追憶の救世主

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第7章「西へ」

3.

 「何怒ってるんだよ。事実を述べただけだろうが」
 「事実を述べすぎなのよ! もう少しマイルドな言い方があったでしょうに」
 「あれでも十分、俺にしては気を遣った言い方だっての」

 会議の終了後に王を含む数名で、問題となる玉座の扉へと向かう事となった。その道すがら、シズクとリースは小声というには少しばかり大きな声で不毛な言い争いを続けていた。隣でリサがおかしそうな顔でにやにやと笑っているし、アリスも苦笑いである。その後方からついてきているアキとレクトに至っては、ぽかんと呆けて、珍しいものでも見るかのように二人の応酬を眺めている。前方では、セイラとヴォンクラウン大臣とセルト王の三人が何やら難しい話をしており、こちらに気付いていないのがせめてもの救いだろうか。
 これからやろうとしている事と、現在の事態を考慮すれば、つまらない事で言い争いをしている場合ではないのはシズクとしても理解している。けれど、何か言わなければ気が収まらなかったのだ。
 「あのまま何も言わずに扉まで担ぎ出されて途方にくれるよりはマシだろう」
 「確かにその通りなんだけど……あぁもう、何でこんな状況になったのよ」
 「そりゃお前、聖女様として立ち上がるって決めた時に、それくらいの覚悟をしておかなきゃいけなかったって事だ」
 最後のセリフは嫌味たっぷりだ。細められるエメラルドグリーンの瞳に晒されて、苛立ちは募るが、言われた事が正論以外の何物でもなかった為、言い返す事はシズクには出来なかった。悔しいが、自分の認識不足の面も否めない。勇者シーナの末裔である聖女様は、魔法学校で劣等生であるはずがないのだ。もっとも、決して好き好んでこの立場に躍り出た訳ではないのだから、理不尽だとは思うけれども。
 「……まぁ、転送魔法を一から構築する訳じゃないんだから。今のシズクでも発動できる可能性はあるわよ」
 「確かに、陣が構成する魔法を使うだけで良いなら、わたしでも出来るとは思うけど……」
 アリスへの返事のつもりで紡いだシズクの発言に、一同は「えぇっ!?」と大きな声を上げる。前方を歩いていたセルト王達もさすがに振り向いて様子をうかがっていた。シズクとしては、そう大した事を言ったつもりはなかったのに、一同の反応に逆に驚いてしまう。先ほどまでからかいの色を宿していたリースの瞳には、怪訝な色が浮かんでいる。
 「使う事が出来るって、どういう事だよ?」
 「文字通りそのままの意味。だって、『石』が奪われた時点で、魔法陣はもう発動出来るようになっているのでしょう? それ相応の魔力を注ぎ込んだら、きっとその魔法は動き出すんだよ」
 「なるほどね。じゃあ何でシズクはそんなに焦っているんだよ」
 「使う事は出来ても……発動したその魔法を、その後制御出来る自信はない。ただでさえ劣等生のわたしが、一流の魔道士でさえ見たことないであろう未知の魔法を前に、何か出来るとは思わないよ。第一、転送魔法と目されるその魔法陣が、一体どこに向かって転送を行うのかも不明確だし」
 「う〜ん、要するに、出口の分からない一方通行って事か。今のままじゃ、命投げ捨てるくらいの覚悟で飛び込んでいかなきゃいけない状況って事ね!」
 「明るく言っても全然救いになってねーよ、リサ姉」
 茶化して告げたリサの言葉に、アキが呆れた顔で突っ込みを入れた。とはいえ、リサの言っている内容が簡潔に的を射ているのも事実だ。
 セルト王が言う『発動』とは、単に魔法を使う事だけではない。魔法知識を生かして転送場所を見極めた上で、安全に転送魔法を使いこなす事全てを意味するのだろう。パリスが非常時の為に整備して、ティアミスト家が構築した魔法だ。とんでもない場所に飛ばされるとは考えにくいが、安全性が確保できない以上、あの優しく慎重な王は手を出さないつもりなのだとシズクは思う。彼が知りたいのは、魔法陣の理論と、その行先だろう。それをシズクに解いてもらえる事を期待しての提案だったのだろうが、正直なところ自信は皆無である。未知の魔法を解するどころか、基本的な魔法知識ですらおぼつかない。

 ――それでは、委ねてしまえば良いのよ。受け継いだ『記憶』に。

 「え……?」
 突然響いた声に、シズクは小さく驚きの声を漏らした。
 誰かが自分に言葉を向けたのだと思ったが、周囲に居るのは皆知り合いばかりだ。彼らの誰とも違う声で、耳に届いたというよりは直接頭の中に響いたような気がする。そういう結論に行きつくと、一気に表情が冷えていった。今の声の主は、もしかして――
 「シズク。着いたよ」
 嫌な汗が背中を伝ったちょうどその時、セルト王の声が聞こえた。今度は耳にちゃんと届く、人が発する声だ。顔を上げると彼の土色の瞳と目が合った。そうしてセルト王のすぐ横に視線をずらすと、先日も見た例の石造りの扉があった。目的とする場所に着いたのだ。
 「…………」
 石造りの扉は、相変わらず荘厳な雰囲気のままその場にたたずんでいる。この場を訪れるのはこれで四度目の事である。初めて扉と対峙した時には、まさか一般人のシズクがこのような場所に何度も足を運ぶことになるとは、思いもしなかった。
 白色の不思議な材質で出来た扉を無言で見上げてみる。ライラの五枚花と太陽。それらを取り巻く繊細な模様。リースと一緒に見学させて貰った時にも感じたが、扉に描かれる模様はやはり、魔法陣をかたどっているように見える。何よりも、不思議な流れが模様をかたどる線の一つ一つから発せられている。魔力だろうとシズクは思った。セルト王が言うように、パリスが構じた魔法が発動準備を完了させているのだ。
 「大きな期待はしていないよ。何か分かったらで良いから」
 セルト王の言葉に無言で頷いてから、シズクはゆっくりと歩みを進める。人々が見つめる中、扉のすぐ側まで近付いて行った。
 陣の構造自体は、シズクも授業で習った事があるので読解は出来る。基本的な召喚陣と変わらないものだろう。だが、扉という場所に巧妙に隠されていただけあって、扉の上に並ぶ模様が何を表わしているかまではシズクでは分からない。未知の言語なのかも知れないなと思う。そう思うのに――
 「…………」
 白亜の扉に手を触れたと同時に、動揺が走る。それらを誤魔化す為に、シズクは視線を周囲に巡らせた。無言でその場に立つセルト王と大臣にセイラ達。最後に、側に控えているリースと目を合わせた。リースは一瞬首をかしげたが、それほど間をおかずにこちらに近寄って来る。シズクの表情から何かを感じたのかもしれない。
 「……どうしたんだよ?」
 少しだけ心配そうに、リースはこちらに囁きかける。それに対しても、シズクはどう答えたら良いものやら分からなかった。だから曖昧に視線をそらしてしまう。
 「ううん。大した事じゃないよ……」
 そう、きっとこれは、そう大した事ではない。そう自分に言い聞かせる。そうして、怪訝な表情を浮かべるリースへと視線を戻した。
 「?」
 「リースは、この扉に刻まれている文字。何を意味しているのかわかる?」
 彼は、シズクより遥かに言語学に明るい。魔族(シェルザード)の文字も多少は読めるのだ。
 問われてリースは一瞬首をかしげるものの、扉に視線を持っていく。
 「……分からないな。というか、そもそもこれは文字なのか? 俺には模様のようにしか、見えないけれど」
 ややあってから、緩く首を左右に振りつつ、そうリースが告げた。ある程度予想された回答であったのに、彼の言葉にシズクは小さく動揺する。それらを悟られないよう気を引き締めてから、シズクは肩をすくめた。視線は扉の例の模様に向けられている。
 「魔法陣の構成から考えて、文字である可能性は高いと思うよ……けど、そっか。分からないか」
 小さくため息をついてから、今度は後方を振り返る。こちらのやりとりを静かに見守っているセルト王と視線を合わせた。土色の瞳は穏やかな光を称えている。
 「何か分かったのかい?」
 「いえ、大した事は何も。ただ……この魔法陣は、こちら側からでは発動出来ないのではないかと思います」
 「――――」
 シズクの発した言葉に、その場は少しざわついた。
 隣で王との会話を見守っているリースも、動揺したような視線をこちらに向けているのが分かった。
 「……その根拠となるものについて、見解が聞きたいね」
 シズクの発言に表情一つ変えることのなかったセルト王が落ち着いた声色でそう告げる。動揺は感じられない。けれども、穏やかなようでいてどこか隙のない雰囲気だ。
 周囲の視線が自分に向けられている事を感じて、緊張が高まる。すうっと小さく息を吸い込むと、シズクはやや速まった鼓動を押さえながら、こう告げた。
 「魔法陣の構成です。文字と思われる模様の解読までは私では出来ませんが、配置から察するに、この陣は召喚魔法で言うところの、喚び出す『元』となる方の陣ではないでしょうか。術を発動させる側の陣とは異なっています」
 「……なるほど。空間を操る魔法という事は、こことは別の場所にもうひとつ魔法陣があると考えて当然だね」
 「この世界のどこかにある、もう一つの魔法陣から喚び出される事ではじめて、こちら側の魔法陣は効力を発揮する。現状では、こちらから何か働きかける事は、不可能ではないでしょうか。……わたしには、これくらいの事しか分かりません」
 緩く頭を振って、申し訳なさそうに告げる。この程度の読解ならば、シズクでなくともある程度魔法学校で学んだ身ならばすぐに分かる事だろう。エラリア魔法学校の優秀な魔道士達を数人呼んで調べさせれば、そう時間がかからず見抜く事だろう。
 けれどもセルト王は、萎縮するシズクを責めたりはしない。満足そうに微笑むと、そうか。と小さく呟く。
 「パリス王も一筋縄ではいかない人だね。こちらからどうにも出来ないのならば仕方がない。とは言え、今後魔法陣に変化が起こらないとも限らないから、監視は続けよう」
 「念のため、魔道士を数人呼んで調べさせましょう」
 「うん。それがいいだろうね。頼むよ、ヴォンクラウン大臣」
 ヴォンクラウン大臣と呼ばれた厳格そうな男性は、王の言葉に頷くと一礼をとった後にすぐ踵を返す。先ほどの執事長のディランと同じく、セルト王の周囲にいる人間は動きがとても迅速であっさりしていると思う。大臣が去っていく姿をぽかんと眺めていたシズクだったが、セルト王が再びこちらの方を向いた事で、視線を彼の方へと向けた。
 「わざわざ出向いて貰ってご苦労様だったね。とりあえず今日のところはお開きにしようか。また何かあれば、声をかけるよ」
 にこりと微笑むと、セルト王はそう解散宣言をしたのだった。



 「皆さんに少し、お話したい事があるんです。僕の部屋まで来てくれますか?」

 扉の調査が終了し、一同が解散しようとした時、セイラがそうシズク達に声をかけてきた。
 彼が言う『皆さん』の中には、どうやらセルト王は含まれないらしい。セイラの発言を耳にしても、セルト王は別段何も告げずに、軽く挨拶した後その場を去って行った。戦争が始まった今、王としてやる事は山程あるのだろう。
 そんな訳で、セイラの部屋に集まったのは、シズク、アリス、リース、リサといういつものお決まりのメンバーに加え、アキとレクト皇太子という面子であった。7名という人数を収容しても、客人用のセイラの部屋は広々としていた。各々ソファや椅子に腰かけて、セイラを囲む。アリスが淹れてくれたお茶で一息つきながら、本題に入る前にと、アキとレクト皇太子向けにこれまでの簡単な事の経緯をセイラが説明してくれた。
 オタニアでシズクとセイラが出会った事。旅立ってからの日々。魔族(シェルザード)との邂逅。イリスピリアでシズクが起こした星降りの事。東の森の魔女と再会し、そうしてシズクがティアミストとして立った事。
 そのほとんどが、シズクの出自に関する内容で、当事者としては少し恥ずかしかった。ただの魔導士見習いとして、オタニアでのんびり過ごしていた筈の自分が、気づけばこのような場所で、信じられないような人たちに囲まれている。そればかりか、事の中心人物の一人になってしまっている。当初はひと月程度で終わるはずだった旅が、すでに4か月近くの月日が経過していた。オタニアに居た頃は春先のまだ肌寒い時期だったが、気づけば季節は初夏だ。ずいぶんと遠くまで来た。
 「それで――本題なのですが」
 これまでの経緯をぼーっと回想していたシズクの耳に、セイラの声が届く。どうやら、アキとレクト皇太子に向けての説明は終了したらしい。視線をセイラに向けて、シズクは姿勢を正した。シズク以外の面々も、これから一体セイラが何を話そうとしているのか、神妙な面持ちで会話を見守る。
 「僕は、明日にはエラリアを出立します。リサ様にも同行をお願いします。レイ陛下が心配しています。貴方はイリスに帰還する方が良い」
 言って、セイラは視線をリサに向けた。闇色の瞳には、どこか気遣うような色が見て取れる。
 皆と一緒に行きたいから帰りたくない。普段のリサならばそう反論必至の提案にしかし、今日ばかりは、彼女は無言のまま首を縦に振った。リサらしくないとは思うが、意外ではなかった。それは、リース達も同じであったようで、皆一様に黙り込んで彼女の顔を心配そうに見ている。
 「イリスへの同行者は以上です。本来であればリースも帰国するべきでしょうけれど。レイ陛下が、リース本人の判断に任せるとの事です。……きっと貴方は、ここに残ってシズクさんに協力する道を選ぶのでしょう?」
 「そのつもりだよ」
 ちらりとシズクの方を一瞥してから、リースはそう告げる。対するセイラはにこりと笑んで、分かりましたと短く告げた。そのやり取りに少しどきりとしたシズクであったが、普段であればセイラの同行人として真っ先に名前の挙がるアリスが人選から漏れた事の方が気になって、隣に佇むアリスの方へ視線を向けていた。
 「……アリスはエラリアに残るんですよ、シズクさん。彼女は僕の弟子を卒業したのです」
 「え……」
 「ごめん。本当なら真っ先にシズクに報告したかったのだけど、色々とバタバタしていたから」
 目を見開くシズクの隣で、アリスが苦笑いを浮かべてそう告げる。一瞬悪い意味でとらえかけたが、表情から察するに、悲観的になる事案ではないようである。どこかすっきりした表情のアリスを見て、シズクは安堵する。
 「おめでとう。アリスが笑ってそう言えるのなら、大丈夫だね」
 浮かんだ感情そのままに言うと、アリスは一瞬きょとんとした表情を浮かべた直後、瞳を薄めて極上の笑顔になった。
 「そういう訳で、アリスはエラリアに残って貰います」
 「とはいえ、私もシズクを手伝いますよ。エラリアの『石』は、私のせいで奪われたと言っても過言ではありませんから。残りの石を守り、取り返す手立てを模索します」
 「俺も手伝う! ここまで関わった上に、この話の輪に入れて貰えたって事は、俺にも参加する権利はあるよな」
 アリスの言葉に続いて、勢いよく身を乗り出して告げたのはアキだ。
 「そう言うと思っていましたよ。セルト陛下の許可は出ています。騎士団の認可が下り次第、アキにはアリスの護衛について貰います」
 小さく噴出しながら、セイラは可笑しそうにそう告げた。要するにアキは、お姫様の護衛の騎士という訳だ。甘美な響きであるがしかし、物語によく出てくるそれとアキとのギャップが大きすぎて、シズクも噴出してしまった。リースは呆れ顔で、張り切りだしたアキを見ている。そんなアキの隣で、それまで黙って話を聞いていたレクト皇太子が顔を上げた。
 「……僕も行きたい。けど、僕は皇太子だ。父様の傍について、父様の助けになる事が、僕がやるべき事ですよね。セイラ様」
 切なそうな表情は消えていなかったが、セルト陛下と同じ土色の瞳は決意に燃えていた。幼いながらももう彼は、自分がやるべき役割をしっかり理解している。満足そうにセイラは頷きを返した。
 「さて、僕たちがこれから成すべき事が、各々明確になりました」
 一同を見渡して、セイラはそうまとめる。
 「おそらくこのように集まる機会は当分来ないでしょうから、別れる前に、僕の知りうる限りの事をお話しようと思います。……主に魔族(シェルザード)について。そして、ティアミスト家について」



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