追憶の救世主

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第6章 「それから」

4.

 「はぁぁぁ」

 武器屋からの帰り道。夕闇の迫った街路を、シズクとアリスはのんびり歩いていた。夕焼けを正面から受ける彼女達の表情は、幾分脱力した感じを受ける。
 武器屋のあの女性の年齢を、シズク達は未だに信じられないでいた。
 42歳だなんて。どう高めに見積もっても、20代後半くらいにしか見えなかった。あれはもう、若作りとかいうレベルではない。一種の奇跡だ。
 セイラの年齢を知った時も、シズクはびっくりしたものだったが、今回は驚くのを通り越して感心してしまった。
 それに何だあのグラマーな体のラインと肌の張りは! 彼女より20歳以上も年下のシズクの方が、明らかに負けてしまっているではないか。
 「なんて言うか。世の中には凄い人がいるものね」
 「……まったくね」
 アリスの半ば呆けたような声に、シズクも同意を示す。
 あの女性。……名前はマリアさんと言うらしいが、なんと2人の子持ちなのだという。旦那さんと2人できりもりしている武器屋だそうで、シズク達が訪れたあの時は旦那さんの方は仕入れで店を出ていたらしい。
 若さの秘訣は、愛と勇気と気合とプラス思考だとか。……例えそれらが完璧にそろったとしても、あの若さはありえないと思うが。
 「うん。でもなんかさ、ああいう人を見ると、わたしもがんばらないといけない気がしてきた」
 急に立ち止まると、シズクは両手を拳の形にして軽く気合を入れる仕草をする。そして笑った。
 実年齢完全無視で、あれだけ心も体も若くて元気な人が居るのだ。そう思うと、小さな事で悩んでいる自分が実に馬鹿馬鹿しく見える。前向きに行こう。悩んでも仕方の無い事だから。
 「シズク」
 「ん?」
 呼び止められて、空を眺めていた視線を、アリスへと向ける。視線の先で、彼女は嬉しそうに微笑んでいた。何か良い事でもあったのだろうか。
 「元気になったみたいで良かった」
 言って、今度はにっこり笑う。
 「え?」
 それってどういう――
 「ねぇ」
 不思議そうに首を傾げるシズクを見つめながら、アリスが悪戯っぽく笑った。
 「あともう一軒だけ付き合ってもらってもいい?」






 アリスに連れて来られた店は、大通り沿いにある、一軒の小物屋だった。日用品から装飾品まで、様々な品物が所狭しと店内に並ぶ。大きな店とは言えなかったが、品揃えは豊富そうだ。
 「何か買いたい物でもあるの?」
 店内をぐるぐる見回しながら、シズクがアリスに問うた。あの後結局、アリスはにこにこ微笑んだだけで、何も説明もしてくれないままこの店に足を踏み入れたのだ。そして今も、何も言わないまま真剣に店内を物色している。
 「……と、んーと。あ、あった!」
 しかしやがて、一際大きな声を上げると、満面の笑みをこちらへ向けてくる。普段は大人っぽい彼女にしては、その表情はえらく幼く見えた。もっとも、美人であるのは相変わらずであるが。
 何? と言ってアリスの方へ近づいて行くシズクであったが、近づくにつれ、彼女が発見した物の正体が見えてくる。彼女が指差すものが完全に見える位置まで近づいた時、シズクは自身の胸が変に高鳴ったのを感じた。
 「これって……」
 「同じ物よ。見つかって良かった」
 シズクの視線には、一つのティーカップがあった。
 白い素材で出来た、水色の滴形模様のティーカップ。所々に花のアクセントと家々が描かれており、可愛らしいデザインだ。

 ――そう、カンテルの町でアリスが失踪する直前にシズク達が見て、結局買わなかったカップだった。

 「あの時買ったカップなんだけどね。例の事件で割れちゃったのよ」
 あの時のカップとは、シズクが適当に選んだあのカップの事を言うのだろう。そういえば、アリス誘拐のどたばたですっかり忘れていたが、買った商品はアリスが持っていたのだ。
 「あの小花柄のでも良かったんだけどね。やっぱりシズクには、これかなって。……どうかな?」
 それだけ言うと、カップに注いでいた視線をシズクへと向けた。不安そうで、こちらを気遣うような表情だ。一度このカップを買うことを渋ったシズクに、少し遠慮しているのだろう。
 尋ねられてシズクはカップへとゆっくり視線を注いだ。町に雨が降るデザインの、可愛らしいカップ。

 『忘れないでね』

 また、懐かしい声が響く。
 カップ一つで連想してしまうなんて、本当に可笑しいと思うが。
 あの日。シズクが全てを失った日だ。
 魔族(シェルザード)に町を襲われたあの日は確か、雨だった。記憶があいまいなので細部までは思い出せないが、全身雨に打たれてひどく寒かった事が思い出される。
 旅に出て、クリウスに会った時に思い出した事だ。それまではこんな事、ちっとも覚えていなかった。
 そういえば、魔法学校から旅立って以来、記憶の風景が徐々に鮮明になってきているような気がする。今まで全く思い出せなかったものが、少しずつはっきりしだしてきているのだ。徐々に記憶を取り戻しているという事だろうか。
 (旅に出た事で、わたしの中の何かが変わりだしている?)
 証明するものはどこにも無いが、確信めいた妙な気持ちがシズクの中にあった。

 魔族(シェルザード)が全ての鍵を握っている。

 もう一度彼らに会えれば、何か思い出せるかも知れない。



 「……いいよ」
 しばらくの後、シズクがぽつりと呟いた。
 「これにしよう。可愛いし!」
 アリスの方を向き、笑顔でもう一度。視線の先で、アリスは一瞬呆けた後、すぐにシズクと同じように笑顔になった。
 「良かった。じゃあ私、会計してくるね!」
 そう言ってアリスはティーカップを手に取り、会計所へ小走りで向かって行った。シズクは視線でそれを追ってから、もう一度満足そうに微笑んだ。
 (逃げてなど、いられない)
 自分は知りたいから来たのだ。自分が誰なのか、あの日何が起こったのか。それが知りたくて、旅に出た。
 もちろん全てが明らかになったとしても、何も変わらないかも知れない。だが、自分は別に何かを期待している訳ではないのだ。

 ただ知りたい。それだけだ。






 小物屋を出たときには、太陽は既に、ほとんどその姿を地平線に隠してしまっていた。茜色と闇色とがせめぎ合い、幾重にもなるグラデーションを、空に作り出している。夜が近づいているのだ。
 宿屋へ帰る道すがら、アリスは始終満足そうに微笑んでいた。新しい杖と、先ほど買ったティーカップを大切そうに手に持ち、足並みは軽い。
 「嬉しそうね」
 そんなアリスの様子を見つつ、シズクが笑って言った。こんな風に少し子供っぽいアリスを見るのは、はじめての事だった。普段は凛として、その外見のせいか大人びた面ばかりが目立つのだ。それが今は、まるでおねだりしたものを買ってもらえた子供のようである。
 「嬉しいのよ」
 「新品の杖だもんね」
 新しい物を買った後というのは、自然と気分が良いものである。たとえそれが大したもので無かったとしても、特別なものを買ったような気分になる。
 「違うわよ」
 しかし、シズクの言葉にアリスは苦笑いを浮かべて否定の意を示した。新品の杖が嬉しかった訳ではないのだろうか。よくわからないといった様子のシズクにアリスは微笑むと、
 「シズクが元気になったからね。嬉しいのよ」
 満面の笑みを浮かべてそう、言った。
 「え――」
 「ここんとこずっと元気が無かったじゃない。リースと喧嘩もしちゃってたし」
 ずっと気がかりだった。とアリスは続けた。
 それを聞いて、シズクははっとなる。自分が役に立てない事やら雨の事やらで、恥ずかしいくらいに落ち込んでいた事を思い出したのだ。
 シズクはそれほど楽観主義者でもないが、あんなに落ち込む事はここ最近は無かった。
 思い出して、途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。みっともない姿を見せてしまったものだ。
 「あはは……ごめんね。あんなところ見せちゃって」
 言って、シズクは気まずそうに頭を掻いた。視線の先で、アリスは日暮れ時のグラデーションを受けて微笑んでいる。その姿は、神秘的ですらあった。

 「仲間だからね」

 「え――」
 アリスの言葉に、シズクは声を零した。真剣な瞳で、アリスを見る。
 「一緒に旅をする仲間なんだからね。リースも師匠も。だから、そういう姿は見せてもいいの!」
 力強くそう言って、彼女は満面の笑みを浮かべた。

 あぁそうか。

 アリスはシズクが、常々不安に思っていたことに答えをくれたのだ。
 いや、答えなら既にたくさん貰っていた筈だ。ただそれに、シズク自身が気付かなかっただけで。行動としていくつも、答えをくれていた。リースにしてもセイラにしても、きっとそれは同じ事だ。アリスが言葉に出してくれた事で、やっと鮮明に理解する。
 「アリス」
 「何?」
 「――ありがとう」
 夕闇の迫る空の下、シズクは嬉しそうに瞳を細めた。それにアリスは、おどけたようにどういたしまして。と返す。二人に、どちらからとも無く自然と笑顔がこぼれてきた。
 止めていた足を、ゆっくり再開させると、二人は宿屋への帰路につく。リースはもう、宿に戻っているだろうか。
 茜と闇のグラデーションは、徐々に闇が優勢へと傾きだしていた。



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