追憶の救世主

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第2章 「依頼」

5.

 がたんっ、どたんっと言う豪快な音の後に、ぶはっと言うアリスの声(というより無声音)が聞こえ、そのまま咳き込む声が応接室に響く。
 そんなアリスに、大丈夫ですか? と声を掛けるカルナの目の前で、もう一度ばんっと言う豪快な音が立つと、椅子からずり落ちそうになっていたリースが机に思い切り手を叩き付けたところだった。
 「どういう事だよ、セイラ!」
 強めの声でとりあえず叫んでから、横に座っているセイラを半眼で睨んでやる。もちろんそんなもの、セイラには全く効果がない。だが、承知の上でもあえてやりたい気分だった。
 リースの頭の中では、先ほどのセイラの台詞が何回も再生される。
 ――シズクさんを指名します、だぁ?
 シズクって、あいつだろ? 今日街中で出会った、あの騒がしい似非町娘。いちいち突っかかってこられた事などもついでに思い出してしまい、余計にリースの眉間に深い刻みが入った。
 「……どういう事って言われても、さっき言ったとおりとしか言えませんけど?」
 そんなリースの表情にやはりびくりともせず、飄々とした顔でセイラは言ってのける。心なしかそのニコニコスマイルが、周りの連中の反応を楽しんでいる表情に見えて仕様が無い。
 「確かに魔道士かもしれないけどなセイラ、アレはちょっと違うと思うぞ。本人も見習いって言って――」
 「絶っっっっっ対に駄目です!!!」
 大音量で割って入った横槍に、リースとセイラだけでなく、その場全員が静まり返った。声の発生源であるナーリアを除いて。最初のがたんっという音は、そういえば彼女が立ち上がった音だったか。
 ナーリアは、それこそリースなんぞ比べ物にならない程、険悪な表情を浮かべていた。
 「……………」
 興奮した様子で、肩で息をしていたナーリアだが、自分以外の四人の視線が一気に自らに集中するのに気づくと、少し顔を赤くした。応接室に、気まずい沈黙が漂い始める。彼女は恥ずかしさを誤魔化すように、軽く咳払いすると、
 「125」
 ポツリと呟いた。
 「?」
 突然ナーリアの口から飛び出した謎の数字に、カルナを除く三人は、きょとんとした表情を浮かべる。彼女の言わんとしている事が、全く分からない。125と言う数字に、何か深い意味があっただろうか? 隣をちらりと見てみると、さすがのセイラもニコニコスマイルを顔から消して、不思議そうな顔で首をひねっていた。
 「それってどういう――」
 「125位ですよ? この間の記述試験の、あの子の成績!」
 アリスの質問する言葉を聞き終わる前に、ナーリアが物凄い剣幕でまくし立てた。その声よりは大分落ち着いて、ちなみに学年の全体数は、150人弱です。と、カルナの補足が付く。
 「150人中125位、お世辞にも良いとは言えない数字ですよ! ちなみに実技の成績の方は、少しマシになって68位です」
 『少し』という部分に力を込めて、ナーリアが言う。
 リースは、あぁそう言うことね、と心の中で呟いた。
 個人的に、順位や点数で人を評価する事はあまり好きなことではないのだが、この場合はこれが最も早く、且つ正確に判断できる材料だろう。たとえ魔道士の絶対数が少なくとも、はたまた国立の魔法学校が、魔道に秀でている者のみを集めている場所だということを考慮に入れたとしても、ナーリアから知らされた順位は、決して人に自慢できるものでは無い。
 「それでなくてもそそっかしい子なのに……。何を根拠にそうお思いになったのか、私には全く分かりませんが、悪いことは言いません。あの子だけはやめておいた方が身のためです! あなた方は、早死にしたいのですか!」
 ナーリアの、今にも世界の終わりが来るとでも言いたそうな表情を見る限り、どうやら冗談で言っているわけではないようだ。……シズクとかいう魔道士、そんなにヤバイ人物なのだろうか。変な意味で一種の不安を抱き始めたリースだったが、
 「ナーリア、それはちょっと言いすぎですよ。シズクだって、全く何も出来ない子ではないんですから。体術の方はかなりのものですし」
 苦笑い気味にカルナがナーリアをそう諭したのを聞いて、リースの心配はとりあえずそこで解消された。少なくともヤバイ魔道士ではないようだ。体術を褒められる魔道士ってのも微妙だなぁ、とも思うが。
 「ナーリアは、幼い頃からシズクの世話役でしてね。ちょっと感情的になってしまう所があるんですよ。まぁ、それはそうとして……」
 リース達3人の方へ向き直り、そうフォローを入れると、カルナはセイラと視線を合わしたようだった。横をちらりと見ると、一時中断されていたニコニコスマイルは、すっかり水神の神子様の顔に戻ってきていた。
 「正直、私も納得出来ません。なぜ、シズクなのでしょうか? 彼女はまだ正式な魔道士とはなっていない身ですし、魔道士としての腕も知識も、まだ未熟であると言わざるを得ません。数字で人を量る事は、あまりいい事とは私自身も思いませんが。しかし、彼女の成績をお聞きになり、納得いただけたと思うのですが」
 あくまでおちついた様子で彼女は言った。内心は読めないが、疑問と混乱の渦が巻いているのかもしれない。ナーリアと違ってその様子を表に出さないのは、やはり経験の差だろうか。それとも……彼のこの発言をどこかで予想しての事だろうか。
 「そうですよ、セイラ様! こちらからちゃんとした魔道士をご用意いたします。腕は保証しますよ、道中安全なようにきっちり護衛させますので」
 校長の発言に追随して、ナーリアも張り切った声を出した。今にも、優秀な魔道士を探しに立ち上がらんと意気込んでいるのが、傍目にも分かる。それは、シズクを連れて行くという奇行を今すぐにでもやめさせたい気持ちの表れだろう。
 「師匠、私もその方が良いと思います。これからの道のり、危険もあるだろうし。それに、あの子の身にもしもの事があったらどうするんですか!」
 実のところ、アリスにとっては同年代の女の子が同行する事は正直うれしかったりするのだろうだが、さすがに今日以上の危険が予想される旅に巻き込む気にはなれないのだろう。喜ぶどころか、その危険を一番よく分かっている筈である人物に怒りすら覚えているようだった。その黒い瞳からは、言いようの無い怒りや焦燥が溢れているように思える。
 「だから諦めて――」
 「僕は、『護衛の魔道士』を頼んだつもりはありませんよ? あくまで『魔道士』を、もしくはそれに準ずる人をお借りしたい、と言ったんですが」
 笑顔を崩さず、ハッキリきっぱり屁理屈をこねる水神の神子に、一同は一瞬言葉を失った。
 呆れ返った表情を浮かべるアリスをちらりと見てから、セイラはさらに言葉を続ける。
 「理由がいりますかね……そうですねぇ、人当たりの良さそうな娘さんで、道中楽しくなりそうだなと言うのも一つの理由ですが、一番主な理由はやはり、コレを持てたと言うことでしょうか」
 静かな調子でそう言うと、セイラはおもむろに杖を手に取った。手に取られた伝説の杖は、まるでその場の者達に見せ付けるかのように、今まで以上に不思議な色を称えている。光の加減によって、淡い水色から濃い藍色を示すのだ。単純に水色と言ってしまうには、その杖はあまりに様々な色を放ち過ぎていた。
 「……それは……きっとシズクの、体質が原因です。あの子は――」
 「セイラ様」
 ナーリアの反論をさえぎって、カルナが声を発した。
 その声が、あまりに真剣そのものだったので、騒いでいたその場の全員が動きを止める。
 カルナは、すぐ隣で不安そうな顔をこちらに向けているナーリアを横目で見てから、
 「あの子の瞳……見ましたか?」
 落ち着いた声でそう、尋ねた。
 「?」
 彼女の発言に、室内は凍りついたような沈黙に包まれる。
 (――瞳?)
 そう思い、リースは今日の町での出来事を回想してみる。
 あの少女の瞳……深い、空を閉じ込めたような色の瞳だった。
 確かに青い瞳を持つ者はそう多くない。が、別に滅茶苦茶に驚く程珍しい訳でもない。探せば意外とよく見られるし、現に、目の前のナーリアの瞳も青だ。シズクとは違い、淡いブルーの瞳ではあるが。
 「えぇ、見ましたよ。綺麗な瞳でしたね。お目にかかったのは久しぶりです」
 しばらくの沈黙の後で、少しの動揺も見せずにセイラが言った。それを聞いて、ほう、とカルナが小さく息を吐く。
 「青い瞳は珍しいものですからね」
 「そうですね」
 両者はただ和やかに、他愛も無い世間話をしているように会話を続ける。しかし、その間に漂っているおかしな違和感に、リースは首を傾げた。彼ら二人の間で、他の三人にはうかがい知れない暗号でも取り交わすかのような。そんな会話だった。
 笑顔のままで、セイラは更に続ける。
 「だいたい……12年ぶりくらいじゃないでしょうかねぇ、見たのは」
 「……………」
 それきり二人は黙り込む。そして言葉の代わりに、視線の探りあいのようなものが開始される。
 最後のセイラの台詞に、リースはいよいよ違和感を強めた。
 (12年ぶり?)
 そんなはずは無い。青い瞳がそんなに珍しい訳ないのだ。それこそ人間の魔道士の数よりは、よっぽど多いはずである。
 不思議そうにセイラの方へ視線をよこすと彼は、カルナの方へと真剣な眼差しを送っていた。



 「………分かりました」
 数分の沈黙の後、静まり返っていた応接室に、カルナの静かな声が響いた。
 「校長!」
 「とりあえず、シズクをここに呼びましょう。ナーリア」
 彼女の急な変化に、セイラを除く三人は驚いたように目を見張った。ナーリアに言葉を送りながらも英知が光る瞳は、真っ直ぐにセイラの方を向いている。
 「……………」
 ナーリアは、しばらくの間どうしたらいいものかと困惑した様子だったが、やがてためらいがちに立ち上がると、応接室を後にした。軽い音を立てて扉が閉じられるのを見送ったリースとアリスは、打ち合わせした訳でもないのに、全く同じタイミングで深い深いため息をついた。



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