追憶の救世主

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第2章 「依頼」

4.

 先ほどよりも更に重い沈黙が、応接室の中に垂れ込め始めた。言葉を口にする者は一人として居ない。皆、それぞれ思い思いの方角を見るだけで、目を合わせたりはしなかった。
 「そういうことに……やはりなるんでしょうかね。魔族(シェルザード)の者ならば、ひょっとしたらこの言語を用いた魔法に明るいのかもしれませんし。ここ数百年人間との係わり合いは愚か、その存在すら忘れられていた種族ですが、まさかこんな形で姿を表すだなんて……」
 その言葉が合図だったかのように、応接室に再び時が回り始める。
 二度目の沈黙を破ったのは、カルナだった。彼女はため息を一つつくと、年とともに出来た目尻の皺(しわ)に、眉を寄せることで余計に深く影を落とした。こう言う表情を見ると、さっきまでの若々しい印象から一転して、急に年を重ねたように見えるから驚かされる。しかし、やがて元の穏やかな表情を取り戻すと、今度はセイラの方へ向き直った。
 「取りあえず、この話はここまでにして置きましょうか。また後ほど他の者を交えて、相談する事と致しましょう。さて、セイラ様のお話ですね」
 その言葉と共に、一同の視線は一気にセイラへと集中する。結界の話で延びてしまったが、彼がここへ来たそもそもの目的は、何かをカルナに伝えるためだった筈だ。
 「そうですね。そのために今日ここへ来たのですからね。では、単刀直入に申し上げますが、僕はこの結界を張った人物には全く心当たりはありません。しかし、その人物に依頼した人物が誰なのかは知っています」
 その言葉にカルナとナーリアは、眉をぴくりと動かせることで反応を示した。それほど驚いた様子も無い。もしかしたらこの話が始まった時点で、こういう話題が上ることを何処かで予想していたのかもしれない。
 むしろ彼女達より動揺を見せたのは、彼女達よりはるかに事情を知っている筈のリースとアリスの方だった。アリスは彼の発言を聞いた瞬間、飲もうとしていたリコを危うく気管の方に詰まらせてしまうところだった。涙目のまま隣を見ると、リースも目を丸くしていた。
 毎度毎度この人の言動には、振り回されている気がする。長い付き合いで、彼のそんな行動を把握することには慣れたけれど、未だに振り回されてしまうことだけは全然変わらないのだ。
 「……では、こちらも単刀直入に訊かせて頂きます。その人物とは、誰なのですか?」
 深刻そうなナーリアの横で、彼女よりは落ち着いた表情で述べたのは、カルナだ。彼女とセイラの間でしばらく、視線の探り合いの様なものが続いたが、
 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。師匠!」
 耐え切れなくなって、アリスはとうとう口を開いてしまった。
 「今日ここに来た理由って、こういう事を知らせるためだったんですか?」
 「……他に何の用があるというんです? アリス」
 困惑の表情をむき出しにしたアリスに、何を当たり前のことをとでも言いたげな表情で、セイラが言った。
 「だって、この件に関しては、師匠は周りを巻き込むような事はしないって! それを今になってひとにいきなり打ち明けるだなんて……第一、魔道士の方達にこの話は――」
 「アリス」
 強い調子で名前を呼ばれ、アリスはびくりと肩を震わして、動きを止めた。彼女の師匠である青年の顔からは、あの能天気な微笑みが失われていた。のほほん笑顔が消えてこういう声を出す時のこの人は、正直、弟子である彼女にも全く読めない。読めない時のセイラほど恐ろしいモノはない。とは、リースの言だっただろうか。
 「今日のあの襲撃から、ちょっと話は変わってきちゃったんですよ。魔族(シェルザード)が関わっているのならなおさらです。それに、ちょいと気になることもありますし……」
 「でも……」
 「大丈夫ですよ。悪い方には転ばないと僕は思いますよ? それに、この方たちにとってもこの話は重要になるんじゃないかと思うんです」
 セイラにそう諭されても、アリスは口の中で何かをもごもご言わせていたが、やがて諦めた。ため息を一つつくと、返事代わりにリコを口にする。
 そんな彼女の様子を見て、セイラはやれやれといったように息をついた。そして、柔らかな表情を取り戻すと、カルナの方をしっかり見ながら話を再開した。
 「……エレンダル・ハイン、という人物をご存知でしょうか? 結構著名な魔道士だと伺っているのですが」
 「エレンダル? ええ、存じております。魔法考古学で有名な方で、私と同期の卒業生でした。今はジョネス国の自宅で研究に没頭しているとか。ただ……」
 「最近あまりいい噂をきかない」
 セイラに、言おうとしていた言葉を言い当てられて、一瞬カルナは目を見開いたが、すぐに表情を硬くすると、ゆっくりと頷いた。
 「そうです。いい噂を聞かないどころか、悪い噂ばかりが耳に入ってきております。昔は誠実で研究熱心な人物だったんですが……今は人が変わったようになってしまった、と知り合いの魔道士も嘆いておりました」
 「で、彼がどうかしたのですか?」
 カルナの横から、話をせかすようにナーリアが言った。
 「えぇ、ぶっちゃけて言いますと、僕は彼から狙われています」
 「―――――!?」
 さらりと爆弾発言をされて、カルナとナーリアの表情が固まる。ナーリアよりもカルナの方が幾分ショックが大きかったようだが、落ち着きを取り戻すのも彼女の方が早かった。やはり長年の経験の差、と言うやつだろうか。
 「本当の……話なのですか? 確かに悪い噂はしばしば耳にしておりましたが……水神の神子を狙う、など……それはさすがに……」
 「正確に言うと僕自身がではなく、この杖の方がですね。狙われているのは」
 落ち着いた声でそう言うと、セイラは自身の座っている椅子に立て掛けていた杖をゆっくりと手に取った。魔法の光が篭ったランプに照らされて、先端部の石が不思議な光を放っている。
 「この杖を!? どうしてまたそんな大それた事を!」
 「大体二週間くらい前からでしょうかねぇ。野盗やらチンピラ魔道士やらが僕らを付け狙うようになりました。始めはただの金銭目当てだと思ったのですが、どうもそうじゃない。明らかに『水神の神子』を狙い、神子が持っているという『伝説の杖』を奪おうとしている。それに気づいたのが初めの襲撃から三日後くらいですね」
 淡々と説明をするセイラの前で、カルナとナーリアは相変わらず信じられないと言った表情を浮かべている。特にカルナにとって、同僚の魔道士が国家的大罪を犯しているという事実は、驚くとともに、悲しむべきものであるようだ。
 そんな彼女らの様子を見ながら、アリスとリースの二人は、このぶっとび水神の神子様の言動を、ため息をついて見守る事しか出来なかった。
 「幸いなことに、僕が神子であることは連中には知られていないようでした。アリスの事を神子だと思い込んで、彼女を標的にしていましたし。でも、それらしい杖は僕が持っている。と言う所でえらく混乱していましたからね。まぁ『神子』と聞いて誰でも普通は女性を想像するので無理も無い話ですけれど。おそらく彼らに指示を与えた人物が、細かいところまでちゃんと説明をしなかったのでしょうね」
 「その指示を与えた人物というのがエレンダル……という事なんですか?」
 「えぇ、一回連中を締め上げてきちんと吐かせましたから。それに……」
 そこでセイラは息をつくと、杖を持ち替えるしぐさをしてから、二人の方へ向き直った。
 「以前一度だけ彼にお会いした事があるんですがね。その時に彼は、この杖を持たせて欲しい。と言ってきたのですよ。もちろん、触らせて困る事もありませんし、いくら生気を抜かれるといっても、人を殺める事はさすがにこの杖もしないので、どうぞ。と差し出しました」
 その時の様子は、アリスも覚えている。そのまま見事に、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)の餌食になった筈である。記録は確か、4分27秒。その後三日程、ベッドで寝込んだらしい。
 エレンダルという人物は、アリスの見た感じ、真面目そうで必要以上に改まった人だった。特に悪い印象も無く、その代わり特別良い印象も無い。こんな事件が起こらなければ、思い出す機会もあまり無かっただろうな、と思う。つまり、あまりぱっとしない人物だったのだ。
 「それで、彼に渡して、返して貰った後に、コレが僕に言ってきたんですよ。『アイツには気をつけた方がいい』ってね」
 「………………」
 一瞬、応接室の空気が止まったのを、アリスは確かに感じ取った。
 「コレ……とは……えーっとそのぉ、杖の事でよろしいんでしょうか?」
 セイラが『コレ』と言って指さしている先――彼の杖の方を、少し困惑気味に見つめながら、控えめな声でナーリアが尋ねた。
 目の前の水神の神子が、何かおかしなことを言っている。そう心の中で思っている事を周囲の者に悟られないよう、なんとか表情を整えようとがんばっているのだが、悲しい事にそれは無駄な努力で終わっている。
 しかし、それを特に気にするでもなくセイラはいつもの調子で、
 「そうです、コレは会話も行えるんですよ。よっぽどの時でないとやりませんが……。まぁ、信じる信じないは、そちらにお任せします」
 どう対処してよいか分からず、半ば途方にくれたような様子の彼女を見て、アリスは無理も無いと思った。
 意思を持っている杖というのは、有名な話だし、噂でもよく耳にするのだが、周りの者と意思の疎通まで出来るとは聞いた事がなかったし、正直、さらりと信じられる話ではない。アリスも始めはこの事実を疑ったクチである。実を言うと、今でも完全に信じている訳ではない。杖に認められたかどうかは良く分からないが、とにかく杖を持つことを杖自身に許された彼女ですら、それの“声”は一度も聞いたことがなかったからだ。リースに聞いてみたこともあるが、彼も聞いたことがないと断言していた。
 セイラの説明では、心に直接訴えてくるような感じの会話で、声を実際に発したりはしないらしい。やろうと思えば声も出せるらしいが、五百年以上もの間声を使わないでいると、それを使うのが面倒になっているのだそうだ。途方も無い話なので、理解の範疇を超える内容である。
 「とりあえず、事の首謀者はエレンダルである……そして裏で魔族(シェルザード)も関わってきている。ということですね」
 うろたえるナーリアの横から、落ち着いた声でそうまとめたのはカルナだ。
 「そうですね。この杖の事を信じないとしても、部下が首謀者の名前を吐いてしまっていますから……まず間違いはないと思いますよ? で、ここからが僕の本題です」
 そう言ってセイラは、リコを口に含むと先ほどよりも少しばかり真剣さを増した表情を浮かべた。
 対するカルナとナーリアはというと一瞬だけ、今までの話が本題ではなかったのか? と言いたげな表情に変わったが、すぐに姿勢を整えると、既に話を聞く態勢に入っていた。
 「今、僕達はイリスピリアに向かっているんですよ。大した用事じゃないんですがね。首都のイリスに行かなければならないんです」
 水神の神子直々に長旅までしておもむく用事が、大したこと無いはず無いとは思うが、カルナもナーリアもそこはあえて何も言わなかった。興味が無かったわけではないだろうが、聞いたところでおそらくは何も教えてくれないという事が分かっているのだろう。
 「イリスピリア……ですか」
 感慨深そうな顔で、カルナが呟いた。
 イリスピリア――大陸の中部に位置する、古くから栄える大国の名である。
 マイナーな小国であるこの地、オタニアを知らない者でも、さすがにイリスピリアを知らないということは無いだろう。もっとも、地図を広げて見せられても、どの国がイリスピリアなのか指し示せない者は多いかもしれない。この国を有名にしている最たる理由はやはり、『金の救世主(メシア)』とも言われる五百年前の勇者、シーナの出生国という事で、だ。
 「レムサリアを出発したのが十八日前。本来ならば今日にもイリスピリアに着いている筈でした。如何せんそこを連続する奇襲で足止めされてしまいましてね。やっとオタニアです。まぁ滅茶苦茶に急ぐ旅でもありませんし、襲ってくる野盗達も大した事ないですから、それ程気にしていませんでした。しかし……」
 「今回の奇襲ですね」
 カルナが言った。
 「……そうです。魔物まで使われるとさすがに気にしない訳にはいきません。しかも魔族(シェルザード)の関与というおまけ付きです。彼達に出て来られると……ちょっとややこしい事にもなりそうですし。で、ですね。これは僕からの提案――いや、依頼と言ったほうが良いですかね。僕達は今から、ジョネス国に行ってエレンダル氏のもとに乗り込もうかと思うんです」
 セイラのこの発言に目を見張ったのは、カルナとナーリアだけではなかった。ちょっとそこまでお使いに行ってきます。とでも言うかの如く、ジョネス行きを言い出したセイラに、アリスは驚いたというより呆れてしまった。
 エレンダルの刺客に悩まされていたのは確かなのだが、放っておいても大丈夫そうなので、相手にせずイリスピリアに向かう心積もりだったのだ。エレンダルの家に殴りこむなんて計画、今の今まで彼の口からは聞いた事が無かった。魔物や魔族(シェルザード)の介入で多少事情は異なってきたのだろうが、それでも一言の相談も無しに勝手に決定するのは、ちょっといただけない。
 「……ねぇリース。今師匠、僕『達』って言わなかった?」
 「……つまりアレだ。了承とるまでも無く、既に俺達二人はメンバー入りって事だろ」
 小声でのそんな会話は、セイラの耳に届いただろうか。
 「無理やりに強行突破でも可能ですが、やはり出来れば穏便に事を進めたいんですよね。そこで、『魔法連からの査察』という肩書きで魔道士を一人お借りしたい。もちろん、無料とは言いません。ちゃんとそれに応じた代金を支払う。と言う前提でお願いしたいと思います」
「……確かに、魔法連からの査察であれば彼も簡単には断れませんね。こちらとしても同業者の不祥事を放っておく訳には行きませんから、遅かれ早かれ査察を行わなければならなかったでしょうし……」
 ほんの少しの間、カルナは手をあごに当てて悩むしぐさを見せたが、
 「わかりました。こちらから魔道士を一名、ご用意させて頂きます。では――」
 落ち着いた声でそう言うと、横に座っているナーリアに指示をしようとした。
 「――あぁ、それと。これも僕からの依頼なんですがね」
 「?」
 ナーリアのいる方向を向きかけていたカルナは、そんなセイラの発言で再び動きを止めた。まだ話は終わっていなかったのだろうかと疑問に思ったのだろう。彼女は首を傾げる。
 見ると、あのニコニコとした笑顔が彼の顔に戻っていた。先ほどまでの真剣な表情など、忘れさせてしまうほどのナイススマイル。
 (ヤな予感……)
 アリスは、第六感でそう感じた気がした。ちらりと横を見てみると、リースも自分と同じような表情を浮かべていた。多分、思っている事も一緒だろう。
 「その同行して頂く魔道士なんですが――」
 ニコニコニコニコ。
 やんわりとした笑顔……に見えるのかもしれないが、これはきっと、そう言う笑顔ではなくて、いわゆる企みの含まれた……

 「僕から、シズクさんを指名させて貰いたいのですが、よろしいでしょうか?」

 ガタンッ

 と物凄い音を立てて、セイラ以外のその場全員が、椅子から落ちそうになったり急に立ち上がったり、あるいはその音で、飲みかけのリコを気管に詰まらせたりした。



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