追憶の救世主

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第6章 「思いの行き先」

3.

 「レクト。大役ご苦労様」
 騒動が一段落して、檀上からようやく解放されたレクトは、アリス達エラリア王族が控えるテーブルにやって来た。フィアナ王妃の優しい言葉に迎えられてもしかし、レクトの表情はどこか浮かない。アリスと目が合うと、その表情はさらに沈んでしまったようだった。父王の手伝いで、大きな場で重要人物のエスコートという大役をやり遂げたのだ。本来であれば、嬉しさと達成感をのぞかせるべきところではある。しかし彼の心中を、アリスはなんとなく理解していた。頭を優しく撫でる王妃の手をやんわりと解いて、レクトはアリスの方へ歩み寄ってくる。真正面から向き合うと、レクトはまるで泣きそうな表情をこちらへ向けたのだ。
 「アリス……僕は……」
 「格好良かったわよ、レクト」
 つとめて笑顔で、アリスは返した。そう告げてもレクトは、首を大きく左右に振ってそれを否定する。
 「聖女降臨ってもっと喜ばしい光景なのだと思ってた。けど……僕は少しも嬉しいなんて思えなかった。アリスだってそうでしょう?」
 「そうね」
 後方で控えるフィアナ王妃が、心配そうな表情でレクトを見つめている。彼女だってきっと、気持ちは同じだろう。
 「隣で歩いていて、感じたんだ。シズクはきっと苦しいんだって。こんな事を少しも望んでいなかったんだって」
 「……そう思えるあなたは、とても心の優しい人だわ」
 そう告げても、レクトはまた首を振る。
 「父様だってそれを知っているはずなのに。それなのに、あんな高らかに宣言したんだ」
 苦しそうにレクトは吐き出す。
 セルト王は思慮深く優しい王だ。息子であるレクトもそう信じて、心から尊敬していた筈だろう。それだけに、先ほどの父の行いは、彼にとって受け入れ難いものだったのだろう。一人の心に目を瞑り、大勢の喜びを優先させる。レクトの知る父の姿からは、まるでかけ離れた姿だ。
 「それが、人の上に立つ者として求められた事だからよ。レクト」
 「それくらい僕にも分かってるさ! だけど……僕は、ただ何もせずに従う事しかできなかった! 身近な人の大切な人すら、守る事が出来ない」
 フィアナの言葉に、レクトは語気を荒くする。いくら逞しくなり、皇太子の位を授かったとはいえ、彼はまだ13歳になったばかりの少年なのだ。理屈で理解出来ても、彼の心で受け入れらえないと、言葉にして叫ばざるを得ないのだろう。
 「……リースは、シズクに白いライラの5枚花を贈ったんだ」
 小さく零された言葉に、アリスは息をのむ。
 「リースは、ずっと苦しそうな顔でシズクを見てたよ」
 「レクト……」
 「シズクは、リースにとって大事な人なんだろう? 僕がした事は、きっと二人を傷つけた」
 最後の方の声は、掠れてしまっていた。思わずアリスはレクトに手を伸ばし、彼を強く抱きしめていた。
 「それは違うわ」
 力強くそう告げると、レクトは体を震わせて動きを止めたのだった。
 「確かに苦しいのかも知れないけど、あの二人は、誰かに傷つけられただなんてこれっぽちも思ってなんていないわ。今日の事だって、シズクが自分で決めて、覚悟した事に違いないもの」
 そう。そうに決まっている。レクトを諭すというよりは、自分に言い聞かせるように、アリスは言葉を紡いだ。抱きしめるレクトの背中を撫でると、自分自身の心も徐々に穏やかさを取り戻していった。
 「だからきっと、大丈夫よ」






 「……そう。とうとうシズクちゃんが……」
 楽団の奏でる旋律が、かすかに耳を撫でる。
 中庭に面した窓の方をちらりと一瞥してから、リサはベッドサイドに座るセイラを見つめた。つい先ほど、突然彼はリサが養生するこの部屋を訪れたのだった。スーツに身を包んだ彼の顔には、少しばかり疲労が滲んでいる。お偉いさん方との会話に疲れたから抜け出してきたとセイラは言ったが、臥せっているリサを気遣って、報告がてらお見舞いにやってきてくれたのだと思う。
 「シズクちゃんのドレスは、私が選びたかったのだけどなぁ……姿だけでも、今から見に行こうかしら」
 「丸一日ベッドから起き上がれなかった身で、何を言ってるんですか。無理は禁物です」
 あえて茶化して言った言葉に、セイラは若干呆れた表情でそう返してきた。まったく情けない話だが、その通りだったのでリサも苦笑いを返しておく。
 大きな怪我はなかったが、精神的に張りつめていたものが一気に切れてしまったのだろう。珍しくリサは寝込んだ。本来ならば出席するはずの会合もキャンセルして、こうして部屋に引きこもっている。軽口をたたけるくらいの余裕が生まれたのだって、つい数時間前からだ。シズクが救世主として衆目に晒される事を了承したという知らせも、日が暮れる頃にようやく知ったくらいだった。そして今宵の会合で、予定されていた『儀式』は滞りなく終了したと。セイラから報告を受けたのがつい数分前の事。
 「セルトおじ様って、天使の皮をかぶった悪魔って感じよね。正々堂々と悪役を引き受けているお父様が、可愛く思えてくるわ」
 枕に抱き着いた体勢で、リサはそう毒を吐く。茶化してはいたが、紛れもなく本心だった。まさかこのタイミングで、シズクがあっさり担ぎ出されるとは、リサも予想外の事だ。本国で報告を待っている父も、ひょっとしたら驚いているかも知れない。
 「昔からセルトは、僕らの中で一番の腹黒でしたからねぇ」
 「本当に腹黒よ! しかも用意周到で鮮やかなのが腹立たしい!」
 ぐぅと唸ると、セイラもまた苦笑いを浮かべる。
 リサが予想するに、セルト王はシズクと初めて顔を合わせたあの時すでに、彼女の正体に思い至っていたのだろう。そしてそれ程時を置かずに、彼女に今宵の舞台を踏ませる事を画策していたのではないだろうか。直接確かめた訳ではないが、恐らくこの予想は間違っていないと思う。
 「……シズクちゃんは、大丈夫なんですか?」
 しばしの沈黙の後、トーンを変えてリサはセイラに問う。セルト王の行いなど、今更どうこうできるものではないのだから、これ以上考えても無駄だ。それよりも重要なのは、当事者であるシズクの気持ちだろう。あれほど救世主のレッテルを貼られるのを恐れていた彼女が、突然それを承知したという事も驚きだが、その心中は今現在どのような状態なのだろう。不安に襲われていないか、重圧に苦しんでいないか。それが心配だった。
 「今回の件は、無理やり承知させられた訳ではなく、シズクさん自身の意志です。昨晩、直接彼女に確かめましたから」
 セイラの言葉を受けても、リサは未だに信じられない。返答するでもなく、枕に顔をうずめて小さく唸る。
 「信じられないのは僕も同じです。けれど、少なくともそこから考えるに、シズクさんはきっと大丈夫なのでしょう」
 「……自らの意志で判断した事なのだったら、シズクちゃん自身にも覚悟がある。だから、大丈夫と」
 「そう信じるしか、今は出来ませんよ」
 投げやりとも取れるセイラの発言だったが、確かにそうだった。手を打てずに何の力も貸せなかった自分には、ただ信じる事しか出来ない。
 「それより今は、自身の体の回復を優先させて下さい。貴方の事を、シズクさん達は非常に心配していましたよ」
 「……そうですね」
 セイラの気遣いは嬉しかったが、それらは昨夜の出来事を思い出す引き金となってしまう。悲しく、重い記憶。今はまだ、頭の中の整理が出来ない。苦しい事に立ち向かわなければならないのは、自分もまた同じか。瞳を細めてため息をつくと、中庭から流れてくる音楽の曲調が変わる。厳かな雰囲気の曲から一転して、楽団の旋律は軽やかなワルツになったのだった。






 セルト王による予定されていた一連の『儀式』が終わったあと、衆目に晒される場をあとにしてほっとしたのもつかの間。シズクを待ち受けていたのは、様々な人物からの挨拶の嵐だった。使用人のふりをしてエラリア城内を歩き回っていた時は、誰ひとりシズクなどに見向きもしなかったのに。立場が変わると、こうも人の反応は変わるものだろうか。一度では絶対に覚えきれないくらいの人数に囲まれて、あれやこれやと話を振られ続ける。このような場での会話などまったく不慣れなシズクは、必要最低限の事しか喋る事が出来なかった。幸いな事に、セルト王は、執事長代理のディランを傍につけてくれた。大抵の話は彼が代行してくれたので、シズクがほとんど喋らずとも、なんとか場をもたせる事は出来た。
 檀上に立つまであれほど長く感じていた時間が、たくさんの人々に囲まれて過ごす今となっては、あっという間に流れていく。会合が始まってどれくらいになるのだろうか。そんな事が気にかかり始めたちょうどその時。会場を流れる旋律が、軽やかなワルツに変わったのだ。
 「あ……」
 約束の時間が来た。
 その事に気づくと、途端に気持ちが急いていく。自分の周囲には、未だ話を続ける幾人かの王侯貴族達が居る。おしゃべりはまだまだ止みそうになかった。かと言って、話の腰を折る術をシズクは持ち合わせていない。どうやってこの場を抜け出そうか。そもそも、抜け出すことができるのだろうか。
 周囲を必死で見まわしたが、リースの姿は確認できなかった。傍で見ていると言ってはいたが、檀上から降りてすぐ人に囲まれてしまったから、彼がどこにいて、何をしていたのかも分からなかった。もう既に、約束の場所へ向かったのだろうか。それとも彼も、今のシズクのように人々に囲まれてしまっているのだろうか。
 不安気な顔で目を泳がせているとふと、傍に控えるディランと目があった。視線がぶつかったのは本当に短い間だけだったが、ディランはにこりと微笑み、シズクに頷きを返してくる。
 「――皆様。聖女は、昨夜の騒動を鎮める為に奔走されてお疲れなのです。名残惜しいとは思いますが、今宵はそろそろお暇させて頂きたく存じます」
 おしゃべりに花を咲かせる王侯貴族達に向けて、失礼にならない絶妙なタイミングでもって、ディランはそのような事を述べた。残念だ。でも仕方がないね、と。口々に告げて、シズクを取り囲んでいた人々も退散する気配をのぞかせた。
 「あとはわたくしにお任せください。舞台の裏手の道を通れば、人目につきにくいかと思います」
 紳士淑女達の相手をする合間で、ディランはそっと耳打ちしてくる。目を見開いて彼の方を見ると、紳士的な極上の笑みがそこにはあった。視線を泳がせるシズクの様子をみて、ディランが何かを察してくれたのだろう。どこまでの事に思い至ったかは分からないが、この場から出ていきたそうにしているシズクに、彼は力を貸してくれたのだ。声には出さず、視線でだけ感謝の意を伝える。後できちんとお礼を言わなければと心に固く誓った。
 「申し訳ありませんが、そろそろ失礼させて頂きます」
 深々とお辞儀をした直後には、シズクはやや小走りでその場を後にしていた。
 耳を撫でるワルツは既に佳境を迎えている。曲が終わるまでにたどり着けるだろうか。そもそも彼は、待っていてくれるのだろうか。
 「――――っ」
 あの場所で、自分が彼に話そうとしている内容が頭に浮かんでしまうと、シズクの鼓動は少しずつリズムを早めていった。



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