追憶の救世主

backtopnext

第7章「西へ」

7.

 「城下町散策は楽しめたみたいね」

 アリスがおもむろにそう告げたのは、淹れたてのお茶の香りをシズクが楽しんでいた時だった。
 今日のお茶は、シズクが長年過ごした町でもあるオリアの名産リコ茶が選ばれていた。ほんのり甘い香りが、少しだけ郷愁を誘う。
 日が落ちてきたあたりで城下町散策を切り上げ、シズクとリースはエラリア城に帰還していた。ちょうどそのタイミングで、アリスとアキの外出許可がそれぞれ降りたという知らせが耳に入ってきた。他でもない、アリスとアキの二人がともに城の入り口付近のテラスでシズク達の帰りを待ってくれていたのだ。お土産のクッキーは夕食後のデザートに取っておくつもりだったのだが、今後の予定を早めに詰めておくに越したことはないだろう。そんな訳で、アリスの部屋に集まって軽いお茶会を開くことにしたのだった。
 「エラリアの城下町はどうだった?」
 「本当ににぎやかで広い町だった! あちこち見て回れて楽しかったよ!」
 リコ茶に一口つけてから、シズクは興奮気味にそう返答する。シズクの様子に、アリスは満足そうに微笑んだ。
 さすがは大陸有数の町である。観光客や買い物客が訪れる商店街区域だけでもかなりの規模だった。魔法屋で長居したせいもあるが、とても1日では回り切れない広さだった。色とりどりの売店や露店が立ち並ぶレンガ造りの街並みと、町中に張り巡らされた水路や緑を思い出して、シズクは楽し気に目を細める。本当に美しい町だった。
 「俺があちこち案内してやっても良かったんだけど、二人きりの時間を邪魔するのも悪いと思ってさ。んで? どこ行ってきたんだよ、っていうかリース。お前ってアクセサリーをつける趣味なんてあったっけ?」
 大いにからかいの含まれた声色で、アキがリースに詰め寄っていく。彼の空色の瞳は、リースの左腕に光るシルバーのバングルへと向かう。細めのバングルの上に小さな青色のチャームが埋め込まれたそれは、先のマジックショップでシズクが作成したチャームである。あまり目立たなくて動きの邪魔にもならないようにと選んだデザインだったが、なかなかアキは目ざといなと思う。
 「今日集まったのは、そんなことを話すためじゃないだろーが!」
 案の定、アキの突っ込みにリースは渋い顔でそう告げる。バングルを近くで見ようと迫るアキを押しのけると、ため息をついた。そんな二人の様子を見て、アリスとシズクは目を合わせて軽く噴き出す。
 「そういえば、アリスの外出許可と、アキさんがアリスの護衛につく承認が下りたんだったっけ?」
 「ええ、そう。可能なら、明日からでも出発できるわよ」
 「わたし達は今日城下町で準備を整えてきたけれど、アリスとアキさんは大丈夫なの?」
 出発できるのならば、もちろん早めが良いだろう。今現在エラリア城付近は平和を維持できているが、戦争はすでに始まっている。魔族(シェルザード)が狙う『石』を持っている魔女の元に、いつ彼らの手が伸びてもおかしくはない。
 「私は大丈夫よ」
 「俺ももちろん。そうくるかと思って、今日中に準備は整えておいたぞ」
 シズクの質問に、アリスとアキは各々自信満々の表情で頷いた。おそらく、許可が下りる事を見越して、昨夜から可能な限りの準備を始めてくれていたのだろう。
 「テティの元へ出発したら、しばらくエラリアには戻れないと思うけど、本当に大丈夫なのか?」
 ダメ押しで告げたリースの質問にも、二人は頷く。アリスはともかく、アキは長年エラリアで生活をしてきた身だ。戦争が始まった最中に故郷を離れるにしては、準備期間が1日というのはあまりに短すぎるように思えた。けれども、その空色の瞳には強い決意が宿る。
 「もちろん、やり残しが全くないかというと、それは嘘だけどな」
 「私も、本当は養女の件を全部片づけておきたいところだけど」
 それどころではないから。アキとアリスの台詞が見事に重なる。
 東の森の魔女――テティ・リストバーグには、エラリア側から魔道を駆使した火急の連絡がすでに飛ばされているらしい。彼女もおそらく、自分達を待ってくれている。これ以上魔族(シェルザード)達に『石』を集めさせない為にも、彼女の保護は急ぐ必要がある。それがどれほど重要な使命なのかという事を、改めて実感し、身の引き締まる思いだった。
 二人の様子に満足そうに頷くと、リースは最後に、シズクへと視線を向けた。
 「シズクは、この城にもうやり残しはないのか? 結局、玉座の扉に施された魔法陣の件は、はっきりしないままだったけど……」
 昨日、シズク達が例の玉座の扉を視察したのち、セルト王の命により魔道士が数人集められたようだった。おそらく国内で最も優秀な部類に属する魔道士達によって、再度扉の魔法陣の検証が行われたらしい。だが、結局シズクが告げた内容以上の事はわからなかった。これも、さきほどアリス達によってもたらされていた情報である。
 エラリアの魔法の権威の知識を駆使しても、あの魔法陣に刻まれた模様は解明できなかったらしい。だが、この知らせを聞いても、シズクは意外とは思わなかった。当たり前である――
 「そのことだけど」
 エメラルドグリーンの瞳を見つめ返して、シズクはそう言葉を紡ぐ。
 「私、一つだけ皆に黙ってた事があって。多分これは、セルト陛下にも知らせないといけない事だと思う」
 「黙っていた事?」
 シズクの切りかえしに、リースは怪訝な表情を浮かべる。アリスとアキも、不思議そうに首をかしげて、シズクへと視線を向ける。三人の顔を見渡してから、シズクは改めて頷いた。
 ――あの時は、正直動揺しすぎて逃げ出してしまった。聖女として立つ事を決意しておきながら、数日で腹をくくれたかといえば、そうでもないのだろう。昨日の朝見た夢の内容も尾を引いていたからだと思う。
 「……怒らないで聞いてね」
 とはいえ、自分のした事に大いに感じるうしろめたさを拭い去る事は出来ない。なぜあの場で言わなかったのか、責められるような気がして、シズクは少し怖くなった。自分から話を切り出した今でも、言葉にするのは怖い。けれど、エラリアでの滞在はあとわずかだ。パリス王は、自分にこの為に最後のメッセージを残したのではないか。今になってみれば、そう思えてならない。
 シズクの気まずそうな様子に、一体これから何を聞かされるのか、リース達三人に、やや緊張した空気が流れた。
 「玉座の扉に施された魔法陣の周りには、模様とも文字ともつかない不思議なパーツが散りばめられていたよね」
 「そうだけど……あれはそもそも文字なのか? 俺でもさっぱりわからなかったのだけれど」
 リースに言われて、シズクは緩く頷く。リースは、共用語以外の言語もいくつか解する事ができる言語学マニアだ。その彼が、あの模様を見て文字かどうか判断がつかないと述べた。おそらくリースよりもはるかに言語学に明るい者も、扉の検証に立ち会ったと予想されるが、現在のところ有用な情報は一切出てこない。当たり前だ――
 「あれは……あの『暗号』は、言語学の歴史に名前を刻む類のものなんかじゃないから、誰も分からなくて当然だよ」
 シズクの告げた内容に、意味がよくわからないといった調子でリースは眉をしかめる。
 「暗号?」
 そう、あれはどこかの民族が用いるような文字ではない。かといって、模様でもない。そう確信をもって言えてしまう自分が、相変わらず怖いのだが。これはれっきとした事実だ。言うべきか否か。一瞬迷いが生まれるも、ここまで来たからには言わねばならない。ひときわ大きく息を吸うと、それをゆっくり吐き出す。少しは落ち着いてきた。
 「金の救世主(メシア)シーナと弟のパリス王子が、周囲にばれずに何かを計画する時用に使用した暗号。それが、あの扉の魔法陣に刻まれていた模様の正体」
 思ったより落ち着いた声が出た。告げた言葉自体はそれほど変な内容ではないだろう。そう、あの模様は、至極私的な用途で使われていたものだ。イリスピリア王家には、王家のものだけが用いる特殊な文字が存在するが、おそらくそのような正統な文字でもない。やんちゃな姉弟が、親や周囲の目に触れたくない何かをする時の為に考案された、おそらく二人だけの秘密の暗号。
 「…………」
 部屋の空気が一気に2、3度は下がったように感じた。ここにいる全員が、シズクの告げた内容から、大方の事情を理解することができたという事だろう。
 告げた内容自体は大したことではない。だが、500年前を生きた人物が、プライベートでのみ使用していた暗号を、何故シズクが知っているのか。その事に考えが至った瞬間、シズクでなくとも愕然とするのではないだろうか。
 ――シズクの中には、やはりシーナの記憶が混じっているのだと。
 「昨日、セルト陛下に連れられて扉を見た時には、信じられなかった。何かの間違いだと思って、すぐに目をそらしたくらい。……だって、そんな私的な暗号が、あんなに公的な扉に混ざっている訳がないと思ったから」
 何故パリスは、そのような文字を国同士の大切な契約の代物に忍ばせたりしたのだろう。シーナもパリスも居なくなってしまえば、もうその意味を解する人物など、現れるはずがないというのに。
 「そんな訳で、わたし自身も未だに半信半疑なんだけど。もう一度玉座の扉を見てみたら、はっきりすると思うの」
 イリスピリア城で邂逅した、白髭を蓄えた優しい老人の姿を思い出す。まったく彼のやる事は、短いつきあいのシズクに対しても掴みどころがなくて、予想外の事ばかりだ。狸親父とリサやリースに悪態をつかれてもおかしくないなと思う。記憶の中のかの賢王は、いたずらっ子のように目を細めて、ほっほと笑ったような気がした。






 4度目の玉座の扉訪問は、夕食の時間が終わり、城の業務が完全に終了した遅い時刻になった。城の業務時間内は、人の往来もそれなりにあり、業務の支障にもなるため気が引けたというのが一番大きな理由である。城勤めの者の多くが帰宅した時間を待ってやってきた訳だが、王城でも奥まった部分に属する玉座の間付近は静かなものだった。等間隔に設けられたランプからは暖かな光が漏れていたが、人の気配はほとんど感じられない。
 昨日の訪問でも見たばかりだが、白亜の扉の上に刻まれた紋章は相変わらず繊細で美しかった。太陽とライラの模様を中心に、様々な太さと曲線で、独特の雰囲気を形作る。その模様らしきものの中でも、円の一番外側にあたる部分に刻まれた模様を視界に入れて、シズクは小さく息を吐いた。その隣にはリース。後方にはアリスとアキが、緊張した面持ちで立っている。
 「やっぱり、間違いないの?」
 後方から、やや控えめな声色でアリスが訊ねてきた。彼女の方を振り返ると、その闇色の瞳は夜の明かりに照らされて深い色を放っている。綺麗な顔には、心配の二文字が浮かんでいた。
 「うん、間違いないと思う」
 アリスに曖昧に微笑んでから、シズクは改めて模様へ視線を向ける。間違いない。シズクの目には、この模様は文字として映る。なぜならば読めるからだ。
 昨日ここに来た時は、読めてしまう事に気づいたものの、それを周囲に告げる事が怖かった。まさかそんなはずはないと、何故だか分からないけれども読めてしまう文字の解読を行う事が怖くて、目を背けてしまった。
 (わたしは、まだわたしだよね……)
 心の中だけでそう呟いて、シズクはパリスの残した暗号へと瞳を滑らせていく。
 一度は逃げた文字の解読。委ねてしまえばいいと、あの時頭の中に響いた声がひどく怖かった。まるで、自分と異なる人格に思考を乗っ取られてしまいそうだと感じたからだ。甘く誘惑してくるようなその物言いに、恐ろしさが勝ってしまった。けれど、シズクは未だシズクだ。今朝のエラリア散策で、リースに贈り物を思いついたのも、それを実行したのも、もう一度玉座の扉を調べたいと言い出したのも、全てシズクだ。エラリアで自分が出来た事は本当に少ない。この国を去る前にせめて何か一つでも、魔族(シェルザード)との争いを、出来るだけ早く解決に導けるような何かを、つかみ取らなければ。

 「――中央のイリスピリアに三つ」

 『……え?』
 数分の沈黙を割いて、シズクが発した言葉に、シズク以外の全員が驚いた声を上げた。
 「北のレムサリアに一つ、南東のエラリアに一つ、西のディレイアスに一つ」
 それは、まるで宝物のありかを示すような、端的な文字の羅列だった。そして――
 「扉の先は、ディレイアス」
 そこでパリスの『暗号』は終了である。淡々とした文字の羅列を、ただ耳に入れるだけでは何のことを言っているのかさっぱり分からないかもしれない。けれど、シズク達はすでにこれまでの経緯から、それらが暗に何を意味するのか悟る事が出来た。簡単な事だ、列挙された地名と、そこに示された『何か』の個数を考えると、おのずと回答は導き出される。
 「全部で六つ、か」
 「これはもしかしなくても、石の在処を示したもの、とか?」
 リースとアリスが、各々言葉を紡ぐ。おそらくそのまさかだろうとシズクも思う。もちろん、その場にいる全員が同じ結論に至っただろう。
 パリス王は、その行ってきた政治的業績は歴代有数で、賢王と名高い。しかし、当時彼が暗躍して隠したであろう6神の『石』の在処については、シズク達の調査の現状を見るに、どこにも記録を残さなかったと考えられる。自分の息子達や、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)にさえ、全ての真実を打ち明ける事はなかった。それがまさか、こんなところに、こんな形で残されていたとは。
 「という事は、だ。扉の転送魔法の行先は、西のディレイアス?」
 完全に核心は持てないのだろう。怪訝な表情で告げたのはアキだ。初めて浮上する地名に、シズクの胸はざわりと鳴った。
 ――扉の先は、ディレイアス。
 ディレイアスといえば、雷神の神殿がある西の果てに位置する国だ。西の地理には詳しくないが、長く平和を維持している国の一つで、ミール族が治める、険しい山々が連なる山岳地帯だと聞く。
 「石の一つが、ディレイアスにある」
 それは、これまで一切わかってなかった『石』の在処のうちの一つだ。
 「セルト陛下にも、このことを早く――」
 時刻は遅いが、早くこの件を王に報告した方が良いだろう。そう思いシズクが言葉を紡いだ直後の事だった。それまでひっそりと寂しげな雰囲気をまとっていた王城の廊下の空気が突然一変する。等間隔に並べられたランプが揺らいで消えたかと思うと、間を置かずすぐに明かりが灯る。ただし、オレンジ色の通常の光ではない。再度灯ったランプは、魔法の光を帯びた薄青い光をたたえていた。
 「何……?」
 若干怯えの混じったアリスの声が空間にこだまする。薄青い光にさらされる廊下は、やけに不気味だった。同時に場に満ちる強い魔力の流れに、ぞくりとシズクの肌は泡立つ。流れの元へ瞳をやると、予想通りそれは白亜の扉に刻まれた魔法陣からだった。
 先日の襲撃の夜にエラリアの『石』が奪われた時、すでにエラリア側の魔法陣は、発動の準備を整えられていたとセルト王から聞いていた。確かに昨日扉を訪れた際にも、ゆるい魔力の流れは感じていた。大昔にティアミスト家の魔道士が施した転送魔法は、あの時既に発動の準備が整っていたのだろう。しかし、エラリアは転送元にあたる場所である。転移魔法陣は、召喚先が力の本体である。そちら側が請わない限り成立はしない。という事は、この魔力の変化は――
 「まさか、このタイミングで?」
 信じられないとばかりにシズクはこぼす。まるでシズク達の到来を待ち受けていたかのような絶妙なタイミングである。
 扉の魔法陣に刻まれた曲線はやがて、淡い白色の光を帯びるようになった。徐々に輝きを強める光に、あまり時間は許されていないのだと悟る。逃げ出す事もやろうと思えばできるだろうが、受け手を見失った魔法が、果たしてそのまま終息するかどうかも怪しいところだと思う。
 おそらく転移魔法は、たった今本格的に発動したのだろう。転送先が、こちらからの召喚を請うたのだ。
 ただならぬ気配を悟ったのはシズクだけではないだろう。その場の全員が何だとばかりにざわついて、視線をあちこちに向ける。
 「……アリス、陛下に『暗号』の内容を知らせて!」
 「え?」
 「このままだと全員飛ばされる。わたしが行ってくるからっ!」
 「ちょっと、シズク? どういう――」
 早口にそれだけ告げると、アリスの反応も待たずにシズクは急いで白亜の扉へと腕を伸ばす。扉に手をかけると、シズクの指先もまた淡い光に包まれ出した。ふらりと視界がかすみ出すのが分かった。

 「シズクっ!」

 完全に視界が白く染まるその直前、リースがそう叫んでシズクの腕を掴んだ事だけは理解できた。けれどそれ以上は視覚も聴力も失って、確認する事がかなわない。
 ひときわ眩しい光が廊下を包んだのは、その直後の事だった。





BACK | TOP | NEXT

** Copyright (c) takako. All rights reserved. **