追憶の救世主

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第6章 「それから」

2.

 一同が目を見開いて間抜けな顔をしている姿が、シズクには不思議で仕方がなかった。驚いた事に、ニコニコスマイルが標準装備のセイラですら、口をぽかんと開けて呆けているのだ。何故だろう。自分は、何かおかしな事を言っただろうか。

 「……あ」

 しばしの沈黙の後、口を開いたのはリースだった。
 「あんだけでっかい魔法使っといて、まさか忘れたって訳ないよなぁ? 危うく俺ら、生き埋めだったんだぞオイ!」
 額に青筋を立てて、リースは人差し指をシズクに突きつけてくる。怒りのせいか、指先が軽く震えている。突然の彼の剣幕に、シズクは少なからず怯んだが、何も出来なかった。出来たのはせいぜい、ただ冷や汗をかきながら、困惑気味に怒りで燃える緑の瞳を凝視する事のみだ。
 まぁまぁリースとか何とか言いながら、そんなリースの肩を落ち着かせるようにぽんぽん叩きつつ、セイラも怪訝な表情を露にする。
 「覚えて……ないんですか?」
 「…………」
 言われて数秒後、シズクはためらいがちに頷いた。
 リースの表情がますます険悪になっていく様子が目に映ったが、気まずくなってふいと視線を逸らす。
 しかし、覚えていないものは覚えていないのだ。
 確かに例の魔物に対していくつか魔法を使ったが、大したダメージを与える事は出来なかったはずだ。リースによると、城が崩れたとか何とか言っていたが、そんな強力な魔法、シズクは知らない。たとえ知っていたとしても、大して魔力が高くないシズクが、そんな魔法を行使できるかというと、無理な話だ。
 「あの日、あの魔物に止めを刺したのはシズクなのよ?」
 アリスにそう言われても、実感が湧かない。自分の記憶の中に、あの魔物達が倒される姿は無いのだから。うーんと苦笑いを零して、首を捻る。しかし、やはりそんな魔法を使った事は覚えていなかった。
 「物凄い魔法で。しかも、知らない言語で唱えて――」
 「知らない言語じゃないさ」
 アリスの言葉を途中で遮ったのは、リースだ。直後、一同の視線が金髪の少年の方へと向かう。
 「え?」
 「発声すると分かる奴は少ないだろうが、あれを文字にした物は、割かしみんな知っている」
 リースは未だに不機嫌な様子だったが、一息つくと、不思議そうに首をひねるアリスを一瞥する。そして、シズクの方を見た。やけに真剣な顔で。
 「オノムス・ウォンタット・イロ・オブレット――」
 「?」
 リースの口から飛び出した不思議な言葉に、シズクは眉間に皺を寄せる。独特の発音だ。聞いた事が無い。怪訝そうな視線をリースに寄せると、それに対して彼は冷静な視線をこちらへ浴びせてくるだけで、更に続ける。
 「……オノムスは『存在』を表す単語、ウォンタットは『出でる、参上する』の意。イロは助詞。そして……オブレットは『雷(いかずち)』」
 合点がいかない様子のシズク達を一瞥して、彼の話は更に続く。何か言いたそうなのだが、それが何なのかは、シズクには分からなかった。
 「こんな風に解釈していくとだな。あの『呪文』はこんな文章になる。『雷より出ずる者よ 雷を生みし者よ 西を司りし金色の王、ディルス 数多に響く轟きを 汝 我が前に示せ』――これは、魔族(シェルザード)の言葉だよ」
 「――……え」
 小さく、漏らす。頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなってしまう。いまいち現実感が湧かない。
 今、何と言った?
 「ちょ、ちょっと待ってよ。呪文って何のこと?」
 「あの時、エレンダルの城でお前が唱えた呪文の事だよ」
 「そんなこと……」
 覚えていない。何と言われようと、今しがたリースが述べた言語なんて……魔族(シェルザード)の言葉なんて、扱えるはずがない。
 「よりにもよって魔族(シェルザード)語で、こいつは魔法を使いやがったんだ」
 リースの声は、静まり返った部屋に重く響いた。未だ真剣さを宿した緑の瞳は、シズクの方を向いている。何も言われていないのに、無言で責められているような気分だった。
 「うそ……でしょう?」
 そんなリースの隣で、掠れた声を上げたのはアリスだ。彼女は半ば放心したような瞳をリースに据えつつ、更に言葉を続ける。
 「魔族(シェルザード)語って……それは、人間なんかでは扱えない言語のはずでしょう? なんでシズクが……」
 「それが分かったら苦労はしねーよ」
 大げさにため息をつくと、リースはアリスの隣にある椅子に、どっかりと腰を下ろした。真剣な視線が去って、シズクは少し安心する。
 「この調子じゃぁ本人は何にも覚えていないようだしな」
 八方塞がりだ。と言ってリースはもう一度ため息を零した。
 おそらく彼は、シズクに例の魔法を何故行使できたか、聞く魂胆だったのだろう。言語の正体の方は、言語マニアの彼の事だ。きっと聞いたその場で理解できたに違いない。だが、それを何故シズクが使えるのか、と心底疑問に思ったのだと思う。無理も無い。魔族(シェルザード)語で魔法を唱えるなんて、人間で出来る者は皆無に等しいのだから。古の勇者、シーナならばもしかしたら可能であったかも知れないが。
 こんな訳の分からない話、信じようにも信じられない。黒くて深い不安が、まるで触手を動かすようにしてシズクの心を覆ってしまいそうな気がした。落ち着かない。
 「ね、ねぇ。とりあえず……何があったか説明して。いろいろ言われても訳わかんないから」
 動揺している自分を落ち着かせるために、シズクはとりあえず話題を変える事にした。
 それに、こちらとしては魔法の事はおろか、あの城であの後何が起こったのかすらわからないのだ。それを説明してもらわない事には、何にも始まらない。
 「……そうですね。シズクさんのためにも、とりあえず、おさらいしておいた方が良いですね」
 セイラのそんな一言で、再び会話が再開された。



 リース達の話によると、あの後。――シズクが意識を失った直後の事だ。シズクが放った(らしい)魔法によって、エレンダルの城は数分と経たないうちに見事に全壊したらしい。
 幸い死人は一人も出なかったが、城勤めの使用人の中には、重軽傷を負ったものが少なからず居たらしい。
 これを聞いたとき、シズクは胸が痛む思いだった。しつこいようだが、城を崩壊させた程の魔法を放った覚えは、シズクには全く無い。しかし、それでも自分が放ったらしい魔法によって傷ついた人がいるという事に、責任を感じてしまうのだ。

 ――力に驕る事なかれ。魔道は人のためにこそある。

 魔法を行使する事とはすなわち、尋常ならざる力を行使するという事。決してその力に溺れてはいけない。ナーリアに常々言われていた事である。
 「あのクリウスという魔族(シェルザード)の少年は、シズクさんが例の魔法を唱えた途端、態度を変えたんですよねぇ」
 セイラはのほほんと言ってのける。内容の深刻さは、その口調からは悲しいくらいに全く伝わらない。しかし、一同の興味を強く惹く話題だった。
 クリウスはどうやら、シズクが放った魔法に興味津々の様子だったらしい。へぇ。と意味深に呟くと、次の瞬間には戦闘を切り上げて消えてしまったのだという。それと同時に、セイラを包んでいた結界も解除された。自由になったセイラはリース達と落ち合って、城を脱出したという訳だ。間一髪で、城の崩壊に巻き込まれずにすんだらしい。
 後は、その日のうちに山を下り、ジュリアーノの宿屋にたどり着いた頃には、もう日はすっかり暮れていた頃だったらしい。とりあえず部屋だけ取ると、その日は疲労のためかすぐに皆眠ってしまった。
 翌日を待って、町にあるジョネス国の魔法連に詳細を報告。崩壊した城に、その日のうちに魔道士達の査察が入った。
 「瓦礫の山の中から、女性の変死体が大量に発見されたらしいわ。私がエレンダルに見せられた『実験体』で間違いはないと思う」
 アリスによると、エレンダルがあの城でやっていた事は、倫理的に決して許されない行為であったという。
 永遠の若さを持つ人間の創造――神のみが成し得る永遠の命を、人間の手で作ろうとしていたのだ。そのために、セイラの杖が必要とされた。
 「それに、まだ確定じゃないけどな。変死した女性達っていうのは、カンテルの町で失踪した娘達って線が有力らしいぞ。身元が判明した人間が出だしているから」
 カンテルの町というのは、例の美女連続失踪事件が起こっていた町の名である。
 おそらくエレンダルは、自身の研究の実験材料として、彼女達をクリウスに連れてこさせていたのではないだろうか。つまり、娘達は何の罪も無く拉致され監禁された上に、最終的には無残な姿へと変えられてしまったのだ。
 ……むごい事をする。シズクは胸の奥に鉛がかぶさるような、奇妙な感覚を覚えた。

 「それで……エレンダルはどうなったの?」

 一通り話も終わりかけた頃。今回の一連の事件の諸悪の根源である男の名を、シズクは紡いだ。
 言葉に出すだけでも怒りが溢れてくる。彼は、結局どうなってしまったのだろうか。そういえば、リース達からいろいろ説明されたが、彼のその後については語られていない。
 「……死んだよ」
 しばしの沈黙の後、静かにリースが言った。
 「え」
 「あの後、エレンダルも命からがら崩壊する城から逃げ出していたんだよ。俺達は彼を捕まえて、その日の内に魔法連に突き出した」
 魔法連に突き出されたエレンダルは、問答無用で独房に入れられたらしい。城に査察が入れば入るほどに明らかにされていく彼の悪行に、重い刑が科せられる事は疑いようが無かった。
 そんな矢先だ。朝食を出しに来た看守によって、うつ伏せに倒れて死んでいるのを発見されたらしい。
 「心臓を刃物のようなもので一突き、だってさ」
 凶器が全く発見されなかった事から自殺という可能性は低いと思われたが、彼の独房に、誰かが侵入した痕跡は全く見られなかったのだそうだ。……結局、謎のまま捜査は見送りになったらしい。
 「十中八九、やったのはクリウスだろうな。魔法避けが施されている独房に侵入するなんて、魔族(シェルザード)くらいにしか出来ない芸当だろう」
 苦々しくリースが呟いた。
 そのクリウスだが、彼の行方については、未だに全くつかめていないらしい。
 美しい銀色の髪に、夜の湖面を思わせる深いブルーの瞳を持った、魔族(シェルザード)の少年。
 シズクは、あの瞳の色が自分のそれと著しく酷似しているような気がして、急に不安になった。ざわざわと胸が騒ぐ。エレンダルの一件は片付いたはずなのに、何故か、これで終わりではない気がした。
 「娘達は無駄に殺され、その犯人であるエレンダル自身も死んでしまった。誰も報われないな……」
 渋い顔で、リースが呟いた。



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