追憶の救世主

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第8章「内乱の種」

1.

 ディレイアス国は、大陸の最西端に位置する国だ。多くを稜々とした山岳地帯が締め、国土の割に人の住む土地は少ない。人間族もわずかに住まうが、この土地を治める王家を含む国民の8割を、ミール族という種族が占めている。身体能力的には人間族とほぼ変わらないが、褐色の肌に鳶色の瞳という外見的特徴を持っている為、他種族と彼らの見分けは容易である。その閉鎖された山岳地帯という国土故に、ミールには独特の風習が多い。神様の名前や古代語から名付けをする事が一般的な人間族と違って、自然物をそのまま名付けに使うし、他国に比べてやや閉鎖的である。条件の厳しい土地で長く繁栄を続けていくには、厳格なルールが必要とされたらしく、身分の差や階級意識も未だ根強い。
 あまり世界情勢に詳しくないシズクに、ディレイアス国についてリースがざっと説明してくれた内容が以上である。

 「ふむ、シズク・サラキスか。人間族にしては珍しい。我々ミールと同じ、自然物から名を授かったのだな」

 グラスに冷たいお茶が注がれる光景を眺めていたシズクの耳に、少女の声が届く。視線を移動させた先には、ミール族の少女――ワカバがいた。あの遺跡で出会った時は動きやすそうな軽装に身を包んでいたが、あれは外出用だったのだろう。帰還した今は、上等な布でできていそうな神官衣を纏っている。こういう出で立ちでいると、彼女が雷神の神子である事に違和感はない。これも、ほとんどリースからの受け売り情報だが、数年前に前任の神子が亡くなった為、まだ年若い神子があとを継ぐ事になったのだという。道中で聞いたが、年齢は15歳になったばかりらしい。
 場所は、雷神の神殿の中心部に位置する応接室だった。神殿という事もあり、華美な装飾はないが、ところどころに金があしらわれており、上品なつくりの部屋だ。
 「拾ってくれた魔法学校の校長が、名を失っていたわたしに付けてくれたものです。瞳の色を見て、『神の雫』だと」
 どうぞ、とアサヒがお茶を勧めてくれたタイミングを見計らって、シズクが言った。オタニアのカルナ校長の顔が脳裏に浮かび、懐かしさがこみあげてくる。
応接間に通されたあと、改めて互いの自己紹介をしていたのだが、ワカバはミール族と系統の同じシズクの名に気を良くしたようだった。はじめのうちこそシズクをジーニアと呼んでいたが、シズク。と改めてその名で呼んでくれた。ジーニア・ティアミストで通しても良かったのだが、やはり長年呼ばれ慣れたこの名の方がしっくりくる。
 「それにしても、今世間を騒がせている聖女様と、大国であるイリスピリアの王子様が同時に現れるなんて。神様を召喚する以上の驚きですよ」
 全員分のグラスにお茶を注いだあと、ワカバの隣に座して言ったのはアサヒだ。シズクとリースが出現した瞬間を思い出したのだろう。その表情からは含み笑いが見て取れた。確かにまぁ、聖女様と王子様の登場シーンと呼ぶにしては、あれはなかなかに無様な登場の仕方だったなと思われる。
アサヒもまた、軽装から神官姿に着替えており、きりりとした雰囲気がより際立って見えた。ワカバの隣に付き従う彼女は、雷神の神子の守人を務める人物らしい。先ほど彼女自身からそう自己紹介を受けた。
 最初こそ警戒されたシズクとリースだったが、ワカバがシズクの瞳の色を見てその正体を言い当ててからは、あっさりと態度を軟化させてくれた。どこにも身分を証明するものはないが、聖女と共に現れたリースについても、イリスピリア王子だと納得してくれたようだった。あの遺跡の魔法陣から現れる存在が、神殿にあだなす訳がない、とはワカバの言。
 「……神下ろし。とあなた方は言っていたけれど、雷神の神殿にとってのあの魔法陣は、神と通じる儀式に使う代物か何かという事なのか?」
 お茶を一口飲んでからリース。その問いに答えるように、ワカバは頷いた。
 「その通りだよ、リース王子。雷神の神殿にとって、あの遺跡は特別なものだ。そして、あの魔法陣を使って良いとされるタイミングも、ディレイアスに危機が迫った時のみとされていた」
 「世界が揺れて、ディレイアスに危機が迫った時、魔法陣から神が下りる――およそ500年前、あの遺跡が作られた時に、当時の神子が言い残した事だと言われています」
 「500年前……」
 アサヒの言葉の一節に現れたその数字に、シズクはやはりと思った。リースも同じ結論に至っただろう。500年前とは、勇者シーナが世界を救済した時期に近い。そして、賢王パリスがエラリアに例の扉を贈り、永遠の契約を結んだ時期とも重なる。
 「だが、シズク達の説明と照合すると、伝承は歪曲されたものだったのだろう。『神下ろしの儀』は、本物の神を下す儀式ではなかった訳だ。大方、パリス王の悪だくみに、当時の神子が乗ったのだろう」
 「ワカバ様。少し言葉を慎んでくださいね」
 若干焦りのある言葉でアサヒがたしなめる。しかし、当のワカバはにやりと笑っただけで意にも介さないという風だ。神子である立場のワカバだが、長年神殿に伝わってきた事柄の認識を、シズク達の説明一つで改めてしまうあたり、かなり柔軟な思考の持ち主なのだろう。けれど、イリスピリアの偉大なる王の悪口ともとれる発言を、現イリスピリア王子の目の前で放ったのだ。アサヒの焦りも分からなくはない。
 「まぁ、パリス王は大狸だと俺も思っているから、異論はないよ。それに乗っかった当時の雷神の神子もまぁ、大概だなとは思うけれど」
 「ははっ、まったくだ。おぬしとは仲良くやれそうだな、リース王子」
 にやりと笑うワカバに、それはどうもと、苦笑いで肩をすくめるリース。悪口には悪口で対応という訳か。雷神の神子について嫌味を飛ばしたリースに対し、ワカバは大変楽し気な様子だ。だが、両者のやり取りをはらはらした顔で見ているアサヒに、シズクはほんの少し同情した。
 転移された遺跡から神殿までの道すがら、シズク達は自分達の境遇とここに飛ばされた経緯を簡単に説明していた。幸い、エラリアで起こった事件やファノス国の宣戦布告の一報は、ワカバの耳にすでに届いていた。状況を理解した彼女は自分達を神殿に招き入れて、こうして事情を聴いてくれている。
 「シズク達は、偶然にも我らの儀式に遭遇してエラリア城から飛ばされてきたようだが、そもそもエラリア側の魔法陣を調査していたのだろう? それで……あの魔法陣には、本当は何が隠されていたのだ?」
 急に声色を変えてワカバが言う。およそ年齢を感じさせない、厳格な声だった。彼女の含みのある物言いに、シズクもはっとする。ワカバはおそらく、シズク達が真実をすべて語っていない事を理解しているのだ。自分達の立場と、ここに来た経緯はもちろん伝えている。けれど、シズクやリースがエラリアに赴いていた本当の目的については語っていない。
 「この際隠し事はなしにしようではないか。どうせ近いうちに真実は私にもたらされよう。ファノス国も動いている。時間が惜しいのはお互い様だ。手短に聞きたい。――聖女達は何を目的に動いている?」
 きっぱりそう告げたあと、ワカバは問い詰めるような視線をこちらへ投げた。鳶色の瞳はもう笑っていない。これから先述べる事に、決して偽りを許さない。そう言われているようだった。6神の中で最も厳格で年長者とされる雷神(ディルス)を彷彿とさせる厳しい表情。さすがは雷神の代弁者たる神子といったところだろうか。
 シズクとリースは顔を見合わせた。二人とも、おそらく考えている事は同じである。ひと時無言で見つめあうが、ゆるく頷きあったところでリースが口を開く。
 「――6神の『石』を求めて、ファノス国王は動いている。今回の戦争も『石』をあぶりだす為の動きに違いないと俺たちは見ている」
 それは、これまでの旅で知りえた情報から導き出される事実だ。
 「俺たちは、ファノス国王――魔族(シェルザード)の手に『石』が渡るのを防ごうとしている。オリジナルの創世記にある通り、6神の欠片が集うと、世界に深刻な影響が出る可能性が高い。魔族(シェルザード)の王は、どうやら世界を壊すつもりらしい。それを止めたい」
言葉を受けて、ワカバはぴくりと眉を吊り上げたようだった。隣のアサヒも、黙したまま、けれど瞳には鋭い光を宿してこちらの話を聞いている。
 「…………」
 リースの説明を横耳に、シズクはというと、別の事を考えていた。
ここに飛ばされた事自体は本当に予想外で、本来ならシズクは、明日にでもイリスピリアに向けて発つはずだった。魔女の元に赴けなかったのは残念であるし、別れ際のあのやり取りだけで、アリスがその後どう動いてくれたのか気にはなる。けれど、逆にこれは好都合だったかもしれないとシズクは思った。ディレイアスに飛ばされる直前に知った事実がある。魔族(シェルザード)達が求める『石』の一つが、ディレイアスにあるのだと。パリスが施した魔法が導いた先は、まさにその地であるディレイアスだ。魔族(シェルザード)に奪われる前に、シズク達が『石』を守れるかもしれない。
 事の説明には、ずいぶんと時間を要した。覚悟を決めたリースは、本当にすべての事を雷神の神子に語る事にしたようだ。神話の真実と思われる部分。6神の『石』について。そして、ディレイアス国にどうやらその『石』の一つがあるらしい事。魔法陣に隠されていたパリスの暗号について触れた頃には、すっかり深夜といってよい時間となっていた。
 「石か……心当たりがない訳ではないが」
 「え?」
 会話が途切れたタイミングでワカバがそう零した事に、シズクもリースも驚いた。これまでパリスは石の存在をひた隠しにしてきたのだ。あっさり見つかるとは、正直思っていなかった。
 「話し込みたいところだが、今日はもう遅い。それに、今の話を聞いて、私は少し準備をしたいことが出来た。明日また、改めておぬし達をここへ呼ぼう」
 アサヒが淹れてくれたお茶はとうに尽き、2杯目のおかわりもまた、もう少しで飲み干してしまうくらい、長く話し込んだ。ワカバに言われてようやく、生ぬるい倦怠感が体にまとわりついてくる事に気づいた。色々ありすぎて、今自分は非常に疲れているのだろう。
 ワカバの話の続きがシズクとしては非常に気になったが、ここはありがたく提案に従っておくのが賢明だろう。体を壊してしまっては元も子もない。暇の言葉を告げて、リースとシズクは立ち上がる。部屋はすでに用意してくれているとの事で、アサヒの先導で部屋を出る。応接室の扉が開き、石造りの長い廊下が目前に広がったところで、シズクの視線はある一点へと向けられていた。それは、シズク達より少し前方。黄土色の石壁に背中を預けて佇む一人の少年だった。少年もこちらの視線に気づいたのだろう、目を合わせると、声を出すことなく会釈のみ返してくる。
 年ごろからして、リースやシズクとそう変わらない。整った顔に、ミール族の特徴である褐色の肌も相まって、美丈夫という言葉がしっくりくる。こげ茶色の前髪の間から、意志の強そうな鳶色の瞳が見えた。神官衣に身を包んでおり、この神殿にいるという事から、彼が神官職である事は間違いのないはずだ。しかし、研ぎ澄まされたその雰囲気は、彼の前では姿勢を正さなければならないような気持ちにさせられる。少年は何も言わずに歩き出すと、シズク達と入れ替わるようにして、ワカバの居る応接室の扉を開けて中へと入っていった。このような深夜に、神子と話をするという事は、それなりにワカバと親しい間柄なのだろうと推察される。すれ違いざまにアサヒは軽く礼を取って彼を見届けたのち、シズク達の道案内をすべく、再び歩を進めだした。
 「……今の人は?」
 不思議な雰囲気の少年だった。思うところはシズクと同じなのだろう。応接室の扉が完全に閉まった後、リースがアサヒにそう訊ねる。アサヒと少年のやり取りからして、少年の方が上の位にある事が推し量られた。しかし、神子の守人以上の位など、そういるはずはない。一体誰なのだろう。
 「あの方は……シグレ様です」
 シグレ様、と敬称をつける事からして、やはりあの少年はアサヒより身分が高い人間なのだろう。しかし、それ以上の説明はアサヒからもたらされない。言葉をそこで切って、彼女は再び歩き出した。気にはなったが、もう今日はこれ以上の情報を頭の中に入れない方が良いのかも知れない。そう判断すると、シズクは彼女のあとをついて歩き出したのだった。





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