追憶の救世主
第3章 「伝説の店」
4.
男の名前はノートル・カヴリウスといった。御年50歳、妻と二人の子持ち(ちなみに両方息子)で、さそり亭の25代目店長。そしてもちろん、誰がなんと言おうと魔道士であった。今は現職から退いて店を経営しているが、昔は結構な腕前の持ち主だったというから驚きである。
「へぇ。そりゃまた厄介な事に巻き込まれたもんだな」
一通りシズクの話を聞いた後で、ノートルはもっともな意見を述べた。
部外者に詳しい事情を漏らすのは正直はばかられたのだが、信用できる人だし、事情を説明しないときっと何も売ってくれないというのがシズクの意見だった。
「でしょ? ってことでさ、かわいそうな見習い魔道士のために割安でよろしく! ちょっと店内見せてもらうから」
それだけ言うと、店長の返事も聞かずにシズクは商品棚の方へと行ってしまう。その後ろでノートルは一本取られたとばかりに、苦笑いを浮かべているだけだった。どうやら、割引は成功したらしい。
リース達はというと、彼らも彼らなりに店内を物色していた。
魔道士でない彼らがこの店で買う物など特に無いのだが、同行人に魔道士でもいない限りマジックショップに来る機会は皆無なのだ。これは見ておかなければいけないという、単なる観光気分でのことだ。
実際、マジックショップに来るのは、リースにとって初めての事だった。よく見てみると、商品棚に陳列されている商品のそれぞれには、細かく説明書きの様なものがされている。
『クリスタル 呪を封じ込めておくと、これを割るだけですぐに魔法を使用できる代物。 但し使い捨て。 一個5000L(リヨン)』
『妖精の涙 さすと瞳の色が変わる目薬。持続時間は約3時間 一個400L』
『飴玉 普通の飴玉。 一つ10L』
とまぁ、こんな感じで、見ているだけで結構な暇つぶしになる。おそらくマジックアイテムについてよく知らない未熟な魔道士への配慮だろう。飴玉にまで説明書きを加える必要性については、よくわからないが。
「ん?」
と、それまで棚の商品に向いていたリースの目が、ある一点で止まった。
それは、壁にかけられた大きな額縁だった。丁度リースの顔の位置くらいにかけられており、小さな店にその重厚なつくりはあまり似合わないなと思った。細かい刺繍が施された縁からは、それがかなりの年代ものであることがうかがい知れる。中には、見るからに古そうな紙が一枚のみ。リースの注意はまさに、その紙に書かれた文字へと注がれていた。
(これは……)
古い文字だった。魔法文字と呼ばれる文字の中でも、最古に古いとされる種類の文字。それで綴られた文章は、この世界の者ならば誰でも知っている『創世記』の冒頭であった。水神レムス、火神アレオス、風神セレス、雷神ディルス、光神チュアリス、闇神カイオスの6神による世界の創造。それはこんなフレーズから始まる。
いちばん初めは北の果てなるレムサリア 賢い水神(レムス)は水を生み
南のはずれのエレオーヌで 負けずと火神(アレオス)は炎を呼んだ
東にあったセリーズで それでは私もと 温和な風神(セレス)が風を謳うと
残りは我と 厳格な雷神(ディルス)は 西のディレイアスで雷を起こす
それを見ていた光神(チュアリス)と闇神(カイオス)が昼と夜を作り
こうして世界は完成した――
そしてそこから様々な種族が創られ、世界が回りだしたという、ありきたりなくだりに入り、人間が生まれたところで創世記は幕を閉じる。それはごく普通に、そこら辺にいる子供でも知っている物語だった。多くの詩や歌に読まれ、歌劇や小説にもなっている程この世界で言う常識中の常識。もしこの紙に綴られた文章も人間が生まれたくだりで終了していたら、リースにとっても珍しい代物止まりで、さほど気に留めずに店内の物色に戻っていたことだろう。
しかし、文章には続きがあった。
「……………」
普通の者ならば、たとえ魔道士だとしても、なかなかこんなに古い文字は解読出来ないだろう。しかしリースはそれをゆっくりと解読し、口の中で小さく復唱していた。やがて文を読み終えると、何かを感じたのか、無表情のままで後ろを振り向く。
「ほぅ、目が肥えてるねぇ。兄ちゃん」
振り向いて視線がぶつかった先には、ニヤリと意味ありげに笑うノートルの姿があった。目が合うと、ノートルはリースの方へゆっくりと歩み寄って来る。
「およそ500年前にイリスピリアで出土したオリジナルの創世記の写しさ。本物は確か、イリスピリアの国立図書館にあるんだったっけかな?」
隣にノートルが立ち、そう説明してくれてもリースは無言のままだった。
「何でこんなものがこんな所に? って言いたそうな顔だな。……まぁ、もっともだ」
「いつからここに?」
そこでやっと、リースが口を開いた。無表情で、ノートルの方も向かない。しかしノートルはそんなリースの様子を少しだけ楽しんでいるようだった。
「んぁ? この紙切れの事か? そうだな、この店が創立してすぐくらいらしいから、ざっと500年くらい前か」
「って事は、オリジナルが出土してからそう時間は経っていなかったって事か」
「まぁそうだろうな」
言ってノートルは、肩をすくめるしぐさを見せた。
「何でこれほどの代物を国立図書館かどこかに寄付しないのかってか? お前くらいの魔道士ならこの文字を読めるだろうし、この価値が分かるだろうし?」
「別にそんな事訊いてないけど」
「訊きたいんだろう?」
「……………」
リースが沈黙したのを答えととったのか、ノートルは更に続けた。
「別に見せびらかしたい訳でも家宝って訳でもねぇさ。ただな、とあるお方からの頼まれ事さ。国立図書館にあるままでは、一般の、本当に読んでもらいたい人の目にはなかなか触れない。お偉方は大切なものを暗い保管室に閉じ込めたがるもんだからな。それじゃぁいけないからこの店のこういう場所に置いて、そしてこの文字を読める人に一人でも多く読んでもらいたい、ってな」
「へぇ、で? それを頼んだのは、何処の誰だよ?」
「金の救世主(メシア)」
リースの質問に、ノートルはただ一言、そう言った。
『金の救世主(メシア)』
子供でも分かる。それは500年前に世界を救った勇者、シーナの異名だという事を。
リースは押し黙って、再び壁に飾られた額縁に視線を泳がせた。この話を信じてよいものか、そしてこのままノートルの話を聞くべきなのかどうか、彼は判断しかねていた。軽く混乱していると言っても良い。
しかし、ノートルの話はいかにも信用できそうな気がしてくるから不思議だった。額縁の創世記に視線を定めたままのリースをノートルはちらりと一瞥すると更に続ける。
「まぁ信じられないならそれでいいさ。俺もじいさんから聞いただけの受け売りだしな。ただ……」
「ただ?」
途中で言葉を切ったノートルの方を、リースは少し困惑気味な表情で見た。ノートルはいつになく真剣な表情を浮かべていた。初めて見る表情だ。野性的な印象を受けた顔も、この時だけは魔道士のそれになっているなと思う。英知の光る瞳。カルナ校長のものとイメージが重なった。
「この場所にそういう願いを持ってこれを持ってきた人物がいたって事だけは事実だ。伝説の真実を力のある人に見てもらいたい。そういう願いを、な。だからここは伝説を伝える店。つまり『伝説の店』なのさ」
そう言いながら笑う、誇らしげなノートルの横顔が印象的だった。
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