追憶の救世主

backtopnext

第6章 「思いの行き先」

1.

 ――遠くから、ゆったりとした音楽が流れてくる。

 中庭を歩いていたリースは、足を止めてその音に耳を傾けた。日暮れ時の風が金色の髪を撫で上げていく。
 流れてくる音楽は、決してワルツなどの明るい類の曲ではなかった。美しい旋律だが、そこには切なさが伴う。レクイエムと言ってもいいかも知れない。城の楽団が奏でているものに違いない。昨夜の事件を悼み、このような音楽が演奏される事となったのだろう。
 延期されていた祝賀パーティーは、レクトが皇太子となった翌日である今日、行われるはずだった。あの楽団も、派手な祝賀曲を数多く練習していたはずだとリースは思う。
 祝賀パーティーの準備は、既に完成していたらしい。ところどころに昨夜の爪痕は残るが、設置されたテーブル達や、飾り付けられたトーチを目にする事が出来た。今では数人の使用人たちがそれらの飾りつけを取り払い、別の会場設営に動き出している。セルト王主催で今夜開かれる、祝賀パーティーとは違う会合。その事が頭に浮かんだ瞬間、リースは深いため息を零して空を見上げた。
 「…………」
 昨夜、カロン達が去り、セルト王と言葉を交わした直後、リースはアキと連れ立って城内の様子を見て回った。魔物の群れが襲ったにしては、被害は少なかった。結論としてはそのような感じ。
 姉であるリサは同じ場所で座り込んでいたが、大きなけがなどなく無事であった。レクトの祝いに招かれていた王侯貴族たちも、騎士団による速やかな避難が功を奏して全員命に別状はないとの事だ。エラリアの国としての面子は辛くも保たれた事となった。反面、城を守った騎士団や魔道士、使用人達からは、死傷者が少なからず出たらしい。アキの知り合いも何名か救護施設に運ばれたらしく、彼にしては悲壮な面持ちで、同僚からの報告を受けていた。
 延期されていた祝賀パーティーはもちろんの事中止。城下町は、被害こそゼロであったが、国民の受けた精神的なダメージは相当のものだったようで、お祭りムードはすっかりなりをひそめてしまった。ラッパや太鼓の音が止んだエラリアの町にも、城の楽団奏でるレクイエムは届いているだろう。
 今回の事件を受け、城を賑わしていたゲスト達のうち、国政に関わりのない者達は今朝から順次帰国の途についているらしい。リースやリサにしても、国政に携わっていない立場の者ではあったが、母国イリスピリアからの帰国要請はなかった。むしろ、その場にとどまって事の成り行きを見届けるようにと、父であるイリスピリア王じきじきの言葉が、今朝方届いたくらいである。

 「ライラの開花時期だってのに、まるで真冬みたいな雰囲気だよな。まったく……」

 声は、後方から聞こえた。
 振り返って確認するまでもなく、声の主が誰かリースには分かる。やんわりと隣に歩み寄ってきたのは、黄土色のつんつん頭に夏空の瞳を持つ幼馴染だ。騎士団の正装に身をやつしたアキは、渋い表情をリースに寄越してきた。普段飄々としている彼らしくない顔だなと思う。
 「仕事の方は終わったのか? アキ」
 今日も朝早くから彼は、城内の後片付けに奔走していたはずだった。
 「まだ終わる気配はないね。だけど、今日はもう終了だよ。セルト陛下主催の会合があるだろう? 出席しろだと」
 「そうか」
 アキの口から例の会合の件が飛び出した瞬間、また気分が重くなる。短くそう返すと、リースはため息をついて、彼から視線を外したのだった。
 昨夜の事件も、もちろんリースの心をさいなむ大きな要因の一つだった。けれど、これから行われる事を思うと、それ以上に気分が沈んでいく。不安なのだろうなと思う。

 「……シズクの事が、そんなに心配か?」

 アキの口から放たれた言葉が、今のリースの心境にあまりに合致していたものだから、取り繕う事も出来ずに固まってしまった。表情を無くして立ち尽くすリースを見て、アキは幾分驚いたようだった。けれどもその表情はやがて呆れを宿したものへと変わっていく。盛大なため息が響いたのは、直後の事。
 「あのなぁ、リース」
 我ながら、余裕がないなと気づいて思わず苦笑いを浮かべてしまう。投げやりに笑むと、アキの方を見た。自分らしくないと思った。
 「お前、そこまで余裕無くすまで放置するなよな。この期に及んでまだ目を瞑る気か?」
 アキに説教されている。それも、かなりの勢いでこれは正論だ。……なるほど確かに、末期だなと思った。
 エラリア城が襲われて、被害が出たというのに。絶対に死守すべきだった『石』を奪われてしまったというのに。今朝からずっと、今夜の会合の事ばかり考えてしまっている。事態が呑み込めていない訳ではない。それなりに事は重大で、すぐにでも対処をしなければいけないという事も承知している。だから、シズクがあのような形でセルト王からの要請を受けた事だって、仕方がないのだ。頭ではそれは、理解出来ている。
 「ジーニア・ティアミストとして、会合の席につくんだろう? それも、おそらく主賓格の扱いで。あのシズクが」
 軽い調子で放たれた言葉だったが、リースと真っ直ぐ目を合わせてきたアキは、決してふざけた表情を浮かべてはいなかった。むしろ、妙に真面目くさった顔をしている。今の自分が言えた義理ではないが、らしくない。まぁそれも、無理のない話だ。昨夜、シズクとセルト王の会話を聞いていた面々の中で、シズクの素性とすべての状況把握ができていなかったのはアキだけだ。その後、周囲から詳しい説明を受けたりもしていないはずだから、彼なりに自己消化して、納得しようと必死なのかも知れない。
 あの玉座の間での一件後、アリスに介抱されながらの状態で、セルト王はシズクに一つの要請と確認を持ち出してきたのだ。
 今回の襲撃だけで、魔族(シェルザード)達の動きが止まるはずがない事。そしてその動きは、今後ますます激化すると予想される事。エラリア国民だけでなく、世界中の民が不安を抱きつつあるだろう事。それらを踏まえ、現状の謎の聖女と囁かれる立場を解き放って、主要国が認めるシーナの再来。救世の象徴として、立ち上がってはくれないかと。それらを行う覚悟と意志はあるかと。セルト王はそう問うたのだった。
 これから行われる夜の会合は、現在の情勢を各国の支配層に説明する事と、ジーニア・ティアミストの顔出しを行う事が目的で行われる。
 「…………」
 正直、いつかこのような要請が誰かからなされるのではないかと思ってはいた。しかし、それが、温和で情け深い事で有名なセルト王の手で、エラリア城の玉座の間で行われるのだとは、リースは全く予想していなかった。更に、要請を受けた直後、シズクがその場であっさりと了承の意を述べた事もまた、驚くべき事だった。
 「随分あっさりと即答してたけど……素性を隠してこの国に紛れ込んでたくらいだ。シズクって、自分から進んで有名になりたいってくちじゃないよな?」
 「そんな訳ないだろ。初めは自分の立場すら、拒んでた」
 思ったよりも鋭い声がこぼれた。アキに向けた訳ではなく、これは苛立ちの現れだ。
 イリスピリア城で星降りを起こして、己の中に膨大な魔力が秘められている事を自覚したシズクは、真っ先にそれらを拒絶していた。その後の旅で、ティアミストである自分とその強大な力を受け入れたのは事実だが、だからと言ってシズク・サラキスである自分を捨てたくはないと、そう零していたはずだった。イリスピリアでの秘密会議にも、極力素性が知られない形での参加に留めていたし、どれほどジーニア・ティアミストの噂が流れようとも、しらを切り通すつもりだったに違いない。
 それが、ここにきてセルト王の要請をあっさり呑んだのだ。あれだけ表舞台に立つ事を拒否していたシズクが、救世主という肩書を与えられる事を前に、何の躊躇も見せなかった。
 シズクの事が見えているようで、どんどん分からなくなる。イリスピリアで、一度は縮めたと思っていた距離が、エラリアに来て、再び開いていくような気がして仕方がない。
 ――要するに自分は、そういう部分が不安で、苛立つのだろう。
 「……俺は、シズクの素性とやらも、これまでのいきさつとやらも、ほとんど知らないけどな。アリスから軽く説明を受けただけだしさ。だけど――」
 「?」
 「あのカロンとかいう奴と話をしていた時のシズクは、少し普通じゃなかった。シーナがどうのって……」
 「シーナ?」
 「あれだろ。シズクは勇者シーナの末裔な訳だろ? それはアリスから教えてもらった。けど、そういうんじゃなくって……」
 アキの言うとおり、シズク達ティアミスト家は勇者シーナの直系である。彼女の名前がシズクとカロンとの間に持ち出されても不思議ではない。それが、普通ではないとは。
 「うまく言えないんだけどな。まぁ、要するに……。シズクの頭の中に、シーナって奴が居るんじゃないかって。そう思ってしまう状況があった訳だよ。あの時」
 彼の告げた内容があまりに不可解で、リースは思わず眉をしかめてしまう。シズクの中にシーナが? それは、あまりに非現実的な話だった。いかに魔道が発展している世だからと言って、生命の理を超えた現象は起こせないというのが定説だ。死者を蘇らせる術がないのと同じで、すでに死した者が誰かの頭の中に住み着く事もまた、起こりえない。リースの知る限りの知識では、それが常識だった。けれど――

 ――テティが言ってたの。わたしの中には、シーナが混じっているって。

 エラリアに旅立つ直前の事だ。イリスピリア城の秘密部屋への道を、シズクと一緒に歩いた時、彼女はそう呟いたのではなかっただろうか。あの時のシズクの苦しそうな顔まで浮かんできて、嫌な予感が胸の中をせりあがってくる。
 「カロンには、二度とシズクを会わせない方が良いと思うぞ」
 言われなくても、それは分かっている。カロンと出会う度、いや、彼だけではない。魔族(シェルザード)と関わる度に、シズクの中で何かが変わっていくように見える。
 初めはシズクが望んだ事だった。オタニアの魔法学校で出会ったばかりの彼女は、己の失った過去を探るために、魔族(シェルザード)との邂逅を望んでいた。だが、その願いの先にあったのは、今のこの状況である。
 これ以上、シズクを魔族(シェルザード)達との戦いの舞台に出したくはない。それなのに、今夜の会合が行われると、主要国の上層部は彼女の事を認知してしまう。シズク本人が納得しての事だとしても、本当であればそんな場所に出て欲しくない。父であるイリスピリア王をはじめ、あのセルト王ですら望んだ展開を、リース個人としては決して歓迎出来ない。世界の流れを知っても、己の立場をどれほど理解しても、これは嘘をつけない感情だった。
 「これも単なる俺の勘だけどな。カロンはきっとそのうち、シズクを攫いに来るぜ?」
 振り返った先に居たアキの顔は、未だ真剣な色を濃く宿してはいたが、先ほどまでの深刻さは幾分薄れていた。夏空の瞳は真っ直ぐにリースを射抜く。
 「攫われる前に、攫っちまえって」
 最後のセリフは、アキらしいにやりとした笑みとともに零された。



BACK | TOP | NEXT

** Copyright (c) takako. All rights reserved. **