは考えにくい。持久戦に持ち込む気は彼にもないだろう。
 リースが剣に込める光の力を強めた瞬間、まるでリースの考えを悟ったかのように、シンが手に抱く魔力の剣もまた力を増した。両者一瞬視線を交わらせると、そのまま一気に剣を叩き込む。魔力同士が弾けあい、玉座の間が軋む。体に感じる衝撃と、持って行かれる光の力とで、リースの視界は一瞬くらりと揺れたが、なんとか踏みとどまる。そうして、エメラルドグリーンの瞳を、目の前でこちらを睨み付けているティアミストブルーの瞳へと向けた。
 一見して先ほどと全くシンの顔色は変わっていない。これだけ打ち合っておきながら、息もほとんど乱れていなかった。想像するに、彼が手に入れた『石』は、持ち主に驚異的な回復力と身体能力をもたらす類のものだろう。息が切れ始め、体が軋み始めているリースからすると、かなり不利な状況だと言えた。だが――
 「…………っ!」
 顔色も変わらず、息も乱していないシンの体が、突然ぐらりと傾いた。その機を逃すまいと、リースは剣を繰り出す。咄嗟に魔力の剣で対処してくるところはさすがと言えるが、シンに先ほどまでの勢いはなかった。追い打ちの一閃に強い光の力を込めてやると、受け止めきれず、轟音とともにシンの体は大きく後方へと飛ばされていったのだった。
 「……う」
 軽く埃が舞い上がった先に、シンはぐったりと転がっていた。起き上がる事も出来ないようだったが、瞳に宿る光だけは衰えていない。ティアミストブルーの眼光を、射抜くようにリースへ浴びせた。
 「どうして。って問いたそうな顔だけど……当たり前だろう?」
 シンの眼光を受け流し、肩をすくめてリースは告げた。
 先ほどまで驚異的な体力と回復力を見せていたシンが、リースと数回打ち合った末に倒れた原因。リースはそれが何故か身をもって知っている。
 強い力は諸刃の剣なのだ。最初に目覚めさせた時に比べれば遥かにマシだが、リースは右腕に宿る光の力を、未だに持て余している。シンが手にした神の『石』にしても、リースの力と大して事情は変わらないだろう。手に入れてたったの数分で、生身の人間が完全に使いこなせるかといえば、ほとんど不可能だ。驚異的な回復力そのものにも負担は伴う。体が力を許容できずに自滅してしまった。シンが倒れた原因は要するにそんなところだろう。
 説明されずともそれらを悟ったのだろう。シンはそれ以上何も言うことはなかった。力を維持する事も難しいのだろう、手に宿っていた碧の剣もまた消えてしまう。
 戦いが止んだ玉座の間は、静けさに包まれた。セルト王とアリスの様子が気になり、彼らの姿を探す。入り口にほど近い場所に二人の姿を見つける事が出来た。青白い顔のままうずくまる王の傍らで、アリスが懸命に術を施している。意識はあるようだが、王の容態は良いとは思えない。アリスの手当が終わったら、救護班に引き渡す必要がありそうだ。
 そんな考えが頭に過ぎった瞬間、シンの傍らに碧の輝きを見つけて、リースは再び彼の方へ視線を戻した。力なく投げ出されたシンの右手の先に、手のひらサイズの『石』が転がっているのが見える。目を焼くほどの閃光を放つことはもうないが、未だに淡い碧色に輝いていた。おそらくあれが、エラリアに隠されていた『石』なのだろう。シン達魔族(シェルザード)の一味が求め、この城が魔物達による襲撃に包まれた元凶。取り返さなければ。そう思い、リースは右足を踏み出そうとした。
 ――背筋を殺気が這い上がっていったのはその直後の事。

 「よくやった、シン――上出来だ」

 涼やかな美声だったが、それには感情が全く籠っていなかった。確実に聞き覚えのある声を受けて、嫌な予感が確信へと変わる。シンとの戦闘後、解除していた光の力を、再び黒剣へと注ごうとした。
 「今回は、退いてくれないか? お前も既に限界が近いだろう――イリスピリアの王子」
 剣を構えて、声の主を視界にとらえようと振り返ったその時既に、件の主はリースの背後へと迫っていた。鮮やかな銀髪が視界に踊る。楽しげに微笑み、こちらを見据える瞳は、血の色かと見紛うばかりの真紅だった。紅き瞳を持つ、魔族(シェルザード)の王。
 「カロン……」
 抜き身の剣をリースに真っ直ぐ突きつけたまま、彼は――カロンは優雅に笑っている。美しい笑みとは裏腹に、感じる殺気は相当なものだ。
 シュシュの町で対峙した時と、ほとんど変わりのない状況に戦慄を覚える。その記憶から付随して、シズクの『石』が奪われ、クリウスが命を絶たれた瞬間をも思い出して胸に冷たいものが下りた。またカロンの出現で、すべてが奪われてしまうのか。『石』も、人の命も。悪い予感が浮かんで、そうなってはならないと、リースはカロンの警告を無視して剣を振るった。黒刃の剣が銀色を帯びると同時に視界が歪む。限界が近いのは事実だ。このまま力を使い続けると、先ほどのシンの二の舞だろう。それでも、この男のする事を止めなければ。
 余力を全て注ぎ込んだ剣を、カロンは自身の剣であっさりと受け止めていた。バチバチと、普通の剣同士が打ち合った際には決して聞こえないであろう音をたてて、二つの剣は拮抗する。
 「死に急ぐのは良くない。立場をわきまえるのだな。お前は大切な『光の石』なのだから」
 妖艶な笑みを浮かべた直後、それまでにも増して殺気が濃くなる。剣の拮抗が突然弾ける。カロンが大きく弾いた拍子に、激しい轟音と光に見舞われたのだ。おそらく魔法を使われたのだろう。
 「――――っ!」
 目をくらまされた形で、リースは2、3歩後ずさるが、閃光自体は数瞬で収まった。突然クリアになった視界の先に必死で目を凝らすと、目の前にカロンの姿は既になかった。一瞬のうちに、前方へ――シンが横たわる場所へと、彼は移動を果たしていたのだ。
 いつの間に現れたのだろう。カロンの傍らには乳白色のローブに身を包んだ女性の姿がある。彼女に助けられて、やっとのことシンは立ち上がれたようだ。ティアミストブルーの瞳が再びリースの方を向く。カロンの紅い瞳もまた、こちらを向いている。形の良い唇が、ある時弧を描いた。まるで手品でも見せつけるかのような動きで、カロンは右手を前に突き出し、それをゆっくりと開いていく。先ほどまで床に転がっていた碧の輝きが、カロンの手中に収まっているのが見えた。
 「待て――」
 このままではまずいと、リースが再び剣に力を込めた瞬間の事だ。部屋の扉が大きな音を立てて開かれた。咄嗟に扉の方を振り返ると、二人の男女が部屋に走り込んでくるのが目に入った。――アキとシズクだ。
 「おや。もう追いついてきたか。さすが、本来の魔力を取り戻しただけの事はある」
 紅の瞳をおかしそうに細めて、実に楽しそうにカロンは紡ぐ。一方、魔族(シェルザード)の王の姿をとらえて、部屋に駆け込んできたシズクは表情を引き締めたようだった。
 「カロン!」
 鋭くそう叫ぶと、シズクはこちらに向かって駆け出してくる。隣に控えていたアキはというと、彼女とは行動を別にして、セルト王の治療にあたっているアリスに駆け寄っていた。
 「相手をしてやりたい所だが――残念。今日は時間切れだ」
 走り寄ってくるシズクを見つめて、まるで愛おしいものを見るように、カロンは瞳を細める。直後、紅の瞳は突然こちらを向いた。見慣れない色に晒されて肌が泡立つ。
 「――イリスピリア王子」
 囁くように零された声は、決して穏やかなものではなかった。鋭利な刃物を向けられたような、強い感情の籠められたものだ。
 「ジーニアは私の物だよ。イリスピリア王家の者では、永遠に手に入らない」
 「な――」
 向けられた感情が何であるかはリースには分からなかった。けれど、紡がれた言葉に思わず、声を上げそうになる。
 直後、ふうと息をひとつ吐くと、シズクの到着を待たずに彼の姿は空間に消えてしまった。後方に控えていた女性とシンの姿もまた同様だった。人間では到底扱えそうにない術でもって、彼らは完全に姿を消してしまう。3人が居なくなると、それまで空間を支配していた威圧感や殺気もまた霧散する。
 「リース……っ」
 息を切らしながら隣に駆け寄ってきたシズクの姿をまじまじと見つめる。ダイモスから魔物と戦っていると聞いていたが、見たところ目立った外傷はないようだ。顔色も悪くはない。その事に人知れず安堵してから、こちらを不安げに見つめるシズクと目を合わせた。
 「リース――『石』は……?」
 不安が敵中して欲しくない。そうシズクの瞳は語っている。シュシュでのやり取りとまたしても酷似する状況に、苦い気持ちになる。彼女に対する自分の答えもまた、あの時とほとんど同じだ。シズクと視線を合わせたまま、リースは沈痛な面持ちで首を横に振った。
 「奪われたよ……カロンに」
 結局また、自分はなすべきことをなせなかった訳だ。






 カロン達が去ったとはいえ、無力感に打ちひしがれる程の余裕はなかった。石は奪われた。魔族(シェルザード)の王は去った。けれども、まだすべてが終わった訳ではない。魔物の襲撃を受けた城内の様子も気になるし、姉の安否も気がかりだった。けれど、目下確認するべき事はといえば、アリスが懸命に治療術を施しているこの国の主の容態であった。
 呪術を行使するアリスの表情は真剣そのものだったが、悲壮感は感じられない。未だ座ったまま動けずには居るが、セルト王自身に意識はある。近寄ってくるリースを土色の瞳に入れて、彼は緩く笑んだ。ひとまず、悪い事態には陥っていないと分かり、ほっと息を吐いた。
 「御無事でしたか、セルト王」
 「不甲斐ない所を見せてしまったね……リース。君が駆け付けてくれて助かったよ」
 「いえ、結局守るべきものを守れませんでしたから……」
 何の役にも立ててはいない。そう言って、リースは苦笑いを浮かべて首を振る。そんなリースに対して、彼以上に苦々しい表情を浮かべて王は首を横に振った。
 「君ではないよリース。『石』は、私が守らなければならなかった。……イリスピリアとの古の盟約。祖先が守ってきたものを、私がすべて棒に振ってしまった」
 軽い口調だったが、感じる程簡単な事ではないのだろう。王の表情と雰囲気からはそのように感じられた。セルト王の一言に、一番顔色を変えたのはアリスだった。目を見開いて一瞬動きを止める。状況が分からないリースは首を傾げて彼女の方を見たが、アリスは何も言わず、呪術の行使を続けるのだった。
 「……難しい事は、父に仰って下さい。貴方もアリスも、無事で本当に良かった」
 王子であるリースにはあずかり知らない何かがあるのだろう。そうは思ったが、今この状況であれこれ話をしたとしても、何にもならない。真剣な表情でセルト王を見ると、王は目を見開いた直後、ばつが悪そうな笑みを浮かべた。
 しばらくの間、何とも言えない沈黙が場を包んだが、セルト王が、リースの隣に佇むシズクへ視線を向けた瞬間に浮かべた表情を見て、リースは身を引き締めたのだった。セルト王は、懐かしげに瞳を細めて、ぽつりと一言こう告げた。
 「そういう表情を浮かべていると、益々お母様に似ているね。シズクさん……いや、ジーニア・ティアミスト殿と呼んだ方が今は良いかな」
 「――――っ」
 リースは息をのんだが、言葉を向けられたシズクはというと表情を変える事はなかった。ただ真っ直ぐ視線をセルト王へと向けたまま、黙して佇む。アリスの隣に控えるアキが、やっぱり。と小さくそう呟いた声だけが響いた。
 「……気づかれていたんですね」
 「舐めてもらっては困るね。私はキユウの親友だったんだから。――貴方の瞳と、彼女の面影を見て、確信できない程浅い関係ではないよ」
 肩をすくめておどけたように告げるセルト王の言葉に、体の力が抜けていくのを感じていた。
 考えてみれば、当たり前の事かも知れない。セイラや父も、シズクをひと目見た瞬間、彼女がキユウの娘であると悟ったのだから。彼らと同じようにキユウ・ティアミストの親友であったセルト王が、それに気づけないはずは無い。悟っていながら、使用人を演じるシズク達に付き合ってくれていたのだろう。――ひょっとしたら、父達と何か申し合わせでもあったのかも知れない。
 王の言葉を受けて、シズクも肩をすくめて緩く笑う。和やかな雰囲気が一瞬流れるが、本当に一瞬の事だった。

 「――立ち上がる必要が、出てきたと思わないかい? ジーニア」

 普段は穏やかな光をたたえている王の瞳が、この時ばかりは為政者のそれだった。父にも通じるような厳しい色を宿し、彼は真っ直ぐにシズクを見る。ジーニア・ティアミスト。その名を敢えて選んで紡ぎ、彼は彼女に語りかけている。
 「魔族(シェルザード)は、こんなものでは止まらないだろう。世界を巻き込んだ争い事が起こる。――500年前のように、救世主もまた立ち上がらなければならないのではないかな?」
 「セルト王――」
 「たとえそれが、見せ掛けだけの存在だとしても、人々の心に光をともす事は出来るかも知れない」
 リースの言葉を遮って、セルト王は真っ直ぐ告げた。視線はシズクから離さない。彼女がどのような表情を浮かべているか不安に思ったが、向けた先でシズクは妙に落ち着き払った顔でたたずむのみだ。一瞬、シズクそっくりの別人が立っているのかと錯覚しそうになった。
 「私を含む、主要国の総意だ。――受けてくれるかい?」
 セルト王の言葉は、シズクに確認するようでいて、どこか脅迫的な響きをもつものだった。



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