追憶の救世主

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第2章 「依頼」

7.

 「あの子はですね。少し変わった体質の子なんですよ」

 重苦しい沈黙が漂い始めた空間に、静かな声が響いた。
 一同はゆっくりと声の主へと視線を這わせる。
 ナーリアが出て行った後、ただ黙って待っているのもなんだから、と話を振ってきたのはカルナだった。セイラを含む三人も特に他にする事も無かったので、彼女の話に耳を傾けることにする。
 「あの子……とは、シズクさんの事ですか?」
 アリスが少し自身なさそうに尋ねたのに対して、ゆるやかに頷くことでカルナは肯定を示した。そういえば、先ほどの会話の時点で何度かその話が出てきていた。気にはなっていたのだが、隣にいるこのおとぼけ師匠のおかげで、何も聞けずじまいだったんだ、とアリスは思い出した。
 そんなアリスの心中など知る由も無く、カルナは小さく息を吐いてから言葉を続ける。
 「ご存知とは思いますが、ここに入学をする者には、ある程度の実力が要求されます」
 「はぁ、まぁそうですね。魔道士になるためには魔力と器、この両方の素質がいりますし。国立となってくると、その基準も高くなるそうですし」
 先の見えない話に、ぼんやりとセイラが言った。
 「そうです。しかし、彼女――シズクの場合、魔力の強さは人並みから少し上くらい。本来ならば入学条件を満たさないレベルでした」
 「……え?」
 カルナの発言に、リースとアリスは驚いて目を見開いた。隣では、セイラが興味深そうに片方の眉を上げているのが見える。入学条件を満たさないレベルだったって……でも実際彼女は――
 「『本来ならば』ということは、例外が発生したという事ですね」
 「……そうです」
 あまり抑揚無く言ったセイラの言葉に、カルナは静かに頷いた。
 唖然としているリースとアリスに対して、セイラは不思議と冷静な様子だった。もっとも、普段から笑顔こそ振りまいているものの、その他の感情――焦ったり怒ったりしている彼の顔は、弟子であるアリスですらほとんど見たことが無いのだが。そんなセイラを一瞥した後、カルナはどこか遠くを見るように視線を少し上げてから、
 「私があの子に初めて会ったのは、彼女がまだ物心もつかぬくらいに幼いとき。臨時に設置された児童保護所の中で、です」
 そう一言、ぽつりと呟いた。
 ――児童保護所。
 それが何を意味するのかは、言われなくてもアリスにも分かった。
 「十三年ほど前から数年間、ここいらで頻繁に起こった紛争はご存知ですか?」
 「えぇ、当時レムサリアからも呪術師の救援を出したのでよく……」
 十三年前、大国だったファノス国の国王が暗殺されたのが引き金に、立て続けに起きた内部紛争の事だ。もともとあちこちに転がっていた争いの火種は、丁度いい起爆剤を見つけたとばかりに次々と爆発した。結果、ファノスは幾つかの国に別れ、そのひとつが今のオタニアになった。
 アリスもリースも、当時は幼かったのでほとんど覚えていないが、セイラは結構走り回ったらしい。若干十六歳という若さで、水神の神殿の最高責任者として動いたのだ。
 「今思い出しても酷い戦いでした。たくさんの町や村を巻き込み、結果多くの孤児を産んだ。そのために臨時で作られた児童保護所は、そんな子供達でひしめいていました」
 苦い思い出を語るには、カルナの口調はどこかおとぎ話じみていて、まるで抑揚が無い。しかし、それがかえって当時の人々が受けた衝撃の大きさを物語っているようだった。
 「普通、そういった子供は孤児院などに引き取られるのですが、魔道の才能があれば、魔法学校の方で引き取る事になっているんです。だからあの時、私は子供達の調査であの場所にいました」
 「そこでシズクさんに出会った、と」
 「彼女だけではありません。現在ここに属している多くの者が、同じ境遇の元にあの場所にいました。ナーリアもその一人です」
 言われて、先ほどの女魔道士の姿を思い出す。厳格でしかし、優しさが見えるあの瞳にかつて映ったであろう惨状を想像して、アリスの胸に、何とも言えない虚無感が押し寄せてきた。
 「しかし、シズクに会って、そして驚かされました。人並みしかない魔力に対して、あの子の器の能力は呆れるくらいに強力だったんですから」
 苦笑い交じりにカルナが言った。
 「……そりゃまた随分ぶっ飛んだお子さんだったんですねぇ」
 少し驚いた表情で、カルナと同じように苦笑いを浮かべたセイラが言った。
 十分ぶっ飛んだこの人にそんな事を言われても、いまいち説得力に欠けるのだけどね、とアリスは心の中でため息をつく。
 「? ……そんなに珍しいものなのか? その、器が物凄いっていうのは」
 話の内容に納得した様子のセイラとアリスを横目に、一人怪訝な表情でアリスに尋ねてきたのはリースだ。まぁ、魔道士でも呪術師でもない彼が知らないのも無理ない。
 「そうじゃなくって、魔力に対して器が大きすぎるって言うのが、よ」
 リースの方を振り返るとアリスが言った。
 「逆はよくあるんですけどねぇ。魔力に対して器の能力が小さいってパターン。でも、器だけが物凄いっていうのは……聞いた事がありませんねぇ」
 のんびりしたセイラの声が、応接室に響いた。
 器を持って生まれてくる人間の数は、極端に少ない。魔力があるのに器が無いと言った人たちは、呪術師の道を歩む事になる。つまり魔道士になるために最も重要視されるのが器なのだ。しかし、その器はあるのに魔力が低いというのは……
 「ちぐはぐって訳か」
 確かに変わってるな、と少し納得した様子でリースが呟いた。
 「異例の事態に私達も考えあぐねました」
 当時のことを思い出しているのだろう。カルナは懐かしそうな表情に加えて、どこか笑いをこらえている様な感じだった。
 「それで、結局シズクさんはここにいる訳ですけど。そう判断した理由は何だったんです?」
 「器です」
 セイラの質問に、カルナはただ簡潔に一言、そう答えた。
 「?」
 「器と言うのは魔力を体に降ろす能力の事、というのはご存知ですよね。器が強力であればあるほど、一定の魔力でより多くの力を降ろす事が出来るのです。つまり、1の魔力を使って威力1の魔法しか降ろせない魔道士もいれば、1の魔力で威力10の魔法を降ろせる魔道士もいる。シズクの場合、それが呆れるほど強力だった訳で……」
 「むぅ……つまり燃費がアホみたいにいいって事か」
 「身も蓋もない言い方だけど、正解ね。多分」
 あごに手を当てながらリースが言った台詞に、アリスが多少呆れた声で返した。そんな二人の様子をおかしそうに見つめながら、カルナは更に続ける。
 「そう、ですからシズクは少しの魔力で多くの魔法が使用できるのです。あれだけの魔力しかないのに実技が六十番代に乗るのですから大したものだと思いますよ」
 そう言ってから、記述試験の成績は、ただ単に勉強嫌いの彼女の性格が出た結果ですけどね、とため息混じりに付け加える。そこに宿る表情は、単に指導者として生徒の成績を嘆いたものではなくて、出来の悪い娘を持った母親のものだった。
 「しかし、です。全くいい事だらけという訳でもないのです」
 そこで言葉を切ったカルナに、全員の視線が集中する。
 「……と、言いますと?」
 「……先ほどナーリアが結界について話した時、彼女がシズクについて言っていた事を覚えていますか?」
 問いかけるような視線で、カルナは全員を見回す。一瞬きょとんとした表情を浮かべたアリスだったが、すぐに心当たりに思い至った。
 ――シズクはまぁ、体質的なことがあるので気づけなかったのでしょう――
 結界になぜセイラやアリスが気づけなかったのかを説明していた時に、彼女が言った台詞だ。
 あの時街中に張られていた結界は、その強度に反して、非常に微量な魔力しか放出していなかったという。その事とシズクの体質とを結びつけて、考えられる事としたら――
 「あまりに魔法を受け入れる力が大きすぎて、周囲から漏れる魔力には、ちょっとやそっとでは気がつけない。ということですか?」
 「正解です」
 なぞなぞが解けた子供に笑顔で答えるように、カルナが言った。優しそうな瞳を目の当たりにして、アリスは一瞬どきりとした。教壇に立つ彼女は、ひょっとしたらこんな感じではないだろうかと思う。
 リースとセイラも自力でその考えまで至っていたようだ。アリスの方を見て、納得したように頷いている。
 「イメージとしては、大きなお皿の上に米粒が乗っているといった感じなんでしょうかね。お皿が大きければ大きいほど、米粒なんかには気が付かない」
 補足するように言ったセイラの説明に、カルナはこくりと頷いた。
 「なるほど……だから偉大なる蒼(イアーリオ・ワイス)を持てたと聞いたときも、あなたはそれほど驚かなかった訳ですか」
 「?」
 カルナの方を見て言うセイラの言葉に、アリスは怪訝な顔で首をひねった。
 器の事と、この伝説の杖が持てた事。これらに大した接点は見られないと思うのだが……
 「師匠、どういう事です?」
 「簡単な事ですよ。この杖も、意思を持ってはいますが結局一つの魔法具なんです。器の能力とは、魔法をその身に降ろす能力。つまり、魔法具の放つ魔力を受ける能力ともとれるんです」
 言って、セイラは杖をちらりと一瞥する。意思を持つ伝説の杖は、まるでそれに答えるように様々な蒼を放っていた。
 「この杖が放つ魔力を受け入れられるだけの器を持っていたら、あるいは杖の好き嫌いに関わらず持つ事が出来るかもしれない。まぁ、あくまで仮定での話ですがね」
 「へぇ……」
 そう呟いてみたものの、いまいちしっくりこなかった。
 伝説の杖の魔力を受け入れられる器となると、並大抵の強さでは無理だ。というか、それはちょっと人間技では無い気がした。いくら呆れるくらい強力だったといっても、そんな膨大な魔力を受け入れられる程に彼女の器としての能力は強いのだろうか。
 「とまぁ、今の話で一通り彼女の事は理解して下さったと思うのですが――」
 話題を変えるように、カルナがそこで言葉を一旦切る。まだ合点がいかないアリスだったが、とりあえず思考は中断しておいて、彼女の話に集中する事にする。カルナは、一同が自分に注目しているのを確認するように三人を見回すと、静かにしかし確かな響きで、言った。
 「はっきり言います。彼女は魔道士として非常に不安定です。それでもあなたは……彼女を旅に連れて行きますか?」
 先ほどまでの優しい光はどこかに消え失せて、彼女の瞳にはまた、あの英知の光が宿っていた。セイラの方をまっすぐに見て言う。瞳をそらさない。
 それは最終的な確認であり、セイラの覚悟を、彼の本心からの気持ちを問いただす儀式のようだった。
 アリスの頭には、やはり熟練の魔道士に依頼するのがいいんじゃないかという考えが大いによぎったが、今の状況がそんな事を口出し出来るような雰囲気ではないというのも分かっていたので何も言わなかった。それに、たとえそんな雰囲気だったとしても、してはいけない気がした。しばらくの間、両者の間に沈黙が漂い、
 「言いましたよね。僕は『護衛の魔道士』を頼んだのでは無い、と」
 穏やかな笑顔を浮かべながら、セイラがまず口を開いた。
 今まで以上に深い笑みを浮かべると、その漆黒の瞳を少しだけ細める。
 「シズクさんをお借り致します」
 揺ぎ無くカルナを見つめるセイラを見て、彼女は英知の宿る瞳のまま、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。



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