追憶の救世主

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第2章 「依頼」

3.

 「――で、話したいという事がおありでしたよね?」
 一通りお互いの自己紹介(といっても、セイラがアリスとリースを紹介するぐらいだったのだが)が終わった後、淹れたてのリコの茶を一口飲んでからカルナが落ち着き払った声で言った。彼女の穏やかな瞳を見つめながら、アリスもリコの入ったカップに口付ける。ナーリア達が入ってきた時点でセイラ達にも新しく淹れ直してくれたので、アリスは二杯目のリコを楽しむことができていた。甘くて優しい芳香が鼻をくすぐる。
 アリスが住んでいたレムサリア国にもおいしいお茶はたくさんあったが、どちらかというと清涼感のある、爽やかな口当たりのものが多かった。しかし、リコはそういったお茶とは違って、柔らかい香りと程よい甘みがなんとも素朴で、アリスにとっては新鮮な口当たりだったのだ。
 リースは、おいしいなと言っただけでさほど興味がなさそうだったけれど、アリスはこのお茶をとても気に入ってしまった。
ここを出るときにオリアの市場へでも行って、少し買っていこうかなぁ、と思案している所だった。
 「えぇそうでしたね」
 ニコニコ微笑みながら、ティーカップをソーサーにカチャリとつけた後、セイラも穏やかに言う。
 「結界のこと……とお聞きしましたが」
 「そうです。一通りのことは、お聞きになりましたか?」
 「ええ、大体の部分は。あなた方が街中で魔物に遭遇した事や、その場所に結界が張られていたという事辺りですけれど」
 じゃあ話が早いとセイラは呟くと、テーブルの上で両手を軽く組んだ。
 「ええと、まず、結界の形態の方なんですけど……実を言うと、僕は結界の存在には全く気づかなかったんですよね。アリスも僕達を助けようとして、僕達に近づけないと分かった時、やっと気づいたぐらいでして。だから、これに関しては、ナーリアさんが一番よく把握しておられると思うのですが」
 セイラにそう促されて、彼女の元に視線が一気に集中する。それを受けて、ナーリアは一瞬だけ緊張の色を強くした。しかし咳払いを一つつくと、何事も無かったかのような顔ですぐに一同に説明を開始する。こういう時の雰囲気はさすがに教官だな、とアリスは思った。
 「……結界の形態をお話する前に、少しだけお話したい事があります。みなさんご存知かと思いますが、我々魔道士は、比較的近い距離でしたら魔力を感じる事ができるんです。例えばそう、魔法を発動した時。あとは、興奮したりした時にも魔力が漏れる事がありますね。よっぽど強く興奮しなければそんなことは起こりませんけど。それで、もちろん呪術師の方でもそれはできるらしいのですが――」
 「魔道士のそれより、よっぽど感知能力は低いですね。呪術師の場合は」
 少し遠慮がちにこちらを見つめてきたナーリアに答えて、アリスが穏やかな声で言った。
 呪術師は、魔力はあるが器を持たない。つまり、その体で直接魔力を受けられないのだ。そういったことは、器の代用として使用する杖や魔法具を通して間接的にしかできないし、間接的である分その能力は魔道士に劣ってしまう。
 まぁその反面、聖職者と似たような存在である彼らは、魔道士には使えない回復魔法が使えるという利点を持ち合わせているのだが。
そういう事情もあって、呪術師を出来損ないの魔道士と揶揄(やゆ)する魔道士が時々いるのだ。またその逆に、神聖な神の癒しの力を用いず、ただ破壊の力のみを行使する魔道士を下賎な乱暴者だと軽蔑する呪術師も。
 おそらく、そういった部分を気にしてのナーリアの発言だろう。
 「気になさらなくていいですよ? 私たち呪術師は器の能力を持たぬ者。ですから魔道士に比べてそう言う面で劣ることは、仕方の無いことです」
 ふわっと柔らかい笑顔を向けられて、ナーリアはホッとした面持ちに変わる。デリケートな話題なので、きっと心配していたのだろう。隣でリースが、笑顔で人を食うってこういうことだよなぁ。と感慨深げに腕を組んだのをとっさに察知されて、アリスから思い切り足を踏まれていた事は、もちろん知るはずも無いだろう。
 「で、何故このようなことからお話しているかといいますと、セイラ様が街中に張られた結界に全く気づけなかった原因は、おそらくそう言うところにあるのでは? と思ったからなのです」
 「……と、言いますと?」
 「えぇ、張られていた結界の事後処理を行っていた時に感じた事なのですが、その強度自体はかなりのものでした。しかし、それに反して、結界から漏れる魔力が通常の結界に比べて非常に微量だったのです」
 『事後処理』というのはつまり、結界を解除して空間を自然な状態に戻すことである。
 結界を張るのにも高度な技術が必要だが、実はその後の方が大変であることが多い。結界を解除すること自体は簡単なのだが、それまで操作されていた空間がおかしくならないように調節する事が、結構気を使う作業で難しいのだ。特に、張った本人でも難しいこの処理を他の者がやろうとすると余計に大変である。
 「微量の魔力であったために、呪術師である僕やアリスには、結界の存在が把握できなかった、と?」
 「おそらくは。シズクはまぁ、体質的なことがあるので気づけなかったのでしょう。とりあえずそれは置いておいて……」
 ここで軽く息をつくと、ナーリアは再びセイラの方に視線を向けた。
 「結界の形態は、単純に外部からの侵入を防ぐためのものでした。これに関しては付け加えて述べることは特にありません。問題は、結界の組み方です」
 そこで言葉を切ると、ナーリアは少しだけ戸惑ったような表情を見せた。今まで淡々と説明をしていた彼女の変化に、一同は眉を寄せる。
 「何か……問題でも?」
 「いえ、特に問題は無かったのです。組み方自体には。ただ、その組み方が……普通の、いえ、現代の魔道士や呪術師などが、決して使わないものだった、とでも申しましょうか……まぁ、とりあえずこちらをご覧ください。」
 歯切れ悪くそう言葉をつむぐと、彼女は手に持っていた書類の中から一枚の紙切れを取り出して、テーブルの上に差し出した。一同は、その紙に書かれている内容を読もうと少しだけ前のめりになる。
 「これは現場に残されていた魔法陣の式を私が写したものです。おそらく、結界の元にするためのものでしょう。大きさは大体直径1メートルくらいで、儀式用の粉の様なもので描かれていました」
 紙切れには、丸い円を基準にして様々な記号や文字のようなものが描かれている。文字のようなもの、というのは、その文字が一般人には読めない文字だからという意味においてである。
 魔法陣や魔法具などに描く文字は、一般的な文字ではなく『魔術文字』と呼ばれる類のものが使用されるのだ。魔術文字と一口に言っても、世界中には多種多様な魔術文字が存在する。その一つ一つに専門家が存在し、突き詰めていくと結構奥が深いものなのだそうだ。言語に関しては素人に毛が生えたレベルのアリスには、よく分からない話ではあるが。
 しかし、今目の前の紙切れに描かれた文字は、そういう魔術文字ではなかったのだ。それはさすがのアリスにも分かった。アリスと同じように理解できるのだろう。他の人たちも、各々驚きの表情や怪訝な表情等を浮かべている。
 (この文字は……)
 「古代文字。それも魔族の、だな」
 一番最初に言葉を発したのは意外なことに、それまでずっと黙っていたリースだった。
 しかし、彼の方を向くものは一人も居ない。全員の視線は、依然として紙上の文字に釘付けにされている。リースの言葉に、その場の全員が沈黙を守ることで同意を示した。彼も視線だけは文字から動かさず、さらに思案顔になる。そして、
 「『メイ…ル・ウォ・…チビュー・ムー…リウ』かな? 『眠りを導く炎』」
 「……とすると、炎の精霊を使役する結界ね。ワービーの炎を活性化する魔法でも挿入されていたのかしら」
 文字の一部を指でなぞりながら、つっかえつっかえ読み上げたリースの言葉を聞いて、アリスが言った。低い声だった。出そうとしてこんなに低い声を出したのではない。自分でもその低さに驚いたくらいだ。それだけ『魔族の古代文字』という事実は、アリスを動揺させていた。
 しかしそのやり取りにカルナとナーリアは、アリス以上に動揺した様子だった。先ほどまで紙の上に向かっていた視線は、なぜか二人ともリースに注がれている。
 「読める……のですか? この文字を」
 「全部はとても。少しだけです」
 紙から目線をはずして驚愕の色を浮かべるカルナに、落ち着いた声でリースは言った。
 「……十分ですよ。私も全て解読できるわけではありませんし」
 感心した表情で、カルナの声は少しだけ震えていた。
 彼女が驚くのも無理は無い。目の前の少年がたった今解読した文字は、既に失われた文字なのだから。
 古代魔族文字は、魔法の祖とされる『魔族』がはるか昔に使用していたとされる言語の記述体である。現在この世界で使用されている言語の大元になったものの一つと考えられているが、その詳細は失われてしまった今、詳しく調べる手立てはあまりにも少ない。今では魔法の名前や、セイラの杖のように古く由緒ある魔法具くらいにしか残されていないのだ。魔道師や呪術師ですら、知らない者の方が多い言語である。
 リースはそういう言語学の面で言うと、学者顔負けなくらいに詳しい。剣を使うのが本業のはずなのになぜかと疑問に思うかもしれないが、理由は簡単。単なる彼自身の趣味だ。
 「まぁ……お分かりになるのなら話は早いでしょう。ご覧の通りこの魔法陣、つまり街中に張られていた結界は、古代魔族語で構成されていました」
 驚きは抜けきれなかったが、表情を落ち着かせた後でナーリアが口を開いた。
 「それで現代の魔道師や呪術師が決して使わない、ですか。確かに、たとえこの言語を解読できても、実際にそれを魔術に使用できる者は皆無に近いでしょうね」
 セイラは納得、といった表情を浮かべていたが、やはり深刻そうである。ほんわか笑顔はその顔からすっかり消えうせてしまっていた。
 「ええ、ですから考えられる事は一つだけ。この結界を張った人物というのが――」
 「魔族(シェルザード)と言うことですね」
 アリスの重力を含んだ静かな声が、部屋に響いた。



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