追憶の救世主

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第2章 「依頼」

6.

 「あぁ、あの慈悲深い黒瞳の輝き。それだけで癒しの力がありそうな、優しい笑顔! その物腰の柔らかさを表すかの様な丸い眼鏡……」
 「…………」
 よくもまぁそうぽんぽんと物凄い比喩表現が出てくるものだ、と呆れた顔でシズクは、相棒のうっとりとした横顔を眺めていた。どうでもいいが、丸い眼鏡を例えるには、修飾語にかなり無理があったなぁとも思う。そんな事を彼女に言ったところで、もちろん聞きはしないだろうが。
 既に一分は経過しただろうか。なんとまぁそれだけの間、アンナは休みなく彼――水神の神子への賛辞と憧憬の言葉を並べ立て続けているのだ。我が親友ながら、その達者な口には感服する。
 水神の神子を女の子――つまりアリスだと勘違いしていたアンナは、噂の水神の神子が男性であり、しかもほやほや笑顔を振り撒く『神秘的』とは全く無縁の好青年だと知って、始めは物凄くショックを受けた。
 しかし、彼が美形ではないにしても、それなりに整った顔立ちである事が幸い(災い)して、アンナのミーハー熱が数分と経たないうちに再び燃え上がってしまったのだ。
 結果、先ほどからこんな調子である。要するにアレだ。彼女にとって『神子』とは、神々しくなくてもとりあえず顔さえ良ければどうでもいいらしい。
 ――それにしても。
 あのほけほけ好青年が水神の神子だったという事実には、確かにシズクも驚いた。
 こんなボケた人が、水神の神殿の最高責任者としてちゃんと働けるのか、心底疑問であると同時に、かなり不安でもある。しかし、それ以上に気になるのは……
 「……偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)」
 どこかに不安を含んだ、ぼんやりとした声。ぽつりと、小声でシズクは伝説の魔具の名を呟いた。
 ――水神の神子の持つ、伝説の杖。
 世界史が苦手なシズクでも、さすがにそれくらいの知識は常識として持っている。つまり、あの時彼が持っていた『杖』が、まさしくその杖なのだろう。そんな事は分かっている。分かっているのだが。ということは、だ。つまりわたしは――
 「え? 偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)がどうしたって?」
 続けていた独白を中断させて、アンナはシズクの方を振り向くと、言った。その声で、シズクの思考も一旦中断される。
 「……アンナ」
 「な、なによ?」
 妙に深刻な顔で見つめられて、アンナは少したじろいだ。
 言おうか言うまいか。シズクは少しだけためらう様子を見せたが、吹っ切るように頭を振ると、やがてこう切り出す。
 「水神の神子が持つ杖、偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)は、とぉぉぉぉっても貴重な杖なのよね?」
 「? ……まぁ、そうね。五百年前の例の事件の際、巨人族とミール族の王子が『奴』の杖を五つに分けたうちの一欠片から作られた物だし。その『奴』の杖って言うのが、神代にまで遡れるほど由緒ある物で、かなりの魔力を秘めた杖だったと言うし、それに――」
 「と、言うことはよ? その杖を乱暴に扱ったりする事って、かなりいけない事よね?」
 「……まぁ、文化財保護法違反だとか重要魔具保存法違反だとか、最悪そういうのに引っかかるって可能性は――」
 「更に聞くけど。その杖を振り回して、そこら辺の野盗三、四人を殴り倒す事って、物凄くやってはいけない事……になるわよね? ねぇ?」
 「…………シズク。……あんた、まさか……」
 「……そのまさかよ」
 シズクは半泣きに近い表情でそううめくと、深い深いため息を一つついた。
 やってしまったのだ。
 伝説の杖を、あろう事か棒術の棒代わりに振り回し、相手を張り倒す武器に使用してしまった。急に地面に落としかけ、挙句の果てには邪杖邪杖と罵ったりもした。意思を持つ杖なので、彼(彼女?)も罵られた事を多分理解しているだろう。あの時リースが怒った理由が、やっと分かった気がする。
 呆れたとばかりに額に手のひらを当てると、アンナもため息を一つついた。
 「よりにもよって、なんで国宝級の杖でそんな事するかなぁ。ホントに、あんたはやる事成す事滅茶苦茶なんだから」
 「知らなかったのよ! 知ってたらそんな事する訳ないじゃない! それに、仕様がなかったのよ。魔法使えない状況だったし……」
 あの時は、ナーリアの追跡を逃れていたのだ。魔力を感知する事は彼女の十八番だ。魔法など使おうものなら、すぐに見つかってしまう状況だった。
 まぁ、ナーリアに見つかってしまうかもしれないリスクを負ってでも、野盗に囲まれたあの時、魔法を使っていれば良かったと言えば良かったのだろう。結果的に魔物が出てきた時点で魔法を使う羽目になったのだし、ナーリアにも見つかってしまったのだし……
 けれど、それはあくまで結果論である。あの状況下では、シズクで無くとも体術を使える者なら誰でも、彼女と同じ行動に出ていた筈だ……と思う。
 「理由はともかく。この事が知れたら、厄介な事になるかもね……。特にナーリアなんかはうるさそうだし」
 ナーリア、という言葉を聞いて、シズクは肩をびくりと震わせた。年がそれほど離れていない事もあって、シズクもアンナも、彼女とは幼い頃から付き合いがある。彼女がまだ学生であった頃には、二人にとっての先輩であり、世話役も担っていたのだ。小さい時から事ある毎にガミガミと怒られて来たため、お互い成長した今となっても、彼女のガミガミは二人にとってトラウマの様なものなのだ。出来ることならば……いや、絶対に聞きたくない。
 「ま、諦めるしかないね。素直にお仕置き受けてきなよ。そうでなくとも、無許可で外出した事で何らかの罰は下るだろうし」
 びくびくしているシズクを、少しだけ楽しそうに見つめながらアンナが言った。そんなアンナを、シズクは恨めしそうな目で見返した。
 「元はと言えばねぇ、アンナが仮病なんて使うからこんな事になったのよ? 何でいつもいつもわたしばっかり、貧乏くじ……」
 本来ならば、今日の『当番』はアンナだったのだ。
 (そこをへんてこな小細工で仮病なんて使うんだから、まったく……)
 二人にとって、ナーリアのガミガミはトラウマであったけれど、彼女のガミガミを聞く回数は、昔から圧倒的にシズクの方が上だった。基本的にアンナは、要領がいいのだ。いつもギリギリの所でピンチをすり抜ける。そう、今日の様に。
 「これも運・命ってやつよ! 私が仮病使ったお陰で、水神の神子様ともお近づきになれたでしょ? これってラッキー、とか思わない?」
 「んなの思うわけ無いでしょうが! こっちはそれが原因で、ややこしい事になっちゃってるんだから! 第一、あ――」
 シズクは更に何か言おうとした様だが、ドアをノックする無情な音で、それは阻止されてしまった。アンナもシズクをからかうにやにや顔をやめて、扉の方へと視線を集中させる。

 「シズク、アンナ。入るわよ?」

 扉一枚隔てた所から聞こえる声に、シズクは戦慄した。
 厳格そうな、女性としては少し低めのアルト。これは……
 「噂をすれば、ね……」
 そんなシズクの様子を見て、意地悪っぽい声でアンナが言った。見ると、にやりとしたさっきまでの笑顔が戻ってきている。シズクをからかう時の笑顔だ。



 言うまでも無いことだが、声の主はもちろんナーリアその人だった。
 入室の許可を取ることも無く、軽い音を立てて扉が開かれると、予想どおり彼女の姿がそこにあった。
 「なんか騒がしかったけれど、喧嘩でもしてたの? 廊下まで聞こえてたわよ」
 「ナーリア……」
 「ちょっとした痴話喧嘩。私達の間じゃぁ良くあることでしょ?」
 直立不動のシズクの影から、ひょっこり顔を出すとアンナが言った。
 「確かにね……。まぁ、そんな事よりシズク。校長が呼んでるから私と一緒に来なさい」
 『校長』と言う単語を耳に入れて、シズクはあからさまに嫌な表情をした。あらら、と横でアンナが小さく呟いた声も、今は耳には入らない。
 ――校長からお呼び出し? それってやっぱり……
 「なぁに、その嫌っっそうな顔は?」
 「だって……」
 あぁ、今回は一体何なんだろうか。前回のお仕置きは確か、反省文と大っ嫌いな魔法文字の複写、プラス、ナーリアのガミガミだった。考えたくないのに、嫌な想像が次から次へと頭の中に浮かんでくる。杖の事がばれていないと良いんだけれど。
 「チェックメイトってやつね。シズク、がんばって来な」
 アンナに背中をぐいっと押されて、シズクは少しつんのめり気味に二、三歩踏み出す。体勢を整えてから俯いていた顔をゆっくり上に上げると、ナーリアの青い瞳とぶつかった。シズクの青とは少し違う、春の空を思わせる淡いブルー。綺麗な色なのだが、今はあまり見つめたくない気分だった。
 「ナーリア……今回は……えーと、どんな……」
 「ん? あぁ、お仕置きのこと?」
 一瞬きょとんとした表情を浮かべたナーリアに、シズクはあれ? と思ったが、すぐに彼女の表情が真剣なものに変わったのを見て、先ほどよりも更に気持ちが重くなった。厳格で真面目な、キリッとした表情。普段教壇に立つ、ナーリアの表情そのものだ。
 (……あれ?)
 だけど少しだけ、妙な違和感に襲われる。
 真剣な表情のその奥に、何か別の感情が含まれている気がするのだけれど。それはただの気のせいだろうか。
 「……今回はそうね、特別よ」
 「え?」
 シズクだけでなく、アンナも怪訝な顔でナーリアの方を見つめた。二人の視線を受けて、ナーリアは急に疲れたような表情に変わると、
 「覚悟した方がいいわよ、シズク。いつもよりかなり、ハードな内容になっちゃってるから」
 ため息をついて言うナーリアの声を聞いて、シズクは死刑執行の判決が下った。と確信し、目の前が真っ暗になるのが分かった。



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