追憶の救世主

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第7章 「月夜の来訪者」

1.

 シズク達はその後、既に一週間以上のジュリアーノ滞在を余儀なくされていた。例のエレンダルの事件について、魔法連からの事情聴取に応じなければならなかったからだ。
 とは言っても、シズク自身はほとんど事件の本質に関わっていないため、かなり暇を持て余した一週間でもあった。
 問題となるエレンダルの『実験室』を見たのはアリスだけであったし、そもそもの事件の原因は、水神の神子たるセイラの杖にあったからだ。事情聴取の時間のほとんどはアリスとセイラのために裂かれ、シズクに対してなど半日もあれば事足りるくらいだった。
 また、これは余談になるが、シズクの魔法によってあの魔物達が倒され、そしてその魔法が原因でエレンダルの城が崩壊した事は、魔法連側には知らせていない。他ならぬセイラの提案だった。崩壊の原因は、エレンダルに同行していたと思われる『魔道士』が放った魔法と、魔物達が暴れた事が原因である。そうセイラが嘘を語るようシズク達に指示をしたのだ。結果、全く疑われる事もなく、シズクの魔法や魔族(シェルザード)の関与など、最も重要であろう部分が伝えられぬまま、事件は処理される事となった。天下の水神の神子とそのお付きの者達が、まさか嘘をつきはしないだろうという、庶民の崇拝観念の賜物だろう。
 まぁ今回ばかりはセイラのこの発言に対して、皆は納得していた。魔族(シェルザード)の言語を介した魔法など、例え話したとしても誰も信じないだろう。それに、万が一ややこしい事になったら厄介だったからだ。

 「やっとだね」
 「うん、やっと。本当にいろいろ大変だったわ」

 宿屋の一室で、シズクが満面の笑みを浮かべて、言った。彼女の向かいに座るアリスの顔もまた、安堵の表情で埋め尽くされている。幾分疲労の色が見えるのは、きっと気のせいではないだろう。アリスはここ数日、魔法連の支部まで通い詰めていたのだから。
 シズクはおもむろに椅子から立ち上がると、部屋に一つのベッドへと腰を下ろした。ぼふんっと、心地よい弾力が伝わってくる。
 そう。やっとだ。やっと今日……魔法連の事情聴取が終了したのだ!
 「明日からさっそく出発だって。まったく師匠もせっかちね。一日くらい休ませてくれてもいいのに……」
 アリスはそれだけぼやくと、ついと部屋に一つの窓へと視線を投げかける。時は既に夜だった。窓の外には、徐々に細くなりつつある月が控えめに顔を覗かせている。その傍らで、静かにきらめく星々。明日はきっと、晴れるだろう。
 アリスの言葉に、シズクはそうだね。と曖昧に笑ってみせたが、本心では全く逆の事を考えていた。
 この一週間で、シズクはすっかりジュリアーノの町中を巡りつくしていたのだ。同じく暇をしているリースと一緒に歌劇を見に行ったり、ちょっとした騒動に巻き込まれたりはしたのだが、毎日同じ町を散策するのもつまらない。始めこそ珍しい物だらけで楽しかったが、さすがにこうも同じ場所に長い間滞在すると、飽きが来るというものだ。
 だからセイラが、事情聴取が終わった今日。明日からさっそくイリスピリアに向けて発つ。と言ってくれた時は、心の中で大いに喜んでいたのだ。アリスには悪いとは思ったが、シズクも別の意味で疲れていた訳だ。そろそろ外へ出て、新鮮な景色を見たい。

 「今回は、やりきれない事件だったわね……」

 師匠への愚痴ついでか、アリスはため息をつきつつ虚ろな目で言った。
 今回の事件とは他でもない、エレンダル・ハインの行った禍々しい実験の事だ。
 結局あの後、瓦礫の下から発見された15名全員の身元が判明したのだ。そして案の定、彼女達は例の美女失踪事件が起こっていた町――カンテルの町で行方不明になっていた娘達だった。変わり果てた彼女達の姿に、駆けつけた親族はその場で泣き崩れたという。最初に失踪した道具屋の娘の母親などは、ショックのため病状が更に悪化してしまい、一時期危篤状態にまで陥ってしまったらしい。
 シズクは、エレンダルに対する怒りや、乙女達が受けた事への痛みが胸をよぎる事はあったが、その遺体を直接この目で見たわけではないので、実にぼんやりとしか事件の凄惨さが実感できていなかった。
 町中を駆け巡った号外や、アリスの口から間接的に事件の全体を把握し、現在に至るのだ。多少なりとも事件に関わった身で、この程度の認識しかできないなんて。申し訳が無いと思ったが、何も知らないのに、変に彼女達に同情するのも、それはそれで失礼な気がした。
 だが、実際にこの目で、エレンダルの『実験』を見たアリスにとってはもちろんそうではないのだろう。今だに事件の事を話す時の彼女は、深い怒りと憤りの表情を浮かべている。
 今もまた、そのときの事を思い出してしまったのだろう。眉間にしわを寄せ、表情を曇らせると、ため息を一つ。零した。
 「道具屋の娘さんね。母親思いの優しい子だったそうよ。彼女のお母様からきいたわ」
 そこで一息つく。
 「……私、あの人を許せない」
 あの人。というのは、エレンダルの事だろう。アリスの独白は続く。
 「永遠の美だなんて……そんなもの、人間なんかが手を出しちゃいけない領域なのよ。手を出せるのはきっと、神様くらいだわ」
 そう言って、彼女は闇色の瞳を閉じた。その様はまるで、亡くなった娘達へ黙祷を捧げるようにも思える。あるいは、祈りのようにも――
 「生命の中には、時々まぶしいくらいに光り輝くものが見える事がある。それを『美』と言うのだと。昔、ある人から聞いたわ。見せ掛けの、形だけの『永遠の美』なんて、全くもって『美』じゃないのだと思う――」
 ゆっくり瞳を開けながら言うアリスは、どこか神秘的な雰囲気を纏っていた。






 その晩、セイラの発案で、男部屋にて明日からの作戦会議が開かれた。
 イリスピリアは、ジョネス国から南東方向へと延びる街道を、まっすぐ進んだ先にある。この街道というのが割と難所で、街道のくせにレベルの高い魔物が出やすいのだそうだ。
 セイラは一行にその事を説明すると、明日からの予定の行程について提案を出し始めた。目的地はイリスピリアの首都、イリス。順調に旅が進むならば、一週間程で着けるのだそうだ。
 次に、旅のために必要な道具などの相談が始まる。先日の買い物での買い忘れは無いか。新たに必要になった物はないかの確認だ。
 そしてそれら全てが終わった頃。一同に微妙な会話の間が生まれていた。

 「そういえば……セイラさんは何故イリスピリアに?」

 丁度良い機会とばかりに、シズクがそう言葉を切ったのはしばらく経ってからの事だった。一同の視線がシズクに集中する。皆一様に、真剣な表情であった。
 今まであまり疑問に思わなかったのだが、いざイリスピリアに向かう段階になって、やっと気が付いた。シズクはセイラが何故イリスピリアに行きたいのか、全く知らなかった事に。
 エレンダルの事件で手一杯だったのだから、無理も無い話だろう。だが、いざ疑問に思い始めてみると、とことん不思議だった。
 ほけほけ笑顔ですっかり忘れかけているが、セイラは世界でたった四人しか存在しない『神子』のうちの一人なのだ。王族までとはいかないまでも、下手な貴族なんかよりはずっと身分ある立場である。その彼が、代理人などでなく彼自身が、だ。たった二人の護衛のみで旅をするのだ。イリスピリアを目指して。単に知り合いに会いに行くという訳ではないだろう。水神の神殿の最高責任者が動く程の目的だ。一体何なのだろうか。
 問いただすような視線をセイラに向けてみたが、彼はにこにこスマイルの絶対防御で、シズクの視線など寄せ付けない。じゃあアリスやリースなら知っているだろうと思って、彼らの方を見てみるが、彼らの反応はそれこそシズクの予想外のものだった。
 「そうなんだよなぁ。実は俺も疑問に思ってた」
 「私も。師匠ったら『野暮用』ってだけで詳しく教えてくれなくって……」
 と言って、彼らまでもセイラに問いただすような視線を送り始めたではないか。
 「えぇ! リースとアリスも知らないの?」
 護衛である彼らまでも、知らされていなかったとは思わなかった。目を見開いて叫ぶシズクに、二人は頷くと、
 「薄情な水神の神子様だろう?」
 「まったく……。さすが『水神の神子なら笑顔で人を殺せる』と呼ばれるだけあるわ」
 と口々に言って、ますます鋭く黒髪の見た目好青年を睨み始めた。彼らの視線の先で、当のセイラは余裕の笑みを浮かべている。さすがというか何というか。
 「本当に大した用事じゃないんですよ〜。それにね、イリスピリアに着いたら分かりますって」
 ははは。と笑うと、彼はそうのたまった。そんなセイラに、彼を除く全員が思い切り脱力する。
 「……あのなぁセイラ。大した事ない用事なら、詳しい事、話せる筈だよな?」
 無駄だとは思いつつも、リースは一応セイラに食って掛かる。それをセイラは笑顔のバリアで弾き飛ばすと、今度は楽しそうに目を細めた。
 「だから、何度も言っているじゃないですか〜。僕はイリスピリア王に会いに――」
 「イリスピリア王!?」
 いつもの調子で言うセイラの言葉を遮ったのは、シズクだった。彼女は思わず叫ぶと、セイラに詰め寄っていく。急に顔を近くによせられて、さすがのセイラも驚いたようだ。満面の笑みが苦笑いに変わる。
 「王って……王様? って事は、イリスピリア城に行くって事ですか!」
 早口でまくし立てる。その表情は、セイラを問いただすというよりは、そうであって欲しいという希望の色が強かった。
 イリスピリアに行くとは聞いていたが、まさか城に赴くなんて。しかも、王に会いにいくだなんて。さすが水神の神子ともなると、訪ねる人物のスケールも違う、と柄にも無くセイラに対して感心してしまう。
 瞳をキラキラ輝かしているシズクに、セイラは軽く笑いかけると、
 「そうですよ」
 とだけ言った。その言葉に、シズクの瞳の輝きが数十倍にも強められる。希望が現実になろうとしている。
 「という事は。王様に会えるんですか? ……王のお子様である、第一王女と第一王子にも?」
 その表情は、さながら夢見る乙女のようである。セイラは、そんなシズクの表情にほほえましい物でも感じたのか。小さく吹き出すと、再びそうですよ。と言った。
 「本当ですか!? 絶世の美女と謳われる王女と、その王女に劣らぬ美貌を持つという王子に!?」
 そこで突然、セイラではなく、彼女の隣に居たリースが盛大に吹き出した。あまりに大きく吹き出したものだから、シズクは思わず彼の方を振り返ってしまう。視線の先で彼は、大いに呆れた様な表情を浮かべていた。
 「お前……夢見るのも大概にしとけよ」
 「いいじゃない、別に」
 呆けた表情のリースを、シズクは半眼で睨みつけてやった。
 「王族っつっても人間だろ? 夢見てたら会ったときに幻滅するぞ?」
 そう憎まれ口を叩いて来るが、シズクは気にしない。憧れているものは憧れているのだから。それくらい個人の自由なのだ。彼にとやかく言われる筋合いは無い。

 イリスピリアの美姫と、麗しの王子といったら、大陸では有名な話である。
 現イリスピリア王には二人のお子が居り、上が王女で下が王子だ。聞く話によると、二人とも、それはそれは美しい人なのだという。美貌の民であるエルフですら、その美しさを前にすると、己の醜さを恥じ、顔を覆ってしまうと言われる程に。
 まぁ、イリスピリア王家の人と言ったら、金の救世主(メシア)――シーナもそうである。彼女の血を引く人たちだ。美しくない訳が無い。
 そんな、超絶美人に会えるというのだから、興奮しないわけが無いというものだろう。どんな方達だろうか。想像するだけで胸が高鳴る。親友のアンナ程ではないが、シズクも一般人の端くれなのだ。ミーハー心が全く無いといったら嘘になる。
 「ははは。まぁ、楽しみが出来て良かったじゃないですか」
 セイラは、呆れ顔のリースをなだめると、意味ありげににっこり微笑んだ。
 なだめられてもリースは、しばらくは呆けたままだ。しかしやがて、勝手にしろとばかりにため息をつくと、不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。



 そんな訳で話し合いが終わり、シズクが宿屋の自室に戻ったのは、既に夜も更けてからの事だった。

 部屋に一つの窓は、優しい月明りを部屋の中へと導いてくれていた。光を消してしまうと、青白い筋が部屋の中に差込んできて、神聖な均衡を生む。
 シズクは窓辺に浅く腰掛けると、今し方自分自身でいれてきたホットミルクを口に運んだ。
 なんだか目が冴えてしまっていたのだ。暖かいものでも飲んで、眠気を促そうという訳だ。
 けれども、眠れない事が、今日はそれほど悪い事のように思わなかった。おそらく新天地に出発できるというのが、シズクの気分を高鳴らせているのではないだろうか。そう思うと、少し子供っぽい自分自身に苦笑いが零れる。
 ホットミルクの柔らかい風味は、口の中に広がり、全身を暖めてくれた。これで少しは眠気が出てくると良いのだけれど。
 カップは先日アリスと一緒に買った、例のカップだった。買う前はあれほど悩んだのに、見慣れてみると何のことはない。雫模様が単純に可愛いと思える。むしろ、お気に入りになりそうな勢いだ。

 普段ならば宿を取るときはアリスとの相部屋になるのだが、今回の宿ではシズクには一人部屋があてがわれた。そのため、今部屋にはシズクしかいない。もう大分慣れたが、魔法学校時代もアンナとの相部屋だったので、一人きりの夜はなかなか新鮮だった。そして同時に、少しだけ不安な気もする。
 セイラの話では、エレンダルの一件後、シズクが三日も眠りっ放しの病人だったので、部屋を分けたらしい。無理も無い話だ。それに、その後もアリスが事情聴取に追われ、二人の生活リズムが違っていたので、これはむしろ丁度よかったのかも知れない。
 (まぁ、少し寂しい気はするけどね……)
 心の中でそっと呟いてから、ホットミルクの最後の一口を飲み干す。そしてシズクは、空のカップを窓辺に置いた。
 月光に照らされて、カップは青白く神秘的な色をその全体に浴び始める。
 月明りは昔から、魔力を持つと言われている。長い年月月明りに照らされ続けると、何でもない物が魔力を帯びる事があるらしい。

 だから良く言われるのだ――「月は人を惑わせる」と。

 程よくまどろんだ意識のまま、ふと何かを感じて、シズクはぼんやりと部屋の中を振り返った。
 「――――」
 そして、瞬時に戦慄する。
 本当に、心臓が一瞬だけ停止したかと思った。それほどの衝撃。

 シズクの目の前には、彼女が全く知らない人間が一人、立っていたのだから。

 (誰?)

 一瞬の戦慄の後、シズクの心臓は激しく鼓動を速め始めた。目の前の人物を戸惑い気味の顔で見つめつつ、頭では必死で現状を理解しようとつとめる。
 いつの間にここに入ってきたのだろう。他の利用客が部屋を間違えたにしては、目の前の人物――赤髪の女性の視線は、シズクの方を不敵に見つめすぎている。明らかにシズクに用があって、そこにいるのだろう。だが、それにしては突然の来訪である。今の今まで気配すら感じなかった。
 (……賊だろうか)
 いいや、それにしては目の前の人物が放つ雰囲気は、変に穏やか過ぎる。しかしそれでいて、決して気を許せない危険な香りもするのだ。もしかしたら人間では無いのかも知れない。自分はひょっとしたら、月か何かに化かされているのだろうか。
 割と長身で、妖艶な雰囲気を纏う女性だった。月明りの下では良く分からないが、おそらく鮮やかな赤色であろう、ウェーブのかかった髪。そして怪しく光る瞳は、湖面を思わせる――深い青だった。

 そう、先日シズク達の前に現れた魔族(シェルザード)の少年、クリウスの持つ物と全く同じ。

 彼女は、シズクが彼女の存在に気付いた事を悟ったのだろう。

 「ごきげんよう、シーナ様」

 形の良い唇を歪ませると、不敵に笑った。



 ――月は、人を惑わせる。



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