追憶の救世主

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第6章 「思いの行き先」

2.

 すっかり日も暮れて、空には星が見え始めていた。それらをぼんやり見上げながら、シズクはこれから起こるであろう事を思って息を小さく吸い込む。
 レクト皇太子の為に準備されていたお祝いの席は、きらびやかな飾り付けを取り払われて、質素な雰囲気に変貌を遂げていた。立食会の形はとっていたが、豪華な料理が並ぶことはなく、彩りも品目も控えめである。今宵の会合は、祝い事をする為のものではないからだ。光量が少し控えめのランプは、魔法を宿した青白い光を放っている。魔法の光は、魔法学校でもない限り、日常的にあまり用いない。これもまた、非常時をにおわせる演出なのだろう。
 夕暮れ時からずっと、城の楽団は切ない旋律を奏で続けている。昨夜の出来事を悼んでのものだろう。シズクの知り合いに死傷者は出なかったが、家族や友人を失った者は少なからず存在するのだ。その現実と、昨夜出会った魔族(シェルザード)の王に言われた言葉を思い出して、背筋に冷たいものが走り抜けて行く。不安や重圧に、気を抜くと押しつぶされてしまいそうになる。

 「――シズク」

 そんな時に自分を救い上げてくれるのは、いつも決まってこの声だったような気がする。
 「――――」
 なんてタイミングなのだろう。動揺してしまい咄嗟には声を出せなかった。ただ振り返って、声の主を見るのが精いっぱいだ。視界に入って来た姿は、予想通りの人物。目の前にたたずむ彼――リースは、一瞬大きく目を見開いた後、シズクと同じように言葉を失ってしまったようだった。声をかけてきておいて、一体どうしたのだろうか。
 「……リース」
 しばしの沈黙の後、ようやく彼の名を呼ぶ事が出来た。今宵の会合の場に合わせて、彼は漆黒のスーツに身を包んでいる。先日のパーティーの晩に見かけた時のような派手さは無いが、十分に洗練された出で立ちだった。イリスピリア王子にふさわしい。けれどそんな彼の表情は、あの晩のように形作られた笑みではなかった。深刻さを色濃く宿して、必死にシズクを見つめてくる。
 「どうして……」
 どうしてこんなタイミングで、よりにもよって彼に、見つかってしまったのだろう。
 出来れはすべての事が済むまでは、会いたく無かった。昨夜、セルト王に例の要請を受けて以降、シズクはリースはおろか、アリスやリサとも会わないように行動していたのだ。今だって、会場のある中庭からは完全に死角となる場所に居る。会合が始まるまでは、誰にも姿を見せたくはなかった。
 逃げ回っていた事に、おそらくリースは気づいているのだろう。真剣な表情の裏に、少しばかりの苛立ちがあった。避けているシズクに気づきながら、それでもリースは自分と会おうとしてくれたのだ。この会合が始まる前に。シズクが『聖女』として衆目にさらされる前に。

 「お前、本当にこれでいいのか?」

 シズクの質問とも呼べない質問に答えてくれる訳もなく、リースの口から飛び出した言葉はそれだった。短いけれど、重い言葉。昨夜、セルト王から救世主として立ち上がらないかと問われた時は、あんなにもあっさりと答えが滑り落ちてきたというのに。彼に問われると迷いが大きくなる。
 「これは本当に、お前自身が(・・・・・)望んだ事なのか?」
 「――――っ」
 含みのある言葉を受けて、ハッとなる。リースのエメラルドグリーンの瞳を真っ直ぐに見つめた。それきり、再び沈黙の時間が流れた。楽団の奏でるレクイエムが佳境に近づく。切ない旋律が胸と頭をかき回していく。中庭にはすでに、王侯貴族達が集まり、その後方には使用人達も集っていた。あと数分と待たずに、会合は始まる。
 「わたし自身の意志だよ、リース。他の誰でもない。わたしが選んだ事」
 唇は震えたが、声は真っ直ぐに出た。ティアミストブルーの瞳を真っ直ぐリースに向けて、嘘だと思われないように、はっきりと告げる。
 「わたしが決めた事なの。だからお願い。傍で見てて」
 シズクの言葉を耳にしたリースが、表情を冷えさせるのが分かった。切なげに瞳を細め、何か言いかけた口を噤む。
 「……そうか。それならいい」
 またしばらくの沈黙の後、比較的落ち着いた調子でリースはそう言った。彼の感情を読み取る事は、もう出来ない。その事に切なさを覚えながらも、シズクは緩く首を振った。そうして息を大きく吐き出してから、言葉を紡ぐ。
 「けど、この会合が落ち着いたら、話したい事があるの」
 「?」
 「時間はとれそう?」
 今宵の会合の中心は、レクト皇太子と、恐らく自分だ。けれど、リースとてイリスピリア王子としてやらなければいけない事があるかも知れない。自分のわがままで、時間を割いてもらえるかどうか。若干どぎまぎしながら申し出た事だったが、意外にもリースは苦笑いを浮かべてそれを受けた。
 「奇遇だな。俺も、お前に話したい事がある」
 「え……?」
 「楽団がワルツを奏でだしたら、ここで待ってる」
 リースがそう告げた瞬間だった。レクイエム調の楽団の音楽が止み、あたりが突然沈黙に包まれた。
 「それまでは、傍で見てるよ」
 始まるのだ、会合が。






 「――皆さん、昨夜の衝撃が未だ冷めぬ中、私のわがままにおつきあい頂いて、感謝します」

 中庭に響き渡ったのは、少し控えめなセルト王の声だった。会合の開始を告げる合図だ。
 王侯貴族達は囁きをやめ、その後方に控える使用人たちもしんと静まった。皆一様に、中心部に設けられた檀上のセルト王を見る。黒を基調とした衣装に身を包んだ彼は、厳かな表情のまま周囲を一瞥し、やんわりと礼をしたのだった。会場にいるすべての人間もそれに倣う。場は張りつめたものとなった。セルト王から比較的近い位置にいるリースはというと、それらを若干冷めた目で見ていた。主賓格の席を与えられて、話の中心を担う立場を求められているのだろうが、どこか別世界で起きている事を傍観しているような気がする。
 「今宵お集まりいただいた要件は他でもありません。昨夜の騒動で皆さんお察しの通り、我が国は非常事態宣言をこの場で発令致します」
 予想されていた内容だったのだろうがしかし、聴衆は動揺を隠しきれずざわめきが起こる。特に、使用人達や女性たちの狼狽が大きいように見えた。
 昨夜、魔族(シェルザード)はエラリアの中枢であるこの城を襲撃し、エラリアにとって国宝とも呼べる『石』を奪い去った。何よりも、尊い国民の血が流れたのだ。非常事態宣言ですら緩い対応ともとれる。理屈上はそうでも、長い間平和が維持されていたエラリア国の民にとって、それらは衝撃的な事実だろう。
 「しかしこれは、我が国だけの危機ではありません」
 聴衆たちのざわめきは、厳しめに放たれたセルト王の言葉で再び静まった。檀上の王は、彼にしては渋い表情を浮かべ、一枚の紙を頭高く掲げる。一体何だろうと、その場の多くの者が首をかしげる。リースもその内容に関してはよく知らない。けれど、何となく予想は出来る。
 「13年前。紛争の末に滅びた一つの国がある。――ファノス王国。滅びたはずのこの王国から、世界中の主要国へ書簡が届いたのは記憶に新しい事かと思います」
 それは先日、リースもセイラから聞いていた事だ。滅びて解体したはずの王国ファノスの代表を名乗り、かの一族の王――カロンが世界の表舞台に姿を現した。
 「これは、今朝方ファノス国から出されたもの。我が国を含む世界中の主要国に向けて、宣戦布告の意を伝える書簡です」
 ざわりと。会場の空気が変わった。凍りついたと言ってもよいかも知れない。リースの周囲に居る各国の支配者層の面々ですら、表情をしかめてセルト王の言葉の行く末を見守る。
 「昨夜の襲撃は、ファノス王国が仕向けたもの。彼らと対峙してお分かりとは思いますが、彼らは人を遥かに超えた力を持っている。数は少ないながらも、彼らが使う魔道は瞬時に魔物の群れを呼び出し、それらを操り我らの同胞を傷つけた。先のイリスピリアのシュシュにおける襲撃もまた同様。町人の多くが尊い犠牲となった。……お分かりですか皆さん。彼らは世界中に宣戦布告を行った。シュシュや、昨日のエラリア城のような悲劇が、今後どこかで起こるかも知れないのです。それは、あなた方の住む国かも知れない」
 最後の言葉は、使用人達ではなく、リース達が居る席に向けて放たれた。一瞬セルト王と目が合う。普段は優しい色をたたえる土色の瞳は、静かな怒りを宿していた。それを受けて真っ直ぐに見つめ返すと、セルト王の視線はすぐに他へと去っていく。
 「彼らは魔道の民――魔族(シェルザード)と呼ばれる一族です。彼らは世界中を荒らし、滅びを目論んでいる。まるでそれは、500年前のあの争いの再現かのように」
 魔族(シェルザード)。500年前の事件。それらを耳にした聴衆からは、悲鳴やどよめきが起こる。いずれも、今となっては伝説となっている事柄である。知らぬ者などこの世界には居ないだろう。
 「しかし我々は、それらに決して屈しはしません。我々、魔族(シェルザード)に立ち向かう人間には、切り札がある――」
 切り札。その単語が放たれた瞬間、リースの胸は締め付けられる。鼓動が嫌でも早くなって行った。周囲を見渡せば、同じような表情でたたずむアリスの姿を目にする事が出来た。そしてその傍らには、何とも言えない表情で肩をすくめるアキの姿も。
 静まり返る会場に、こつりと。足音が響く。聴衆の視線は自然と、その足跡の発生源へ向かう。黒色の正装に身を包んだレクトに伴われて歩く人物を目にした瞬間、二度目だというのにリースはその姿に息をのんでいた。
 普段は高い位置で一つにまとめているこげ茶色の髪は解かれ、一部を結われて腰近くまで伸びる。今宵の雰囲気を考慮して、選ばれたドレスは黒に近い紺色のシンプルなものだった。けれどもそれが、彼女の放つ雰囲気をより神秘的にさせる効果を発揮している。
 姿かたちは、リースの知るシズク・サラキスのはずだ。いくら着飾ったところで、それは変わらない。そのはずなのに、すぐ目の前を歩き去る彼女が、まるで別人のように見えた。青の聖女、と。誰かがそのように零した声が耳に届く。そのように呼ばれるような人物を、リースは知らない。少なくともリースの知る彼女は、あのような神秘的な表情も浮かべないし、聴衆を真っ直ぐ見つめる強い瞳を持ってもいない。
 「『聖女』の噂をご存じでしょう。つい先日、イリスピリア王が世界に向けて放った名もまた。皆さん知らない筈はない」
 皇太子が伴って現れた人物の姿に、聴衆は皆心を奪われたかのように釘付けになる。魔法の青白い光に照らされて、彼女が一歩歩く度に、こげ茶色の髪はサラサラと揺れ、ティアミストブルーの瞳は様々な色を帯びる。妙な色香すら漂ってくるようだ。
 やがてその歩みは檀上へと至り、セルト王のすぐそばで止まる。次の瞬間、彼女はしなやかな動きでセルト王に深々と頭を垂れたのだった。まるで、すべての忠誠を尽くすかのように。
 「ジーニア・ティアミスト。500年前、世界を危機から救った勇者シーナの血を引く人物です。受け継いだ魔力を持って、彼女は必ずや、我々の『光』となってくれるでしょう!」
 力強くセルト王がそう宣言した直後、聴衆からどよめきと歓声が上がる。突然現れた少女一人に、聖女様。救世主様と。人々は口々にそう叫び、やがてそれらは言葉の渦となる。その中心に居る少女が一体どのような者なのか詳しく知りもしないで、人々は無責任な期待を傾ける。吐き捨てるようにそのような思考を繰り返しながら、けれどリースもまた、この場の雰囲気に呑まれた一人だった。
 世界の混乱は、人々に救世主の存在を期待させる。イリスピリア王が宣言した聖女が、エラリアで正体を現した。この晩の出来事は、瞬く間に世界中を駆け巡る事となった。



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