追憶の救世主

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第7章「西へ」

2.

 マーサと別れた後、シズクは再び自室に戻り朝食を摂った。リサは既に起きており、体調も大分回復してきたからと、同じ食卓に着いた。セルト王が呼んでいると、執事長のディランが部屋を訪ねてきた時にも、リサは同席を願い出てくれた。彼女の体調は気がかりだったが、正直この申し出は心強かった。
 朝食を手早く済ませて、セルト王が待つ執務室へと急ぐ。通された部屋には、陛下の他に数人が既に座って待っていた。皇太子となったレクト王子をはじめ、ディランにセイラにアリスにアキ、そしてリースも居る。彼と目を合わせて、一瞬胸が跳ね上がるが、長くは続かなかった。顔見知り以外の数人は、どうやら城の重臣達であるらしい。難しそうな顔をしながら、執務机の席に顔を連ねている。そのうちの特に厳格な顔つきの男性が大きく咳払いをすると、それでは始めましょうかと、感情を宿さない声で告げたからだ。

 「昨夜はご苦労様だったね、シズク」
 土色の瞳を薄めて、セルト王はそう告げる。普段の彼らしい、実に温和な笑顔と声に、自然と体の緊張は緩んでいく。昨夜の厳格な彼の姿など、夢だったのではないかと思うくらいだ。
 王の言葉に軽く頭を下げてから、シズクは口を開く。
 「あの、ご用というのは……」
 「あぁ、そう。君の今後について、話し合おうと思って」
 会議の出席者の視線が、一気にこちらを向いた。セルト王の発言を耳にして、自然と体に力が入った。今後の事。そう言われても具体的な考えは出てこない。聖女として周知される事となったシズクは、何をするべきなのだろう。
 「わたしは、これから何をすれば良いのでしょうか……?」
 皆目見当がつかず、素直にそう答えた。言葉を迎え入れる土色の瞳は優しい光をたたえている。
 「聖女として立ったからと言って、貴方の行動を過度に制限したり、戦場に引きずり出したりする気はないので安心して欲しい。戦争は、我々の仕事だし、貴方はエラリアだけの聖女ではないのだから」
 「過度に制限はしないものの……多少は制約がある。そういう事ですか? おじ様」
 声は、シズクではなく彼女の隣に座るリサが発したものだった。あの魔物騒ぎの夜から臥せっていた彼女の姿はもうなく、普段通りのイリスピリア王女としてのリサが居る。発言の内容はともかく、シズクは少し安堵した。リサの鋭い指摘にも、セルト王はペースを崩さない。
 「鋭いね、リサ。……そうとらえてもらって構わないよ。シズク達にやってもらいたい事が一つあるんだよ。貴方達にとっても、悪くない話ではないかなと思う」
 「と、言うと?」
 「残りの『石』を、守って貰いたい」
 セルト王の言葉に、シズクは静かに息をのんだ。シズク以外の面々も、それぞれ表情を引き締める。
 「皆が知っているように、エラリアに託された『石』は魔族(シェルザード)の手に渡ってしまった。セイラ達の話によると、ティアミスト達が守ってきた『石』も、今は彼らの手にあるらしい。とすると残る『石』は4つだ」
 魔族(シェルザード)達のこれまでの動きからして、『石』の奪取は戦争と並行して行われるに違いないだろう。残る『石』を探して、魔族(シェルザード)から守る事は、これまでシズク達が行ってきた事でもある。確かに、セルト王の申し出を断る理由はない。
 「一つはセイラ――君が持っている杖がそうだね。だから君には、一刻も早くイリスへ帰還し、かの国の結界の中でその杖を守り続けてもらいたい」
 「そうするのが一番良いでしょうね。有事に引きこもるのはあまり好きではありませんが……」
 言って、セイラは独特の青い杖を持ち替える。偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)。水神の力を宿した『石』であり、長年レムサリアの水神の神子が守ってきたものだ。現代の水神の神子として、セイラには偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)を守る役目がある。
 「もちろん護衛を付ける。といっても、あからさまに目立ってはいけないので、少数精鋭のね。ディラン――」
 「はい、賜りました」
 手短に返事を落とすと、詳しく聞くまでもなくディランは席を立った。失礼しますと面々に告げると、執務室を出て行ったのだった。王の命令に従って、彼は今から護衛の人選に向かうのだろうか。
 「さて。続きだ。残る『石』のうち、もう一つ在り処が分かっているものがある。――東の森の魔女。テティ・リストバーグが額に宿した『石』がそうだ」
 テティの名前が出たところで、シズクの胸は大きく跳ねた。今現在再会を強く望んでいた人物であるからだ。
 「彼女も偉大な魔道士の一人だが、リストンの森で一人、魔族(シェルザード)の急襲に耐える事は難しいだろう。そうなる前に、彼女の元を訪れて、イリスへの避難を促したい。君たちに、彼女の元へ向かって貰いたいと思っている」
 願ったりかなったりの王の言葉に、シズクは気持ちが高揚するのを感じていた。あくまで『石』を守る為の行動ではあるが、テティと会うことが出来るのだ。会って、自身の事について彼女に尋ねる事くらいは出来るだろう。行動がある程度制限される事を覚悟していたシズクからすれば、有難い申し出だった。
 「それと、もう一つ――」
 東の森の魔女の元へ向かう事で頭がいっぱいになっていたシズクの耳に、再びセルト王の声が舞い込んでくる。考えを中断させて瞳をあげる。王は、いつになく厳しい顔をしていた。
 「万一、エラリアの『石』が奪われた場合、発動する事になっているある『魔法』がある」
 「魔法……ですか?」
 声は、アリスが発したものだ。
 「玉座の間の扉と、そこに張り巡らされた魔法は、500年前、当時イリスピリアだったパリスが『石』を隠す為にエラリアに託したものだった。エラリア王家は代々一子相伝でこの事実を守ってきた。……先日私が、破ってしまうまではね」
 自嘲気味に微笑むセルト王の顔をみて、シズクは胸が痛んだ。伝聞で知っただけの話だが、シンが玉座の間で『石』を求めた時、扉に込められた魔法を使って、セルト王はあと一歩のところまで彼を追い詰めていたのだという。そこを――
 「叔父様のせいではありません。あれは、私が原因です」
 凛とした声で告げたのはまたしてもアリスだった。黒色の瞳を真っ直ぐ王に向けて、彼女は淡々と告げる。それに対して緩くかぶりを振ったのは、言葉を向けられたセルト王である。
 「いいや、私の責任だよ、アリス。全ての責任は私が負うべきだと思っている。アリスは気に病む事はないのだよ」
 「いいえ、そういう訳にはいきません。――叔父様がそのおつもりならば、私もまた、私の全てを賭けて、『石』を取り返す為に戦います」
 アリスの発言に、確固たる決意を認めてシズクは身を固くする。
 あの晩、扉を中心に構築されていた魔法を解いてしまったのは、アリスだったという。結果、人質にされた彼女を救うために、セルト王は禁をおかしたのだと。責任感の強いアリスの事だ。言葉には出さずとも、ずっとそれを悔やんでいたに違いない。だからこそ、自身の力の限り『石』を取り返す為に戦う事を決意したのだろう。
 「――話が少し逸れております。本来の話に戻した方が良いかと」
 沈黙が下りていた執務室に響いたのは、厳格な声だった。会議の始まりを告げた厳しい顔つきの男性がまた、途切れていた会話を再開させるべく口を開いたのだ。
 「ヴォンクラウン大臣。その通りだね。今は自らの罪を明らかにする場ではないだろう。……話を戻そう」
 ヴォンクラウン大臣と呼ばれた男性は、王の言葉に軽く頭を下げた。どうやら彼、エラリアの大臣の一人であるらしい。
 「あの『石』を受け取る事が出来たのは、ティアミスト家当主だけだった。この事からパリスは、彼の姉の末裔であるティアミスト家にとても深い信頼を寄せていたのだという事が分かる。……ただ、慎重な彼が不測の事態を想定していなかった訳がない」
 パリスが用意した、対不測の事態用の魔法は、先ほど触れたようにシンに対して使われた拘束の魔法である。けれども、その力もまた万能ではない。アリスが迂闊に破ってしまったように、術には弱点があった。
 「だから彼は、その魔法が破られて『石』が奪われてしまった場合に備えて、さらにもう一つの魔法を施したと言われている」
 「その魔法とは?」
 ヴォンクラウン大臣ではない他の重臣から紡がれた言葉が終わらないうちに、王の土色の瞳は真っ直ぐにシズクをとらえた。あまりに真っ直ぐだったので、一瞬どきりとする。
 「シズク。つい先日、リースと共に、玉座の扉を見に来た事があったね。……あの時、何かに気づいたのではないかな?」
 「え……?」
 思わず声が出る。独特の色を宿した瞳を見開くと、シズクは動揺してしまった。
 セルト王が言うのは、あの前夜祭の直前の事だ。リースに頼み込んで、シズクは玉座の扉を見に来ていたのだ。ライラの花びらが、かの扉だけ5枚花になっているという話を聞いたからであった。何かのヒントになればと思っていた。
 「気づいたというか……。あの扉の模様を見て、召喚用の魔法陣に通じるような体を満たしているような気がしました。わたしは魔法文字には明るくないので、どのような魔法かは分かりませんでしたが……今回の件を聞いて、あれは『石』を隠す為の魔法だったのかと思っていたのですが」
 確信に至る何かを得た訳ではないので、発言する事はひどく緊張したが、王は表情を和らげたのだった。
 「半分正解だね。そう、あの扉はパリスが当時のティアミストの魔道士たちに作らせたものだった。召喚陣はこことは違う次元に『石』を隠すためのものだった。けれど……それは扉の内側の陣だよ。君たちが見た扉の外側の陣は、空間を操る魔法がかけられたもの」
 「空間を……操る?」
 「ティアミスト家の魔道士が最も得意とした魔法。……それが、空間を操る魔法だったという」
 初めて聞く内容だった。なるほど。魔道に精通し、イリスピリアの結界を構築するだけの力量を持った一族ではあるなと、どこか他人事のように思う。
 空間を操る魔法というのは、召喚魔法がそれにあたる。というか、召喚魔法以外に一般的に存在しないと言われている。それ程に難解な領域なのである。理論も複雑である上に、何よりも構築に莫大な魔力と器を必要とする。シズクなどは、魔法学校時代最も苦手とした魔法の一つである。と、ここまで考えて、少しだけ嫌な予感がシズクの中に沸き起こる。
 「内側の召喚魔法の範囲から『石』が失われた場合、次にその魔法が発動するようになっているらしい。空間を操るという事はこの場合、どこかへその者を転移する魔法だという事らしい。パリスの言いつけによると、その魔法を発動させる事で、続きの『石』につながる道が示されるのだとか……」
 要するに、その魔法は次の『石』の隠し場所へ、術者を転移させる魔法なのだろう。転移魔法というのは、現在では言葉だけ存在する魔法だとシズクは教わってきた。人間には作り出せない魔法と言われているからだ。大昔の遺構の中から、それらしき魔法陣が見つかる事はあっても、それを発動させられる人間は皆無だ。魔道に長けたエルフ族でも難しいらしい。魔道の祖であり、あらゆる魔法を使役する一族――魔族(シェルザード)のみが、用いる事が出来る魔法だと言われていた。ティアミスト家の魔道士たちが本当にそんな魔法を実現させていたのだとしたら、とんでもない一族である。しかし……
 「そこで、シズク。頼みがある」
 「……まさかとは思いますが、その魔法をわたしに発動させるよう命じられるおつもりでは」
 「そのまさかだが、何か問題でもあるのかな?」
 きょとんとした表情でセルト王は告げる。予想通りの言葉だがしかし、彼の言葉にシズクは一気に表情を引き攣らせてしまうのだった。
 確かにティアミスト家は、類稀な魔道士の輩出元だったのだろう。空間を操る高難度の魔法を得意としていたところからして、疑いの余地はない。そして、シズクはそんなティアミスト家の血を引いた娘である。体内に宿された魔力も器も、人並み外れてはいる。だがしかし、空間を操る魔法を解する知識があるかと言えば、大いに疑問の残るところなのである。
 「あの、わたしは……」
 「――セルト王」
 どう弁明しようか。戸惑いながらも紡いだ言葉は、突如割り込んできた声によって遮られる。執務室に再びの沈黙が舞い降りる。声の主は、会議開始からずっと黙して会話の流れを見守るのみだったリースである。彼はエメラルドグリーンの瞳を一瞬だけこちらに向けたあと、すぐにセルト王へと視線を戻したようだった。表情からして少々苛立っているようにも思える。
 「シズクは、確かにティアミスト家の血を引く人間であり、その身に宿す魔力も器も規格外と言えます。……しかし、彼女がそれを自覚し、本来の力を取り戻したのはつい最近の事です」
 「なるほど。ジーニアの記憶を無くしてからおよそ12年間、確かに彼女はティアミスト家とは遠い生活を送っていた」
 「私がシズクに出会った時、彼女は一介の魔法学校生の一人でした。……実力から言って、決して成績が芳しい生徒とは思えませんでした」
 そこでちろりと、リースはシズクを見る。先ほどまでの不機嫌な表情は解け、次に彼の浮かべた表情は大いなる呆れである。事実であるがしかし、向けられた視線と言葉繰りを聞くにつけ、シズクは少々腹立たしくなってきた。
 「……それで?」
 「つまり、彼女には、術を発動させる魔力は備わっているかも知れませんが、肝心の知識はどうかというと、甚だ疑問。という事です。それらの仕事はむしろ、エラリアの魔道士たちに任せた方が良いと思いますが」
 そこでリースは言葉を切る。彼の発言に、エラリアの重臣の幾人かはざわついたようだった。聖女として立ったティアミストの娘が、かつては学園の劣等生だったという事実に対する動揺だろう。勝手に持ち上げておいたくせに、随分な対応よね。とは、後のリサの言である。
 しかし、言葉を受けたセルト王をはじめ、ヴォンクラウン大臣他数名は黙したまま動じた様子を見せなかった。それどころか、セルト王は少々おかしそうに噴出したくらいだ。
 「なるほどね。キユウの娘さんなだけあるね」
 「?」
 「彼女は優秀な魔道士だったし、もちろん魔法学校を優等生として卒業している……だけどね、勉強自体は、好きじゃなかったみたいだよ」
 まるで何かを懐かしむかのように、セルト王は瞳を細める。彼はシズクの母、キユウと親友関係にあったらしい。自分と年が変わらぬ頃の母を知っているのだろう。それにしても、優秀だったと聞かされていた母のまさかの勉強嫌いに、シズクは驚かされる。といってもキユウは、セルト王の説明を聞く限り、勉強をしなくてもある程度の事は優秀に出来てしまうという、所謂天才肌だったのだという。とすると、まったくシズクと次元が違う。シズクは勉強嫌いな上に、理解力までも乏しいのだから。
 「まぁともかく、扉の魔法陣を見て貰えるかい? 魔法を解する知識が乏しくとも、貴方にはキユウから受け継いだ直観力と洞察力は備わっているのだから」
 居心地悪く表情をひきつらせるシズクをおかしそうに見つめた後、セルト王はそのように言ったのだった。



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