追憶の救世主

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第6章 「それから」

3.

 「はいどうぞ。ありがとうございました!」

 大きくハキハキした声で言うと、店員の少女はシズクに満面の笑顔を向けた。接客用の笑顔ではあるのだろうが、全然わざとらしさは感じられない。実に自然である。その素朴な雰囲気に、シズクは少なからず好感を持った。
 店員の笑顔に見送られて、店を後にする。歩きながら、シズクは先ほど店員から手渡された袋に手を伸ばすと、中のものを取り出そうとした。袋が開封されると同時に、優しく甘い香りが立ち上る。
 「はい、アリス」
 言って、まず一つを隣で歩く黒髪の美少女へと手渡す。シズクが手渡したそれは、素朴な丸い形をした焼き菓子だった。

 「ん……美味しいっ!」

 一口頬張ったアリスは、目を輝かして感動の言葉を零す。彼女につられるようにシズクも菓子を取り出して、そして一口かじった。ほわんとした甘さが舌の上に広がり、一気に鼻の奥までたどり着く。
 美味しい。
 三十分待って買った甲斐があるというものだ。
 『スウィートパイ』という名の焼き菓子だそうだ。ジュリアーノに店を構える『お菓子店 緑の天使の休日』の看板商品。この地域名産の『キャロシロップ』という蜜をふんだんに使ったもので、優しい甘さを持つのが特徴だった。
 連日朝から行列が出来る店らしく、シズクとアリスは、なんと三十分間も並んだ末に、やっとありつけたのだ。
 「こんなに美味しいんだから、リースも待ったらよかったのにね」
 最後の一欠片を口に放り込むと、シズクが零す。隣でアリスも本当にね。と苦笑いを浮かべていた。
 リースは、長時間並んでまで焼き菓子を食べたい奴の神経なんて理解できねぇ。とぼやくと、並ぼうと誘うシズク達を残して一人、町の散策に出かけてしまった。今頃は、好き勝手に町をぶらついている事だろう。

 (それにしても……魔法学校に居た頃には、こんな風にウィンドウショッピングなんて、考えられなかったなぁ)

 周囲を忙しなく見渡しながら、シズクは自然と笑顔になっている自分に気付いていた。
 年頃の娘にしては珍しく、シズクは生まれてこの方、ウィンドウショッピングというものをした事があまり無い。
 魔法学校の生徒は、決められた日以外の学外への出入りは固く禁止されていたのだ。それにたとえ許可された日だろうと、行き先には制限を設けられていたし、時間も厳守しなければならなかった。だからこんな風に、自由に好きなところを歩いて回る事など、シズクにとっては初めてと言っても決して言い過ぎではない。

 こんなにのんびりした時間も久しぶりである。例のエレンダルの事件以来、ばたばたした日が続いていたが、今日は久しぶりに全員フリーの一日だった。
 その一日を利用して、シズク達は旅に必要な道具を揃える傍ら、ジュリアーノの町の散策に来ているのだ。セイラは宿屋での留守番(もとい、サボリ)役に自ら志願し、ここには居ない。リースは先ほど話したように、別行動である。
 町には本当に、いろいろな物がある。ジュリアーノは大きな町であるから、特にそうだ。
 先ほどのようなお菓子屋もあれば、洋服屋、アクセサリーショップ、武器屋に道具屋。となんでもござれ、だ。露店で売られている異国の珍しい商品にも目を引かれた。
 そして何より、それぞれの店の店員達の威勢の良い掛け声や、それを見る客達の談笑が、この町に活気を与えている。大通りは買い物客でごった返し、実に賑やかな雰囲気だった。
 シズクが住んでいた町、オリアも活気のある町であったが、さすがにこれほどの人だかりは拝めない。シズクにとっては、何もかもが目に新鮮に映った。
 「凄いねぇ!」
 目を輝かせて周囲を見渡すシズク。そんな彼女を、隣で歩くアリスは、穏やかな瞳で見つめていた。



 腹ごしらえもすんで、続いて二人が向かったのは、武器屋だった。大通り沿いにも多くの武器屋が点在していたが、シズク達がやって来たのは、町の一番賑やかな部分から少しはずれた位置にある通りだった。周囲はひっそりとしていて通行人もまばらである。大通りの喧騒が嘘みたいだ。そんな通りをしばらく歩いた先に、その武器屋はあった。
 宿屋の青年が薦めてくれた店で、古くからの老舗らしい。
 重そうな扉を押すと、ぎぃと、やけに古びた音を立てて開いた。シズクはその音に一瞬驚いてしまったが、店内の雰囲気にもっと驚いた。実はシズクは、武器屋に行くのも初めてだったりする。
 魔法屋はノートルとの縁でしょっちゅう行った事があるのだが、武器屋は一度も無い。本来魔道士には、武器はあまり必要ではないし、たとえ必要でも魔法屋で揃ってしまうから当然といえば当然の話だが。
 (凄い……)
 店内は、静かな店の周囲よりもさらに静かで、そして少し薄暗かった。金属の匂いと、かび臭い匂いが鼻に付く。見渡す限りの棚には、重厚な武器たちが丁寧に陳列されていた。歴戦を超えてきたのだろう。威厳のようなものを放つ厳つい長剣や、シズクの腰くらいまでの高さはあろう斧の刃。そういったものが次々と視界に飛び込んできた。
 若い娘が居るにはあまりに場違いな雰囲気。シズクは少し、居心地の悪さを感じていた。

 「いらっしゃいませ〜」

 しかしそんな感情は、店の奥から掛かった声でかき消される事になる。
 カウンターと思しき場所からこちらを見つめていたのは、シズクより少し年上くらいの、若い女性だったのだから。
 女性は優雅な動きでカウンターをくぐると、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。
 リースと並びそうなくらいの長身で、出るところは出て、締まるところは締まっているという……いわゆるグラマーな体系。それを更に引き立たせるべく、体のラインがよく分かる、少し派手めの服を着ていた。踊り子か何かとは間違われても、武器屋の店員とはとてもじゃないが思われないような外見である。
 「ん〜。格好を見た限り、魔道士と呪術師ってとこかしら。ご所望の商品は何?」
 シズクとアリスを一瞥すると、女性は陽気に言った。ハスキーな声は、彼女の艶やかさによく合う。
 「えっと。つ、杖を見せてもらおうかと思って……」
 店員のきわどい衣装にどぎまぎしているのか、アリスがためらいがちに口を開いた。
 無理も無いだろう。大きく開けられた胸元から覗く谷間を目の前に突きつけられれば、同性ですら目のやり場に困る。
 しかし女性は、アリスの様子など全く気にもせずに力強く微笑むと、ちょっと待ってて。と言って一旦カウンターに引っ込んでしまった。
 「……なんていうか。凄い人だね」
 小声でシズクがアリスに耳打ちする。アリスもその意見に同意するようだ。こくりと頷くと、不安そうに表情を強張らせた。

 シズク達が武器屋に足を運んだのは、アリスの杖を買うのが目的であった。
 エレンダルの城にアリスが捕らえられていた際、術が使えぬようにと彼女は杖を取り上げられていたのだ。後で探そうにも、その直後に城が崩壊してしまったので、今更不可能である。瓦礫の山から杖一つを探し出すのは、相当骨の折れる作業だろうから。それに……そもそも、あの崩壊で無事に杖の形を保っている事すらが危うい。
 とはいっても、これからの旅を呪符だけで凌ぐのは少々心配である。呪符は消耗品で、数に限りもある。術を使いたい時に呪符を切らしたのでは役に立たない。
 そう言う訳で、急遽杖を買う必要が出てきたのだ。

 「おまたせ〜」
 再びハスキーな女性の声が聞こえると、カウンターをくぐって戻ってくる店員の姿が見える。その手には、小さなある道具が握られていた。
 「とりあえず、これで魔力を測らせてもらうわね」
 これ、と言って女性がアリスに差し出したもの。それは、外見上は医療道具の『体温計』にそっくりな物だった。だがこれ、もちろん体温計などではない。マジックアイテムの一つ。『魔力計』と呼ばれる、簡易な魔力測定器である。計り方は体温計と全く変わらない。唯一つ違うのは、測定されるのが体温ではなく、その人の魔力であるという事だけだ。
 アリスは店員に促されるままに、魔力計を小脇に挟み込む。別に場所はどこでも良いのだが、皆体温計の慣れで、ついつい小脇に挟んでしまうのだ。
 測定は一分程で終了した。
 「ふむふむ……『エルフ級』ね。相当な魔力の持ち主って訳だ。いやぁ、久しぶりね」
 魔力計の文字盤に出現した文字を見て、女性は感心したように言った。
 この魔力計。発明した人物が相当ユーモアに富んでいたためか、測定結果がちょっと変わっている。単なる数値ではなく、こんな風にランクで示されるのだ。ちなみに、一番下のランクは『ハズレ』、一番上のランクが『神級』となる。巷によくある占いの結果みたいで、子供と女性に人気だとか。
 『エルフ級』とは、上から4つ目のランクを示す。なるほど、確かに相当高い。シズクの身の回りの人で言うと、カルナがこのレベルに当たる。魔道士ですら、そうはいないレベルである。
 「あなたには普通の杖では合わないわね。こっちに来て」
 そう行って、女性はアリスに付いてくるよう促す。二人は店の奥まった部分まで歩いて行くと、そこで何かを話し始めた。どの杖にするかの相談でもしているのだろう。
 一人取り残されたシズクは、しばらくの間、アリス達の様子を伺っていたが、
 「…………」
 やがてそれも飽きて、ふと横の方を見た。視線の先には数々の武器が陳列されている棚がある。そして、その横に置かれた椅子の上には、さきほどの魔力計が乗っていた。店員がここに置いたのだ。
 シズクは静かに椅子に近寄ると、小型のそのマジックアイテムを拾い上げる。何の変哲も無い、見かけだけならただの体温計だ。しかしその内部構造は、驚くほどに精密らしい。現代の魔法知識の全てが注ぎ込まれているのだとか。
 安価で且つ便利なので、魔力計は様々な場所で利用されている。シズク達の魔法学校でも、生徒の魔力を測る時はいつもこれを用いていた。
 そっと魔力計を小脇にはさんでから、シズクはため息を零した。
 自分は、一体何をやっているのだろうか。何度やっても、結果は変わりはしないというのに。
 一分程して、小脇に挟んだ魔力計をおもむろに取り出してみる。
 「…………」
 結果は『凡人+α級』
 つまり、ほとんど魔力を持たない凡人より、少し高めの魔力を持っていますよ。という事だ。魔道士としては、決して自慢できる魔力の高さではない。
 昔から、魔力が低い事はシズクのちょっとしたコンプレックスになってはいた。心無いクラスメイトから、陰口を叩かれた事もある。魔法学校に入学させたのは、カルナ校長の判断ミスだ、だとか。確かそんな風に。
 その度にアンナがキれて、相手に魔法を炸裂させかけた所を止められたっけ。
 だが、魔法を行使する能力全てが、魔力だけで決定されるものではないと知ってからは、シズク自身はそんなに気にしなくなっていた。事実、シズクは一般の魔道士並に魔法を行使する事が出来るのだから。
 (何かの間違い、よね……)
 魔力計の文字盤に映し出された『凡人+α級』の表示を見て、シズクは少しがっかりした反面、大いに安堵していた。
 自分の魔力は、旅立つ前の強さのままだ。ちっとも増えてなど居ない。だからきっと……リース達が言う、『強大な魔法』とやらを唱えたのは自分ではない。何かの間違いだ。そうに決まっている。
 いくらシズクの器が常人離れして強力だとしても、彼女はそれに似合う程の魔力を持っていない。
 もし仮に、シズクの器が魔族(シェルザード)の魔法行使に耐えうる程強力だったとしよう。だがその場合でも、魔力が無関係なのかというと決してそうではない。魔力もまた、魔族(シェルザード)の魔法行使を訴えられる程強力でないとダメなのだ。先ほど魔力計によってはじき出されたシズクのランクなどでは、到底無理なレベルである。
 安心したように微笑むと、シズクは椅子に座って店を見渡すかたわら、アリス達の様子を眺める事にした。
 店員の女性が取り出してくる数本の杖を、アリスは真剣な表情で吟味しているようだ。時々女性と話し込んでは杖を手に取り、感じを確かめている。
 シズクにとっては専門外なので、詳しくは知らない話だが、杖というのは呪術師にとって重要な位置を占める物らしい。術者と杖の相性一つで、術そのものの威力すら変えてしまうのだと聞く。
 術者に合った杖を使用すると、それだけ術の威力は上がる。反対に杖との相性が悪いと、本来の威力以下の力しか出せなくなってしまうという風に。だから杖は、術者の性質や魔力と相談しつつ選ばなければならないのだ。アリスがあれほど真剣に杖を吟味しているのも頷ける。

 アリスが一本の杖を手に携えて、女性と共に戻ってきたのはしばらく経ってからの事だった。こちらに歩いてくる彼女の右手には、細身の繊細な光沢を放つ杖が握られていた。
 「おまたせ。退屈だったでしょう? ごめんね」
 シズクの顔を見て、アリスは気まずそうに謝りの言葉をかけてきた。予想以上に杖選びに時間がかかった事を詫びているのだろう。それにシズクは、全然かまわないと返して笑顔を送った。
 「長年武器屋をやっているけど、こんなに魔力が高いお客は珍しくてね〜。手間取っちゃったわ。っと」
 店員の女性は苦笑いを浮かべつつ、シズクの方へ視線を送る。長年というには目の前の彼女は、自分とあまり年齢が変わらないとは思ったが、目の前に突き出された胸の谷間に注意を奪われてしまう。目のやり場に困り、おたおたしていたシズクだったが、
 「お。お嬢ちゃんも魔力を測ったのかしら?」
 シズクの右手を見て、興味深そうに言った女性の声で冷静さを取り戻した。
 いやしかし、お嬢ちゃんって……!
 少しムッとするシズクであったが、女性はそんな事は意に介さなかったらしい。ずずいっと寄ってくると、シズクの右手に持たれた物、魔力計へと視線を注ぐ。
 そ、そんなに近寄られると胸が……胸が!
 「あれえ、『凡人+α級』?」
 目の前にでんっと広がる豊満な胸に、大いなる焦りと少しばかりの羨望を感じていたシズクだったが、またもや女性の言葉で現実世界に舞い戻る。やや上を向くと、意外そうな表情をした女性の瞳。その視線は、魔力計の文字盤へと注がれていた。
 そういえば、ランク表示を消去するのを忘れていた。シズクの魔力は魔道士として決して褒められたものでない。その事がバレてしまった事に、シズクは少し恥ずかしさを覚える。女性はあきれているのだろうか。
 「そんなに低いの? おっかしいな〜。私の勘では、この子より魔力が高そうなのに……」
 「へ?」
 しかし、女性の口から飛び出してきたのは、予想外の言葉であった。
 この子といって女性が指差しているのは、他でもない。彼女の隣に佇むアリスだ。ということは、だ。彼女はアリスよりもシズクの魔力の方が高いと思っていたという事か。『エルフ級』の魔力を持つアリスより、『凡人+α級』のシズクを?
 「あ。その顔は疑ってるわね」
 シズクの表情を見て、女性が不服そうに言った。きっと今のシズクは、これでもかというくらいに怪訝な表情を浮かべているのだろう。無理も無いというものだ。魔力計で出される結果は壊れてでもいない限り精確なものだ。嘘であるはずがない。それを目の前のこの女性は、否定しようというのだから。
 「これでも二十年間武器屋をやっているのよ。人を見れば、だいたいのその人の力や魔力は分かるわ。何故って? そりゃー武器屋の勘ってやつよ」
 武器屋の勘と言われても……。って、ん?
 「二十年?」
 女性の突拍子も無い発言の事も忘れて、シズクは思わず呟いていた。
 二十年。今、確かに彼女はそう言った。だがしかし、目の前の女性はどう見ても自分と歳はさほど変わらないはず。生まれた瞬間から武器屋をやっていたというのなら別だが、そんな事はもちろん無理な話である。一体……
 「お。嬉しい反応ね。私の事、二十かそこらって思ってくれたんでしょう? 残念。こう見えてもね、私は四十二よ!」
 豊満な胸を上下させながら、女性は得意げに言う。その言葉に、シズクだけでなくアリスまでもが絶句したのは、その直後の話。



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