追憶の救世主

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第7章「西へ」

4.

 ――魔族(シェルザード)とティアミスト家について

 セイラがそう告げた途端、部屋は一気に静まり返った。どこか張りつめた空気が広がる。ティアミストについて、そこまで詳しく知らないであろうアキやレクト皇太子にしても、それは同じであった。彼らもまた、ここ数日起こった様々な出来事と、これら二つの事柄がそれなりに深くつながっている事を知っているのだ。
 シズクにしてみても、それはこの旅が始まった当初からずっと知りたいと求め続けてきた情報のうちの一つだった。旅路の中で、いくつか手に入れた情報はあるものの、未だ詳しく知れていない部分は多い気がする。仮にもティアミスト家の血を引く人間なのに、自分の一族がどのような存在だったのか、知らない事は多い。
 「そういえば、セイラさんはティアミスト家だけではなく、魔族(シェルザード)に関してもとても詳しいですよね。魔族(シェルザード)は、歴史の表舞台から姿を消して久しいのに」
 沈黙を一番先に破ったのは、シズクだった。
 ずっと疑問に思ってきた事だった。イリスピリアに入国して以来、セイラとゆっくり話す時間が取れなかった事もあって、ようやくこのタイミングでその疑問を言葉にできた。セイラは確実に、シズク達とは比べようもない程に、様々な情報を知っていると感じるのだ。
 「それは俺も思ってた。というか、ティアミスト家は、イリスピリア王家に仕える魔道士の一族って側面以外に、魔族(シェルザード)とも関わりがあったって事なのか? 深いつながりがあったにも関わらず、魔族(シェルザード)に滅ぼされてしまう事になった原因って……」
 「まぁそう慌てないで下さい。順を追って、僕の知りうる限りで疑問にはお答えしますよ」
 次から次へと疑問が出てくる。そう言いたげなリースの言葉を遮って、セイラは苦笑いをこぼした。部屋に居る一同をゆるりとその黒瞳で見つめてから、彼は居住まいをただしたのだった。その場の全員も、彼に倣う。
 「シズクさんやリースが思っているとおりですよ。魔族(シェルザード)は、表向きは歴史上から忘れ去られた一族でした。滅びたと信じている人も多いでしょうね。……けれど、彼らはずっと在り続けた。神殿をはじめ、主要国の上層部のみに知らされていた事ですがね」
 曰く、500年前の勇者シーナが行った世界救済後、魔族(シェルザード)は世の表舞台から敢えて姿をくらませたのだそうだ。
 「500年前、世界を混乱に陥れた首謀者は、魔族(シェルザード)だったのですよね」
 アリスの言葉に、セイラは頷く。これも旅路の中で手に入れた情報のうちの一つだ。500年前、今の魔族(シェルザード)達と同じく、6神の石を集めて世界を滅ぼそうとした魔法使いがいた。歴史書や物語の中では、『悪い魔法使い』『魔の者』などと記されているのみで、魔法使いがどのような一族の者だったかは語られない。分からなかったわけではない。隠されたのだ。
 「以前、シズクさんにも言った事ですが……誤解しないで欲しいのです。確かに、500年前に事件を起こしたのは魔族(シェルザード)の魔法使いです。今現在、同じような騒ぎを起こそうとしているのもね。ですが、魔族(シェルザード)すべてが、世界の混乱や破滅を望んでいたかというと、そうではない。騒ぎが沈静化したのち、残された魔族(シェルザード)達は、我々人間と何ら変わらない、善良な非戦闘員が大半だったようです」
 一族の大半が死に、生活基盤が瓦解した魔族(シェルザード)は、滅びを待つのみかと思われた。そこに手を差し伸べたのが、当時のイリスピリア王、パリスだった。
 「後の世の遺恨とならないよう、彼は世界の主要国に掛け合って、残された魔族(シェルザード)の保護を訴えた。幸いな事に、王家の血筋は途絶えていなかった。まだ年若い王を領主に据えて、ファノス国の一部に指定された自治区で、彼らは静かに暮らしていた」
 「…………」
 全てが、初めて聞く内容だった。セイラの言葉を借りると、神殿や国のトップクラス以外には伝えられていない事柄であるので、当たり前と言えば当たり前だが。
 滅んだと噂されていた一族は、ファノス国の辺境で、主要国に守られながら代を繋いでいたのだ。幸い、魔族(シェルザード)の外見は、人間と大差がない。赤い瞳を持つ領主以外は、人間社会に入り込んでもほとんど目立つ事はない。魔法学校への入学こそ許可されなかったが、それなりに自由に、ファノス国民の一員として生活を営むことは可能だった。
 「とはいえ、魔導の能力や知識が他のどの一族よりも優れた種族です。さすがに野放しにしている訳にはいかなかった。再び世界の脅威となる可能性もゼロではない。……ティアミスト家は、イリスピリア王家の影であると同時に、魔族(シェルザード)と友好関係を維持し、彼らと世界を繋ぐ架け橋の役割を担っていました」
 続いてのセイラの言葉に、シズクは息をのむ。
 「友好関係って……」
 信じられないと言った声でそうこぼしたのは、リースだ。
 「長年、魔族(シェルザード)王家と、ティアミスト家は、定期的に会談を重ね、友好的な関係を築いていました。彼らの魔力と対等に渡り合える者など、ティアミストの魔道士以外おりませんでしたからね。意外に思うかも知れませんが、魔族(シェルザード)は元来、温和で争い事を好まない一族です。その気になればその魔力で世界の主要国と渡り合えたというのに、ティアミストの影に潜み、穏やかに暮らし続ける事を選んだ」
 シズクの認識の中での魔族(シェルザード)は、故郷を滅ぼし、母や父を殺した一族である。記憶の中にある彼らは、無慈悲に魔法を使い、セーレーの町を破壊しつくした。残忍で恐ろしい一族であると思っていたのに、彼らはティアミスト家と長年友好関係で結ばれていたのだという。にわかには信じられない事だった。
 「信じられないでしょうが、これが、キユウ・ティアミストから報告を受けていた内容です。当時の僕にしてみれば、あんなに穏やかだった魔族(シェルザード)の変わり様の方に驚いた」
 シズクの表情に苦笑いを浮かべた直後、セイラは憂いを帯びた光を瞳に宿す。
 それは、14年程前の話だという。当時の魔族(シェルザード)王家には、二人の王子がいた。王子達のうち、皇太子とみなされていた第1王子が、突然一族内でクーデターを企てたのだ。
 「この事件で、王と王妃は殺害されてしまいます。人間社会と友好を保っていた重臣達も同様です。当然、ティアミスト家と魔族(シェルザード)との交流も途切れてしまった。第1王子は、一族の者を連れて姿を消しましたから。ですから……僕をはじめ、世界が知る魔族(シェルザード)の情報は、14年前までで終わっています」
 情報として確実にたどれる魔族(シェルザード)の歴史はそこで終わっている。だが、その後の動きについては、あくまで推測の域からは出ないが、こう考えられている。魔族(シェルザード)の第1王子は、クーデターからそれほど間をおかずに、ファノス王家を秘密裏に転覆させたのだ。領土が広く、あちこちに火種がくすぶっていた大国は、その後紛争状態に入る。人間同士の醜い争い事が、数年にわたって続く事になった。シズクが暮らしていたオタニア国も、元々ファノス国の一部だったと聞く。ルームメイトのアンナや世話係のナーリアも、紛争で孤児になった者たちだ。シズクもその一人なのだと、長年信じていた。けれど、違っていた。取り戻した記憶の中で自分が暮らしていたのは、イリスピリア国のセーレーという町だった。
 「ティアミスト家は、クーデターと同時に、世界中に緊急の声明を出した。歴史の潮目が変わったのだと。安息の500年は終焉を迎え、再び歴史が繰り返される、とね。……正直、一人の王子が起こしたクーデターに対して出すにしては、大げさな声明です。訳を聞いても、キユウは答えてくれませんでした」
 「だけど、それから間をおかずして、紛争が起こり、そしてティアミスト家は、魔族(シェルザード)に滅ぼされた」
 シズクの言葉に、セイラは緩く頷き、そしてこう補足を加えた。
 「ええ。キユウの読みは間違いでは無かった。紛争を起こして世を騒がせた後、魔族(シェルザード)は、友好関係を育んでいたはずのティアミスト家に牙をむいた。ティアミストの魔導士たちを失う事による影響は、世界にとって少なくありませんでした。国の守りを固めるべき時に、特にイリスピリアにとっては、結界の弱体化を余儀なくされてしまったのですしね」
 おそらく、ティアミスト家を襲った理由にはその辺の思惑も含まれているのだろう。だが、解せない部分もまた、たくさんある。
 「……セーレーの町が襲われた時、シズクさん――ジーニア・ティアミストを救ったのは、カロンと名乗る魔族(シェルザード)だったのですよね」
 一瞬下りていた沈黙を、やや遠慮がちな声で破ったのはセイラである。彼の方を真っ直ぐ見て、シズクは頷く。あの時の光景が頭に浮かんで、胸が少し締め付けられた。さらさらの銀髪の、女の子かと見紛うくらいに、綺麗な少年だった。
 「おそらく彼は、魔族(シェルザード)の第2王子です。第1王子と年が10程離れていたと聞きますから、シズクさんと出会った時は10歳前後だと思います。推測ではありますが、クーデターにも、ティアミスト滅亡にも、彼は関与していない。兄王子のやる事に逆らえる年齢ではありませんから、言いなりになるしかなかったのではないかと」
 確かに、当時のカロンに、邪悪な思想は存在していなかった。それどころか、幼いながら、彼は兄の思惑に背いてくれた事になる。ティアミストの娘だと知りつつ、シズクを生かしたまま、全ての事柄から隠してくれたのだから。そればかりか、やろうと思えば、母から託されたあのネックレスを、奪うことだって可能だったはずなのに、目を瞑った。そう思えてならない。
 二度と会わない方がいい。別れ際に、カロンはそう言った。彼は、自分が今のような混乱を起こす人物になる事を、予感していたのだろうか。つい数ヶ月前に再会した彼は、外見が成長しただけでなく、その雰囲気もまた大きく変わってしまっていた。
 「今のカロンと同一人物とは、とてもじゃないけど、思えないです。そっくりな別人ではなかったのかと、疑いたくなるくらいで。……人は、12年であそこまで変わってしまうものなのでしょうか」
 思考が行き詰まり、そう零す。答えを期待している訳ではなかった。
「……魔族(シェルザード)の第1王子も同じです。彼は、クーデターを企てるような人物からは程遠かった。一族を愛し、家族を愛し、立派な王となるに違いない人格者だった。元より問題がある人物であれば、ティアミストも、世界も、そもそも黙ってなどいません」
 だから、そうセイラ続けたのが、シズクには意外だった。そして、彼が告げた内容もまた、予想外だった。
 「人格者だった王子が、何でまた、クーデターなんか……」
 ここにきて、ずっと黙したままだったアキが発言する。話の流れに付いて行くのに必死だったのだろう。その表情には、若干疲れが見える。
 シズクにしてみても、アキと気持ちは同じだ。シズクだけでなく、その場のメンバーの総意だろう。皆一様に頷いたり、首をひねったりしている。
 「僕には分かりません。ですが、温和で優秀な第1王子は、突然邪悪な思想を持ち、暴力的な人物に豹変した。……シズクさんの話を聞く限り、第2王子であるカロンもまた、似たような状況ではないでしょうか。彼らの人格を変えてしまうような何かが、ある時、突然起こった。そう考えないと、納得できません」
 (人格を変えてしまうような、何か……)
 セイラでも分からない事を、シズクが分かるはずはない。ひょっとしたら、母は知っていたのかも知れない。第1王子の豹変を受けて、即座に危機感を持った彼女ならば、魔族(シェルザード)の王子に起こった事態を正確に把握していたのかも知れない。けれどもう母はいない。彼女だけでなく、ティアミストの魔道士達は、自分と兄以外全て、あの日殺されてしまった。

 ――いよいよ時間がないね

 そんな時、ふと、あの日のカロンの言葉が頭に浮かぶ。苦悶に満ちた表情で、そういえばあの時、彼は右手で右目を覆っていた。そして。次の瞬間――

 「赤い瞳……」

 「え……?」
 口をついて出てきただけの言葉に、その場の全員が小さく声を上げる。皆の視線が自分に集中している事に、少なからずシズクは緊張する。
 「いえ、きっと、大した事じゃないです。そういえば、出会ったばかりのカロンの瞳は、赤くはなかったなと思って。……青かった瞳が、片目ずつ赤く変わっていったのを見たので――」

 『瞳の色が、変わったですって!?』

 声は、部屋にいるメンバーからのものではなかった。けれどもシズクは、これが誰の声だかすぐに思い至る。普段自信たっぷりの彼女にしては、切羽詰まったような印象を受けるが、間違いない。
 ぽおんと、メルヘンチックな効果音が場に上がった直後には、シズクが予想したとおりの存在が、テーブルの上に出現した。全身青尽くしの小さな美女、セイラの持つ伝説の杖の化身。偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)こと、リオである。
 突然の介入者の登場に、アキとレクト皇太子は慌てたようだった。思い切り仰け反ると、あれは何だと騒ぎだす。リオと初対面である彼らだ、この反応も無理はない。けれど、今日のリオは、普段と少し雰囲気が違う。自己紹介する事もなく、彼女はシズクに詰め寄ってきた。
 『本当の事なの? シズク。瞳の色が変わったって』
 サファイアブルーの瞳は、真剣な色を乗せてシズクを見つめている。常時ニヤリとした笑みを絶やさない唇も、今は真っ直ぐ引き伸ばされていた。
 「……この目で見たはずだから、本当だと思う。でも、それが一体どうしたの? 魔族(シェルザード)の王様が赤い瞳を持つのは、当たり前の事じゃないの?」
 解せないといった表情で、シズクはリオにそう告げる。
 魔族(シェルザード)の王は、血のように赤い瞳を持つ。それは、この世界に生きるものならば当たり前に知っている事実だ。カロンのあの変化だって、魔族(シェルザード)の王子であるから起こった事ではないのだろうか。
 『ええ、当たり前の事よ。でもね、大事なのはそこじゃなくて、カロンの瞳の色が急に変化したという事実』
 「え?」
 『魔族(シェルザード)の赤い瞳は通常、一人にしか受け継がれないものよ。あれは、一族が背負う呪いのようなもの。……移ったという事は、第1王子から第2王子へ、呪いが受け渡されたという事』
 「呪い……?」
 リオの言葉に、セイラも眉をしかめる。彼も知らない事柄なのだろう。だがリオは、それ以上は説明してくれない。あぁだからキユウは。と、一人でブツブツと考え事をしだす。
 「リオ。呪いとは一体、何なのですか?」
 しびれを切らしたのだろう。セイラが、なおもぶつぶつと呟くリオに向けて、やや強めの声で言葉を放つ。件の杖の化身は、持ち主の言葉を受けて、黙り込む。告げようか告げまいか、やや逡巡するようなそぶりを見せた。だが、そう間をおかずに、こう告げたのだった。
 『……私も全て知っている訳じゃない。パリスもシーナも、これに関しては、はっきりした事を教えてくれなかった』
 サファイアブルーの瞳を寂しげに細めて、リオはため息を落とす。
 『大昔の話よ。魔族(シェルザード)は、その魔力の強さ故に、人間達からはみ出して、迫害されていた。その怒りと絶望の末に、禁忌に値する魔法を作り出してしまった。その魔法は血筋を介して、赤い瞳として受け継がれ、ある時点で発動する。一度発動した魔法は、例えその者を殺しても、それほど時を置かずに次の者へと移る。……血筋が絶えて、なくなるまで』
 青い瞳が、見る間に赤く染まった。それを受けて、カロンは悲しげな顔をした。幼いジーニアに、彼は何も告げなかった。けれどおそらく、彼は自分の身に起こった事を、正確に理解していたのだろう。兄王子が受けた呪いが、自分に受け渡されたのだ、と。
 「何らかの人格変化。……呪いの正体は分からないですが、無関係ではなさそうですね」
 もう二度と、カロンには会いたくないと思っていた。かの王は、会うたびにシズクの心を揺さぶって、惑わすばかりだったから。ついこの間も、不穏な言葉を残して去って行った。けれど……
 「…………」
 リオから知らされた呪いの話を聞いて、シズクはたまらなくなる。そして、あの日のカロンに、もう一度会って話をしてみたい。自然、そんな感情が湧きあがってくるのが分かった。




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